17.お姫様と細工師
私は悩んでいた。
先ほど、自分こそが「フィオレンティーノ」だと名乗りを上げてしまった……。どうしようか。
事件の関係者として、とりあえず会場から動くなと言われている。早く着替えたい。床をのた打ち回っていたアラスカシア王は、医師に運ばれて行った。今、ヴィーは忙しく場をとりなしている。ロイは、足が痛む私の代わりに私の服を探しに行ってくれている。
私自身は、あまり動きたくないので、結局エルファンド工房のためのスペースに戻って、椅子に腰掛けてぼんやりしていた。
「フィオレンティーノさん」
「はい?」
呼ばれて振り向けば、鏡を見ているような感覚を起こさせるお姫様がいた。
「あの、」
「すみませんでした、エレノイア様」
「え?」
向こうが何かを言う前に、立ち上がって頭を下げると彼女は動揺した声を上げた。
「大変な目にあわせてしまいましたね、あなたの父上を。私頭に血が上ると突き進んでしまうところがあって、本当に申し訳ない」
つい慣れている男のような礼を取ってしまったが、そのまま頭を下げ続けた。怒られる前に謝っておいたほうがいいと思ったから。
彼女の父のことは、やりすぎたと反省している。のた打ち回る男を見て唾飲を下げたからとは…言えないが。父親をあんなふうにされれば、娘として腹が立って当然だ。
けれど、お姫様は言った。
「頭を上げてください……謝るのは私の方です。こんな格好までさせてしまって、あんな、命が危ぶまれるような恐ろしい目にあわせて。それに」
彼女は、疲れたような目でアラスカシアの従者と思える人々やこの国の意思に介抱される父を見やった。
「本当に、今回のことは父にはいい薬になったと思います。どうか、してたんです。ようやく平和になったこの国を奪い、皆に望まれた王を貶める真似をするなんて」
「エレノイア様…」
彼女は父親を憎んでいただろうか。いや、彼女は父の罪をもその身を呈して贖おうとしたのだ。本当は、父のところへ駆け寄りたいのかもしれない。けれど私のところに来て謝罪するのを優先してくれたのだろう。
「なにより感謝しています、あなたは私の命を救ってくださった」
そっとそのしなやかな手に、手を握られる。
「あの、フィーとお呼びしても?」
「ええ、構いませんよ」
頭を上げて、ああ、彼女は少し私より背が低いな、ということに気付く。そっくりだけど、きっと、よく見ればいろいろに違うところはあるのだろう。彼女は私を見返して微笑んだ。
「フィー。少しあなたと、お話してみたかったんです。あなたを見て、とても驚きましたわ。本当不思議ですわね、私たち双子みたい。それに」
「なんでしょう」
「フィオレンティーノと男性名を名乗っていらしたけれど。あなたは、女性ですね」
ぎくりと身がこわばる。
「やっぱり、そうなのですね」
ますます、私たちそっくりですわね、と彼女は言った。
「そ、の」
「大丈夫、けして他言はいたしませんわ。ロイ様は、あなたが男性だと仰っていたけれど…」
ロイ様って。
ロイ、お前はやけに遅かったが彼女との間に何かあったのか。
「最初におかしいと思ったのは、ロイ様や、ヴィエロア王様があなたに向ける態度と目です。あれは、想い人へ向ける瞳に振る舞いですもの。彼らがひょっとしたら男性が好きということかもしれませんけれど、ヴィエロア王は女の方が好きなことで有名ですし。羨ましいですわ、あんな素敵な方たちに想われて」
同じ顔なのに、私では駄目なのかしらね、と王女は、ほう、と溜息をついた。
2人が私を想っている?異性として?
