黒と白
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
「久しいな,ヴァニティ」
その日。珍しくバナドルスから連絡が入った。
「…ああ。貴公も無事で何よりだ」
バナドルスは,ルトリア領の統治の功績を認められて将軍へと昇格していた。
これは多分に宣伝の意味もある。アリシアへ籠ってしまった漆黒将軍の代わりに全軍の士気を鼓舞する役割。それを期待されているのは間違いない。
もっともこれも,レヤーネンにとっては面白くない事だった。旧ルトリアの平民たちに媚びを売り,戦況も一進一退を繰り返すだけのバナドルスが先に将軍となり,最前線でマイシャを守り続ける自分がその風下に立つ。自分がトルサ攻略に何度も失敗した事はきれいさっぱり意識の外へ追いやって,レヤーネンはぶつぶつ文句を言っていたようだ。
「アリシアの方はどうだ?ヴァニティ?」
余人が居ない環境で物言いこそくだけてはいるが,それでも万一を考えてジョウと昔の名を呼ぶことはしないバナドルス。
「…良くも悪くも変わらないな。…マイシャが落ちいよいよ後がなくなったというのに,手を出す事すらできない…」
「気に病むな。それを言うなら,前線に戦力を集中させられなかった俺にも責任がある」
溜息をつくバナドルス。
「せめてもう少し早く,戦線を押し返せていたら…」
その言葉にひっかかる。
「…そちらの戦況は良いのか?」
「ああ。随分と景気の良い増派があってな。バラナシオスからガウォークァまで押し返すことができた。ガーネ=コマも取り返せたよ」
「!…それは…」
「帰還者がエ=ツォーナ防衛に戦力を回さねばならなくなった隙を衝いて,ヴェーダも落とせそうな感じになってきたというのに。あちらを立てれば何とやら,か…」
(…)
という事は,やはり絶対的な妖魔の動員が増えていると見て間違いあるまい。それだけの増派をしながらマイシャにあの魔獣というのは,明らかに不自然だ。
「…帝国の今後の方針は?」
「うむ…軍師殿が言うには,分散していた戦力を集中させて連合を殲滅してしまえとの事だ。聞くところによれば四王家の総決起を旗印に,総力戦を挑んできているらしいからな。これさえ潰してしまえば,最低でもまたマイシャで抑えておけるだろうと」
「…」
確かにそれはその通りだ。戦力のほとんどをつぎ込んだ作戦なのだから,それが壊滅すれば連合の継戦能力も皆無となる。連合がまた軍を動かせるようになるまでにはかなりの時を要する事になるだろうし,その間に帰還者の方を片付けてしまえば良い。
「…後は戦力の問題か…」
「うむ,しかし…」
そこで言いよどむバナドルス。
「…どうした?」
「そこで,意見が割れてしまってな」
「…割れた?」
「うむ…どこで連合を迎え撃つかという件でな」
「…なるほど」
なんとなく話が見えてくる。
バナドルスは旧ルトリアの民と共闘している。ガーネ=コマとフーコはそちらに任せて妖魔はバラナシオスへ集めているのだ。
おそらくルマールは,ルトリアの民が連合へ流入するのを嫌い,ガイカースで迎え撃つ事を主張したのだろう。だがそれでは,妖魔の大軍がガイカースへ駐屯してしまう。
バナドルスはそれを嫌ったのだろう。たとえ連合が力を得るとしても,バラナシオスでの,あるいは最大限譲ってケッシーノでの決戦を,と主張したのだろう。
帝都に近い方がより大きな兵力を動員できるという事実に変わりが無ければ,戦闘の規模の大小だけの問題で,彼我の戦力差には大して変わりはない。いやむしろ,帰還者を押し込んだガウォークァの変化にも即応しやすいというメリットがある。殲滅した場合の犠牲者の絶対量は増えてしまうが,それはあくまで戦う事を選んだ者。ガイカースの非戦闘員が妖魔の危険に晒される事に比べればまだ割り切れる。
ワ=ダオラを放棄することについては懸念が無いわけではないが,以前とは状況が違う。少なくともルトリアの封印が解けてしまっているのは間違いないし,帰還者がその版図を大きく切り取っているのも事実だ。バランスが大きく連合に傾くことは無い。
では連合が奪い返したワ=ダオラで足場固めにかかるかと言えば,そんな事もあるまい。今回の四王家総決起は短期的な戦意高揚策であるから,間延びすればするほど熱気は冷める。アリシアをこちらが押さえている事も,それに一役買うだろう。
だから連合としては一刻も早くサナリア領まで帝国を押し返し,早々に圧倒的優位を作ってアリシアの明け渡しを要求するのが最善手となる。父祖が乗り換えを決断する上でも重要な要因となるわけだから,そんな実情を知るこちらから見てもそれが最も効果的なのは間違いない。
「…で,結論はどうなったのだ?」
ハンならばバラナシオスを選ぶだろう。そんな事を思いながら尋ねる。
「ガイカースと決まった」
しかし。全く予想外の言葉。
「…!?」
一瞬,頭がついていけなくなる。
「…バ…」
「貴公を孤立させておくわけにも行くまい」
こちらの言葉を遮って,しかし無表情にバナドルスは言う。
「…」
違和感。何かがおかしい,いや,いろいろとおかしい。
「…仕事をしろとの叱咤に聞こえるな…」
慎重に言葉を選び,苦笑する。
「確かにそれは疑う余地が無いな」
ふっ,と笑みを浮かべ表情を取り戻すバナドルス。
「実際は動けぬ将軍がそれでもにらみを効かせられたのは,マイシャがすぐ近隣であったからこそ。少なくとも,今回の候補地のうち最も遠いバラナシオスにまでその神通力が届くとは,さすがに思えぬからな」
「…マイシャも落ちたがな…」
