動き始めた運命
俺の名はジョウ。全てを失った孤独で哀れな異邦人。この世界にやり残した最後の仕事を片付けるため仇敵の屋敷へ乗り込み,目的を果たした。
屋敷に火を放ち,使用人たちが混乱する隙に乗じて脱出して,それからしばらくの時間が過ぎた。赤々と空を焦がす炎。紅蓮の炎に焼かれてるリコフスキの屋敷。火の勢いが衰える気配を見せないのは,おそらく誰も消そうとしていない,誰もが逃げるので手一杯だということだろう。
「…」
その屋敷からそれなりに離れた丘の上。木の根元に腰を下ろし,その幹に身体を預けたままぼんやりとそれを眺め続ける。
たったひとつ残っていた目的は,果たした。今の自分は,もうこの世界になんの未練も感じていない。
「リー…カティ…」
ロケットをそっと握りしめ,あの時の様子を何度も何度も思い起こす。
「…カティ…すまない…」
元気で,などとても無理だ。大きくぽっかりと開いた心の隙間は,今は完全に悲しみに支配されている。
「…リー…許してくれ…君のいない生を君の分まで生きるなど,苦痛以外の何物でもない。幸せになどなれるわけがない」
先日来の違和感は随分大きくなってきていたが,おそらくは二人を失った喪失感なのだろう。今はただ怒涛のように押し寄せる悲しみに身を任せる。
(一体…何のために俺は…)
元の世界は強制的に捨てさせられた。もはや戻ったところで居場所もあるまい。仮にあったとして,戻ったとしても,それならばここでのこれは何だったと言うのだ。
こちらの世界にしてもそうだ。ようやく光が見えて,ようやくこちらでやっていこうと割り切れた途端にこれか。何のためにこちらへ来たのか,苦しむために来たとでも言うのか。
「…」
随分と浸りこんでいたらしい。空が白みはじめている。まもなく朝が来て,また新しい一日が始まる。ようやく火の勢いが収まってきたらしい屋敷も,その主だった者も,過去へと押しやられていく。そして自分も…。
と,その時。
「おーい,そこの黒ずくめ」
「…?」
何者かが言いながら近づいて来る。サナリア騎士かとも思ったがそうではないらしい。得体の知れない者でひょっとすると敵かも知れないが,そんなことは今の自分にはどうでもいい。そのまま無警戒で,無感動な視線を馬上の男に向ける。
「あれは,お前がやったのか?一人で?」
近くまでやってきたその男は,ちょいちょいと親指で屋敷を指さす。初老にさしかかろうかというその男は日焼けした浅黒い顔に年齢相応の年輪を刻み,のみならずいくつかの傷跡も残している。角ばった顎は短い髭に覆われており,それらだけを見れば熟年の重みを感じるところだが,少年のようにきらきらと輝きながらくりくりと動く瞳がそれらとのアンバランスを醸し出していた。
「…だとしたら,どうする…」
「凄いじゃないか!いやいや,気に入ったぞ!」
ワハハ,と男は笑う。かと思うと,男は首をかしげながらじろじろとこちらを眺めまわす。
「…?」
「お前,龍戦士だろう?」
「…龍戦士?」
ふっとそこで思い出す。リーリヤから聞いた,人間離れした力を持つ異邦人の事を。カティが言っていたロクな目に遭わないというのも,それによって迫害されるのが原因だという事を。
(もうじゅうぶん,ロクでもない目に遭ったがな…)
心 の中で苦笑し,また自分の考えに沈み込もうとしたが,男はそれを許さなかった。
「そうとも!龍戦士というものはな,何らかの使命を持たされてこの世界へ飛ばされてきた異邦人の事だ!」
「…使命?使命だと?」
そこで悲しみに塗りつぶされていた心に怒りの色が混じる。こんなことが使命だと言うのか,二人を失ったことも運命だったと言うのか。先ほどまで似たような事を考えてはいたが,いかに自業自得とはいえ他人にそれを抉られれば腹も立つ。
「そうとも。失礼ながら,お前の事は少し調べさせてもらった。ルトリアでの経緯も知っている」
「…貴様…ならばあれも運命だったと言うつもりか?」
怒りの色が濃くなっていく。ゆらり,と立ち上がり刀に手をかける。
「ふむ…ならば聞こう。お前が愛したあの姉妹は,不幸だったのか?」
「あの最期が不幸でなくて何だと言うのだ!」
「ふむ…それはお前の考えだろう?あの姉妹は恨みながら,呪いながら死んでいったのか?ん?」
