21.問いかけ
「さて、生き残ったのは二人きり、か」
おどけてヴィーが言うのを、ロイは見やった。眠りを死というのはそれらが酷く似ているからだろう。動くもののない静けさ。城はとっくに、そんな静寂の中へと沈んでいる。そのため、話し声はやけに響いて、篭った。
月の光が二人が向き合う間に注ぐ。月明かり。ああ、これもこの王が取り戻したものか。
フィーは、もう眠ったかな。眠れただろうか。また、悪夢を見ていないだろうか。うなされて、いないだろうか。
「もしそうなら、死にそびれて項垂れたい気分になるだろうね。あなたと二人きりの世界など」
「悪くないだろう」
「それなら、あなたがフィーに近づく心配がないといった点では」
悪くない、かな?
「いや、やっぱり嫌だな」
「ならばクェインを帰さなければ良かっただろう」
「いや、彼はもう、立ちながらうとうとしていたし」
安全に帰っただろうか。可哀想な王の補佐を思い出す。
「さて、俺も実は結構眠いんだ。用はさっさと済まそうか。
フィーの、話か? お前がクェインに聞かれたくない話とは。先ほどの話で、フィーが私をやたらと憎むわけはまあ、分かったと思う。しかし、まったく彼女を傷つけない、なんていうのは所詮無理な話だ。お前はどうやらそれを強く望んでいるらしいが。
俺が近づこうと近づかまいとに関わらず、同じこと。分かっているんだろう、完全に誰かを、動き続けるこの世界から守リきるなんてのはただの理想だ」
それでも、だ。
「かといって今、誰かが他の誰かの手で傷つくのが分かっているなら、そのままにしてはいれないだろうと僕は思う。あなただって、それが嫌で立ち上がったのではないのか」
守ろうとした対象が、一人の人か一国かの違いはあれ。
「まあ、そう言われればそうだが」
「大体、あなたはフィーに対して中途半端にすぎるよ」
僕の言えたことではないかもしれないが。
「さっき。フィーから大体、アラスカシア王にまつわる一連の話は聞いたけど」
「それで?」
「あなたはフィーを二重に利用した」
その言葉に、ヴィーはぴくりと柳眉を動かした。
「どういう意味かな?俺は彼女を救ったし、あまつさえ彼女に切りつけられた」
それも事実だ。しかし、一面に過ぎない。
そしてそのまま、フィーは彼の謀に気付きそうで気付かなかった。終わりよければそれでよいと考える彼女の気性はうらやましいが心配だ。こんなふうに、気付かぬうちに誰かに利用され、それに気付いたときまた深く傷つくかもしれないと思うから。
「僕が遅くなったのは本当に失態だった。彼女が、フィーが斬られそうになったときに、あなたがアラスカシア王の意識を強く逸らしてくれたことは感謝してもし足りない」
そうしなければ、ほぼ間違いなく彼女は死んでいただろう。
「それはどういたしまして」
おどけたようにヴィーはそう言った。それを、思わずロイは睨む。
「だが、あの時あなたは彼女の言うように気付いていたはずだ。
竜の血を本当に飲んだかどうかが疑われているという時点で、自らの血をアラスカシア王に飲ませれば証明など簡単にできるし、なんら被害は出ないはずだと分かっていたんだろう?アラスカシア王はともかくあなたは知っているのだから、自分の体に流れる血の意味を」
それは裁きの血なのだ、と。
「茶番を演じたのは、アラスカシア王が明確に自分に殺意をもっていたと示す必要があったから。これは、フィーが斬られても、仮に彼女が本物のエレノイアの方だったとしても、示せない。そこで彼の一番の狙いを曝け出させるために自分が切られる役を買って出た」
「……全くフィーは鈍いよな。あそこまで俺を責めておきながら、なぜかそこまで行き着かない」
素直に相手は認めている。そうだったのだと。それに対しては、ロイに怒りは湧かなかった。別にフィーも、彼が命を張って自分を助けるような男かは心底疑っていたようだし。さらに言えば、剣に手を一度もかけなかったので彼に非がないのは明白で、それに加えて血を飲ませるという汚れ役を全てフィーが買って出てしまった。まあ、彼女は後悔しないだろうが。
「そう。フィーは肝心なところでいつも抜けている。だから僕は心配なんだけど。今言ったことを別に責めはしないよ、僕にも落ち度があったから。……ただ、自分のために人が死ぬ、ということにフィーが特別拒絶を示すのは覚えておいた方がいい。もし、これからも彼女に関わるつもりなら。
そんなことより、2つ目のほうが問題なんだ。このことを考える限り、二度と彼女の前に現れて欲しくないくらいに、僕はあなたが嫌いだ、ヴィエロア王」
睨みつけると、彼は苦笑した。
「これはまた、フィーに続いて随分と嫌われたものだな」
