結婚式前夜・その弐
俺の名はジョウ。この世界での仮の名だ。他所から落ちてきた俺は姉妹と知り合い,妹と明日結婚式を挙げる事になっていた。元の名を捨て,この名で生きていく決意を固めた矢先の出来事。横恋慕する変態貴族を諦めさせようとしていたつもりが,相手はすでに報復に走っていた。何の疑問も持たないままにまんまと誘い出され,手薄になった宿を襲撃されてしまった。
「!」
自分の迂闊さを呪いながら必死に駆け戻ってきて,そこで見たものは,紅蓮の炎に焼かれる宿屋だった。
付近の住民が必死で消火活動に当たっているが,延焼を食い止めるのが精いっぱいなほどの火の勢い。宿泊客たちは呆然と成り行きを見守っている。
「おい!何があった!全員避難したのか!?」
その中に宿の主人の姿を見つけ,胸ぐらを掴んで叫ぶ。主人はヒィッ,と短い叫びを上げる。
「言え!どうなったんだ!」
「さ…サナリア騎士団の方々が…反乱分子の掃討作戦を行うと…」
「何っ!?」
「他はみんな外に出されて…作戦が始まって…」
ガタガタと震えながら必死に声を絞り出す主人。
「それでっ!?」
「反乱分子が宿に火をかけて…ですが作戦は成功したと仰って,騎士の方々はお帰りに…」
「…くっ!」
という事は,二人はまだ中だ。火をかけたなどという濡れ衣を着せられて…いや,今はそんなことはどうでもいい。主人を突き放すと宿に向かって走り,火のついた扉を体当たりでぶち破って中へ飛び込む。
「リー!カティ!どこだ!?」
叫ぶ。火はすでに随所に回り,そう長くは持ちそうにない。だが今の自分にはそんなことはどうでもいい。二人の居ない世界になどなんの意味も無い。
「!…カティ!」
階段を登りきったところに倒れている背中。駆け上がり,抱き起す。
「しっかりしろ!カティ!」
「…あ…ジョウ…かい…?」
うっすらと目を開けるカティ。
「カティ…!」
「すま…ないね。リーだけでも…逃がそうと…」
「しっかりしろ!傷は浅い!今…」
「相変わらず…嘘が下手だね…あんたは」
苦笑しかけて,うめくカティ。
「そんなことを言うな!約束しただろう!カティにも幸せに…」
「あたしは…もうじゅうぶんさ…幸せだったよ。妹と,こんな凄い義弟と一緒に過ごせたんだから…」
「…どこが凄いものかっ!まんまと誘き出されて,のこのこと二人を置いて…っ!」
声を絞り出す。
「自分を卑下するもんじゃないよ…あんたが自分で言ったろう?…妹の晴れ姿も見たかったけど…きっとツケだね…これ以上は贅沢…ってさ…」
「ダメだ!死ぬなっ!幸せになるって言っただろう!」
ゆっくりと目を閉じ,力が抜けていくカティにハッとして叫ぶ。
「生きろ…生きてくれっ!…義姉さんっ!!」
「最後にその言葉が聞けて…満足さ…元気でな…」
その言葉を最後に,カティの四肢からは完全に力が失われた。閉じられた瞼の間から,すぅっ,と一筋の涙が流れて落ちる。
「…!くっ…」
静かにその場にカティを横たえる。頭を振って意識を切り替え,最愛の人を探そうと視線を移し,開け放たれた部屋の扉の奥に投げ出された腕を見る。
「…リー!」
部屋の中へ半ば転がり込むように飛び込む。先ほど二人に見送られて出たその部屋は,容赦のない炎に焼かれていた。壁にかけてあった手作りのドレスも半分ほどが焼け落ちている。
「リー!しっかりしろ!リー!」
「…ジョウ…」
目を開けるリーリヤ。しかしその焦点は定まっていない。
「どこ…真っ暗なの…ジョウ」
「ここだ!俺はここに居る!」
リーリヤの手を掴み,自分の頬に当てる。その存在を確かめて,リーリヤの表情に微笑が浮かぶ。
「ごめんね…明日…だったのに…」
「違う!謝るのは俺の方だ!俺が奴らの企みにさえ気づいていれば!二人を置いて行かなければ!」
「私…幸せだった…あなたに逢えて…よかった…」
「リー!ダメだ!死ぬな!俺はもう…お前なしでは…」
「ううん…私はずっと…あなたと一緒…」
「リー…」
「ずっと…見守っているわ…。私の分まで…生きて…幸せに…」
「ダメだ!お前も生き…」
そこでせき込むリーリヤ。
「ね…最後の…お願い…誓いの…」
誓いの口づけ。明日の結婚式で,一生を誓い合う二人が行うはずだった儀式。
「リー…」
ゆっくりと目を閉じるリーリヤ。その唇にそっと自分のそれを押し当てる。はじめての口づけ。そこだけしばらく時間の感覚が失われる。
唇を離すと,リーリヤはゆっくりと目を開け,精いっぱいの温かい笑顔を浮かべて言った。
「あり…が…とう…」
「!」
それが最後の言葉となった。次の瞬間,リーリヤはがっくりと首を垂れ,頬に触れられていた手がかすかな感触を残して床に落ちる。
