23.ソラについて(1)
私の隣を歩く王様は、町歩きを楽しんでいるようだった。
だがあいにく天気の方は空が重たくのしかかってくるように曇っていた。工房を出るとき傘を持って来ればよかった、と思う。まさかこんなに早く、彼と墓参りに行くことになるとは思わなかった。
王様が城の方に向かっていくから、墓は城に在るのかと尋ねたら否、と返ってきた。
「ヴィー、何で私を墓に連れて行くんだ?」
思えば変な話だ。墓参りというのは何かしらそこに葬られた故人と縁があるものが行くものだ。特に彼と話すことがあるわけでもなく、かといって道中黙りこくって二人並んでいるのもどうかと思い尋ねてみた。
「フィーとデートしてみたくてな」
彼は心底陽気な笑みを浮かべる。その長く真っ直ぐな黒髪は適当に括られ、商人のような格好をしているが、それでもどこか様になるとは達人筆を選ばず、といったところだろうか。
「はぐらかすな。デートで墓になど行く奴がいるものか」
「ここに」
「……言いたくないのか?」
「どうだろうな。言いたいような言いたくないような」
どっちだ。問うように見つめると、青い目はおどけているようにこちらを見返した。
「質問を変えよう。誰の墓だ」
これなら答えられるだろう。しかし大きく間が開いた。彼は一瞬無表情になった。
「呪われし前王の恋人」
「なっ……どうして?」
闇の眷属のための墓は一切作られなかったはず。それなのにその最たるものの一人というべき前王の恋人であるという女性の墓が、どうしてあるのか。
返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「彼女は俺の幼馴染だったから、俺が作った」
「それでも!」
例外は許されなかったはず。
「あいつは闇に染まって無かったんだ。死ぬ直前まで、前王を止めてたんだよ」
「じゃあ、何で死んだ」
そんな女性ならば助けてやればよかったじゃないか。この男にはその力があったはずだ。
「自殺だ」
「自殺?」
なぜ。
「彼女は、前王を愛していた。そして、俺が彼女を愛していたのも知っていた」
「……前王を殺したのは、お前だよな」
「ああ。俺は、彼女を救うつもりだったんだ」
俺はとんだ勘違いをした愚か者だったと王は苦く笑った。滑稽だろう、と言って。
ちっとも笑えない。それだけ聞けば何があったか分かった。彼女はおそらく死を以ってヴィーに復讐したのだ。…それは、なんて悲しい連鎖だろう。ナンテスがいつか愛が救いをもたらすと言ったのを思い出した。だが、この場合、愛が運んだのは死だった。
さくさく歩きながら、私はしばし黙り込んでいた。
彼女は何故あの前王を愛したのか。どんな、人だったのか。
「なあヴィー、まだ墓につくまでは結構かかるんだろう」
「そうだな。すまない、遠くまで付き合わせて」
「いやそれはいいんだけどさ。まあ、時間がかかるだろうから、その人の話を聞きたい。駄目か?」
「……いいだろう」
王様は深く息を吸って、話し始めた。私は彼の青い目が、少し曇って遠い過去に馳せているのを見た。
ヴィーが彼女に出会ったのは、父の元から神官長の暮らす神殿へと神殿騎士となるべく居を移した日だったという。聞けば彼は神官長の孫だそうで、彼女も神官長の孫だったために、それが二人の縁となった。
「あなたがヴィー? 神官長様にあなたのことを聞いていて会えるのを楽しみにしていたの」
「そうだけど、お前は誰だ?」
青いワンピースの、いきなり自分に話しかけてきた初対面の少女にヴィーはそっけなく尋ねた。彼女はそれを気にも留めずにっこり笑っていたという。
「あなたの従妹。ソラっていうの、よろしくね。ここのことで分からないことがあったら聞いて。あなたより年下だけど、ここにいる年数ではあなたより先輩ですもの、何でも知ってるわ」
神殿で暮らし始めの頃、年が若く神官長の孫であることから浮いた存在であった彼を、あっさり彼女は仲間達に馴染ませた。いつも笑顔で人懐っこい彼女は、闇の存在のために陰鬱となりがちな空気も明るくさせていた。血を吐くような訓練と闇との闘争の中で、荒みがちだったヴィーも彼女に救われることがあったという。そうやって、ヴィーが彼女に惹かれるのにそう時間はかからなかった。
ソラは、癒しの力に優れた、時期神官長と目された存在だった。けれど、ヴィーはあまり癒しの力を見たことが無かったらしい。彼はさほど酷い怪我をしたことが無かったし、さして気にも留めなかったそうだ。
そんなヴィーがある日、重傷を負った。
「ヴィー、また外で大怪我したって本当!? 大丈夫なの?」
「大げさだな、こんなん舐めとけば治るよ」
実際には、息も絶え絶えだった。死ぬかも、とあのヴィーが一瞬でも思ったというから相当酷い怪我だったのだろう。ソラは平気な振りを続ける彼を怒鳴りつけた。
「消毒してちゃんと治療した方がいいに決まってるでしょ、馬鹿! 強がらないで」