「……何故、あんなことを言ったんだ?」
「何かな?」
「惚けるな。『殺されても良かった』だって?しかもあの目はなんだ」
「少し過去に思いをはせただけだ、他意はない」
「何を、誰を見ている?」
フィーに。
その問いに、ただ、王は笑ってみせた。暗い目をして。
「あなたはフィーが自分を憎むのを厭わないで彼女に近づく」
「ああ、そうだな」
「フィーに嫌われたままでいたい」
「まあ好いてくれても構わない。大歓迎だ」
「ふざけるな……人を憎むことが苦しくないと思うか?」
今日だってあんな顔をして。……ここを去り際のフィーは、相手を視線だけで切れそうなくらいに酷く鋭い眼をして、そしてそれでいて辛そうだった。もう、そんな顔をして欲しくないと願っていたのに、やはり僕には救えないのか。ロイは、王を憎むことに苦しみ、そしてその度悲しいことを思い出すフィーのことを想った。
「彼女をあなたの『贖罪』願望に利用してくれるな」
「俺もそれなりには苦しんでいる」
ふと真顔になって、彼は言った。二人で、睨み合う。
「憎まれた相手に殺されたいだって? 正直、僕があなたに引導を渡してやりたいところだが、あいにくそんなに優しくないんでね」
王である、この男は。
寛容で、頭も悪くない、何より戦いを好む人種には珍しく彼は平和を愛している。国も、人も。王として、良い方向に導いていくだろうと思うのに。
「そのざまはなんだ、クェインさんじゃないが、しっかりしてくれ。お前は王だろう。私事や過去に縛られるな、ただ、今を見ろ」
母の教えだ。ただ、今を生きろと。それが全てだと。彼女の場合後先を考えない猪突猛進なところもあったが、それで自分達を食わせていたのだ、それなりに意味はあると思う。
「そしてフィーをお前の澱みに巻き込むな」
「別にそこまでするつもりはない」
「心の奥で望むならばそれは同じことだ」
「手厳しいな」
王は、笑った。いつもの笑みだった。こうやって、彼はいつも誤魔化しているんだろうか。おそらく彼にも辛い過去があったのだろうと思う。だが、詳しく知ろうとは思わない。
ふと、ヴィーは言った。
「なあ、フィーに関しては望みが薄いという点で俺とお前は似ているな。似たもの同士、仲良くやろうじゃないか」
「あなたほど望みが薄いなんてことはない。僕の方が彼女の傍にいる」
「傍にいすぎると意識しなくなるとはよく言うな、その典型じゃないのか?抱きしめられても相手が反応しないとは」
見ていたのか。ヴィーにだけは見られたくなかった。というか、彼に言われる覚えはない。
「触れるのさえ嫌悪される人間がよく言ったものだね」
「それだけ俺が意識されているってことだろうよ、『お兄さん』」
「あなたのような弟を持った覚えはないし、予定もないな、空気より存在感の軽い王様?」
「あれはなかなか難しい技術だ」
「どうだか」
フィーに何度となく忘れかけられた分際で。
「……あなたは、フィーにまだ近づくつもりなのか?」
もういいだろう、とロイは思う。もう放っておいてやって欲しい。
「そうだな……今日のフィオナは俺を導く力強い女神のようだった。そう思わないか」
「それで?」
「戴冠式。そして、今日。俺は二度彼女に王だと示されて、今ここにいるわけだ」
「……」
「ならば、お前の言うように、今を考えるとき、彼女を抜かして考えるわけにはいかないだろう」
「引く気はないと」
「聞くまでもないだろう」
面倒だと思った。一体、この男はフィーをどうしたいのだろう。そう思うのに、なぜか奇妙な安堵がある。
「なぜかお前に励まされたかのような変な気分だな」
考えていると、王はぽつりとそんなふうに呟いた。
「頭に蛆でも沸いたんじゃないだろうね」
「素直に感謝は受け取れないのか」
分かりやすく感謝を伝えられないのか。
「ま、いいや。何かよく分からんがすっきりした、ありがとな」
「感謝される覚えはない」
そんなつもりはロイにはなかった。けれど、聞きたいことは聞き、言いたいことは言ってしまったのですっきりとしたのは同じだ。結果的に、少なくとももう彼が悪戯に彼女を傷つけることはないだろうと少し思えた。だから、先ほど、安堵したのだろう。
「言いたいことも言ったし。僕はフィーの待つ部屋に帰る」
「……待て」
「なにか」
「部屋は分けたはずだが?」
「予定外に客が増えたらしくて頭を下げられて、二人部屋でいいよ、と言ったのはフィーだ」
「あの馬鹿」
「それじゃあおやすみなさい」
「待て!おい、……」
呼び止める王を一人置いて部屋を出て行った。既に朝が近い時刻になっていた。フィーはきっともう眠っているだろう。