18.感謝と謝罪
揺れる華やかなピンクのドレスと薄茶の長い髪を、私はずっと見送っていた。
「本当に、そっくりだったね」
「全くだ、この世には幾人か同じ顔がいるとは言うが」
並んでいたヴィーとロイが、エレノイアが見えなくなってからこちらを向いた。……二人してじろじろ顔を見るのは止めてくれ。フィーの方が顎が細いとか、いやちょっと鼻が低いとか本人の前で語るな。
「でも、一目見ただけだと見間違えるくらいには似てる」
「ああ」
聞き流していたが、彼らはそう言う結論に落ち着いたらしい。
「……顔は、な。でも、言葉遣いの上品さや立ち居振る舞い、なにより私は誰かのためや国のために死のうとするような真似できない。やっぱり彼女は私とは違う、覚悟を持ったお姫様だと思うよ。それよりも」
そう呟いて、私は二人を睨みつける。
「どうしたの」
「どうした」
ヴィーは相変わらずのにやにやとした顔で苛立つ。ロイの方は、心持ち、こちらを見る目が蕩けているように思うのはどうしてだろう。まあ、それはどうでもいい、ロイ、まずはお前からだ。
「二人には言いたいことがある……まずロイ」
「なんでしょう」
「ロイ様?」
一瞬彼は押し黙った。
「……なんだい、急に気味が悪い」
「しらばっくれて、今の間は何だ。というかお前は遅れてきてお姫様と何をしていたんだ。お姫様から様付けで呼ばれるようなことがあったのか。こっちはその間に大変な目にあっていたというのに」
なんだか腹が立つ。
「フィー、俺と踊れたじゃないか」
「王様は黙っていてくれるか」
お前と踊ったのはともかくその後の災難は一切なかったことにするのか。そうか、お前に任せた私が馬鹿だったんだ。それを思えば、ロイには迷惑をかけたし、実際助けられた。私は王様からロイに向き直った。
「いや、ロイ……感謝してる。私を、見つけられなかったからエレノイア姫を、探し回ってくれたんだろう」
それにあの時名を呼ばれなかったら。彼はエレノイア姫と私を間違えてはいない、私の目を見て名を呼んだ。そうでなければ、彼女は死んでいたかもしれない。あんな震える手で、死に至るほど首を掻っ切れたとは思えないが、ヴィーの言ったようなショック死が、彼女に絶対に起こらないと誰が言えよう。だから。
「あの時名を、呼んでくれたことも。ありがとう」
彼はふわりと笑った。ああ、いつもの笑みだ。
「どういたしまして。遅くなったのは本当にごめんね。王女の準備に手間取っちゃって」
「準備?」
「彼女もフィーみたいに男装していたんだよ」
「それは……」
驚きだ。じゃあ彼女を見つけた後で今度は一から準備しなくてはならなかったのか。
「お疲れさま」
「ん、大丈夫。僕は髪を結うのを手伝ったくらいだし。フィーは怪我ない?」
危うく頚動脈が断ち切られるところだったが、未遂だ。
「なんとか。それより、『ロイ様』のほうは大丈夫か」
「大丈夫だけど。こだわるなあ。僕だってそう呼ばれるのは断ったんだけど、彼女が聞いてくれなかったんだよ」
「ふうん」
どうせいつものように極めて紳士的な態度をとって、無意識にお姫様を陥落したんだろう。そう、例えば……「明かりが少ないから掴まってください。お怪我をなさってしまうのではないかと心配です」「まあ、ありがとう」「しっかり捕まっているんですよ」近づく二人。「エレノイア姫」「ロイ様…」みたいな感じか。そうか。なんとはなしにロイを睨んでいると、放って置かれてすねた王様が堪らなくなったのか声をかけてきた。
