11.とある商人
「ああっ、ロイさん!!」
「うわ。懐かしいな」
午後。クェインが今日の一連の流れを話すと予定された時刻の、少し前のことだった。
見知った顔がいきなりすごい勢いでやってきた。
「……」
ロイが絶句している。彼の美麗な顔が無表情に固まると人形のようだ。ちょっと面白い。その前で一人幸せそうにしている、ようやく現れた商人は、ロイが最も苦手とする相手だった。
「ロイさん、私との結婚については考えてくれましたか!?」
「いや……。君は、僕の今日の格好を見てもそういうんだね」
「男装の麗人ですね、ああ、ぞくぞくします。私が今日父に変わって彼女の元へ来ると知っての采配でしょうか、神よ!」
ロイは違った意味でぞくぞくしているみたいだが、商人はまるで気付いていないようだ。
「相変わらず、一途だな。ナンテス、父上はどうした?」
再び固まっているロイに代わって私は聞いてみた。青年は、ナンテスと言う。原石も含め、あらゆる宝石を商うロイが最も信用している店の一人息子だ。
彼は幼い頃からロイに盲目的に惚れており、周囲の言葉に一切耳を貸さない。あるときから、姿を見なくなったと思っていたのだが、おそらく彼の父がロイを思って遠ざけていたのだろう。私も会うのは久しぶりだ。こちらを向かないまま、ロイを見つめてロイに話すようにナンテスは答えた。
「ああ、父は病床に臥せってしまい。もう私嬉しくって!
と、失礼しました、喜ぶことではないですね。いえ、命に関わる大事ではございません。お優しいのですね、そんな花の顔がゆがむのは見たくない、そんな悲しそうな瞳をしないでください。父はこちらへ赴けないこと、ひどく詫びておりました」
「それはご愁傷様」
私は呟く。ご愁傷様、ロイ。ナンテスの父はきっと、この息子が来ることを必死に詫びていたのだろうな。ロイは先ほどから怖いくらいに静かだ。
「ああ、ロイさん、どうして先ほどから私と語らってくださらないのですか、その低めで艶やかに流れだす声の一滴で良い、あなたに渇いた私に与えてください」
その声だが、ロイほどの低さになると、男と分かりそうなものなのにナンテスは気付かない。
「それともこれは、言わずと気持ちは汲み取れるはずと言うあなたの与える試練ですか……ああ、それほどまでに私と分かり合えると思ってくださっているのですね。そう、言葉など要らないのだと。
ええ、必ずやその冬空のように凍てついた瞳の奥、純銀より尚輝く美しい髪の中にある頭の中、しなやかな体に眠る心の中に潜むマグマよりも滾っているに相違ないあなたの熱情を、私はかならずや読み解いて見せます」
彼の詩のような話しぶりは聞いていて滑稽でもあるが、今はそれよりも大事なものがある。
「ナンテス。すまないが、とりあえず宝石を」
「ああ、フィー、ごめんね。久々にロイさんとあい見えることが叶ったあまりの感動に打ち震えてうっかりして。こちらになりま……あれ」
「ん?」
「な、ない! 箱がない!」
袋には見事に穴が開いていた。そこから落ちたか、盗まれたか。ナンテスはそこそこ武術に心得があったはずなので、盗人の邪な気配に感づかないとは思えない。つまり、可能性としては落とした。あまりの出来事についていけなくて、私の頭は沈黙の中、勝手に考えを進めている。鍵は付いているはずだから……とそこまで私が考えていたとき、声が響いた。
「……ナンテス」
ああ、ロイの声がぞっとするくらい冷たい。久々に寒い。私のほうは、ようやく事態に心が付いてきてパニックを起こしかけている。
「は、はい」
「君が僕の愛を勝ち得たいと思うなら、とりあえずさっさと落し物を見つけてきなさい」
ロイは冷静そうだが、その分、かなり怖かった。
「す、すす、すみません! 今すぐ、必ずやあなたの求めるものを持って、はせ参じますから!! 私のあなたへの愛は永遠ですー!!」
そしてナンテスは来たとき同様、怒涛の勢いで去っていった。
「あんなこと言ってよかったのか?見つけたら結婚を迫る声が大きくなりそうだ」
あれ以上求愛が激しくなったら、ロイはどうするつもりなのか。私は思わず考え込んでしまった。そしてしばらくしてはっとする。
「……いや。そんなこと考えてる場合じゃない! どうするんだロイ!?」
今日の予定が全部狂ってしまう。よりによって宝石がないなんて、どうしよう、どうすればいい、どうするんだ、ロイ!
