13.舞踏会場にて
定刻となり、舞踏会は始まった。
弦から吹奏、音色様々な楽器を構えた一流の音楽家たちによって華麗な宮廷音楽が響き始めると、開かれた扉から夜気を纏って、目に眩い人々が次々と入場してくる。そうして会場は見る間にとりどりの花を撒き散らしたかのような状態になっていく。
人が入るその度に忙しくその名前が読み上げられる。伴って登場する人物たちに、時に歓声が上がったり、息を呑んでみたり。
いつも思うのだが、貴族は自分の名前を最初から最後まで正確にいえるんだろうか。無駄に長い上に発音しにくい。彼らが数多く背負って喘いでいる、あるいは胸をそり返して支えている生きるのに必要のない重さの象徴のようだ。……まあ、その重さへ貢献するもので生きている私の言葉ではないが。
なにせ闇がなくなって以来久方ぶり、そう、10年ぶりになるかの集いに皆気分を浮上させているようで、舞踏会場はなかなかの盛況ぶりだった。よく彼らが生き延びていたものだと赤の他人の私が感心するくらいだ、このような場で再び知己と出会うのは一入の想いがあるだろう。お葬式のようにうら寒い舞踏会もあると聞くから、それに比べれば、今回は全くの成功と言っていいに違いない。城は広いので、相当な数の人間が収まってなお息苦しさを感じることはないが、なかなかの喧騒ぶりだ。
その中心には、例の冠を被ったヴィーの姿があった。まあ、彼の祝賀の会と言ってもよいから当然だ。ひっきりなしに彼の元へ人々は寄せていく。そこに含まれる他国の王族にも怖じることなく、やはり一人の王として泰然とそこにいる彼は、昼間のふざけた人物とはなんだか別人のようだった。エレガントな艶を感じさせる、私見を抜きにすればかなり魅力的な男性だろう。私にとっては軽く生きているだけの未知の生物のように思われるが、私を除く大勢の人々にとってはそうではないらしい。伴侶もいない彼は、今日この場にいる女性たちの一番のお目当てのようだ。熱い視線とアピールを受けて、笑顔で応じている。やはり軟派なのだろう。しかしそんな彼は、すこし踊ってみせるだけで、大胆に力強く女性をリードし、見事な足捌きと存在感を見せ付けて場を圧倒する。運動神経が良いのだろう、上手いものだ。認めがたいが、ただの軟派ではない。
シャンデリアの煌き、振舞われるご馳走、鳴り止むことのない交響曲。上品に囁きかわされるお喋りと陰謀。なるほどな、これは私にとって異世界だ。
ああ、その中から一際美しい青年が私のもとにやってくる。これは、夢だろうか。
「フィー、なんとか付いてきた人たちを撒いてきたよ。なにか手伝うことはある?」
馬鹿げた空想から醒めるべく、私は目を瞬かせた。
なんてことはない。美しい青年は、先ほどまで、エルファンド工房の宣伝活動、もとい貴族並みの社交を行ってきたロイである。なるほど、この絢爛豪華な風景は彼の際立った優美さにしっくりと馴染む、と思う。勿論、術具の研究にふけってしばしば寝食を忘れてぼろぼろになり、くたびれた工房の木の机の上で薬草茶の配合の実験にいそしみ、あるいは菜園で泥まみれになって収穫物の人参を片手に微笑むロイが私にとってのロイだが、今の彼を見てそれを信じてくれる人が果たしてどれくらいいるだろうか。ナンテスも絶賛するところのロイの流れる銀の髪は、今夜纏っている服と同様に黒い絹のリボンで上品に一つにまとめられている。私よりも白いんじゃないかと思われる肌は、この眩しさの元でも一つとして欠点を見出せない。お陰で後ろから彼を見るものはその美しい襟足に酔いしれるのではないだろうか。見慣れない人にとってはかなり毒だろうと想像はつく。それに惹かれてかは分からないが、舞踏会が始まってすぐから今まで、ロイは随分長いこと高貴な方々に連れ去られていた。
「手伝いなら今はいらないよ、ありがとう。一段落つけて、ちょっと休憩していたんだ」
彼も疲れただろう。人によるが、私は1時間に一度の休憩を挟むことにしている。なぜなら意識的に休憩を取らないと、私は廃人になるまでひたすら細工に取り組む悪癖がある。刃物を扱う職人もいるから、敷かれた結界を越えてまじまじ顔を寄せて眺める者はいないが、私に与えられた舞台にはけっこうな数の人が集って遠くから見守られていたらしい。しかし、少し前に始まったワルツの音色にほとんど散っていったという。私はひたすらに集中していたので、ワルツが始まるまで人の存在に気付いていなかったが、少し前にルーカスを伴って様子を見に来たローズ嬢が教えてくれたのだ。この調子で頑張ったら、さらに人気が出ちゃって大変ね、と。それなら望むところだが。
「はい、お疲れ様」
「あらどうも」
