32.5つの涙
「…と、いうわけなんだ、フィー」
「大体分かった」
実感も記憶もないが、ともかく私はナンテスの親父さんの宝石店で、『乙女の涙』を盗りに入った強盗相手に大立ち回りを演じて、それで相手にいたく傷つけられたのだということは分かった。なんでも強盗はかなりの暴れっぷりで魔法を乱発し、宝石店は今、惨憺たる有様らしい。ならば親父さんは泣いているだろうな、と思った。あのショーウィンドウは彼のお気に入りなのだから。それにしてもあの親父さんが太刀打ちできないとは、一体どんな男だったのだろか。さっぱり思い出せない自分が、なんだか怖い。覚えてないのは、倒れるときに頭を強く打ったせいだろう、と言われた。成程、通りで目が覚めたとき頭がずきずき痛んだわけだ。
「あれ? 私、ロイの術具をしてたはずだよな?」
指を見ると、一応アクアマリンのそれははまっていた。そうだ、術具をしていたならこんなに傷つくはずはないのだが。
「ごめんね、フィー、効力が切れてたみたいなんだ」
ロイの言葉に頭を抱えた。運が悪い。強盗現場に居合わせた上に、術具の効力まで切れていたなんて。
舞踏会での一件以降、身を守る加護のついた術具をしている。きっと最近のロイとの術の訓練で、加護を使い切ってしまったに違いない。迂闊なことにそれに気づかなかったようだ。
しかし、いつもならロイは、術具の効力が失われていることに気づくのに。珍しいこともある…
「んん?」
ロイに限って気付かないなんてことがあるだろうか。ずきずきまた頭が痛み出す。
「フィー!」
「なんだいきなり叫ぶな頭に響く…って、それは!」
「そう、『乙女の涙』だ」
ヴィーが差し出した箱の中に、神々しいくらいに輝いて納まっているのは確かに私が長年欲しがり続けてきた宝石。無事だったんだ。
ほっとした。自分を大いに褒めてやりたい。
……しかしヴィーが持っているということは。彼は鍵を開ける気なのだろうか? 恐らくそうだろう、この王様は意味なく国の金を宝石に注ぐような人間ではない。
ということはつまり、私はこの宝石を手に入れそびれてしまったということだな。くたびれ損の骨折り儲けとは、このことだろうか。
「どうした、フィー?」
「いやなんでもない」
残念だが仕方ない。私が生きている間はのんびり鑑賞できると思っていたのだが。
「…運んでくれたのは王様だったな、助かったよ。礼を言う。私に冠のことでも聞きたいのか?」
まだ帰っていないということは、そんなところだろうか。
尋ねると王様は首を振った。
「いや、お前が心配だったから」
「…忙しいんじゃないのか」
「仕事は済ませてきた。クェインをあまり働かせると過労死してしまうからな、俺だって義務は一応果たすように努力している」
「それは殊勝なことだ」
なんとなく近寄ってきた王様から身を引いた。
「…」「…」
なぜまだ寄ってくる! 思わずベッドの反対方向まで一気に身を引いた。ロイがさらに迫ろうとする王様を止めている。
「放せ、彼女に迫ることに関してはお前も納得しただろうが」
「僕に関してはともかく、貴方の行動を認めるとも邪魔をしないとも言った覚えはないよ、王様」
納得したとはなんだ、ロイ。
「お前はこんなに薄着の彼女を前にして反応はないのか」
「貴方と違って理性はしっかりしている方だからね」
「なんなんだお前ら…」
とりあえずシーツをかき集めて身を覆って限界まで端っこに寄る。王様が女好きという噂はやはり間違ってはいないと分かった。
彼がようやく抵抗をやめたので、ロイがしぶしぶと言った様子で手を放した。
「…フィー、俺が怖いか」
青い目がこちらに注がれる。そこにはもう、ふざけた色は見られない。
「そんなことはないが」
「じゃあこの手を掴めるか」
「掴みたくはないが掴めないことはない」
「ならば」
……そんなの、特になんともないに決まっている。そっと差し出されたヴィーの手を、彼とこの間会ったときと同じように掴んでみせようとして。
その、骨ばった造作に。大きさに。
「!?」
私はなぜか拒絶反応を覚えて身を竦ませた。
「やっぱりな…」
少々傷ついた顔をしたヴィーに、なんとなく焦る。彼にあまり似合う表情ではない。なぜ、自分はこんな反応をするのだろう。この間はなんとも無かったのに。もう憎むのは止めるといったのに、拒絶するのか?