焦る私を、彼は冷静に見返した。
「大丈夫。僕はナンテスが『僕の愛を勝ち得たいと思うなら』といっただけで、彼が宝石を見つけたところで僕への思いの証でしかないよ。そもそも宝石を無くすなんて失態をしでかして、許しを請う立場だろう、彼は」
なるほど。……ではなくて。
「そっちじゃないって!! …やけに落ち着いてるな、ロイ?」
「宝石のこと? ああ、だって箱はここにあるもの」
ロイはふんわりいつもの笑みを浮かべて、作業机の下で見えなくなっていた足元から箱を持ち上げて見せた。
……いつの間に。
「気付かなかった」
「術具を使ったんだ。音は出さないように最大限集中していたからね」
そんなことに術具を使いましたか。使える回数に限りがあるのに。
「それでずっと黙っていたわけ」
「そのとおり」
全身から力が抜ける。私までしてやられた気分だ。ナンテスの勢いに当てられていて、気付かなかった。
「ナンテスの父親なら、まず僕がこんなことするのを許しはしないだろう。まだ彼は家を継げないな」
ロイは得意げだ。
「なあロイ」
「どうしたの、フィー?」
「ナンテスを追い返すためにやっただろ」
「当然」
やっぱり。
「はああ。今、ナンテスがちょっとかわいそうだと思った。今頃あいつ走り回ってるんじゃないのか?」
「いい気味じゃない?」
穏やかに笑っているのに、珍しくロイが怖い。
「……分かった。人を嫌うのが珍しいお前があいつを嫌うのも分かるしな。でも私は、ちょっとあいつを探しに行ってくるよ」
「フィー!?」
ロイの静止を叫ぶ声が聞こえていたけれど、とりあえず私は走り出していた。ナンテスが丁寧に来た道を辿っているなら、走れば追いつくだろう。
いくらなんでも、どう探しても絶対に見つからないと分かりきったものを探し続けるのは無益だ。それがどんな――
城の中は複雑に入り組んでいた。
私は飛び出したはいいものの、迷子になりやすい自分の気質をうっかり忘れていた。それで危うく何も考えず動き回ってさ迷うところだったが、途中で天井画なら全部覚えているのを思い出し、それを記憶の中で一番最近見たものから順に辿っていくことにした。これは上手くいった。
「ナンテスー? その辺這いずり回ってたら返事しろー!!」
午後であるためか、思ったよりも人通りが多くてナンテスはなかなか見つからない。声を上げて呼ぶ。
「ナンテス!! いないのかー! 箱見つかったぞー」
そんなふうに、何度も呼んでみる。
そのうちに、とうとう城の入り口まで来てしまった。けれどナンテスは見つからなかった。
「どこにいるんだよ…」
まだ、時間を考えても城を出ているとは思えない。
もう一度城の中を探そう、と振り返ったとき。
「ナンテス?」
助けを求めるような、叫び声がした。あれは、ナンテスの声だ!
「と、ちょっとどいて!!」
城の使用人たちや、時に貴族を押しのけ、彼らに罵られながらも声のした方へと進んでいくと、うずくまった格好のナンテスを見つけた。取り囲まれている!?
「あの、どうしたんですか!?」
とりあえず回りの野次馬をとっ捕まえて聞いてみた。
「ああ、あの男、なんか貴族令嬢の足元で妖しい動きしていたとかなんかで。探し物してたって言うけど、本当なんだか。いやらしいねえ」
話しかけたおばちゃんは、親切に私に答えてくれた。
あの馬鹿。相変わらず変に要領が悪い、というかどうせまたいつもの調子で余計なことでも言って疑いを深くしたのだろう。
「そうですか……ありがとうございます」
ロイ一筋なナンテスが他の女に興味をもつはずがないではないかと言っても聞いてはもらえないだろうが、とりあえず助けることにした。ぐいぐい謝りながら人を掻き分けていくと、なんと騒ぎの中心からもうひとつ聞き知った声がした。
「ルーカス、この人は悪気はなかったのだから許して差し上げましょうよ。それに私このようなよき日に、このように美しい場所を汚したくないわ」
「いや! 許せるわけがない、この軟弱男、あなた様の足元を這いずり回っていたのです!!
