28.竜細工師
繋がれた手をフィーは眺めた。ロイは、眠るまでと言いながら眠ってしまった。
もう眠ったから放していいかな、とそろそろと手を外そうとすると、まるでそれに抵抗するようにぎゅっと力がこめられた。
甘えているのだろうかと思う。甘やかされはするが、彼が甘えることは珍しい。よほど弱っているのか。
仕方なく、ベッド脇の床に座り込んで肘をつきながら、薬の副作用か疲労の色の濃いロイの顔を見た。横たわる彼の銀色の睫の長さと多さを見ていて、思わず本数を数え出す。最後の一本まで数え終わるまで随分時間がかかった。数えきったことに満足感を抱いたが、私は一体何をしているのだろうとはっとした。ロイは一向に、覚める様子がない。柔らかそうなほっぺたを見ていてつねってやろうかと思案したが、彼の肌にはすぐに痕がつくので気が引ける。
「ロイ」
起きない。あまり無理に起こしたくはない。やれやれと溜息をつく。
久しぶりだ、彼が眠っているところを見るのは。小さい頃初めて会ったときに天使の寝顔と思ったそれは、変わらず綺麗だったが、中性的な柔らかさより鋭利な男性らしさがある気がして、無意識にフィーは彼の手を振り払いたくなった。そんなフィーの動きにすらロイは目覚めもしなければ手を放してもくれなかった。
あまり女性らしい成長が見られない自分と違って、ロイは美女のように美しいけれど異性として確かに成長してしまったと思う。昔のままがいいのに、そうはいかないのだ。
小さい頃から楽しいことも苦しいことも一緒に経験してきたけれど、何もかも共有しているわけではない。
ロイは大変苦労してきた。薬で力をほとんど押さえつけてしまわないと、暴発してしまうくらいの強い術力をなぜか彼は持っていたから。一方彼の弟であるがシライには強い術力は見られない。少なくとも、使えない。魔力と異なり安易に遺伝で受け継がれない術力の神秘性はここにある。術は他にも、精霊の力を借りるといった点で、魔物の力を用いる魔法とは根本的に異なっていた。フィーには全く何の力もなかったが、薬を欠かせないロイを眺めていると羨ましいというより面倒そうだとすら思う。
精霊の頂点に立つ存在である竜を神とあがめる為に魔法使いより術師が多いというこの国イオナイアでも術師は希少な存在だったが、ロイには術師になる気は元からなかったらしい。そのため細工に彼の力は使われている。彼の作った術具、石に術をこめたものを細工に埋め込んだ装飾品は、作れる人が極めて限られることもあって、護身具として人気が高い。細工のセンスもいいそれは、この工房の人気商品の一つだ。自分に決して作れないものを生み出す彼をフィーは兄弟子として尊敬していた。
だから、師匠が死の間際にフィーに竜細工師を継がせるといったときには、彼女は断った。竜細工師の冠作りが師匠を苦しめたこともあるけれど、なによりその職につくべきは私でなくロイだと思ったから。特別な、竜への捧げ物や、契約にまつわるものを作ることを考えるとロイのほうが向いているように思うのだ。フィーは自身の作るものに誇りはあっても、それはあくまで人を彩るものとしてである。
それで未だに竜細工師の正式な継承はなされていない。
ロイに継げとフィーはいうのだが、彼はいつも断った。その上、彼はフィーこそ継ぐべきだと言うのをフィーは拒否して、二人の議論はいつも平行線だった。闇の時代には収めていなかったために、溜まっていった師匠の作った竜への捧げ物としての細工は今や残り少ないし、竜細工師の継承はそろそろ決着をつけなければならない問題ではあった。ここ最近忙しかったから、すっかり忘れていたけれど……
そう、舞踏会でのロイの宣伝効果に加え、フィーのパフォーマンスもあって、工房は注文殺到で一時新規の注文を受けられなくなったほどだった。狙い通り国外からも注文が来るようになり、嬉しい悲鳴を上げていた。初めは。しかし次第に職人から本気の悲鳴が混ざるようになってきたために今日は久しぶりの休日だったのだ。なのに、王様と遠いところにある墓まで歩いたのは実際結構きつかった。
「……私も、疲れたよ、ロイ」
もう、何も考えたくない。思考がぷつりと途絶えて、次第にフィーも眠りへと誘われていった。
