30.宝石店での邂逅
「フィーその辺にしといたらどうだ?」
「いやだ、もう今日は帰らん」
「どうしたんだよ、もう」
「ロイが!」
「ああ、あの綺麗なお前の兄ちゃんか? 天使みたいな顔してるよなあ、本当に」
「ちがう。あいつは悪魔だ……」
話し相手がやれやれ、といった顔で私の肩を叩いた。話し相手とはナンテスの親父さんである。ここは、彼がやっている宝石店だ。今日はお使いでここまで来た。ナンテスは残念ながらというか、不在だった。
そして、先ほどから私は、私を一番癒してくれる美しい宝石たちを前にもはやそこから動く気が失せていた。帰りたくない。ここでずっと石を眺めていたい。舞踏会の練習をしていた頃より、今のわたしは、気力体力共に充実とはかけ離れた状態にあった。
「まあよく分からんが元気を出せ。ほら、お前が欲しがってた石がたくさんあるじゃないか」
「ただでくれるんなら元気も出るが」
「お断りさせていただこう」
「やっぱり」
じゃあ駄目だ。再びぱたんと倒れこみ、うつろな目をして宝石の山を眺め続ける私に、彼は聞いた。
「……フィー、お前竜細工師、継承したんだろう」
「……分かるのか、流石だな」
「石を扱ううちに、見る目だけはよくなってな。今のお前の中には先代と同じ力が流れているのを感じる」
「師匠と同じ、か。そっか、それは少し嬉しいな」
目が自然と細まる。今の散々な状態が、ほんの少しだけ報われた気分になった。
「そう、誇りに思うことだろう。先代に認められていたってことは竜に認められたことと等しい。細工もますます格が上がる。いったい何が不満だ?」
「全て……」
「なんだと!?」
「ロイがな、俺が竜細工師を継いで以来怖いんだよ。術の扱いの練習ばかりさせる」
「そりゃあ、また。でも、術の扱いを学ぶことは普通に大切なことじゃないか? 竜に捧げる細工は術具作るときもあるし、術具作るようになるには、その力の流れくらい分かるようにならないといかんだろう?」
「術の扱いの練習と言っても、内容が実戦向けなんだ……」
「実戦?」
「攻撃とか防御とか、いかに精霊の力を借りて自然を変異させて状況に応じて戦えるかをみっちり教え込んでくるんだ。生まれてこの方、術力なんざついぞ扱ったことのない俺にだぞ! しかも、手加減もなければ休憩も取らせてくれない。あの優しいロイがだ!」
「そりゃ、珍しいなあ。昔っからフィーを猫っ可愛がりしてたロイが」
「……最近ロイが怖い。トラウマになりそうなくらいだ」
今日のことだ。術力をうまく扱えずに疲れ果て、ぼろぼろになって、もうやめてくれ、と言った。そしたら、ロイの奴はにっこり笑って、
「敵はフィーがそんなこと言っても容赦してくれはしないんだよ。さあ立って。早く僕を打ち倒せるくらいに強くなって」
と言われた。笑顔が怖かった。ロイは少しでも私が暇そうだと見ると、表に連れ出して毎回こんな調子で挑んでくる。もう堪ったもんじゃない。
「ちょっとは成長したか?」
親父さんに聞かれる。
「いいや。正直に言えば精霊すら見えないんだ。細工作るときには、ああ、なんか今まで使ってなかった力が細工に流れ込んでるなあとは思うんだけど、実戦のほうはさっぱり」
「向いてないんじゃないのか、それは」
「その通りだと思う」
やらせるだけ無駄だ。大体戦えるようになってどうするというんだ、この国はもう平和になったのに。ちなみに私は、多少の体術ならそこらの男は軽く打ち倒せるくらいには使える。だから正直これ以上は必要ない気がするのだが。
「それで帰りたくないというわけか?」
「そうだ」
「可愛そうだがなあ」
と、宝石をあんなにも美しくカットする男とは思えない、熊みたいな風貌のナンテスの親父さんは溜息をついた。
「それでも正直帰ってくれ。お前、俺の商売の邪魔をしたいのか?」
「邪魔か?」
「お前のどんよりした気配が客足を遠のけている。さっきから、入り口までやってきては引き返す客が何人もあった」
「お得意様なんだから、たまには貸切ってことで」
「いや、帰れ」
「殺生な……」
その時、からんからん、と入り口のベルが鳴った音がした。振り向くと、入ってきたのは赤毛に緑の目をした、派手な顔つきのすらりとした男だった。だがその表情はどこか幼い。