それなのに謝罪もないばかりか、『このような女性に興味を持つはずがないだろう? 僕の目にかなうはただ一人、あの、月の女神のような美しさを持つ女性だけ』などと! 何たる侮辱、あなた様の美しさが月の女神に届かないと!? 貴様、大人しく我が剣のさびとなるがいい!」
「あらまあ。落ち着いてくださいませ」
これは。
「あら?」
連れの貴族男性をなだめていた女性は、こちらを向いてリスのようにぱちくり瞬いた。金の巻き毛は今日は美しく結わえ、そのエメラルドの瞳は私の姿を捉えた白いドレスの乙女。
「あなた、フィーではありませんこと? 今日は随分とおめかしなさっているのね。素敵よ」
彼女は、ローズ嬢であった。
「こんにちは」
向けられる柔らかな笑みに、
「こんにちは」
思わずつられて笑って、いつものように挨拶を返してしまった。
ルーカスと呼ばれた男が私たちの様子に動揺し、ナンテスはまるで気づかないように一心に宝石を捜しているのが見えた。
「ろ、ローズ嬢、この男は」
「ああ、フィーとおっしゃるのよ、彼の手は誰より優れた手と私は思っているわ」
「な! お前、私と手合わせしろ!」
すらりと抜かれた剣がこちらを向く。野次馬は叫びを上げていたが、フィーは思いのほか冷静だった。帯剣しているとはつまり、舞踏会はまだ始まっていないとはいえ、よほど高貴な身分か、あるいは城の護衛騎士かと考えをめぐらす。それにしても誤解をどう解くか。
「いや、私は」
「あら嫌だ。彼の手を傷つけたら、国中の乙女が泣きますからお止しになって」
ローズ嬢……。
「何。貴様ローズ嬢がありながら」
「だから、」
「彼は国の財産ですわ」
「くっ、そこまで」
「大事な人です」
「……ありがとうございます。しかしローズ嬢、もう十分でしょう。彼はあなたをとても愛しているようだから、あまり苛めてくださいますな」
なにより私も苛めてくれるな。ローズ上は茶目っ気たっぷりに微笑んで見せた。
「あら、ばれた」
「いたずらがお好きなのはなかなか変わりませんね。ほどほどにしてください」
「悪戯……?」
呆然とした男に私は言う。
「自分のために嫉妬してくれるのが女性は時に嬉しいものでしょう?」
「そうなのか?」
「そうです」
「いや、だが。だとしたら君はローズ嬢にとって何者だ」
「細工師フィレンティーノと申します。彼女に贈り物をする際には我らがエルファンド工房を是非にご利用いただきたい」
「細工師?」
「そうよ。彼の腕は国一ですわ!」
「ああ、そういう意味だったのか。……悪いことをした」
「いえ。おあいこ、ということでどうでしょう。私の古くからの友人が、私のために失せものを探していた折に失礼をいたしてしまったようで、その無礼を許されたい」
「友人? まさかこいつのことか」
「フィー、来てくれたんだね? ロイに注ぐ愛情に勝るまでもないが、君への友情もまた僕の胸に一番星のように輝いて、幾億のときを尽きるまで」
「ええ、こいつのことです。申し訳ありません」
ようやくこちらに気づいたナンテスを無視して、しっかり礼を取る。相手はある程度先ほどの騒ぎで興奮を収めていたらしい。気まずそうに目をそらし、剣をしまった。
「もういい。しかし友人には口の聞き方を教えておいてあげたほうがいい」
「ええ。しっかりと説いておきます」
私は一応頷いた。
昔からやっているのだが。その上で多分無理だと思ってはいるが。
「ルーカス、フィー、ごめんなさいね、私の悪ふざけが過ぎましたわ」
「いえ」
「そうです、ローズ嬢は悪くないのです。ただ、私があなたに愛を試されるほどあなたへそれを示せなかったことに罪があるのですから。愛していますよ」
「まあ、ルーカス、嬉しい。もっと言って」
「ええ何度でも」
私はとりあえず収まった場から退却することにした。ここにいると馬に蹴られそうだ。もとい、実際に斬られそうだ。冷やかす人々も、たまらない、と散り始めた。
「フィー」
なにやらまだ詩句らしきものを紡ぎ続けているナンテスの背を押していくと、ローズ嬢の声がかかった。
「なんですか」
「ありがとう」
ルーカスを抱きしめたまま、彼女は首にかかった清楚なエメラルドのネックレスと、耳にゆれる真珠に触れた。彼女がかわいいものを、と言ったから、耳飾には真珠を抱えるリスを金で作った。思わず彼女のことを考えていたら栗鼠型になっていたのだ。噂では斬新だと随分好評だったとか。細工の礼のみではなかったようだ。
それから彼女は抱きしめ合っているルーカスをそっと指差した。
溜息も出ない。想いあうというのは、いいものなのだろう。私に迷惑をかけない限りと制限を付けたいが。
「どういたしまして」
そういう気持ちをこめてウィンクすると、彼女もこっそり返した。