しかし完全に怒りの色に変わる前に,意外な一言によって水を差されたようにその色は薄まる。
「…そんなことは言っていなかった…が,しかし…」
「むしろあの姉妹は,お前に出逢ったことでそれまでで最も幸せな時期を過ごしたのではないのか?ん?」
「…分かるものか…」
ロケットを握る。死が避けられないと分かったからこその諦めがそう言わせたかも知れないではないか。
「分かるかも知れんぞ?お前が使命を全うしたらな」
「…何…?」
突然男はわけのわからない事を言い出す。
「儂が集めた情報によればな,龍戦士たちは神々や古龍と意思を疎通させ,数百にも及ぶ呪文と人間離れした戦闘力を縦横無尽に振るうという。まぁ簡単に言えば何でもありだ。もしお前が望むならそれが,例えば死者と意思の疎通を図ることくらいはできるやも知れん」
「…そんな事はどうでもいい…そんなものを全うせずとも…」
追いかけて行けばいいだけだ。あの世がもしあると言うのなら,すぐにでも追いかけて行けば良い。
「ならばあの姉妹は,お前に一緒に死んでくれ,と言ったのか?」
しかし男は容赦なく言葉で斬りこんで来る。
「!?」
「違うだろう?生きろと言われなかったか?ん?聞かんでもそんなものは簡単に分かるぞ?」
「…う…」
「いかな龍戦士と言えど,死だけはどうにもならん。あの世へ追いかけて行って,あの姉妹は喜ぶのか?悲しまれて怒られても,もはや取り返しはつかんぞ?」
痛いところを次々と突いて来る男。
「…」
「というわけでだ。他にすることも無いのなら使命を追ってみんか?追ってみてもし間違いないならば,その時こそ安心して死ねよう?それからでも決して遅くは無いぞ?」
「…変な奴だ…」
「良く言われるな。…無論,褒め言葉だろう?」
ワハハ,と再び笑う男。自分で言うか?という言葉を飲み込む。
「…なぜ,見ず知らずの俺にそこまで拘る…」
「それが儂の使命だからだ」
「…なに?」
こんどは疑いの色が混じる。ならばこの男も龍戦士なのか?いったい何の目的で接近してきた?
「…その使命とは…?」
だが男は拍子抜けするような事を言い出す。
「聞きたいか?儂の使命はな…この世界の女を,特にいい女を,みんな幸せにする事よ!」
「…は?」
思わず耳を疑う。そもそも,自分は男だぞ。
「どうだ?どでかい使命だろう?何せ世界の半分と,あの世の半分が相手だからな!」
ワハハ,と笑う男。
「…」
あまりにも規格外過ぎて何と返してよいかわからず黙る。む?と怪訝そうな顔をして,ポン,と手を打ち,男は補足する。
「…ちなみにお前は男だぞ?どこをどう見ても女には見えんぞ?」
「…ならば何故…」
だが男はまた容赦なく斬りこんで来る。
「つまりな。儂はあの姉妹も幸せにせねばならんのよ。儂の見立てでは…お前が今死ねば間違いなく不幸になろうな」
「!?」
「だから儂は儂の使命にかけてそれを止めねばならん!儂の見立てが間違っておると証を立てるまで死ぬことは許さん!…つまりはそういう事よ」
「…」
「いいな…?貴公の命,儂が預かる!」
「…なぜそこだけ,妙な言い回しを…?」
「カッコイイから真似てみたのだ!」
どん,と胸を叩いて恥ずかしげも無く言う男。誰を?何を?と思うが聞いたところで徒労に終わりそうだ。
「…」
「まぁそれにな…お前の使命にもよるが,お前はよりたくさんの幸せを守れる力を持っている。儂の使命の為にも,その力を借りたいとは思っておるよ」
「…」
「ただでとは言わん…もし貴様が望むなら,世界の残り半分はお前にやるぞ?」
にやり,と笑って男は言う。
「要らん」
「つまらん奴だな。そこは乗っておくところだぞ?…ははぁ,儂に張り合って女の方を目指す気か」
「…」
カチリ,と刀を鞘から浮かせる。
「つまらん,その反応はさらにつまらん!そここそ乗っておくところだぞ。…賭けてもよいぞ?儂の見立てでは,お前の愛した女はお前に新しい幸せを見つけてほしいと思っておる」
「ぐ…」
「お前ほどの男が惚れる女だ,そうでないわけがない!」
「…」
釈然とはしないが黙って刀を納める。自分はともかく,そこで否定してしまってはリーリヤまで貶める事になるような気がした。
「まぁそれだけ元気が出るならばまだ大丈夫だ。より現実的なことを言うとな,儂は少なくとも半分は笑顔でいられる国づくりを目指しておる」