今度は自虐の笑みが浮かぶ。
連合のあざやかな電撃作戦にしてやられたのはあくまで建前上の話で,実際のところ救援に駆けつける事はできた。道義上それをするわけにいかなかったというだけで,物理的には可能だったのだ。
その選択が果たして誰の為だったのか,それで良かったのか,そんな思いが脳裏をよぎる。
「それでもだよ。いつ将軍が出て来るか分からぬという圧は連合にとってかなりのものだったろう。その意味では,今も確かに連合は後方に不安を抱えながらの進軍ではある」
「…」
「だが影響力の大小で言えば,やはり最前線に全滅の恐怖を抱かせる事には及ぶまいよ。その意味で軍師殿が将軍の復帰を心待ちにしていたのも無理からぬ事」
「…ルマールが?」
意外な一言。いや,確かにそれは分かっているしいつもその話だった。だがあのルマールが,余人にそんな隙とも言えるようなものを見せるだろうか。
一瞬だけ,しまった,という表情を見せるバナドルス。
「いや…別に軍師殿に限った事ではない。帝国の台所を預かる者として,軍師殿の負担が一番大きかったという事だ」
しかしすぐにまたもとの表情へと戻り,言葉を繋ぐ。
「…そうだな」
状況を理解して苦笑する。あくまでバナドルスがそう見て取ったという話で,たとえばこの会話を耳にしたらきっとルマールは怒り出すと,そういう事なのだろう。
「…それについても,耳の痛い話だ」
ハンともども,志だ理想だ使命だ大義だなどと散々ルマールを困らせてきたのだ。
(…)
しかしそこで思考が急激に冷え,またもとの違和感が蘇る。
ハンはバナドルスがルトリア側と共闘してきた事も,ルマールとの間に衝突が繰り返されていた事も知っている。そして,より自分の使命に近い立ち位置に居るのがバナドルスだという事もよく分かっている。
だがハンは,そんなバナドルスの主張を退けた。
たとえルマールが説得したにせよ,ハンが己の使命に関わるそこを曲げるとは思いもしなかった。曲げるわけがない,そう思っていた。
それが曲がったという事は。それだけの何かが起こったという事ではないのか。
「…いったい…」
「今日はな」
帝国に,ハンに何が起こったのだ。そう尋ねようとしたこちらを,しかしまた遮ってバナドルスは言う。
「将軍に別れの挨拶をしておこうと思ったのだよ」
「!」
ハッとする。
「おそらくここが一つの転機とはなろうな。幸い今までは使わずに済ませて来られたが…さすがに今回はそうも言っていられまい」
「…バナドルス…」
使うとはつまり龍戦士の力,それも最後の切り札の事だろう。こんな時に冗談など言うわけもないバナドルスの言葉ということもあって,途端にそれがひどく身近なものに感じられてしまう。
(…だが…)
やはりいっぽうでは釈然としない。景気の良い増派の中身にもよるが,もし帝国の戦力が大幅に拡充したというのなら,バナドルスがそこまでの覚悟を決める必要は無いのではないか。
それにそもそも,あのハンがそんな事を容認するのだろうか。およそ自分の知るハンならば,そこまで覚悟しなければならないような戦場に部下だけを送るわけが…。
「…なぜ…」
「無論」
三度,バナドルスがこちらを遮る。
「あくまで最悪の場合の話だ。多少の自惚れがあるかも知れぬが,少なくとも白軍は経験を積んでいる」
「…”深慮の白虎”は健在という事か」
その物言いに,ふっと笑みがこぼれる。
確かにこの二年ほど,白軍は最前線で戦い続けている。苦しい戦場だったのは間違いなく,そこで今日まで生き残ってきた者たちは精鋭と言って良い。意気上がる連合も確かに手強いが,少なくとも実戦経験では白軍の方が圧倒的に上だ。
それを自惚れと言い,最悪の場合を想定しているのがいかにもバナドルスらしい。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず,とも言う。敵の事が今一つ良く分らぬが,己の事は良く分かっているつもりだ」
にやり,と笑うバナドルス。
(…くっ)
そこで不意に襲ってくる誘惑。敵の事を知らないバナドルスに自分の知る限りの連合の情報を教えれば,切り札を使う可能性はさらに減るのではないか。
情報があればクラルフが命を落とす結末は回避できたかも知れないという後悔が,今ここでそれをしなければバナドルスの行く末を悪い方に決定づけてしまうのではないかという恐怖となってのしかかる。
「心配するな将軍。情報戦は近現代戦では初歩の初歩だ。手は打ってあるよ」
「…そうか」
再び笑みが浮かぶ。
引用した孫子が明らかに古典だというのに近現代戦とは。だがそこには明らかに,現代人として元の世界を生きていた我々の常識を踏まえて場の雰囲気を,ひいてはこちらの心配までも和ませようとするバナドルスの気遣いが感じられる。
「…ルマールにも言ったが…連合がそちらへ向かうならば,龍戦士は居ないとみるのが妥当だ。居れば真っ先にこちらを狙ってくる筈だからな。だからといって油断は禁物だが,貴公ならば後れは取るまい」
「そうか。他ならぬ漆黒将軍の言だ。朗報と受け取っておこう」
またにやりと笑うバナドルス。
「では,準備があるのでそろそろお暇しよう。またいずれ」
「…そうだな」
敬礼を交わし,バナドルスは通信を切った。
「…死ぬなよ,バナドルス…」
それしかできないのが何とも不甲斐ないが,せめて無事を祈らせてもらおう。そんな事を考えながらふうっと大きく息を吐く。
しかし。できる事どころか大きな決断を迫られる事になる置き土産が届くとは,この時は夢にも思っていなかったのである。