「フィー、君はあの人のことを」
ナンテスが何か言いかけたが、
「五月蝿い黙れ」
とりあえず一回殴っておいた。
うんざりした思いで人ごみを抜けると、そこには人にまぎれて立つ白の衣装の男がいた。
あんなに目立つ格好をしているのに、誰も彼に気付かないのか。銀で袖や裾を蔦もように彩られた、真っ白い人物を。髪が黒だから余計に映える。
何故、誰も気付かない存在に、私は気付いてしまったのか。彼は見ていたからだ。真っ直ぐに、私を。おかしな言い方だが、その気配は全てこちらに向いていたと断言できる。思わず眺めやったこちらの視線を拾って、濃い青い、凪いだ海を思わせる目が笑みで細まった。
「お疲れ様、とまず言っておこうか。久しぶりだな、フィー」
「ヴィー、か。何をしている、こんなところで」
王様は含み笑いをした。気に障る笑みだと思った。
「野次馬精神旺盛なもので」
見ていたのか。人が斬られかかっているというのに見物とはいい度胸だ。笑っていたに相違ない。
「野次馬ねえ。そのうちお前も別の馬に蹴られるな、いやむしろ蹴られてこい。今あそこにいる騎士と令嬢の周辺に大量発生しているから是非行って来い。不埒な根性をたたきなおすのにいい機会だ」
「冗談だよ。これでもお前を探していたんだ、会場には居なかったから。……それにしても苛立ってるな。私が会いに行くといいながら会いに行かなかったことを怒っているのか? すまない、ここ一月わが有能な補佐殿主導で城に拘束されていたのだよ」
会いに行く……? そういえばそんなことを言っていたような気もする。
「ああ、謝らなくていい。今の今まで忘れていたよ、こちらも目が回るくらい忙しかったものでな。ただでさえ馬鹿な友人を拾ってくるのにさんざ甚振られた挙句、ようやく解放されたと思いきや会う予定もない嫌いな人間が目の前にいたから苛立っているだけ」
「それは大変だな」
……他人事か。
「まったく件のお相手は話すら通じなくてうんざりするよ」
「フィー、この人は?」
黙って様子を伺っていたらしいナンテスが尋ねた。まったく、こちらは暇を持て余しているらしい王様です、とでも言ってやりたいところだが、適当な紹介に留めておこう。騒がれても面倒だ。
「ああ、こちらはヴィーと言う名だそうだ、随分影が薄い奴でうっかりすると存在を忘れがちになるくらいだから気をつけろよ。ヴィー、これはナンテス、私の古い知り合いだ……そうだ、ある意味お前とは気が合うかもな」
「何故?」
ヴィーが問う。まあ、確かにこのナンテスと気が合うといわれたらほとんどの人が首を傾げるだろうが。
「こいつはあのロイが好きだ。ヴィー、お前も私を気に入っていると言っていたろう」
女性のように美しいが男のロイをそれと知らず女として好む男、男として生きようという私を女として気に入るという男。どこか似ているだろう? なんとも無為なところとかな。
嘲笑ってやる。私を。彼を。彼はしかし、ぴくりとも表情を動かさなかった。ただ、こちらを澄んだ目がじっと見つめた。
「ええ! この人がフィーに恋をしているって!? あの、フィーは確かに細っこいですが、男で……知っていますか? それでもというなら止めないけど・・・」
ナンテスは自分のことを棚にあげてそう言った。彼は幼いころの私といっても男装をはじめてからの私しか知らないし、私のことを男だとそう信じて疑わない。ロイを女と信じて疑わないと同様に。まさに、恋は盲目。
「ほう。そうなのか?」
尋ねられて、王は問い返した。
「そうですよ」
「ふうん。貴殿の目は少々曇っているようだな。うむ、私とは似ても似つかない」
「はあ」
「だってロイよりこの人のほうが可愛いだろう?」
そう言うと、王はせっかく整えた髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。つかまれたりしたこともあるので知っていたが、この手は大きい。
……私の頭を一掴みで持てそうなほどに。そう思ったとたん、あまりのことに呆けていたが、嫌悪が駆け巡った。
「なにをする! 放せ!!」
蹴りを繰り出すと奴は数歩引いてこちらを満足げに眺めた。
「うん、その方が似合う」
ぐしゃぐしゃになった私の髪を見て、王は屈託なく笑った。力が、抜ける。
「あんまり自分を苛めるな、疲れているみたいだから少し休んでおけ。本番に差し支えるぞ?」
そう声をかけられ、怒りやら何やらでかっとなって、私は私より如何にロイがかわいらしいかを修辞句を駆使して伝えようとするナンテスを引っ張って城の出口へ向かった。ともかくこの災厄の源をとっとと追い返そう。
「また後でな、フィー」
聞きたいことがある、などと。呪いとしか思えない言葉が背中から聞こえたような気がしたが、無視した。