「そんなことは」
ない。
「有り得ませんよ。ロイは、小さい頃からずっと一緒にいた兄弟子みたいなものだから、家族を想うような心なんだと思います。あのヴィエロア王は」
よく、分からない。でも。
「彼は私の細工の才に惹かれているのでしょう」
「それだけかしら?」
彼女は、私の言葉にどういうわけか懐疑的だ。
「そう思いますが」
「それをきっかけにあなたに惹かれるかもしれないでしょう。……あなたは彼らに惹かれないの?」
「私は……私の一生を、女としては生きるつもりは、ないのです」
今は、少なくとも。二人が魅力的な異性であることは認めよう。私が惹かれる、惹かれないはともかくとして。
「……あなたはそれでも、生きていけるのね」
勿体ないと想うけれど、うらやましいわ、と彼女は遠い目をした。
「私は選べないから。贅沢を言うとお思いでしょう、何不自由ない私の身でそんなことを想うのは。
けれど本当に、選べない。
血も、性別も、身分も、職も。生まれついたものから逃れられない、逃れる力もない。あなたと私は似ているのに、こんなにも瓜二つなのに、まるでその人生は違っている。不思議なものですね」
「そうですね。
…けれど、エレノイア姫様とはとても比べ物になりませんが、私も、選べないことは多くありますよ。過去が、たった一つでも違っていれば、私は細工に携わらなかったかもしれないし、平凡な町娘として暮らして一生を終えたかもしれない。可能性なんて、無限にあるようで不思議と制限をかけられているものです。出来る限り、後悔をしない選択を繰り返してきたつもりです。それでも失敗は付きまとうし選べなかったこともある。けれど、今どこで生きているか、ということを考えたときに、今いる場所を私は大切に想う。無為の結果ではなく、それなりに努めて得た場所ですから。
……それでもやはり私は恵まれているでしょうね。好きなことをして生きていけるのだから」
一時、2人で黙って互いの、人生を思った。どちらも相手の身になることなんて、想像が及ばないくらい、別世界の住人だというのは分かった。それでもとてもよく似た二人は、並んで、だんだんと閑散となる舞踏会場を眺めていた。
「あなたの事をいろいろ聞きたいわ、いいかしら?」
「ええ、私もあなたの話を聞きたいです」
そうしてしばらくの間だったが、二人でいろいろな話をした。私の過去の話、細工や宝石の話を彼女はとても興味津々と行った様子で聞いてくれた。彼女の城の様子、姫として受けなければならない様々な教育、脱走の冒険談の数々と彼女の話も面白かった。どんな男性が好みかなどと問われたのは、男装を始めて以来初めてだった。楽しかった……自分がどこにでもいる女の子になったみたいで。
ロイと王様がやってきた。
残念だが、そろそろ、お喋りはお仕舞いだった。
きっと、もうない機会だと知っていて、また会う約束をした。
「元気でね」
「ええ、お姫様も」
「エレノイアでいいわ。ねえ、あなたは嫌いかもしれないけれど、ドレスもとても似合うわよ」
いつか入れ替わって1日遊んでみたい。そんな話をした。
「とりあえず、父上の様子を見に行った方がよい。エレノイア姫」
そう言いながら、ヴィーはこちらへやって来た。
「フィーと話はできたましたか」
「ええ。とても、楽しかったですわ……」
一瞬、彼女はうつむいていたが、毅然と顔を上げて王を見据えると、深い礼を取った。およそ、王族のとる礼の深さでない。
「ヴィエロア王様、此度は親子ともども誠にご迷惑をおかけいたしました。ご処断はいかようにもお受けします」
先ほどまで、うきうきとどこにでもいそうな乙女であった少女は、あの、刃を首に当てた凛とした王女へと変貌していた。
「そんな! 未遂じゃないか。それにあなたは何もしてはいないのに」
思わず留める声が出る。彼女が、裁かれるなんて、そんなの嫌だ。
「いえ。私が逃げなければあのような事態は避けられた。仮にも一国の王の命を危険にさらしたのです。フィーさんだって、危なかった」
「私は大丈夫だ!!だから……」
「どうぞ、ご裁断を」
彼女は頭を下げたまま。
王はそんな様子を見て微笑んだ。
「いえ。その必要はない、アラスカシア王ご自身が今日得た苦しみが罰となりましょう。勿論外交上でこれを理由にいくらか有利な立場に立たせてはいただくが」
「けれど」
「かの王は私を試してくださったのでしょう。王として相応しいかを。戴冠の儀で私が竜の血に認められたと信じ切れなかった者たちも、これ以降は騒ぐことはない。一々証明する手間が省けたというものです。今回はそういうことにしておきましょう、ただ」
ふ、と彼の顔に浮かんだのは、ぞっとするような笑みだった。王の言葉に顔を上げていた王女は、それを受けて微かに慄く。
「これ以降わが国を冒すことがあれば、それなりのお覚悟を」
「……」
「そう伝えていただけますか」
「はい、必ず。感謝、いたします」
はっきりと頷き、そう答えて、エレノイアは去っていった。