「いや、構わない…フィー?」
すっと身を引こうとした彼の手を掴んだ。その真っ青の目が見開かれる。
「平気だ。悪かった」
そう言うと、ふ、とヴィーは笑んだ。しばらく彼は私の手をそっと握っていたが、やがてどこか名残惜しそうに放した。
「フィー、欲しいならこれをやる」
おもむろにそう言うと、王様は『乙女の涙』を差し出したが、私は首を振った。受け取れない。宝石店の親父も相手がお前だから譲ったのだ、宝石に携わるものとして。
「……ヴィーは、鍵を開けるんだろう?」
意外と冷静だ。ヴィーが冠の話をしようものなら、また激昂してしまうのではないかと少し恐れたけれど、彼からそのことについて触れなかったから。
「…お前の師の遺したものだから、その本義を知りたい」
彼がそんなふうにそれを覚悟するなら、私も竜細工師として止めるわけにはいかない。
「…この石は本来この宝石を守り通したお前にやるべきなんだがな」
「記憶にない勲功によってそれを受け取ろうとは思わない」
それに。
「なにより、王が望めば『5つの涙』は彼に従うのが掟」
私も『乙女の涙』をもし手に入れたとして、散々見たら、再びナンテスに売り払う気だった。元の場所へと返すため。
私はそっと立ち上がる。貧血なのか、ふらりとした私を、私が立ち上がるのを見越していたらしいロイがそっと支えてくれた。小さく感謝すると、再び王様へ向き直る。
「ヴィエロア王、いいか、石はこの円状になった王都の東西南北にあるんだ」
ヴィーに向かってそう言うと、彼はなるほど、と呟いた。
「…あの古文書の意味は、それか。分かりやすいと言うか単純だな」
「ああ、古文書を見たなら話は早い」
あの神官長がよく大人しく王様に見せたものだ。しかし石の配置の意味を説明しないあたり、なるほど王様が彼を狸と言うのも頷ける。あまりに単純すぎて、気付かない可能性もあるわけだから。しかも恐らくその中心にある神殿の位置からして、彼も一つ持っているのに言わなかったのだろう。
王もそれに気づいたらしく、あいつが持ってる気はしていたんだがな、と呟いていた。
「で、古文書は?」
「古文書は、実は盗られた」
…それでよくナンテスの親父さんのところまで辿り着いたな。あの辺りは奇妙に似た建物がどこまでも連なり、看板もつけていないので入ってみないと何の店か分からないのだ。ということは。
「古文書を持っているのは、件の強盗か」
「そうだ」
「そうか。ならば、そいつのほうが有利だ。一応東西南北に散っているのは分かっているが、王都は広い。古文書があって使いこなせるものさえいれば、正確に場所を示すから見つけるのは容易い。今回賊が違わずナンテスの親父さんのところにきたのを見ても古文書に認められた者がいるんだろう」
「あの男がか?」
なにやら納得がいかなさそうな王様はさておき、私は自分のコレクションを収めた宝石箱の一つを取り出した。
「賊は複数なのかもしれない。…宝石店の親父さんは、前王の冠が汚れたころ、夢の中で『乙女の涙』を手に入れたという」
ふたを開けると、その箱に収められた宝石はたった一つ。
「…それは」
「『幻炎の雫』。師匠は火山で拾ったとか言っていたがどうだかな」
赤く美しい宝石の内側では、なぜか炎が揺らめいているように感じられることから幻炎の名がついた。雫形のそれを逆さにすると、灯の形にも似ているから、雫とつけないで呼ぶ人もいる。別名、火蜥蜴の涙。情熱的で鮮明なピジョンブラッドの色をした妖艶なルビーだ。
「やる。まあ、がんばれ」
宝石箱を断腸の思いで閉じ、王様に突き出した。
「フィー、いいのか」
「くどい。私がお前が手にしている2つを思わず盗らないうちにさっさと出て行け」
「…感謝する」
王様は頭を下げた。
「…必ずすべて揃えて、またここに来る。フィーは、残りの石を見てみたいだろう?」
「当然」
断る理由はないな。それにしても。
「……正直、冠の鍵を開けようとしている輩がろくな者とは思えない。さっさと残りを見つけたほうがいい」
「了解」
そして、
「またな」
と言って、王様は帰っていった。
「フィー」
ふと黙って支えてくれていたロイが、呼びかけるので見やると、彼は複雑な色を浮かべてこちらを見ていた。
「いつかはこうなると分かっていたけれど。本当にいいの?」
あれも、師匠を思い出す縁の品ではあったけれど。
「しょうがないさ。寂しい気持ちはあるがな。それに師匠が遺したものはあれだけじゃないし」
ロイを見て笑う。彼は理解して微笑んで、そっと支える腕に力をこめた。そう、師匠の血を引いた彼の存在が、その見せる優しさが、私には大好きな師匠を思わせていつだって尊い。
「それにしてもフィー、僕には怯えないの?」
ふと思いついたように、彼が耳元で囁いた。
「?」
「これは時間がかかるね」
…そう言って苦笑するロイがよく分からなかった。変な奴。