「お、いらっしゃい」
「ども。へ~、壁どころか床まで宝石が詰まってるんだねえ、すっごいなぁ。王都一どころか国一の宝石店で、どんな石でも手に入るって噂、あながち嘘じゃなさそうだ」
「そりゃ、勿論噂どおりさ。ここなら何でもあんたの欲しいもんは揃うだろう」
店主の言葉に、男は嬉しそうに笑った。彼は、そうしてきょろきょろ辺りを見回している。いろいろな意味で、軽そうな輩だ。そんなことを思ってぼんやり眺めていると、目があった。
「そんなに見つめてくれるなんて、ひょっとしてオレに惚れちゃった? ……ん、君って男の子?女の子?どっちだろ~?」
いきなり近づいてきた男に至近距離でじろじろ眺められて、思わず突き飛ばした。
「寄るな。俺は男だ」
「おや、ごめんね。君、可愛かったからつい聞いちゃったよ。男の子か、そっかあ、残念」
大して残念そうな様子も突き飛ばされて怒った様子もなく、私に突き飛ばされた肩をぱっぱと手で軽く払うと、男は店主に向き直った。
「ねえ、あなたがここの店主さん? オレ、ここにならあるかなぁって思って来たんだけれど、『乙女の涙』って知らない?」
「なぜそれを」
店主は途端、目つきを鋭くして男を見やったが、私はそれどころではなかった。
「待て」
私は再び男に突っかかった。
「『乙女の涙』、だと? あれは俺のものだ!!」
「おいフィー……」
「黙れ」
かなり相手は背が高く、見上げるような格好になったが構わず傍に行って睨みあげた。男は怯みもせず、にっこり笑ったままだ。なんだかむかつきながらも私はそのまま尋ねた。
「この宝石店で、一番高くて、一番美しい宝石だ。お前俺がどれほどあれ欲しさに貯金を続けてきたと思っている? 5年越しで、まだそれでも届かない。お前に買えるだけの金があるのか? いや、あってもやらんが、どうなんだ」
…大昔、「内緒だぞ」と言いながらこの宝石店の親父さんがこっそり見せてくれた、頑丈な金庫の中身に、私は一目で恋をしたのだ。うやうやしく、黒い箱から手袋のされた手で取り出されたただ一つの石。大粒の涙の形をした、どうしたらあんなに輝けるんだろうというほど美しく煌くブルー・ダイヤモンド。清らかな色合いのそれは、『乙女の涙』、別名、ウンディーネの涙、とも呼ばれている。誰にも渡す気はない。いや、まだ私のものではないが。
「ねえ、オレ、お金持ってそうに見えるかな?」
男はへらりと笑ってそう答えた。その服装は、少なくとも貴族身分の格好ではない。仮に変装しているにしろ、よい意味でも悪い意味でも貴族らしいオーラが感じられない。
「いや全く」
そう答えると彼は、
「分かってるじゃない、だから勿論、あるっていうなら強奪するつもりで来ました。えへ」
と、言ってウィンクした。なんなんだ、この男…というよりそれは犯罪だと思う。
「…そんな正々堂々と盗めると思っているのか?」
今まで黙っていた店長がむすりとした様子で尋ねた。大男なので、仁王立ちになった彼は結構な迫力がある。ロイによると、この店主は見た目どおり力は強く、見た目に似合わず敏捷だという。ちょっとした盗人なら片手でひねりあげてしまうところを私も見たことがあったので、このひょろっとした男なら早々吹っ飛ばされそうだと私は思った。いや、むしろ吹っ飛ばされてくれると気分がいい。
しかし男は店主を上から下まで無遠慮に眺めると、途端、嘲るように言った。
「あんたじゃ相手にならないよ。大人しく渡してくれるんなら、悪いようにはしないからさっさと寄越してくれる?」
「断る」
店主は当然のように断った。対する男は面白そうに笑う。
「この国の人間ってさあ、本当精霊術ばっかしか使わないみたいだね。こんだけオレが力出してても気付かないんだから」
「何を……」
カウンターから出て来た店長が男の言葉に構わず彼を捕縛しようとした。しかし。
「ねえ、こんなのって体験したことあるかなあ?」
ひょい、と男が指を動かすと、途端店長の体は動かなくなる。
「な…」
「びっくり?」
「なんだ!? お前からは風の術力が感じられない、なぜこんなことが…これじゃまるで」
「『魔法みたい』?」
くすくすと男が笑う。
唖然とする。初めて見た、これが、魔法か?
