結婚式前夜・その壱
俺の名はジョウ。この世界での仮の名だ。ひょんなことから行動を共にすることになった姉妹の妹,リーリヤと成り行きから結婚するふりをすることになり,以降因縁のあるサナリア騎士たちを相手に何度か立ち回りを演じている。
「…退け,退かねば痛い目を見るぞ…」
一度目は十人ほど。刀すら抜かず全て当身で気絶させた。二度目はその倍。峰打ちで何人かは骨を砕いた。そして今回が三度目。死人が出ねば諦めぬのだろうか,などとうんざりしながら刀を抜く。
さすがにメンツが傷つけられるのか,前回と今回は呼び出しを受けている。郊外の林の中で,前回は到着するや否や周囲から不意打ちを食らっていた。
その時,周囲から殺気。遅れて聞こえる風切り音。
(矢か…)
ひょいっと後ろに跳んで射線から離れる。正面の騎士が,前回痛い目を見せたにも関わらず表情に漂わせていた余裕。それが驚愕と怖れに変わる。
「…気づいていないとでも思ったのか…こんなもので傷ひとつでもつけられるなどと思うなよ」
幸いな事に,今回はそれでじゅうぶんだった。おそらくはそれが今回の切り札だったのだろう。じりじりと後ずさりはじめる騎士たち。
「…これに懲りたらもう二度と来るな。次は…容赦せんぞ」
わざと聞こえるようにビュンッ,と風を切る。それを合図に騎士たちは逃げ去った。
◇
「あ…ジョウ,お帰りなさい」
宿に戻ると,リーリヤの出迎え。気を滅入らせるすべてが解けて消えていくような,温かい笑顔。
「…ああ。今戻った」
自然に微笑みが浮かぶ。計画した当初はあくまでふり,そう決めていた。しかしもともとお互いを悪く思ってはいなかったこともあり,そういう振る舞いをすることで余計に距離が縮まったこともあり。当然と言えば当然だがいつの間にかふりがふりでなくなってしまっていた。
「けがは?」
「…いや,心配は要らない」
「そう…良かった」
にっこりと笑うリーリヤ。しかし,ちょっと表情を曇らせて小声で囁く。
「私たち…ここを離れたほうが良いのかしら」
結婚するのだということをサナリア騎士に伝えたのは,かれこれ三月ほど前の事になる。当然リコフスキには報告が行っているはずだ。しかしそれでも前回今回と奴らは仕掛けてきた。徐々に人数が増えてきているところを見ると,いちいち失敗の報告を聞いて,その度に人員を増やしてきているのだろう。
「…奴らの狙い次第かな」
囁きを返す。もし結婚を阻止するのが目的なら,結婚さえしてしまえば諦めるはずだ。怒りの矛先が自分に向いていればしつこく仕掛けてくるだろうが,一人相手にあまり多くの人数を動員するのはメンツの問題もある。ある程度の数まで片付けてしまえば何とかなるだろう。
「…式まであとひと月だな。いよいよだ…」
わざと声を大きくする。壁越しにこちらの様子を伺っているであろう見張りに聞かせてやるためだ。そこまでが一つの区切りとなる。結婚後も襲撃を繰り返してくるようならここを離れよう。その時にはこの見張りも同時に片付けてしまう必要がある。
「そうね…」
「…君は,絶対に誰にも渡さない…」
「嬉しい…」
そっと抱き合う。今ではもう,ほとんど元の世界へ帰る事は諦めているし,むしろ戻りたくないとすら思い始めている。今の自分にはもう,この世界で生きる目的が出来てしまったのだ。
「おーい,二人とも,次の依頼の事なんだが」
その時カティが部屋へと入ってくる。
「…おっと,邪魔しちまったかい?」
「…いや」
にやっと笑うカティに微笑を返し,自然な動きで離れる。
「…随分とあんたたちも慣れてきたよな」
カティは笑いながら声を小さくする。
「ひと月前くらいまでなら,慌てて部屋の端から端まで離れるような展開だったってのにさ」
「ね,姉さん…」
頬を染めて苦笑交じりに言うリーリヤ。
「まぁあたしとしちゃ,ここまでは出来すぎってくらい良い展開だね。サナリア騎士の奴らにゃ散々煮え湯を飲まされてきたけど,ここへきてきっちりツケを払ってくれたって感じかな?」
「…できれば,このまま締めくくって欲しいところだがな」
時間的に見てあと一度。それが向こうにとってもラストチャンスになるはずだ。現状でそれを見逃すわけはあるまい。
「…もし結婚しても奴らが手を引かないようなら…ここを離れて,エリティアあたりまで行こう,カティ」
四王家の中でもっとも若いエリティアは尚武の気風に溢れ,傭兵や冒険者にも理解があると聞く。版図の規模と位置の問題でここよりは仕事さがしに苦労するかも知れないが,リーリヤが店を開いて落ち着き,自分とカティが外へ出て稼いで行く手もありそうだ。
「おいおい,いい加減姉離れしろよ二人とも…」
「…」
肩をすくめて言うカティを黙ってじっと見る。
「あー分かった分かりました。お姉さんも職探しと相手探しがんばりますって」
ふりがふりで無くなってからのいつもの展開。部屋の中に笑い声が響いた。
◇
それからひと月ほど,静かすぎるほど静かに時間は流れた。もちろん見張りは相変わらずついていたが,それ以外に相手に動きは無かった。依頼をこなしながら式の準備を整える日々が一日また一日と積み重なっていき,とうとう前夜を迎えた。誰を呼ぶわけでもない内輪だけのささやかな式だが,三人が三人とも幸せに包まれていた。
「いよいよだね…」
誰に言うともなくカティが言う。
「…そうだな」
