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内外の変化

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

 アリシアの最重要機密に触れてから,またいくらかの時間が過ぎた。そしてその間にも,周囲の環境は次第次第に変わっていった。

「皆さん,いつもご苦労様です」

 ユーリエはにこやかにそう言う。何の変哲もない,王城内の午後の一幕。

 だがたとえばそれを何も知らない外の者が見たら,あまりの異様さに目と耳を疑った事だろう。その相手が帝国兵だからだ。

 部下たちとユーリエとの関係は打ち解けた,親密なものになっていった。これはある意味予想された結末である。なぜなら私の秘密を知ったユーリエが,黒軍の連帯の秘密にたどり着くのは時間の問題だったからだ。

 背筋を伸ばし,しかし笑顔でそれに敬礼を返す部下たち。

 およそ平民階級に対するそれとは思えないほど気さくに,しかし丁重に部下たちに接するユーリエと,自分たちの長に好意的に接してくれるユーリエをごく自然に敬愛する部下たち。今更な感もあるがいよいよ敵国の人間どうしの接し方とは思えない状態となっていた。

「皆さんの実力を疑うわけではありませんが,お気をつけて」

 それにもう一度敬礼をして,部下たちはギルドへと向かう。

 部下たちに関して言えば,アリシアそのものとの関係も随分と良くなったようだ。国内の治安維持の名目でギルドの依頼を請けていた部下たちだが,その勤勉実直な態度が民の見る目を変えていったらしい。例の装置にはまだまだ未知数の部分が大きい,とはリリーの言葉だが,この変化のもたらす意味を分析するにはやはりまだデータが足りないらしい。

「…」

 部下たちの後姿を見送るユーリエの表情が一瞬だけ曇る。

 この変化はユーリエにとっては実に複雑なものだった。なぜなら,今まで悪逆非道の帝国将兵という認識だったものが,悪逆非道の将軍に付き従う有能な職業軍人たちという認識に変わったからだ。実際の所,まったくの善意でアリシアへの帰属を陰に日向に勧めてくる者も現れているようで,部下たちはそれを曖昧にはぐらかすのに苦労しているとの事だ。

 だがユーリエの憂鬱はともかく,こちらとしてはそれでも良いのかも知れないと思い始めていた。

 もともと私自身が帝国の客分のようなものであり,それを熟知した上で私に付き従っている部下たちも,言わば雇われ兵のような立ち位置だ。

 内情を知らぬ者から見れば,と言っても知っているのはせいぜいハンやバナドルスくらいなものだからほぼ全員と言っても間違いないが,今の黒軍のありようは背信ともとれるのかも知れない。しかしそれはあくまで外聞の話。実際問題としては正規の帝国軍人となるかどうかも当初から彼らの自由意思に任せていたわけだから,逆を言えばこのままアリシアへ留まる選択もあって良いはずだ。

 そしてその兆候も現れ始めている。龍戦士の子孫である部下たちは,もともと多かれ少なかれ敬遠され迫害されてきた。ところがこの国にはそれが無い。好意的に受け止められるようになったことでより一層安らぎと居心地の良さを感じるようになり,そうこうしているうちに緩やかにつながりができて,それは徐々に確かなものへと変わっていく。

 特に城内は,装置の影響を受けない分だけ外よりも変化が顕著に現れた。王城で働くさまざまな職業の者と部下たちとの,公私にわたる多種多様な関わりが生まれ,この状況とも相まってゆるやかな連帯のようなものが感じられるようになってきていた。

「あ,これからギルドのお仕事?」

 入り口のところで,ちょうど出仕してきた侍女が声をかける。

「ああ。ちょっと行ってくる」

 それに対して笑顔で答える部下。

「気を付けてね」

「ああ。ありがとう」

 多少後ろめたい気にさせられたのは,侍女とのそれであった。カールをはじめ何人かは侍女との仲を深めていたが,それは先のクラルフの言葉と姿を申し訳なさとともに脳裏に蘇らせた。

 もっともそれは,あくまでこちらの心情でしかない。現実的に見れば,今まで迫害を受けて周囲との繋がりが希薄だった部下たちが,拠り所を見つけていくのは喜ばしい事である。