「おじさん、目はいいみたいだけど、そもそも体術しか使えないんならオレには敵わないよ?」
「く」
店主の親父さんは抵抗しようとしているが、その体は全く動かなかった。
「無駄だって。う~ん、ひょっとしてちょっと痛みを覚えたほうが大人しく従ってくれるのかな? 精霊に力を借りる君たちと違って、オレには人を傷つけるのに全く制限ないし、なんなら試してみる?」
赤毛の男の緑の目に浮かぶのは、残虐さというより、玩具を甚振る無邪気で愉しそうな子どもの目とそっくりな色。しかし私はむしろそれにぞっとした。この男はきっと何の良心の呵責も泣く人を傷つけ、殺す類の人間だ。
「ほうら、こんなのどうかな」
ふっと、唐突に空中に現れた鋭いナイフが親父さんの目玉の方をむいた。
「目を抉るのはきっと痛いと思うよ? ほらほら、早く喋らないとうっかり力加減誤っちゃうかも~」
親父さんの目から1cm位のところで刃先がひらひら動く。
「…」
親父さんはそれでも黙っていた。脂汗をかきながらも、刃の先をぎらぎらと睨んでいる。その態度に、男の目がすっと細まる。
「やめろ!!」
ようやくその時に至って体が動いた。叫んだ私に、男の、店主に向けられていた、その厭な目がこちらを向く。
「五月蝿いなあ」
ひょい、と男はこちらに手を振ったが。
「あれぇ?」
私は動くことが出来た。そのまま親父さんのところまで行って、ナイフを叩き落す。それは床に落ちてくるくると回った。それを見届けると遠くへ蹴り飛ばし、わたしは男に向き直った。彼の余裕の表情が崩れないのに対して、わたしはなぜか足の震えが止まらなかった。それでも、親父さんを背に、私は男の目を睨みつける。彼は考え事をするように、尖った顎に手を置いた。
「君、王様じゃないし、おかしいなあ。ん~、あ、そっかあ、ひょっとして君は、竜細工師かな?」
「なぜ……?」
「竜の加護。それも知らないのか。ふうん、この間王様で試せなかったから興味あるなあ、ねえ、実験体になってみる? どこまで魔法に抵抗力があるのか試すの、きっと楽しいと思うんだけどなぁ」
竜の、加護か。魔法に抵抗できるものとは知らなかったな。なんにせよ。
「お断りだ」
実験体?きっと楽しいのはお前だけだ。そんな恐ろしげなものに協力する気はさらさらない。
「残念。ん~、じゃあ、体術勝負?それとも剣?オレ、どっちでも負けないと思うけど。というか、せっかく動けるならそのおじさん放ってどっかに逃げるなり助けを呼ぶなりしたほうが賢いんじゃないの」
「阿呆か。この親父は頑固なんだ、絶対に命がけで口を割らない。宝石を愛しているからな。そんなことしてる間にお前は親父さんを殺して一人この家の家捜しをして、とんずらする気じゃないのか」
「ひゅう。ご明察」
そう言って、けれど男はにんまりと笑った。
「まあ、殺すのが一人になるか二人になるかの違いなんだけど」
「フィー、逃げろ!!」
店主の親父が言う。わたしは首を振った。
こちらから踏み込もうとして、けれど足が言うことを聞かない。舌打ちをする。怯えているのだ。本能みたいなものが告げている、この男は、冗談でなく、私じゃ全く敵わないだろう。全く、なんで最初にそのことに気付かなかったんだか。
「フィー、無理だ、いいから逃げろ」
「やなこった」
逃げるんならとっくに逃げている。逃げるわけにはいかないからここにいる。
「そんなに震えちゃってるくせに。このおじさんがそんなに大事? 所詮は他人でしょ」
落ちたナイフを拾って、男はせせら笑う。私も、虚勢を張って笑って見せた。
「俺はお前に、俺の『乙女の涙』を獲られたくないんだよ」
「フィー…」
親父さんが呻く。
私は誰かのためには戦わない。私の何かのために戦う。
「へえ。じゃあこれは欲しいものを巡る男の戦いって奴?」
「そう、だな」
男はナイフをこちらに構えて、ひょうきんに笑った。まるで試合のように礼をとる。完全に遊んでいる。仕方なく、こちらも返礼する。何をやっているかというと時間稼ぎである。ひょっとすると、ナンテスが少し早く帰ってくるかもしれないから。あいつならまだ、あるいは。
私は腰から剣を抜く。最後にこれを使ったのはいつだっけ?