太陽が地平線の向こう側へと落ちる頃、遊びに出ていたシライは工房に戻ってきた。夕飯の支度をしなければならないので、門限が特に設けられていなくてもいつも大体同じ頃に彼は家に戻る。いまだ稼ぎ手となるには年端の行かぬ彼は、家事が好きなこともあり、この家の掃除洗濯料理を進んで引き受けていた。
「ただいま! 今日はレックスとね、海辺まで探検に行って……あれ?」
シライが勢いよく工房の扉を開けて中に入ると、誰もいなかった。
「上、かなあ」
工房は2階建てだ。店と工房と食堂は1階にあり、2階がシライとロイ、そしてフィーの部屋となっている。まさか2人とも昼寝をしていて未だに目が覚めていないのかなあとシライは思った。やけにあたりが静かだったから、フィーと彼の兄が家にいるのなら上で休んでいるだろう。それならば、最近仕事漬けで疲れている二人を起こすのはちょっとかわいそうだと彼は思う。 しかし、そろそろ夕食時である。
「ご飯は抜いちゃだめだよね」
ご飯が出来たら起こそうと決めて、彼はひとまず台所に向かった。今日は久しぶりに三人水入らずだし、それぞれの好きなものを1品ずつ入れようかな、と思う。ならばフィーには今日遊びがてら採ってきた貝の酒蒸し、兄にはかぼちゃスープ、自分にはデザートに黒すぐりのゼリーを。材料を取り出そうとしていて、ふと、5つあったりんごがすべて消えているのに気がつく。ゴミ箱を見ると、非常に薄く切られた皮が長く長くつながったものが落ちている。
「これは、フィー、かな」
この手先の器用さは恐らくそうだろう。彼女は、味付けは絶望的に駄目でも、包丁の扱だけは上手い。ウサギ型のりんごなど作らせようものなら、やけに生々しいものを作るので返って食べにくいほどだ。それにしてもりんごを5つも何に使ったのだろうか。多少気にはなったが、後で聞けばいいや、とシライは料理を開始した。
出来上がる頃になっても、2人は降りてこない。
「お兄ちゃん、フィー、ご飯できたよ~。早くしないと冷めちゃうよ~」
下から呼びかけても全く反応がないので、仕方なくシライはとことこと階段を上っていく。部屋は、3つ。シライは、とりあえず手近な兄の部屋を選んで扉を叩いてみた。
「お兄ちゃん?」
やはり返事はない。まさか、いないんじゃ。
不安になって、シライがそっと扉を開くと。
「……。あちゃ」
いた。やはり、兄は寝ていた。頭に、ぬれタオルを載せて。そしてその兄の枕元に、もう一人何も被りもせず座ったまま寝ている人がいる。
「風邪引いちゃうよ、フィー……」
部屋のテーブルには、スプーンが突っ込まれた、何かの液体がたっぷり入っていた残滓のある大きな器。恐らくりんごはこれに使われたのだろう。多分、兄の看病をしていたフィーが、そのままここで眠ってしまったのだ。
「仲いいなあ」
穏やかな顔をした兄の手は、フィーの手をしっかりと握っている。一方フィーはベッド脇に座ったまま、片腕で頭を支えていて、寝苦しそうな体勢だが覚める気配もない。どういう経緯でこの状態になったというのだろう。まるで、恋人のようだと思う。気恥ずかしい。こういう場面に出くわすと、本当に自分はお邪魔虫なのではとシライはいじけたくなってしまった。2人とも、とてもシライのことを可愛がってくれていても、特に兄のことを思うと、自分はここにいていいのだろうかとそう思うのだ。兄がフィーのことをとても想っているのは、知っている。記憶にある頃から、何かを見つめる兄の視線を追ってフィーがいないことは無かったから。それでいながら、なぜかいつもロイにはフィーへの遠慮があって、それは自分の存在が関係しているようにシライは思っていた。
「いちゃいちゃしたいの我慢してるのかな」
通っている学校で、友人であるレックスがそんなことを言っていたのだ。好きな人には四六時中くっついていたいものなのだと。
本当はそっとしておいてあげたいけど……起こさず放っておくわけにも行かない。
「ロイお兄ちゃん、フィー、起きて」
声をかけて、揺さぶると、ようやく目が覚めたらしい。
「う……ん?」
「朝か? あれ、私は何故ここに」
明らかにフィーは寝ぼけてる。