 思わず苦笑してしまうのは,彼らが相手に対して明確に厳格に,こちらとの繋がりを優先する事を了承させている事だ。正規の職業軍人としてならともかく,私に義理立てなどする必要は無い。こちらとしてはそう思うわけだが,彼らはそれは譲らない。さらに困ったことには,その条件に関しては侍女たちのほうも女王にお伺いを立てていたらしく,ユーリエがそれを快諾しているというのだ。敵国の軍人との交際を,軍事行動優先の条件付きで認めるなど,事情を知らない者が見れば何の冗談かと思うような話。だが事情を知っていても実におかしな話だ。

 これを黒軍がアリシアを懐柔することに成功したとみるべきか,あるいは逆に黒軍がアリシアに取り込まれたとみるべきかは難しい所だ。現実を見ればそのどちらかなのは明白なのだろうが,無論のこと大義名分で見れば前者はまずい。しかし後者なら良いのかと言えばやはりそちらもまずいのだ。

 となれば…やはり黒軍がアリシア攻略に失敗し瓦解した,という形が良いのかも知れない。帝国が目的を達成すれば黒軍が存在している理由もなくなる。ユーリエならばきっとハンと上手く付き合っていけるはずだし,傀儡や洗脳などの誹りを免れる手としてそれ以上の上策は無いようにも思う。瓦解した後の部下たちの処遇についても,悪いようにはしないはずだ。希望する者は温かく迎え入れてくれるだろう。 

 適当な頃合いを見計らってアリシアを解放し,自分が全ての責を負って身を引く。それで全てが丸く収まるのではないか。日を追うごとにその案が,少しずつ,だが着実に魅力を増していた。

 だがそんななかで,常に引っかかっていたのはリリーの事だった。あからさまにと言うほどではないのだが,どうもリリーはそういった関わりを作らない様にしているふしが見受けられるのだ。

 部下たちのように仕事を請け負うわけでもない。宿との往来は常に装置を起動していて,誰にもその姿を見せようとしない。極めつけは例の装置だ。最近分かったことなのだが,どうもリリーだけはその存在そのものが隠蔽されてしまう仕様になっているらしい。

 なぜそんな事をするのか,と聞いてみても曖昧にはぐらかすだけのリリー。どうやらユーリエはその理由を知っていそうな雰囲気であるが,先日の件もあって,こちらは貝のように口を閉ざしている。自分を犠牲にするような真似だけはやめて欲しいと思っているのだが,ともかく現時点で彼女の意図は謎のままだ。

 アリシアの外でも変化は起こっていた。しかしこちらの変化は,当初はより厳しい情勢へのそれであった。

 侵入者たちは,こちらの軍事配置が整うまでの時間的空白を使ってエ=ツォーナの要塞化を完了した。

 小勢と見ていた彼らは,実は先発隊に過ぎなかった。次々と到着する後続。しかしそれを全て抱えるにはエ=ツォーナは小さすぎた。

 当然の如く,彼らは侵攻を開始した。無論,こちらの配置が完了するのを待つなど下策だ。

 エ=ツォーナはかつてセヴンテイルの最外縁に位置していたが,あの災厄によってそちら側,つまりアリシアにより近い側は悉く死の大地となっていた。そのため彼らはそれ以外の方向へ軍を進め,バラナシオスまで五日の距離にあるガウォークァ,ワ=ダオラまで七日の距離にあるヴェーダ,ガイカースまで五日の距離にあるガーネ=コマの三都市を陥落させた。

 これによって,帝国は旧ルトリア領の約三割を侵入者たちに奪取された。しかしもともとその二割は死の大地であるから,実際のところは半分近くを持っていかれたと言っても良い。さらに言えば,間にフーコ砦を挟むワ=ダオラ以外は,いずれも喉元に切っ先を突きつけられた格好であり,もし落ちてしまえば帝国領は完全に分断されてしまうのだ。

 帝国とすればそのいずれも失うわけにはいかない。だが,育成した兵の多くが赤軍に振り分けられていたため,当時より増えたと言っても白軍はまだまだ少ない。バナドルスは苦渋の決断でそれを二つに分け,一方をフーコ砦,他方をガイカースへと配備。残るバラナシオスは本国から送られてくる妖魔に頼る事を決めた。