彼女がそっとヴィーの怪我へと手を添えると、肉眼では耐えられないくらい強い真っ白な光が生まれて傷を包み込んだ。そして。
「よかった……」
傷は全て跡形も無く消えていた。何も無かったかのように。
「すごいな、これがお前の力か…」
「凄いでしょう。恐れ入った?」
「ああ」
と、少女はめそめそと泣き出してしまった。
「お、おい」
「ヴィー、死んじゃうかと思ったじゃない。本当に心配したんだから。国を救いたいっていうのはわかるけど、あなた自身を大事にして。そんなふうに身を削るようにしていたら死んじゃう……」
滅多に泣かない少女が他でもない自分を思って泣いてくれたのが、申し訳なく、けれど同時に胸が熱くなるほどに嬉しかった。だからヴィーはソラがふらりとしているのに気がつかなかった。ただ伝えたい言葉でいっぱいで。
「悪かった……あの、ソラ、俺お前のことを」
ヴィーの言葉の途中で、いきなりばたり、と少女は倒れてしまう。
「ソラ!?」
ヴィーは傷は消えていたが失血で動けず、誰か、と呼び続けた。慌ててやってきた人々が、真っ青な顔をして少女をヴィーの元から連れ去っていった。
当分動けず、彼女を心配していた矢先にやってきた神官長を問い詰めた。
「ソラは無事か!?」
「ソラなら大丈夫です」
「狸爺、おい、本当だろうな」
「本当ですとも。ここ数日、重傷のものばかり診ておりましたからな、力が尽きたのでしょう」
「尽きたって……。癒しの力の元はなんだ」
「命です」
「なんだと!?」
だから、あまり使うところを見かけなかったのだ。使うたびに死に近づくから。
「命ならば皆持っている故、癒しは本来誰でも使える力です。ただ、費用対効果を鑑みた結果、ほんの少しの損失で多く癒すことが出来る人間が神官となる。
湿った木に火をつけるより乾いた木に火をつけるほうがはるかに簡単でしょう。木を命と思いなさい。発火させたら後は違う力を用いてその火を大きくする。それがいわゆる術力ですな。術力の量と質も癒しに向くかどうか関係している。ソラはその命も術力もほかの誰より癒しの力として長けている……私よりも」
「そうなのか……だが」
「大丈夫。私がこの年まで生きたんですからな、ソラはもっと長生きする。命の磨耗具合により癒術師の引退の時期も決められておりますよ」
それを聞いてヴィーはようやく一息ついた。しかし自分を助けるために彼女が命を使ってしまったことに衝撃を受けたヴィーは、彼女に謝りたいと強く願った。そして告白の言葉も、きちんと伝えたかった。
ようやく動けるようになって、ヴィーが彼女を探すと、珍しく一人で中庭にいるのを見つけた。ソラはいつものように青い服を着て、健康そうだった。昼の光に照らされて、流れる雲でも眺めているのかぼんやりと噴水の縁に腰掛けて足をぶらぶらさせているその仕草が、もう18になるのにそれより彼女を幼く見せた。ヴィーにとって誰より守りたい人。
「ソラ」
「ヴィー……ごめんね」
「?」
「倒れたりして、心配したでしょう?私、全然平気なのに」
「でも、命を使うんだろ?」
「……やっぱり神官長に聞いたんだ。こういうことになるから、黙っていてっていったのに。ヴィー、そんな顔しないでくれる。私はこの仕事に誇りを持っているの、私の力で治った人に悲しまれたり哀れまれたりはしたくない」
「ちが……いや、ごめん。そう、思ってたかもしれない。でも、俺、あの時凄いと思ったよ、ソラのこと。綺麗だった、天使みたいで」
「そこまで言われると照れるなあ」
ヴィーには本当にそう見えたそうだ。
「ありがとな」
「どういたしまして」
にっこり笑った彼女にヴィーはどうしても伝えたくて。
「ソラ。俺、お前のこと好きだ。いや、愛してる」
「ええ!? でもヴィーたしか、ミラーナとかリオンとかマリアとかチータとか、ああもう忘れたけど全員恋人だよね?」
「全員別れてきた。本気だ」
「そ、そんないきなり言われても。ヴィーは確かに強いし男前だと思うしでも」
「急がないから」
「本当?」
「でも否定の言葉は聞かない」
「そんな!」
ヴィーは真っ赤になった彼女の可愛さのあまり、頬に一つ、口付けを落した、らしい。
ここに来て一言言わずにはおれなかった。
「なあヴィー、惚気ていないか」
「いいじゃないか。今から俺が地獄に落ちると思えば聞き流せるだろう?」
「そうか。しかしソラは芯の通った女性だな」
私なら、自らの命を削ってまで他者には尽くせない。その仕事に誇りを持ち、人を救い続ける女性。癒しの力は一度だけ見たことがあるが、他の術と比べてもなんとも神秘的な術だったからよく覚えている。ソラという人が、癒しの力を使うさまはさぞ美しかっただろう。
「ああ。彼女は強かった。そして美人だったし」
「……女好きで手に負えない上にお前は面食いそうだよな」
「そうでもないが」
「……何故私の顔を見ながら言う?」
ヴィーは笑って答えなかった。
「フィー、もうすぐ墓場に着くぞ。
彼女に関する話の残りは実はそんなに長くないんだ。続きを話そうか」