「んじゃあ、勇敢なる戦士にせめて名前だけでも言っておきますか。オレはチットって言うんだ、職業は盗賊ってことで、よろしくねぇ」
「フィオレンティーノ。この王国の竜細工師、だ」
一瞬の間があった。
そして、それは始まった。文字通り風のようにチットが襲い掛かってくる。速い、なんてもんじゃない。リーチの差というのは、むしろ懐に入られたら仇にしかならないんじゃないかと思いながら、師匠に仕込まれたときを思い出して、横なぎに払われた1合目は何とかはじき返すと男は嬉しそうに笑った。
「全然使えないってわけでもないんだ~」
2合、3合。攻勢にまったく出れない。ひたすら守りにまわって、ようやく追いつくか、といったところだ。それでもあからさまに手加減がされているのが分かった。そもそもこの男は、親父さんにかけた魔法も保持したまま戦っている。それでも涼しい顔をしているのを見て腹が立った。息が、どうしようもなく上がってくる。
「それでもそんなもの、かぁ。つまんないな、そろそろ終わらせちゃいましょうか」
くすくすとチットは笑った。
まずい。避けられない。
まともに、突っ込んできた男に反応も出来ず、腹部にナイフが迫る。
「ぐ、う。げ、げほっ」
酷い衝撃だった。思わず身をかがめて咳き込む。……しかし、私の腹から血は流れてない。
「?」
不思議そうに血のついていない綺麗なナイフを眺めていた男が、私を見やる。そして、何かに気がついたように、動けなくなっている私の腕を掴んだ。振り払おうとして、その力も出ないことに気付いて愕然とする。男は無抵抗な私の右手首を持って手先を見つめた。
「ああ、綺麗な指輪だな、ってこれ、術具じゃん!! 初めに気付かなかったなんてオレって迂闊~。ちょっとショック」
彼が私の指を掴んでしげしげ眺めているもの。ロイの目と同じ色のアクアマリンが嵌った指輪。そう、この、ロイが渡してくれていた術具がなければ、私は今恐らく死んでいただろう。この術具の守りがあってなお、動けないほどの衝撃を受けたのだから。
「いいなあ、これ貰っちゃっていい? って、嘘だろ。抜けないし…。う~ん、じゃあ、フィオレンティーノ、あんた殺すのちょっと面倒くさいなぁ」
男は非常に面倒そうに私を見やった。
「ほっとくか。だけどなあ、あんまオレの顔知ってる人間が多いの、嫌なんだよね~。特に男。だから盗みに入るときは顔見られた場合大抵殺しとくんだけど」
そう言って、しげしげと私の顔を見る。そして、その目は疑問を浮かべた。
「…あんた、本当に、男?オレ、女は切る趣味は、」
「…!!?」
手が伸びてくる。
記憶と、だぶる手。体を、触ろうとして伸ばされるその。手、手、手、にやり笑う口元、私に伸ばされる男の手。
触るな、いやだ。やめて。怖い!!
そう思った途端。
「いやあああああああああああああ!!!」
絶叫とともに、空気が引き裂かれるような音がして。私の前方の宝石店のショーウィンドウや床のガラスが目の前の男を中心にするように粉々に砕け、赤や青、ピンク、様々な色をした宝石が飛び交い、彼は身を翻した。
間一髪で、衝撃を避けながら、それでもチットはその身に傷をいくつも作り、そこから噴出す赤が四方に飛んだ。私のところまで。
記憶と重なる光景。血まみれの人。私は、何を、忘れている?
チットは、血の滴る自分の腕と、私を、不思議そうに見比べて。そしてやっぱり笑った。
「その力…ふうん、フィーって、面白いね。今日は退却してあげる、それ以上暴発されると敵わないし、人寄ってきちゃったしね」
そう言うと、ふ、と男は消え去った。
「フィー? おい、フィーしっかりしろ!!」
親父さんがやってきたけれど、
「店主、ちょっと話が…ってどうしたんだ、この荒れ具合。ん? おい、お前フィーじゃないか、どうしてこんなところに! それにお前、その怪我……!!」
なんだか聞き覚えのある声がした気がしたけれど、
「親父さん、怪我、なかったか?ご、めんな、店…」
「フィー!」
私は気を失った。