「……!!」
言葉にならない叫び。命の息吹が消えたリーリヤの身体を力いっぱい抱きしめ,嗚咽する。
「…カティ,リー,すまない…。君たちを失って,俺も生きる意味は無くなった」
しばらくの後,そっとリーリヤを横たえ,立ち上がる。
「しかし…少しだけ待ってほしい。自分の不始末の片を付けるまで…」
◇
「!?」
成り行きを見守っていた者たちは,信じられないものを見て一様に驚愕の表情を浮かべた。建物が大きな音とともに完全に崩れ落ち,誰もが飛び込んだ男の死を疑いようもないものと思ったその瞬間。その一部が放射状にはじけ飛び,そしてその中心に立つ男,ジョウの姿を見たのだ。
顔から身体から全身すすけて真っ黒であるが,どこかにダメージを負った様子がまるでない。現実的にみて絶対にありえない,そんなことがしかし目の前に起こっていた。
「ひ…ひぃっ!」
主人へとまっすぐ歩み寄り,胸ぐらを掴む。悲鳴を上げる主人。
「…正直に答えろ。命が惜しければな」
「…は…はい!」
目を大きく見開き,ガタガタと震えながら主人は答える。
「掃討作戦を行ったのは…間違いなくサナリア騎士団だな?」
「は…はい!」
「そいつらは…出てきた後,どこへ行くと言っていた?」
「わ…分かりません!」
「…」
「ほ…本当です!信じてください…!」
「…そうか」
手を離す。腰が抜けたのか,主人は尻をついたまま必死に後ずさる。
「…」
鎧の裏から短刀を引き抜き,一閃。それは一直線に飛んで,少し離れた場所で身を隠すことも忘れて成り行きを見守っていたサナリア騎士の太腿に吸い込まれる。
叫び声を上げながら転げまわる騎士の所へ歩いていき,うつぶせに倒れた状態で後ろ手に関節を極めて動きを封じる。
「…サナリア騎士だな…。お前たちの仲間はどこにいる…」
「そんな事を言うわけがな…っ!」
ゴキン,と関節の外れる鈍い音が騎士の言葉を遮る。また叫び声を上げる騎士。残った手の関節を極める。
「お前たちの仲間はどこにいる…」
「知るか…っ!」
ゴキン,と再び鈍い音。
「言いたくないならそれでも良い。お前が戻らなければ様子を見に次の奴が来る。そいつに聞くだけだ」
「…」
ごろり,と騎士を仰向けに蹴り転がすと,短刀を生やしていない方の膝を踏み砕く。
「うがっ!があぁぁ!…ぐ!」
叫び声を上げる騎士の喉を握って物理的に声を止め,無感動な視線を向ける。全てを飲み込む底無しの空洞のようなそれに,騎士は恐怖した。
「最後の質問だ。仲間はどこにいる…」
少しだけ力を緩め,静かに尋ねる。
「い…いつもの呼び出し場所で落ち合って…帰還する手はずだ…」
「…そうか」
短刀を引き抜く。それは大腿動脈を貫通しており,鮮血がほとばしる。
「い…言ったぞ!た,助けてくれ!」
「…言ったら助けると,誰が言った…」
無感動な視線を向けたまま,無感動に言葉を紡ぐ。
「…そ…そんな…っ!た,助けてくれ,頼む,死にたくない…」
「…俺は今まで,お前たちの命は取らなかった。だがお前たちは…何をした?あの二人を助けたのか?」
「…!!」
「…俺は我が身の甘さを後悔している。貴様らに情けをかけたばかりに,取り返しのつかない事態を招いてしまった,とな…」
「あ,謝る!謝るから!た,助け…」
最後まで言わせず騎士の喉笛を短刀で掻き切る。飛び散る大量の鮮血と引き換えに,悲鳴も何もない全く静かな死。その死が完全に訪れるまで無表情に眺め,つぶやく。
「…命令に従っただけの貴様らだ,せめてもの情けに,苦しみが長引かない様に送ってやろう。だが…今回関わったサナリア騎士は,一人残らず送ってやる…」
骸となった騎士を目立たない路地裏まで引きずって行って物陰に放り込み,短刀についた血を拭おうとして,自分の体が真っ黒になっていることにようやく気付く。
「…喪服,か…それもよかろう…」
自嘲めいた笑みを浮かべ,そして歩き出す。今となってはこの世界で生きるたったひとつの,差し当たっての目的を果たしに。先ほどから心の片隅に小さな違和感が棲みついているが,今はその目的以上に重要な事など何もない,と無視する。
「…首を洗って待っていろ,リコフスキ…」
◇
翌朝。哨戒の定時任務に就いていたルトリア騎士は,全焼した宿にほど近い路地裏で一人,郊外の木立の中で三十数にも及ぶサナリア騎士の変わり果てた姿を発見し,上層部へ報告した。その容疑者として一人の男が浮上したが,すでに行方は分からなくなっており,加えて目撃証言もあまりに突拍子もなかったために信用されることもなく,事件は謎のままやがて忘れ去られていった。