12.昔話
ナンテスを連れ、彼を見送るために城門のところまで来て、ようやく私は一息ついた。
「ねえ、フィー」
そのとき、私が一連の事情を話している間は沈黙を保っていたナンテスが声を出した。
「何だよ、用は済んだ、お疲れ様、もう帰れ。それとも袋代の請求か? ああ、あの男のことなら尋ねてくれるなよ、もううんざりしてるんだから」
本当にヴィーにはうんざりする。私にはナンテスが理解できない。一部始終、ロイのしたことまで話しても、ロイさんはいたずらっ子だね、と笑う彼が理解できない。盲目的とは思うけれど、ローズ嬢をあのように許すルーカス同様、やはりナンテスの想いは、偽物ではないのだろう。
「違う違う。……フィー、どうして私のこと探しに来てくれたんだい?」
「まあ、お前があまりにかわいそうだったからな」
「本当にそれだけ?」
ナンテスの目が問うようにこちらを向く。ロイが関わらないところではこの青年はやけに鋭かった、と思い出す。しばらく会わないうちに忘れかけていた。
それにしても、かわいそうと思ったのだ、という理由では納得いかないほど、ロイと同じくらいにナンテスに対して私は冷血だと思われていたのか。否定はしないが、そこまでではないと思いたかったのだが。つらつら考えていると、ナンテスは静かに言葉を続けた。
「フィー、君が話したくないって言うなら無理には聞かないけどさ、昔いろいろあったんだろうな、っていうのは私でも分かる」
「なんだ、過去なんて、」
関係ないと言おうとした。
「関係あるんじゃないのか、探し物をしていた私になにかが、誰かが重なったんじゃないのか。」
「……」
本当に、やけに鋭いな。
さくさく歩いて、門から少し離れた。あそこでは通行の邪魔になる。日も随分傾いた。あと2時間ほどで舞踏会が、始まる。吹く風に、私よりも濃いナンテスの茶色のウェーブがかった髪が揺れた。泣き黒子に少々垂れ目なところが色っぽいといえなくもない。ロイへの妄執を知らなければナンテスはまともだ。一体彼はどこで人生を間違えたんだろう。
「否定できない? 嘘を、つくのが下手だね。相変わらずさ。君がああして、かばってくれたことはとても嬉しかったよ。ありがとう。もし過去のなにかがなくても、君は私をかばってくれたろうって、信じてはいるのだけれどね」
「正直に、庇うのもやりすぎで気になったって言えばいい」
「まあそうとも言う」
「おい」
「冗談」
疑わしいというように睨んでやったら、ナンテスは肩をすくめた。
「いや、まあちょっと、かなり本音だけどね。あんまり抱えてないで話して楽になることもあるんじゃないのか、君はなにやら人に隠すところが多いように感じるもの。私だってそれなりに、友のことが心配なのさ」
……まあ、過去にいろいろあったから黙っていることは多いけど。
本当、お前が私の男装に気付かないのは何故なんだ、奇跡か?
「後半に対して前半が占める比重が大きいと思うが。まあいいや、そんなに聞きたいなら話してやろうじゃないか。たいした話じゃないって後悔したって知らないからな」
「しないさ」
まあナンテスは聞きたがる割に口は堅いし、悪い奴でもない。彼が本当に少しは心配してくれているのも知っている。だから話してもいいか、と思う。今日に連なる1つの過去。悲しい記憶。
だが正直面倒かも。
「全部はちょっと話せないかな……。長くなるしな。お前を探しに行ったきっかけだけ、素晴らしく短くはしょって話してやろうか。お前が探しても意味がないものを探していたからだ」
「フィーは、何を探したの」
ナンテスは、今回のことを言っているのではない。分かってたのか。私と、ナンテスを重ねたって。仕方ない、話してしまおうか。
「父親と、母親だよ」
ああ、それは無益だった。もういないと知っていて探した。
「私が孤児だったのは知ってるだろう。目の前で死んだ、2人ともだ。殺されたんだ、あの時代に。闇にな」
そんな身上の人間は少なくない。現に、ナンテスも驚いてはいない。こちらを痛ましげに見てはいるけれど。事情は違えど彼だってあの時代母親を亡くした。ロイも父親を亡くしている。
「でも私が殺したような、ものだったんだ」
この国で闇というのは、竜の加護をなくした後、夜を支配した屍鬼を中心とした集団を言う。人は恨みを抱えて死ぬと屍鬼になる。日の光の前には朽ちるが、夜の月や星の光、人の手による光を彼らは取り込んでしまう存在だ。屍鬼と総括されているが、その全てがぬらりと黒い色をしている以外、おのおの形は異なる。魂がその差異を生むという。獣のようなものも居れば、植物のようなものも居るが、人の形を取るものは極めて少ない。そして、生前の姿を取り戻すためなのか、あるいは消えない恨みのためか、闇は人を喰らう。