ロイが持ってきてくれた果実の生絞りをいただく。さすがにおいしい。こんな会場に来てまでどうかと思うが、なんとなくいつものように作業机に並んでかけてロイとまったりくるくる踊る人々を眺めていると、鈴を転がすようなお声がかかった。ロイに。
「ロイ様、こちらにいらしたんですの!? 探し回りましたのよ、先ほどはあのようにいきなり去ってしまわれたから、私、びっくりしてしまいました」
現れたのはなんともかわいらしいお嬢さんである。若草色のドレスの濃い茶色の髪と勿忘草の瞳をしたばら色の頬。今日作ったシンプルなぺリドットの耳飾が似合うかもしれない、と私は自然とそんなことを考えた。一種の職業病だ。
彼女のような女性は運動は苦手な方が多いのでどれほどかは断じかねるが、息が上がっていることからロイを探すのに彼女なりに結構苦労したのだろう。
「ああ、シェリル嬢。申し訳ありません。私はこの細工師の保護者のようなものですからあまり長くここを離れるわけには行かないのです」
ロイはにこやかにそう言った。保護者と仰いますか。まあそうだけれど。
「ではこの人が先ほどお話なさっていた腕利きの細工師の方?」
こちらに少し眦をあげた目が向いた。訝しげな顔をしないで欲しい。
「おや、ご紹介いただいていたようで光栄です。改めて、フィオレンティーノと申します、シェリル嬢」
にこ、と微笑むと、少し彼女の雰囲気が和らいだようだ。私も仕事がなければ、このように追いかけてくる人もいただろうか……踊れないが。
「私はシェリルよ。ご機嫌麗しゅう、フィオレンティーノさん。
私、どうしてもこの方と踊っていただきたいの、あなたからも説得願えないかしら」
ほう? うん、ロイのきらきらしさには少し劣るが、それを補ってかわいい女性だ。小ぶりだけれどスタイルが良くて、元気なお嬢様。大事な兄弟子の踊りの相手として不足はない、かな。女性が誘ってこの国ではマナー違反でない。禁止な国もあるようだが。職業などの差別を考えると、不思議なお国柄だ。実際、あまり積極的には誘わないものらしいが。おそらく彼女も勇気を出し、思い切ってのことだろう、なにせせっかくの機会である。
丁度、誰でもいいからロイと踊って欲しかったところだ。そうでないと、今も鈍く存在を主張している私の筋肉痛が報われない。そんなわけで、彼女にご協力いたしてさしあげることにした。
「ロイ、こちらから頭を下げて請うべきかわいらしいお嬢様のお誘いだ。まさか断ったりしないよね」
「……フィー」
だめだ、今日はそのような助けを請う表情には従わない。目をそらしつつ、シェリル嬢に聞こえないようにロイの耳元で囁いてやった。
「宣伝」
ぼそり、と呟いた。私が知らない相手と言うことは、新しく開けるべき市場を彼女が抱えている可能性は高いのである。曲もどうやら変わり目だし踊るのにはうってつけだ。
彼にそれが分からないはずがないのに、どうしたというのだろうか、ロイは素直に頷かず、こちらを見ていたが、諦めたように溜息をついた。
「わかった」
ロイはしぶしぶといった様子で立ち上がると、優雅に彼女に腕を差し出した。彼女の赤い頬がさらに紅潮する。その気持ちはよく分かる。可愛らしい。
「ああ、シェリル嬢、ロイをはじめて誘ってくださった御礼にこの耳飾を差し上げましょう」
初々しい様子の彼女に、ぺリドットの嵌めこまれた花をモチーフにした耳飾を手渡すと、彼女の顔は喜びに満ちた。
「まあ、綺麗ね。素敵だわ…でも、頂いてしまってよろしいのかしら? 私持ち合わせがありませんが」
「ええ、お礼ですから」
下心はたっぷりですが。どうか工房の名を広めてくれ。……お礼の気持ちもある。
「ありがとう」
笑顔を浮かべ、ロイの手をしっかり引っ張って少女は去っていった。輪舞の中心へ。
暇になったので周りを眺めてみると、歯噛みして二人を見つめる女性が幾人もいる。ロイよ、なんとももてることで羨ましい。美しさというのは力だなあ、と思う。人を惹きつける直接的な力。
因みに今日のロイはいつもしない手袋をしている。踊りの際、直接女性の肌に触れるのはよろしくないというわけで、このような場でそれは当然の礼儀だが、それだけで彼の場合、いかにも王子様に見える度合いが増しているように思うのは私だけではないはずだ。
そんなロイの踊りぶりを、第三者の目で見れるとは。自分で踊っていたら持てない視点で見ることが出来る。楽しみだ。
しかし、同じように生活しているのに、あの洗練されたしぐさが私に身につかなかったのは一体どうしてだろう。去り行く彼を、残った飲み物をすすりながら考えていると、
「性格の違いじゃないですか」
と言いながら、クェインが現れた。
「はい?」
いきなり現れて何を言うのだろう。
「あなたとロイさんのしぐさの違いについてでも思いをめぐらしていたのでは?」
正解です。何故分かる?