「おい」
「なんだ王様」
「お前、ひょっとして怒ってるのか。ヴィーでいいと言っているだろう?」
「示しがつかん。そんなだからあんなことになるんだ」
「それでその態度か」
「いや」
「ロイに言いたいことは済んだようだが……俺に言いたいことはなんだ」
王様の指を見る。包帯で縛られているが、血がその上に滲んでいる。
「……悪かったな」
「なんだ」
「指!」
包帯でぐるぐる巻きにされているのを指差して怒鳴った。ついうっかり深く斬ってしまった自覚はある。
「ああ、これか。責任でも取ってくれるとでも?」
にんまりといやな笑みを浮かべて言う。なんだこの男。
「その程度の傷……」
「ほら、まだ血が滲み出してくるぞ」
それは傷口を押せばそうなるだろうよ。平気なくせに。
「だから、悪かったと言っている」
正直腹が立った。こいつはきっと死ぬ気はなかっただろう。時間稼ぎだ、ただの。何が命がけで惚れた女を救う、だ。例え首を切り落としてもこの男なら死ななかったんじゃないだろうか、ひょっとして。私の心配を返してくれ。後悔していると、王様は言った。
「お前が口付けの一つでもくれたら治るかもしれない」
そんなことを言ってるようなら大丈夫だな。
「相変わらずの絶好調みたいだな、それ以上調子に乗ってくれるな。私にそんな傷を癒す力はないよ。仮にあっても何もしないだろうが。
そもそも、元はといえばあんたが悪い。血の証明の他の手段に気付いていたなら、最初から自分でどっか適当に切ってアラスカシア王にその血を飲ませてやればよかったんだ。そしたら私があんなことする必要は無かった」
「いや、血の証明を試してみるのも悪くないかと思ってな」
つまり、まだ試したことがないということ。
彼が竜の血を飲んだのは戦乱の後だ。それから傷一つ作らなかったというのか? ……考えていて、ふと、彼と紅茶屋で会ったとき彼の手の甲を傷つけたのを思い出した。あの時だって傷は治らなかった。そして今だって。
「馬鹿か、指の怪我を見れば分かるだろう。死んでたんだぞ!」
「死んでた、ね」
王の皮肉げな笑みは、なんとむかつくことだろう。
「俺が、憎いんだろう? ならば、それでいいじゃないか、万々歳だ、おかしなことを言う」
「ああ、憎い。だが、この手で殺してやりたいわけじゃない」
憎い。それは変わりない。しかし、いなくなって欲しくとも殺してやりたいとは思わない。複雑だ。それに、こいつは私を庇った。それも事実だ。だがそのことに礼を言おうとは思えない。もう、私のために誰か死ぬのはこりごりだ。そんなことで感謝されると思ってる奴は絶対に間違っている。
「お前は死にたいのか。私は、礼を言う気はないからな」
そんなことを言う私に向かって。
王は、あの、底の知れない笑みを浮かべた。
「剣を突きつけられたとき」
「なんだよ」
「殺してくれても俺は構わなかった」
「な、にを」
あの時王はどんな顔をしていた?「フィー?」と私に何かを問うように。
笑っていた
「お前は俺を憎んでいるんだろう?」
こちらを見ている、その目は、何を。
誰を?