「…国づくり?」
「そうだ。お前も見ただろう。このサナリアは腐っておる!民,特に女たちの怨嗟と恐怖が満ちておる!」
「…」
「儂は儂の使命にかけて,この国をぶっ壊し,新しい国を作ろうと思っておる。どうだ?お前の愛した姉妹のような者をもう生まないために,力を尽くしてみる気はないか?」
「!…それは…」
突然の魅力ある提案。完全に不意を突かれる。
「それにな…リコフスキ如き小物をいくら倒したところで,第二第三の奴が現れるだけだ。第一王子が失踪した時点で,もはやこの国に自浄は望めん」
男は真面目な顔で語る。
「姉妹の苦しみを誰よりも良く知るお前こそ,お前と出会う前の姉妹のような者たちの希望たりえると思わんか?」
「…物は言いようだな…二人をだしにして俺を釣ろうということか…」
どうも胡散臭さが先に立つ。悪意こそ感じられないが,話していることの重さにおそろしいほどの落差を感じる。
「今はそう思うのも無理はあるまい。今のお前の心は傷付き過ぎておる。だがだからこそ,冷静な判断を妨げられておるとも言えよう?だから儂と来い。釣りかどうか,儂が都合の良い嘘を言っておるかどうかは時間をかけて判断すればよかろう」
「本当に…俺には使命があるのか?」
「あるな。間違いない。…まぁなかったり気に入らなかったら自分で作ればよいだけよ」
重々しく前半を言ったかと思うと軽々しく後半を言う。実に掴みどころが無い。
「…おい」
「そう胡散臭そうな顔をするな。儂の集めた情報によればな。アリシア王城の地下にある,限られた者しか入る事を許されぬ書庫には,そのあたりに明るい書物があるという。お前がもし必要とするなら,そこへ行けばよかろう」
「…ほぅ」
「だが儂はそんなところに入ったこともなければそんなものを読んだこともない。そうしたいとも思わない。…入るのが面倒だということもあるが,それ以前にその必要が無いからよ」
「…?」
「儂の使命は世界の半分に幸せをもたらす事だと思っておるが,もし違うなら何か不都合が起ころう?それだけの話だ。今のところ何も起こっておらんから,儂は使命どおりに生きておるのよ。…きっとな」
ワハハ,とまた笑う男。
「…気楽な奴だ…」
「お前が堅すぎるのよ。まぁ今は酷かも知れんがな。お互い否応なしに全てを捨てさせられて落ちてきたのだ。残された人生,お互い楽しく行くべきだろう?」
「…」
「ともかくだ。姉妹との出会いも,別れも,お前の使命の一部には間違いあるまい。」
「…く」
「ならば。罪滅ぼしでも何でも構わんから,とにかく姉妹が浮かばれる使命にしてやろうとは思わんのか?お前にはその力もあろう?」
「…」
「儂とてそうよ。お前に良くすることがつまるところ姉妹の幸せにつながり,第二第三の姉妹を生まない事にもつながる。それがつまるところ儂の使命の大きな前進となると信じておる。それだけの事よ」
「…分かった。今はその言葉を信じよう…」
「今のお前に冷静な判断を求めるは酷。あくまでもとりあえず今は,だぞ?」
「…それを自分で言うのか…」
今度はこらえきれずに口に出してしまう。
「茫然自失のお前を騙して追い打ちをかけ,姉妹を悲しませるわけには行かぬよ。それが儂の使命だからな」
ワハハ,と笑う男。
「…まぁいい。そこまで言うなら今は乗ってやる。とりあえずな。…何と呼べばいい?」
「儂はブロケイド=ハン。勇猛な騎馬民族を束ねる王の末裔…を自称して居る」
「…」
「ハンと呼べ。それと,もう少し肩の力を抜け。この程度の冗談は軽妙に切り返せるようにならんとな?笑う門には福が来るのだぞ?」
顔を出した朝日の光を半身に浴びながら,ハンは手を出す。
「…よろしくな,ハン。とりあえず今は」
溜息をついて肩をすくめ,苦笑しながらその手を握る。
「うむ!よろしくな…ところでお前の名は?」
「…調べたんじゃなかったのか…。俺はジョウ。ジョウ=シーゲルだ」
「ジョウか。何もかもぶっ壊しそうなパワーを感じる名だな。期待して居るぞ」
「…それは,お前の言葉に嘘が無いと分かってからだ」
「うむ!とくと見るがよい!その目でしかと!じっくりと!」
「…」
奇妙な男との奇妙な付き合いがはじまろうとしていた。