 これは妖魔を近づける事の被害を極力減らしながら,それを支配するハンの負担も極力減らそうという意味も込められていた。

 しかしフーコ砦,ガイカースともまとまった軍勢で攻められれば持ちこたえるのは難しいほど寡兵である。攻めるなどどだい無理な話であるから,いきおいバラナシオス方面からの妖魔の攻撃しか手の無い状態となった。

 龍戦士の子孫たちと妖魔とでは,質の差には天地の開きがある。大型魔獣による無差別な殲滅で周囲にまで被害が出るのを躊躇ったこともあり,質の差を物量に頼って埋めようとしては多数の屍を彼らの前に積み上げる,という状態がしばらく続いた。

 新兵の訓練も滞りがちとなった。当然と言えば当然だがバナドルスは本国を離れてしまった。しかも軍務に政務にと忙殺されてしまっている。まさか志願者を前線のルトリアへ送り込んでそこで訓練というわけにも行かない。帝国軍は供給能力までも大幅に削がれ,先の見えない泥沼にはまり込んだかのようだった。

 しかしここで,まったく予想もしなかった副産物が生まれた。

 先の戦いで僅かに生き残った旧ルトリアの貴族階級は,地下に潜って抵抗運動を続けていた。クラルフの粘り強い掃討によってそれらはほぼ壊滅し,もはやまとまった作戦行動も取れなくなっていた彼ら残党は,当初,この侵入者たちを好機とみなした。うまく共闘の形を作ってその力を利用し,ルトリアを奪還しようと目論んだのだ。

 ところがこれは失敗した。当然と言えば当然だが,侵入者たちが,自分たちを追い出した者の末裔と言って差し支えのないルトリア貴族の申し出など受けるわけが無いのだ。

 先の三都市がほぼ同時に落とされてしまったのはこれも大きく絡んでいた。侵入者たちは共闘するふりをして旧ルトリア側の手引きで帝国を追い払うと,そのルトリア兵をも排除したのだ。彼らは占領下の都市では強権的な統治を行い,住民たちは抑圧された生活を余儀なくされた。

 これによって,旧ルトリア貴族は僅かに残っていた求心力をも失う事となった。彼らは横暴な侵入者に国土を渡してしまった売国奴との汚名を着せられ,表舞台からは完全にその姿を消した。

 つまりここに至って,旧ルトリアによる帝国への直接的な抵抗運動は完全に終息し,少なくとも帝国は侵入者だけに注力すれば良い状況となったのだ。

 八方ふさがりの最悪の状況を脱した帝国。だがやはり戦力は足りていない。確実に押し返せるだけの戦力をかき集めたいのが本音だが,彼らがそれを黙って待つわけがない。押し続ける事をやめて隙を見せればすかさず攻め込んで来るだろう。補給線を分断され,前線は崩壊する。だから不毛ではあっても継続的に押し続ける必要がある。

 さりとてそちらに力をつぎ込んでいるうちに連合が力を蓄えてしまえば,レヤーネンではマイシャを守り切れない。やはり前線は崩壊してしまうのだ。

 バナドルスはここで,起死回生の策に出た。旧ルトリアの平民たちに共闘を持ち掛けたのだ。

 あの魔獣による殲滅は,従軍していた将兵ならば強烈な心的外傷トラウマとなって残っているはずだが,幸い民にはほとんど全く無関係だ。占領後も妖魔はほとんどルトリアを素通りしていただけであったし,今回もバラナシオス郊外に陣を張っている。元の支配者たちに裏切られた格好で先の見えない不安に晒されていた彼らに,妖魔には絶対危害を加えさせない事を約し,庇護下に入れと言うのではなくあくまで自主的な協力を呼び掛けたのだ。

 これにまず乗ったのが,貴族に劣悪な環境で捨て駒同然に雇われていたらしい傭兵たちだった。彼らは雇い主よりもかなり冷静な目で状況の変化とバナドルスの施策を分析していたようで,正当な待遇を保証すると明言するバナドルスを信用できる相手と判断したのだ。

 バナドルスは彼らをガイカースの防衛にあて,そちらの白軍の一部をフーコへ再配分した。結果,どちらからもそれぞれ敵地を牽制できるようになり,妖魔の損害も幾分和らいで,相変わらず厳しくはあるものの戦線を押し引きできるだけの形を作る事に成功した。

 しかし後が無いという意味では彼我に差は無い。それぞれに生き残りのかかった戦いは,一進一退のまま長期化の様相を呈していった。

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