「まあ、生きているに越したことはないがな」
私が呆然となってヴィーを見つめているのに気付くと、彼はまるで取り繕うようににやりと笑ってそう言った。
「あのさ、」
感じた違和感について問いかけようとした。だが。
「王! 全く、何をなさっているんですか!? 隣国との外交問題など起こしてくれて!! あそこまですることはなかった。事前に資料をお渡しして、万一場合の対策まで打ち合わせていたでしょうが……ああ、もう行きますよ、とりあえず変な噂が立つ前に、舞踏会の終了を告げると共に事件の説明を! ほら、早く」
やってきたのは、怒り心頭のクェインだった。王の補佐は忙しそうだ。
「対策? 予定はいつでも未定だと知っているくせに。それに人の口に戸は立てられない」
「屁理屈はいいから急げこのど阿呆」
半ば引きずられながら彼はクェインに引っ張られる。
「と、いうことらしい。また後でな、フィー。帰るなよ、被害者とはいえ重要参考人なんだから……あと、舞踏会の後会うと約束していたが無理そうだから、晩餐の後に……」
また会おう、と。遠ざかっていく。
「もう会いたくはない……」
今日はもう、疲れた。
「どうする? フィー」
「どうしようか」
ロイと顔を見合わせる。周りの好奇の視線を受けたまま、ここから抜け出すのは難しいと分かっていたから。
「女装のことを、どう説明するか」
私が、あるいは女ではないか、という視線で見る人間が増えるのはいただけない。これが趣味かと思われるのも嫌だ。エレノイア姫が、死にたくないが故に私を身代わりに立てたなどという弁明は、彼女にとっては不名誉だし。
「王女は私の性別を見抜いたけれど、黙っててくれるってそう言った。あの、メイドは……多分放っといても彼女が口止めしてくれるんじゃないか。これだけ似てるんだ、余興に女装しましたって言うのはどうだろう? 私とエレノイア様があまりにそっくりだったから、会場で偶然出会った二人で驚いたついでに入れ替わって、舞踏会の最後の見世物として示し合わせた、とか。ばれないように彼女は隠れていた、それで父親は知らなかったから勘違いしました、と」
「うん、それでいこうか。もういろいろ考えるのも面倒だしね」
「そう、面倒だ」
ロイが持ってきてくれた、今日元々身につけていた一張羅を片手に、うんざりため息をつく。ちょっと皺がよってくたびれてしまったその姿は私のよう。まったく、細工を作るより疲れた。楽しくもないし。
「それにしてもフィー。ヴィーに近づかないって言ったよね」
「……そうだっけ」
「言った」
約束を破ると彼は怖い。
「私は近づいた覚えはない、あいつが勝手に近づいて来るんだ、断りもなく」
事実だ、私は無実だ。都合、今日3度、いや4度か。あいつが私と認識してやって来たのは。今日はもう二度と会うこともないだろうと会う度に思ったのに。
「そう言えば一度なんか全速力で逃げ出してたね……」
あれは疲れたな。あれ?
「あの時、ロイは何か言おうとしてなかった?」
思わず飛び込んできた騎士とメイドに中断されたけれど。
「なんでも、ないよ」
「そう? なんか、大事な話かと思ってたけど。違うならいいや」
真顔だったし。
「大事な……そうだね」
「なんだ、やっぱり大切な話なのか?」
「フィー、今日は君が連れ去られてから、すごく心配した」
それか。
「血の証明なんて聞けばな」
誰だって焦る。
「死んでしまうかと思った。実際危ないところだったでしょう?ねえ、フィー」
気付けば、その腕の中に閉じ込められていた。懐かしい感覚。彼の腕の中は冷たいのに、温かい。小さい頃から細工の作業や悪戯でしょっちゅうひどい怪我をしたり危ない目にあったりする私に、ロイはよくこうしてくれていた。今は、そんなに怪我もしなくなった。だから、久しぶりで少々、照れくさい。ロイの体からはハーブの、香りがする。落ち着く香り。今日のこと、本当に、心配してくれたのだろう。
「なに。私ももう子どもじゃないから泣いてないよ」
こうしているとなんだかとても、気が緩むけれど。涙は出ない。
「 」
なんだ? ロイが呟いた、短い一言を私は聞き逃す。
「フィー、僕の前からいなくならないで」
聞き返そうとしたときに続いたのは、弱弱しい声だった。それに驚く。腕が少し、震えているのが伝わる。そんな言葉をあげるのには、もっと相応しい人がいるだろう、ロイ。私たちは離れる必要のない、家族じゃないか。
「何言ってるんだよ、今だって傍にいるじゃないか。これからだって、変わらないよ」
「約束」
「する」
でも。
「ロイが……いや、私が『お嫁さん』を貰ったら出て行かなきゃいけないな」
新たに家庭を持てば、それぞれに独立して生きることは大切だ。
それにしてもロイのお嫁さんか。やっぱり髪は銀色がいいなあ。いろいろ希望はあるが、どうも、想像がつかない。
「それでも縁は切れないからな」
そう言うと、ロイは、
「僕を貰ってくれるんじゃなかったの?」
と、いつもの調子で言った。私は笑って、気が向いたらな、と答えておいた。