「あなたも随分顔に出ますね」
ふ、と笑われた。先ほどに加えてなかなか失礼な口ぶりだと思っていると、彼は言った。
「おや、お気を害してしまわれましたか。すみません」
「あの」
「なんでしょう」
「今、私話していませんでしたよね」
「ええ」
怖い。顔を見ているだけでそこまで分かるものなのか。
「クェインさんって結構、言う人だったんですね。俺、知りませんでしたよ」
会ったばかりだが、冷たそうに見えて感じのいい穏やかな人とだけ思っていたのだが。
「普段はかなり気を遣っていますよ。うっかりぼろが出ないうちにかかわりを断つように心がけているのです。ついつい、思うがままにいろいろと言ってしまうから」
思ったままに。それはかなり危険だ。
「じゃあこのような場は、」
「苦痛ですね」
そうだろう。化かしあいの場だ。
「平民の彼が王として立てば、こんな面倒な場も少しは変わるかと思って付き合っていますが、なかなか難しい」
へえ、と言う他ない。あんまり私に語り過ぎではないだろうか。そもそも何をしにここへ、と考えて、一つしかないかと気がついた。
「ひょっとして、細工を見にいらした?」
「ええ。息抜きも兼ねてね」
のんびりとクェインさんは言った。
「すみません、もうすぐまた作り始めます。ただ少しだけ、お待ちいただけないでしょうか。ロイの踊るところだけ見たいんです」
「ええ、もちろん待ちますよ。あと、ここに来たのは他にあなたに伝言を届けに来たのもあります」
「伝言?」
なんだか嫌な予感が首筋を這う。
また会おう、と言っていた声を思い出した。案の定、クェインさんは言った。
「王があなたに会いたい、と。聞きたいことがあるそうです。舞踏会の後に、少々お時間をいただけないでしょうか」
「無理だと言ったら?」
謹んで遠慮したい。
「そうですね。今日は職人への慰労もこめて城内での晩餐が予定されていましたが、あなたの分はキャンセルとさせて、」
「行かせていただきます」
「それではお願いしますね」
なんとも、してやられた気分だ。晩餐に使われる間に、ダランシアの絵、『ある晴れた日に』がある。見たい。私のその欲求を、王の補佐は見抜いていたものらしい。それにしても私はこの手の交渉に弱いが大丈夫だろうか。ロイが良く使う手だ。
人々のさざめきだけだった場に、その時再び楽の音が響いた。
「おや、次の曲が始まったようですね」
「そうだ、ロイはどこへ」
なんだか速めの曲調だが大丈夫だろうか。
そんな心配は無用だった。いっせいに踊り始めた人々の中に、ロイを探すとすぐ見つかった。彼はとても目立つから。今の、意図的に存在感を放っている王様と張り合えそうなくらいには。とりまく人々も自然と彼に目を奪われている。私のように。
なんと優雅に踊るのだろう。
流れるみたいに滑らかに、フロアを彼が動いていく。王子様呼ばわりも納得できるくらいに、彼のダンスは見事だった。相手の女性も踊りは得手であるらしい、楽しそうだ。やはり下手な私が相手だったから、ぎこちなさがあっただけで、彼はもう十分に踊れるようだ。練習の成果が発揮できているのは、とても嬉しいが、何か少し寂しい。……寂しい? なんだろう。
不思議な感想を心が漏らした。
まあ、兄に恋人が出来ると妹は寂しいものと聞くしな。逆もあるというが。そう思って私は納得した。
いや、それよりも、だ。工房の宣伝の旗でもつけておくのだったと少し抜けた感想を抱く。いけない、ロイの儲け優先の思考に毒されている。そんなことはしなくとも、彼は意外と装飾品を多く身につける人だから、それで十分、価値のわかる人は彼にその作品の出所を尋ねるはず。それでいい。