この国で守神とされる竜は、古の英雄との契約から、屍鬼の発生を防ぐため、人の埋葬される大地を国に結界を敷いて浄化して来た。英雄の子孫である王家の治める国を守ってきた。しかし、前王に至るまでの、昨今の王家が、血みどろの継承争いの末に竜との契約の証である冠を汚し、竜の加護が失われた。そして、屍鬼はどこからともなく現れ、瞬く間に国中に蔓延った。それから国は狂乱に陥った。
その上、だ。ある時、統率されるようなものではない闇を一人の人間が統べ、操ることに成功した。穢れた冠で以って。こうして、継承争いの発端となった王家の末裔が、闇をもって国を支配したのだ。はじめ、人々を襲っていた闇が悪戯に人を襲わなくなったと俄かに国民はわいた。しかし、闇は、日中城に集結し、夜になると王都をまるで覆うように黒い集団となって歩き回る。自らを支える存在に寛容な「王様」は、闇に、好きに光を食らうがいいと言った。そうしてそれが日常となったのだ。気味のよいものではない。人々は門扉を固く閉ざし、闇を呼び寄せる光を夜は使わないようになった。夜は恐怖の中でひたすら朝の訪れを待った。
こうして夜から光は奪われた。
それから君臨した王は竜を祀る神殿の勢力を排して独裁政権を布くようになった。闇の支配者である彼に反発するものは居ない。恐怖から人々は彼に服従した。国外に逃げるものも多くいたが、竜の子の血が流れるとされる国の民であることへの強い誇りから動かないものもいたのだ。フィーの両親もそうだった。子供心に、どこか寂れて暗い王都の様子を不思議に思ったことを覚えている。
事態に反発し、竜の加護のない彼を、偽王と謗る者も時にはいた。そんな者たちを、王は闇を用いて次々に殺した。王に媚びへつらう者、恐怖政治を愉しむような輩だけが残り、もともと腐敗しつつあった王政はさらに腐っていった。やがて、後に王と呼ばれる一人の男が現れて神殿騎士や国の強者たちを従え、王も含めて闇を屠ることになるわけだが、そんなこと、誰も想像が付かなかった。みな、終わりの訪れない悪夢を見ているような感覚だったと思う。
……だから、あの男を人々は讃えるのだ。英雄の再来と崇めるのだ。私の両親を食い殺した憎き存在を払ったのは、彼。それを分かっていても、私は彼を憎むことを辞めようとは思わないけれど。
話を戻そう。
ある、いつものように静か過ぎる夜のことだった。闇が、私の家を襲ったのは。
興味本位で、使わなくなってしまいこまれていた蝋燭を引っ張り出して火をつけた私のせいで。その行為の意味することが、よく分かっていなかった。闇は光を食らうのが本能だ。夜は光を立てないのが鉄則だった。光を立てた途端押し入ってきた闇に殺されても誰も文句を言うことは許されないのだから。
それなのに。明かりをつけて、私が奴らを呼んでしまった。
「二人は死んだ。俺は本当に、馬鹿だったよ。俺を隠して守って、二人は死んだ。」
そう、私が殺したようなものだ。
「俺は、押し込まれた衣装箱の隙間から全部見てた。当時は、誰も幼すぎた咎を責めなかったし、俺もなんでそんなことになったのか良く分かってなかった。少し年をとると自分が何をしたのか記憶から知って、殺したいくらい自分を憎んだよ。俺、物心付いたころから鮮烈な色をした映像だけは覚えてるんだよ、だから忘れられない。闇の黒。初めて見た蝋燭の火と、散った血の、鮮やかな赤」
鮮明に瞼に蘇ってくる両親の抜けていく命の色。
「……それで、鬱々としてて、自分がいなくなったほうがいいんじゃないかって思ってたあの頃、読んだ絵本にな、死ぬ気になって出来ないことはない、がんばりましょうってあった。……なんて児童書だったかな、もう覚えていないけど。それで、預かられてた教会ではさ、善行を積んで死んだ魂は楽園で過ごすといずれまた復活を遂げるのです、って言っていた。俺は、そうか、必死になれば二人の生まれ変わりに会えるかもしれないって思った。生まれ変わりでもいい、ただ、もう許しを請いたかった。どうしようもなく会いたかった。だから、目的地も分からないまま、ただ必死になって教会を飛び出した。王都の外に出て、ひたすら歩き続けた。夜なんか、本当地獄だったよ」
探しても探しても見つからなかった。闇から命からがらに、這うように逃れ続け、盗みやらなにやら悪いこともして、数ヶ月に渡るくらい放浪を続けた。飲まず食わずなんてざらで、見る間にやせ衰えた。放浪とは言っても幼い足では遠くにいけず、ずたずたになった交通網もそれを許さなかったが。
結局、情けないことに、元いた王都からあまり離れていないところをうろうろしていた。そのため、今も生きているともいえる。
「一ヶ月以上も続いたのが奇跡だと今は思うよ。で、あるとき山の中でぶっ倒れて、石探ししてた今は亡き師匠に拾われてさ」
こんなところにいる事情を話せといわれた。長いことこんな生活をしているというと驚かれた。命を救ってくれた人だったし、しぶしぶ正直に話したら張り倒された。