答えるともなしに言う。
「姉さん,ありがとう…私をここまで見守ってくれて…」
リーリヤが言う。慌てるカティ。
「と,突然何を言い出すんだよリー」
「自分の事を犠牲にして,学院まで出してくれて…こんなドレスまで…」
明日リーリヤが着る予定のドレスは手作り。カティが少しずつ作ったものだ。
「ごめんよ,もっと上手くできればよかったんだけど…」
「ううん。私には世界で一番素敵なドレス。世界でたった一人の,姉さんの想いがたくさん詰まったドレスだもの…」
「何だい,あんたまで泣かせること言うんじゃないよ…」
慌てて顔を逸らし,ぽつりと言うカティ。と,その時扉が無感動に二,三度ノックされる。ハッとする姉妹。
「…来たか」
扉を開け,宿の下女から手紙を受け取る。予想通りの内容,予想通りの手紙だ。今夜が奴らにとってのラストチャンス,見逃してくれるわけもない。
「…行ってくる」
鎧を付け,二刀を腰に差す。
「もうほっといてくれりゃあいいのにねぇ…」
やれやれと溜息をつくカティに,それも今日までさ,と苦笑交じりに返す。
「…気を付けてね?」
不安そうなリーリヤ。
「…大丈夫だ。夜討ちで後れを取るような,やわな鍛え方はしていない」
我が流派が練ってきたのは実戦のための業だ。完全に目隠しをした状態での稽古もかなり積んで来た。今夜は月も出ている,全くの暗闇ですら戦える自分には昼と何ら変わらない。
「…行ってくる」
リーリヤの額に軽く口づけして部屋を出る。階下へ降りていき,広間を横切って入り口の扉を開けると,月明かりに照らされた街へ出た。
指定された場所はいつもの郊外。まだ時間はそれほど遅くない。家々の灯りと,その下で繰り広げられるそれぞれの生活を横目に見ながら歩を進める。
元の世界では自分もそのうちの一つだった。かなり揺らいでいたとはいえ,それが全てという生き方もしてきた。それら全てに強制的に別れを告げさせられてやって来た,生活も価値観も何もかもが違うこの世界。自分の存在すら希薄になっていた。だが今は違う。この世界に確かに生きた歴史があり,そして未来もある。明日を境に自分は新しく生まれ変わる,そんな思いが確かにある。
(ふ…いつになく感傷的だな…)
苦笑する。そういえば,錦土が言っていたな。結婚を控えた娘は結婚後の生活をあれこれと思い描いて夢と現実が入り乱れるものだと。今の自分もそのようなものか。二つ年上のリーリヤとの新しい生活。サナリアがらみとはいえあれこれと思い描いていたのは事実だ。
最近はめっきり元の世界のことを考える機会も時間も減った。少しずつ,だが確かにそれは過去へと押しやられていく。今はもう元の世界と自分を繋ぐ物は腰の二刀だけとなってしまったが,それらにもいずれ終わりが来る。その時完全に,自分と元の世界の繋がりが失われるような気もしていた。
「…」
いつもの場所へ到着する。人影は自分以外に無いが,約束の刻限にはまだいくらか時間があろう。自然体で立ちながら,それとなく周囲を探る。そのまま静かに流れて行く時間。
(しかし…)
今回は一体どんな手で来るのだろう。人数を増やしても無駄,飛び道具での不意打ちも効かないとなれば,次は包囲してくるのだろうか。夜討ちだけで何とかなると踏んでいるなら,おめでたい思考と言ってやらざるを得まい。他に有効な手段としては精神的な動揺を誘う事だが,今の自分に弱点など…。
(…待て…)
そこで不安に駆られる。今の自分の弱点,それは二人を失う事だ。それを考えた瞬間に,今までバラバラだったピースが急速に一つにまとまっていく。
そもそも,リコフスキとはどういう奴だ?それが抜けていた。自分の価値観ならば結婚して初夜を迎えるまではリーリヤは乙女のままだし,事実そういう付き合いだった。リーリヤもそうなら,妹だけは大事にしたいというカティもそうだろう。少なくとも自分の価値観を好意的に受け止めてくれていたのは間違いない。
だが奴の価値観ならばどうだ?偽の情報を流した時点で,すでに取り返しのつかない事態になったと思ったのではないか?直接確認できるわけも無し,己の生きてきた世界で考えるのは当たり前で,すでに奴にとってリーリヤは欲しい女ではなくなっているのではないか?
ではそう考えたとして,リコフスキがそれでも兵を差し向けて来る理由は何だ?そんなことは考えるまでも無い。自分の思い通りにならなかった女への報復が目的だ。
奴が姑息でいやらしい性格とすれば。自分を呼び出していたのも,女を奪った男への報復と同時に見せしめを狙っていたのかもしれない。ところが思い通りにはならず,手が出せそうもないままに今に至った。となれば…。
「!」
その時風に乗ってかすかな叫び声や怒号が耳に届く。振り向くと,街の方角の空が赤い。
「まさか!」
走り出す。
となれば,考えられる報復は一つだ。幸せの絶頂で絶望のどん底に叩き落とす。それが散々盾突いた男へのまたとない見せしめともなる。つまり今夜の計画は,自分をおびき出して…。
(リー!カティ!…無事で居てくれ!)
自分の迂闊さを呪いながら走る。腐っているとはいえ相手は騎士だ。数をかけられれば勝ち目はない。相手が相手だけに周囲の助力も見込めない。上手く隙をついて逃げ出して居てくれ,そう願いながらひたすら走る。
路地を抜け,宿が見える場所へたどり着いた時,そこには…。