舞台はやがて人々が動きを止めて見入ってしまうために2人の男の独壇場となった。
ヴィーとロイは色彩の上でも対立していたけれど、気性が表れるようなダンスも二人は全く違っていて、まるで補色のように、お互いを引き立てていた。色で例えるなら穏やかなロイが青、王様はオレンジだろうか。
踊りが終わると、ロイはこちらに顔を向けた。よくやったな、という思いをこめて笑顔を向けたのに、彼はなんだか私の顔を複雑そうな目で一瞬見た。……なに?嘲笑ったわけじゃないんだが。私の戸惑いが伝わったのか、彼はいつものふんわりした笑みをこちらに向ける。怒ったのかと思ったのでその顔にほっ、と安堵する。それからロイがこちらへ来ようと足を踏み出したのだが、いきなり、わっ、とばかりに王とロイには女性たちが群がって。続いて男たちが。彼は様々な人に囲まれて、あっという間に見えなくなった。
「……うわ」
「王はさておき、凄いですね。ロイさんは実に人気者だ」
確かに、すごい。まさかあれほどまでとは思わなかった。宣伝効果はあるだろうが、貴族でないのに、この場であんなに目立って後々大丈夫だろうか。無駄なやっかみを買わなければいいけれど。
「まあ、元はといえば王も平民ですから大丈夫でしょう」
……もはや顔を読むのでは済まされないと思う、クェインさん。
「はあ。今日はあいつに対抗しようかと思ってたけど、やっぱり無謀だと実感したよ」
「そうですか? あなたもここに座らずに動き回れたなら、そこそこ女性の注目を浴びたことと思いますが」
「そんなことはないと思う。なにせ今日は二人も目立つ奴が……って、すみません、つい」
うっかり敬語を話してなかった。
「いえ、謝ることはない。苦手なんでしょう、敬語が。私はこだわりませんよ」
「でも、貴方は」
「私が敬語で話すのは、こちらが落ち着くし習慣みたいなものです。だからあなたも好きにすればいい」
「……それなら助かる。そう言ってくれたなら引き下がるなよ、私はもうこのままで、次会っても話し方は変えないからな」
「構いません」
クェインさんは笑った。笑うと彼の冷たさが消えて、少しとっつきやすく感じる。
「じゃあ遠慮なく……ああ、そうだ、細工見たいんだっけ?もう十分に休憩取ったしな……。踊りの方も一段落したみたいだし、始めるか」
今日は主に指輪を作っている。大きな器械や火を必要としない工程だけ見せるために、することは宝石を金属に埋め込む石の彫り留めと金属に装飾を彫りこむ彫金だ。ジュエリーが細工師としての私の専門で、全ての工程を一通りこなせるが、彫金と石留めは私が一番得意な作業でもある。
「ほう。タガネというのを実物で見るのは初めてです。すごい数ですね」
ずらり並んだ、黒い鏨で金属を彫る。70本はあるだろうか。その中から今から使うものを一本選び取った私に向かって、クェインは驚きの声を上げた。
「うん、それぞれ彫り具合や用途が違うからな。俺はこれくらい使う。いろんな表情を出したいから」
そろそろ最後の作業に取り掛かろうか。
「おや、指輪はもう作らないのですか」
彼が問うのも無理はない、私が作業机に持ち出したのは、金属の長い板。
「ああ、残念だったな。でも面白いものを見せてやれるよ」
ジュエリーだけで腕を見せたかったが、小さくて見るのが難しいものよりも、もっと分かりやすいもので。
これは、ある付き合いの長い宝飾店に頼まれていた仕事。闇の跋扈で失われていたらしい、その店の看板作りである。家を人と思えば、私が今から作るのは冠。そう考えることにする。
それからは一言も発さず、金属を彫っていくことに没頭した。