19.冠の話(1)
結局自分がされた行為に逆上してしたことが、王女の命を救い、王の名誉を守ったということにいつの間にやらなっていて、あれから随分城の皆に親切にされた。その一環で、一室を貸し与えてもらって、ようやく重い服を着替えることになった。なんと今日は、ここに泊まってもいいという。手の込んだ細工のなされた調度品の数々を眺めうっとりと私は溜息をつく。王城の客室用の部屋だ、そのどれをとってもなかなかのもの。
とりあえず着替えよう。そう思って、いそいそとレースやら宝石やらがじゃらじゃら重い黄色のドレスを脱ごうとしたときのことだ。
与えられた部屋の備え付けの鏡に映った自分に気付いた。
そこには、エレノイア姫がいた。……偽者の。鬘を取ってみた。苦笑いが漏れる。短い髪は、ドレスにはやはり合わない。彼女は似合うと言ってくれたけれど、私は彼女のようには、なれないだろう。彼女が、私になれないように。私は私だから。
それから職人のみの晩餐に向かう。
私がドレスから着替えてくると、ロイは、
「もうちょっとあのままでも良かったのに」
と血迷ったことを言った。お前、私がドレスを嫌っていると分かっていてその発言をするのか。
「フィー似合ってたよ、綺麗だった」
「そうか?」
「うん」
「ロイも一度着てみればいい、どれだけ嫌か分かる」
歩くたびに裾は足にまとわりつくわ、体を動かすのは億劫だわ。
「それは遠慮しておく」
はっきりとロイは断った。
「ほら見ろ。自分が嫌なことは他人に押し付けてくれるな。……なにより私は、これが一番自然で落ち着くんだよ。楽だし」
私はそうぼやいて、着慣れた男物の服をつまむ。今回改めて女性というのは苦労が多いものだと思った。男の衣装は軽く動きやすいものが多いのに。
「質素なワンピースとかはだめ?」
なんなんだ。そんなに女装させたいか。
「走りにくい作業しづらい」
「そう……」
「私の男装は似合わないか? それとも滑稽? 貧弱だから?」
「ううん。そんなことはないよ。それも似合ってる」
「へへ、ありがとう。なあ、ロイ、とりあえず食べよう。冷めてしまう」
テーブルの上は豪華絢爛だった。
ああ、目の前にはご馳走。動き回ったせいでお腹がすいていたので、ひたすら詰め込むように食べた。幸せだ……。
「フィー、よく噛んで」
「ん」
「聞いてる?」
「ん」
話す余裕もなくそんな風に返していると、ロイに呆れた顔をされた。まあ、いつものことだ。素晴らしい勢いで食べることに熱中する私の様子に、周囲が多少引いていたのを感じたが構わない。
「あのドレス姿にはまさか、と思ったが」
「あの実に豪快な食べっぷりはやはり男だろう」
「そうだな……」
放っといてくれ。成長期だ。
ようやくある程度人心地がついたところで、声をかけてくるものがいた。
「今日あんたの細工見たけどすごいな、あれ。本当に竜がいるみたいに感じたよ」
「嬉しいな」
看板など作ったのは初めてだったから、少し心配していたけれど始めたらいつものように勝手に手が動いた。そう言えば王も一瞬竜と見違えたと言っていたっけ。奴も見る眼だけはあるから、それだけの物は作れたのだろう。いい宣伝になったかな。
「宝飾品も見た。素晴らしかったよ……でも何故かな、欲しい、という気持ちにはならなくてなんと言うか」
なんともいえない顔をする。
「あの細工と、見合う人は、欲しがるんだよ、あれ」
不思議とこの人なら合う、と思う人に売れる。そして私の作った細工を盗む輩は、結構少ない。
「そうなのか……じゃあ、俺が見合うものは無かったんだな、残念。でも、とっても良かった」
にこりと笑う。大柄で朴訥とした、感じのいい人だった。
「君の仕事は?」
「ああ、俺も細工!お宅みたいに石や金属じゃなくて木彫りのほうだけど」
「あ、それ見た! でかい梟彫ってただろう? なんかすごく温かみがあって」
「そう思う?」
にこにこ話し合っていると。
「フィー」
「なんだ」
「王に呼ばれていたよね? 行くよ」
「ああ……そうだったな。悪い、先に失礼させてもらう」
「すみません」
「いや。王に呼ばれているなら急いだ方がいい」
気のいい青年に見送られて、私は慌てて席を立つ。ロイは先にたってすたすた歩き出してしまった。心持、機嫌が悪いように感じたのは気のせいだろうか。変な奴。
晩餐の場を抜けると、夜はだいぶ更けてしまっていた。時刻は真夜中近い。ようやく、一日が終わる。酷く長かった。今日だけで随分と工房の宣伝にはなったと思うけど、疲れた。さっさと眠りたい。
しかし、その前に嫌な約束を果たさなければならない。
とりあえず貸し与えられた部屋にいったん戻って身づくろいをしたのち、私たちを呼びに寄越された騎士に案内されて、いわゆる執務室にやって来た。
「失礼します。お二人をお連れしました」
「ありがとう、下がってくれ」
「はっ」
見渡すと、そこはともかく無駄のない部屋だった。
あるのといえば渋い色をした重量感のある木で出来た机と椅子だけ。深紅の天鵞絨のカーテンは大きく開け放たれており、満月の光が毛足の長い青の絨毯を照らしだしている。
部屋の中には、逆光を受けて影になっている王と、補佐のクェインがいた。
なんだか、不吉な雰囲気をかもし出しているが、彼の人柄を考えるにわざとではないだろう。
「で、呼び出してまで何の話があるんだ」
さっさと用件を聞いて立ち去りたい。眠い。
「そうですよ、何の話ですか、王。出来れば早めに終わらせていただきたいものですね……ふぁ……。失礼。というか私はここにいる意味があるので?まあ、いいですけれど」
もう疲れきりました、というようにクェインは先ほどから欠伸が止まらないようだ。彼も眠いのだろう。声に冴がない。場にはなんとも締まりのない空気が漂う。
「フィーも今日はだいぶ疲れたみたいですから、こちらとしても早く御用が済むなら嬉しいと思っていますよ」
ロイが言ったのに、ヴィーは片眉をあげたようだった。
「……お前もついて来たのか」
「もう夜も遅いですからね、『弟』が心配でして」
にこりと微笑んだロイに、王様が苦笑した気配がした。
「敬語はいい」
「そう?ならば遠慮なく。一体何の用だい、国王様」
…思いの外あっさりやめたな、ロイ。
用意された椅子を勧められ、腰掛ける。話し合いの用意ができると、王様は切り出した。
「ふむ。本題に入ろうか」
「なんだ」
何の用だか知らないが、ともかくさっさと終わらせてしまおう。そう思いながら私が尋ねると、彼は答えた。
「冠の事について聞きたい」
途端。ざっと血が引いた気がした。いや、血が上ったのかも分からない。
「私に」
声が、詰まる。
「私にそれを聞くのか」
「いけないか」
王は、分からないという顔をしている。
「お前が適任だろう。冠をお前が俺にさしたあの日、神官長に聞いた。これを作ったのはお前の師匠らしいな、彼女からおそらくはお前に受け継がれたのが、竜……」
「黙れ」
そのことを。
「師匠のことをお前が口にするな。これ以上話を聞くというなら私は出ていく」
「おい?」
「おやすみなさい、国王陛下」
私は部屋を飛び出して、急いで扉を閉じ、追いかけてくる声も憎い王の姿もなにもかも遮った。
体が、眠いのもあってかいやに熱いのを感じる。
今日はもう、眠ってしまおう。