「『前世も来世もない、その命はその一度きりよ。だから<あなたのおとうさんとおかあさん>はもう探したって見つからない』」
ないものは、ない。かといってどんな奇跡も同じ命は2度作れない。はっきりと彼女は言った。
そんな師匠はもう居ない。彼女の命も二度とないから、もう会えないのだ。
「『死ぬ気になって、というのは死ぬことそのものを目指すんじゃないのよ。あんた、償いに死のうとしていたでしょう?でもあんたの命はたくましかった。何泣いてるの、生きたいと思うのが罪なものですか。あんたのご両親はあんたにそのたくましい命を守って、もっと生きて欲しくてそのために死んだのでしょう。あんたのせいじゃない、あんたの<ため>に亡くなられたのよ。それを違えるならあなたは両親を侮辱していることになる。彼らはあなたが生きていることを喜んでくれてると思うわ。
……それでも蝋燭をともした自分の行いを罪と思うなら、私の言うことを卑怯と思ってもいい。痛みを覚えるな、なんて言わない。それでも、生きなさいよ。いない人を探すために人生を尽くすのでなく、目の前に生きる人を力いっぱい想いなさい。例えば、そうね、初対面でなんだけど私ではどう?』。師匠は、そう言った」
そう言って笑ったのを今も思い出す。
包み込むような笑みと言うよりか、豪快な笑顔だった。でも、なぜか両親の笑顔を思い出した。
正直、長ったらしい説教だと思った。似たようなことは言われたことがある。でも、彼女の言葉の中に私の胸には刺さるところがあって。私は死んだほうがいい、と思いながら、きっと生きたかったのだ。常に苛む両親への罪の意識に、苦しんでいた。謝って、もういいよ、と言われたかったのだろうか。私は卑怯だ。でもそれを罪でないと彼女は言った。私が生きたいと思うのは罪でないのだと。
今を生きていいだろうか。おとうさん、おかあさん、それを、許してくれるだろうか。そう、たくましい師匠の胸に縋って泣いた。膿が出て行くように、とりついていたものが消えて、自分のために、目の前にいる人のことを考えて生きてもいいのかと思ったのだ。傷跡はいつまでも残っていても。
こうして、「もういない人」を探す私の旅は終わった。
「で、ないものを探しても仕方ない、か」
「そ。両親のことは忘れないよ。忘れられるわけがない。でももう探さない。祈るときも、謝るんじゃなくて、お礼を言えるようになった」
「それで、よかったんじゃないかな」
「ああ、そうだな」
そう思う。
「で、なんとなく今日のナンテスは幼い日の俺を思わせたってわけ。全然違うのに、変な話だな」
決して落ちていない箱をこれから一晩中でも探すだろうと思われたナンテスと、決して会えない人をひたすらに求めて彷徨った自分と。
「成程。愛を求めるところは似ているかも」
「そ、そうか」
そうか?
「つまり。フィーがそうやって生きて、私も今日は命を救われたわけだ。人生は分からないものだ、私は今日ロイさんへの愛のために殉死したかも分からない」
ナンテスもだが、ロイへの愛に加えて、ルーカスのローズ嬢への愛のために私は首と胴が離れていた可能性はあるな。どちらも盲目的過ぎる。
「感謝を捧げようじゃないか、フィーのご両親と、師匠と、君自身に! 命が命を救う。愛と命は連鎖する、世界はこうして廻っていく!!」
「……」
壮大だな。また、詩の朗読の口調になっているし。まあふざけているようでいてお前がいつも本気なのは知っているが。
だがそんなもの、かもしれない。
「フィー、今日はありがとう」
「いや」
まあ、こんな理由だったし。
ふと、早口にナンテスは言った。
「フィー。私は、無知は罪ではないと思うよ。それはどうしようもないこともある。まだ物心の付かない幼子は特に。かれらに学べというのは酷だ、無理な話だろう。幼子の無知やつたない悪戯ゆえに、なにかが起こったとすれば、それは時代やら環境やらが悪かったのだと思う。それごときで崩れないのが平常、大人が守るべき平和というものだろうしね。ただ、無知であることから、それがために時に過ちもすれば人を傷つけることもあるから、人は学ぶようになるんだろう」
「そう、だな」
早口なのは、照れているのか。これは、彼なりの励ましだろうか。それらを一気に言い終えると、
「というわけで。じゃあね。」
いきなり別れを告げられた。
「うわ、あっさり」
だが、そういうナンテスのあっさりしたところが嫌いではない。長い話を遮らずただ聞いてくれた。それは、嬉しかった。
「長い話聞いてくれたから、いろいろチャラにしてやるよ!ついでにロイへの恋も多少は応援してやる~!!」
たまに遊びに来たっていい。ロイには多少耐えてもらう。まあ、今までもそう諌めたり反対した記憶はないが。
去っていく背中に告げると、こちらを振り返らないまま、片手をあげて振っているのが見えた。
もう片手に、ロイによって切られてしまった、底の抜けた袋を持っているところが、ナンテスらしかった。