「夕ご飯が出来たから、わるいけど起こしにきちゃった。フィーは、ここでうっかり眠っちゃったみたいだよ。よく寝てた。お兄ちゃんはもう大丈夫?」
「もう、平気だよ。傍にいてくれたフィーのお陰かな?」
その言葉に、はっきりと目が覚めたらしいフィーが兄を叩いた。
「ロイ、もう放せ」
「ごめん」
「いいけど。私もちょっと休めたし」
呆れたような顔で、けれどフィーは結局兄のする大抵のことは受け入れるのだ。兄はそのたび嬉しそうな顔をして。二人はいつもこんな調子だ。シライはこんな日々が続くと思っていた。
夕食時、久しぶりにあの話題が出た。
竜細工師を継がないかと、兄がフィーに言ったのだ。フィーはいつものようにする気はないと答えた。
「フィー、でも君じゃないと駄目なんだ。僕が夢で竜と話をするって言ったことあるよね? 竜に、頼まれた」
「あくまで夢だろう、忘れろ」
「例え王と竜が契約しても、細工師の供物がないとその維持は出来ない。フィー、国がかかってるんだ」
「じゃあ、ロイがやったほうがいいよ。私の細工はあくまで人の域だ」
「僕じゃ……駄目なんだよ、フィー。君の細工を竜は望む」
「……」
溜息をついたロイが、デザートを持ってくると言って立ち上がった。
「嫌なの、フィー?」
シライが問うと彼女は頷いた。ならば無理強いは良くない、とフィーのことを兄の次に好きなシライは思う。
しかし何でこんな名誉なことを断るかよく分からなかった。神とされる存在にすら惹かれるものを創れるということなのに。
兄が戻ってきて、デザートを食卓に並べた。今日の赤いゼリーは自信作だ、これを食べれば少しはこの沈黙も解消されるかとシライは思っていた。
しかし。
「……!?」
フィーが、シライの作ったゼリーを食べた後、悶絶した。
「ま、ず」
しかも吐き出した。
「フィー!? どうしたの! 僕が何か……」
シライは自分が何かまずい物を入れたかと一瞬考えたが、そんなはずは無かった。じゃあ、どうして、フィーは?
フィーはやがて、何かの衝撃から立ち上がると、シライではなくロイを強く睨みつけた。鳶色の目が一瞬赤く見えたように錯覚して、シライは瞬いた。
「……ロイ、お前、竜の血を入れたのか」
呻くように出たのは低い声だった。
「ごめん。あんまり時間がなさそうなんだ」
兄の表情は、どこまでも暗かった。シライは思い出していた。
「継承、の儀」
竜細工師となるものは、何故か王様と同様、竜の血を飲む儀式があった。……見たところフィーに異常はない。
「フィー……」
「事情を話せ、なぜ急がなければならなかった」
フィーは怒っている。騙されたようなものなので当然だろう。しかしこんなやり方は兄らしくない。
兄は答えた。
「力をつけないといけないから。
分かるでしょう? フィー、今なら少し術力が使えるはず。それを使いこなせるようにならないと危ないんだ、君は王と旅に出なければならなくなるから」
「王様と旅、だと? わけが分からない」
「もうすぐ分かるよ」
「……竜か。また何か頼まれたんだな?」
「そうだよ。ごめん、フィーを優先したかった。けれど、結果的には強制することになるなら早いほうがいい」
ロイは、フィーと目を合わせない。
「もう、いい。私はただ怖かったのかもしれない、もし資格が無かったら死ぬからな」
「フィーにないわけが、ないでしょう?」
「……資格はあったみたいだけど。それにしても継承の儀をゼリーにまぎれてやるなんて味気ないな、まあ元から戴冠よりはるかにそっけない儀式だが」
竜細工師の存在を知るものは少ない。そのため大仰な儀式は行われない。ただ、先代に指名されたものが竜の血を飲むだけ。ただ、資格がなければ死ぬ。資格のないような人間が指名されることなどまずないが。
フィーはもういつもの調子だ。彼女はロイに対して長く怒らない。ふと、フィーはロイに尋ねた。
「ロイもその旅に来ないのか」
「僕は行けない」
兄はそれだけ言って、フィーは、そうか、と答えてそれ以上何も言わなかったけれど。
どこか心細げな目をした彼女を見つめるロイに、シライは、ああ、また自分は二人が共にある邪魔をしてしまったのだなと悲しくなった。