24.ソラについて(2)
少しずつ、ソラの気持ちを自分に向けていく日々は幸せで、王国の闇を払い続ける作業も随分佳境に差しかかっていた。もうすぐ、平和になる。平和にしてみせる。そしたら彼女と結婚したい、とヴィーは思っていた。
しかしあっけなくその日々に終わりはやってきた。
「ヴィー落ち着いて聞け」
神殿を守るために残留組となっていた彼の同僚だったクェインが、闇を払いに外へ出て戻ってきたヴィーに言った。
「さっき国王その人が結界を越えて突然現れて」
「国王が!? ……被害はまるでなさそうに見えるが」
国王が現れたことにヴィーは驚いたが、神殿に荒れた様子は無かった。ただ、やけに静かで空気が重たい、気がした。そうだ。
「ソラは?」
いつも迎えにきてくれていたのに、この日彼女の姿は無かった。
「ソラは、」
クェインは言葉を切って続けた。
「攫われたんだ、国王に」
「……どうして! お前がいながら何故、」
「すまない……俺には手出しできなかった。強かったよ、あの男は。わけが分からないまま何人か、“消された”。俺は卑怯にも立ち尽くしていた。多分、あの呪われた冠の力だろう……その力を見せ付けた後、国王は人質を求めてソラを指名した。彼女は、もう誰にも手を出さないなら、と約束させて、進んで人質になった」
「何でソラが……」
「分かるだろう、交渉するために一番価値が高いのはソラだ。神官長にとってもお前にとっても」
「そんな」
「事実だ。あいつも追い込まれて、焦ってとった策だろうが、痛いところを突かれた。すまない、俺が戦っていれば」
消失する仲間を前に、果敢に立ち向かっていける人間がどれほどいるだろうか。ヴィーはクェインを責めかけたことを悔やんだ。
「少なくとも、お前が生きててよかった、クェイン。責めるようなことを言って悪かった」
「ヴィー……」
「……恐らく、当分は殺したりはしないだろう、ソラは癒術師の力もあるからな。何か起こる前に、俺が絶対ソラを救い出して見せる。クェイン、手伝ってくれないか」
「……そうだな、やろう。俺も命がけで付き合うよ、今度は逃げない」
それから闇を祓う筆頭だった神殿側は、国王に従うようになった振りをして、かの居城の内部に潜入するために策を練り続けた。1年がたった。神殿の古い書を漁るうちに、神殿の地下と城の地下がつながっていることをようやくのことで知った彼らは、そこから闇の大人しい昼の間を選んで城へと潜入し、ヴィーが先頭に立って内部を一気に制圧した。
いくつも闇を斬った為に、そして最後に王を斬った為に、闇の黒い血と人の血の赤が滴る剣を携えて、彼が鍵のかかっていた王室をこじ開けた瞬間。
薄茶の髪の少女が思いがけず飛び出してきた。
「ヴィー?」
「ソラ!無事でよかった、迎えに来たんだ」
安堵にヴィーは微笑んだ。しかしソラは答えない。
「……」
「ソラ?」
「あのひとを殺したのは、ヴィー?」
「あの人……? ああ、国王か? その通りだ、俺が斬った。俺は奴に消されない唯一の人間だから。なによりそのために、竜の加護まで受けたからな」
ヴィーは、彼女を救うために、竜に会いに行った。彼にとって辛く長い一年だった。でも、それを越えて、ソラに再び会えて彼は嬉しかった。血塗れた手を伸ばすことは出来なかったけれど。
「終わった、全部。ソラ、帰ろう」
「……」
どこか茫然自失とした様子の彼女を連れて、ヴィーは部屋を出る。そこには、久しぶりの月の光が照らす惨状があった。床を埋め尽くす黒い絨毯のような屍鬼の死骸、そして、一人だけ赤を纏って倒れる男。それらが永遠に沈黙する一方で、返り血を浴びながらもなお白い神殿騎士の服を着た人々が、歓声を上げている。
「ソラ、どうした?」
黒い冠を被った男の傍に来ると、彼女は足を止めた。
「ごめんね、ヴィー。私の居場所はここなの。あなたの隣でなくて、この寂しい人の隣」
そう言うと、彼女は、そっと男の隣に座った。そして、その死に冷えた頭をとても愛おしそうにかき抱く。
「何を、言って……」
「私、彼に話した。こんなこともう止めましょうって。何度も何度も。頑なな残虐な人だったけど、でも孤独で不幸な人だったと分かったから、幸せにしてあげたかった。彼は段々、私の話を、聞いてくれるようになったわ。彼は、闇と契約を切ろうと決意してくれた……つい、昨日のこと。彼の罪は重くなりすぎてもう取り返しがつかないの、知っていたけれど。それでも彼が分かってくれたと嬉しかった」
「ソラ……、」
「あなたが来たとき、この人なんていったと思う?『隠れてろ。君に会えて、良かったよ。僕は罪を償わなければならないからもう行くね』って。『ありがとう』って、そう言った」
涙がぽたぽたと零れ落ちた。それが、黒い冠に染みるように落ちていく。
「ソラ」
「鍵は、開かなくって。私も、一緒に行くって言ったのに。あなたを一人では逝かせないって言ったのに。彼が罪を償うときは、私も傍にいるからってそう……。約束を破っちゃった。
……ねえ、ヴィー」
呼びかけられて、ヴィーは、ただ、彼女を見つめるしか出来なかった。王の血で濡れた手を握り締めながら。彼女は真っ直ぐに、ヴィーを見た。
「あなたは私を愛したけれど、私もあなたを確かに好きだったけれど。でも今は、こんなにもあなたが憎いの、どうしよう?」
彼女の目に浮かぶのは、黒い感情。いっぱいの悲しみと、憎悪だった。
「ヴィー。それでもあなたは、まだ私のことを愛おしいと思う?」
泣きながら問う彼女にヴィーは、頷いた。再び会って、ただひたすら、彼女を変わらずに愛しいと思う自分を知ったから。人を省みることなくただ生きた残虐な王すら惚れるような女性だ。ましてやこの自分が、ソラを愛おしいと思わないわけがあろうか、とヴィーは思った。彼女は彼を見て、悲しげに微笑んだ。
「そう……じゃあ、愛する人を失う苦しみをあなたにもあげる。さようなら、ヴィエロア」
彼女は、そう言って。
世界は真っ白になった。
ようやく景色が各々の色を取り戻した時、残されたのは、抜け殻のように崩れ落ちたソラと、夥しい傷跡が全て消え、けれどやはり死んだままの王。周りでは、不思議と傷の癒えた騎士たちが驚いていた。
ヴィーは、ふらふらと、青い服の女の元へ歩み寄る。
「ソラ?ソラ!おい、返事をしろ!!」
けれど彼女から答えが返ってくることはついぞ、無かった。彼は彼女を抱いて、ただ慟哭し続けた。やって来たクェインが見かねて気絶させるまで、ヴィーは遺骸を手放そうとはしなかった。