因縁からの逃亡
俺の名はジョウ。といっても,この世界での通称だ。とある世界の片隅で,俺は成り行きから姉妹と行動を共にすることになった。一文無しで落ちてきた俺に寄せてくれた厚意に報いるため,俺はこの姉妹の用心棒をやっている。
しばらく行動を共にするなかで,徐々にこの世界の事が分かってきた。まず,文明レベルは中世。生活様式は欧州がもっとも近い。ここまでなら過去に飛ばされた,と見る事もできるが,決定的に違うのはこの世界に生きる様々な種族。エルフ,ドワーフなどの亜人種やゴブリン,オークといった妖魔の類。果ては,まだ遭った事は無いが巨人や魔獣,竜までいるらしい。英語の授業で読んだベオウルフの叙事詩みたいなものでファンタジーの世界だ。元の世界と違い,科学ではなく魔法が発達しているのも特徴的だ。
まぁだからといってどうという事も無い。今の自分の目的は,元の世界へ戻るまでここで生きる事だ。極論,この世界に何が起ころうと自分には関係ないし,何ができるわけでもない。ただ,時間が経つにつれて少しずつ,戻りたいという思いが薄らいできている,いや,戻る場所が残っているのだろうかという思いに変化してきているのも事実だ。こちらの世界に自分の歴史が刻まれていくに従って向こうの世界が自分と縁遠くなっていく,という疑いようのない現実が,一日一日着実に積み重なっていく。
「ジョウ!来たぞ!」
カティの声で意識を現実に戻す。今日の依頼は近隣の村を荒らす妖魔の退治。悪党とはいえ人を殺める事にはまだ抵抗も大きい。そのため,生かしておけば害を為すだけの妖魔を退治する依頼を,害獣駆除の感覚でよく受けている。ねぐらの洞窟へと無造作に入っていき,わらわらと現れて向かってくるゴブリンやオークを,しかし何もさせずに次々と斬り捨てる。
自分はどうやら,冒険者としても規格外の戦闘能力を発揮しているようだ。今の自分から見れば妖魔の類など隙だらけであり,時代劇の殺陣のような感覚で片端から斬り捨てている。しかし本来は戦士と呼ばれる前衛の職業が数人がかりで,もっと時間をかけて処理するのが普通らしい。
「もう見慣れたとはいえ,相変わらずおっそろしい腕だなぁジョウ」
カティの称賛。周囲には折り重なった大量の妖魔の死体。一振りして鞘に納める。
「すみません…毎回,あなたばかりに仕事をさせてしまって…」
申し訳なさそうなリーリヤ。魔法で援護する必要も無ければ不覚を取って回復の世話になる事も無い。そんな自分のおかげで,こと戦闘においては彼女の出番は全く無い。
「…問題は無い。俺は用心棒で,前衛だからな」
「おーいリー,こっちに明かり頼むよ」
「あ,はい」
リーリヤが持っていた松明をカティのほうにかざす。それほど確かな明かりではないが,その中でもカティは器用に宝箱を調べ,罠を外してそれを開ける。
「お,大漁だなこりゃ」
嬉しそうな声。光物を集める癖があるという妖魔たちは,随分と略奪をしていたようだ。今回の依頼の内容では,報酬が少なめな代わりに入手した金品は好きにしていい事になっている。
「さ,んじゃ帰って報告しようぜ。もしかしたら今回で完済かもな?」
それらを複数の袋に詰め込んで各々担ぐ。はじめに借りた装備分の返済は,残り僅かとなっていた。
「なージョウ,これからの事なんだけどさ…」
(…ん?)
とその時,表に人の気配。複数居る。
「カティ,待て…表に結構な数が居るぞ」
話しながら出口へ向かおうとしたカティを制止する。
「なんだって?」
「…俺が先に行く」
袋をカティに渡し,いつでも動けるようにして外へ出る。するとそこには,金属鎧を身にまとった十名ほどの男たち。
「…サナリア騎士団…なんだって今頃…」
カティが後ろでつぶやく。そもそも今回の依頼は,被害を陳情しても国が全く動いてくれなかったことが発端である。それがようやく重い腰を上げたが,結果的には手遅れになったわけだ。
「おい!貴様ら!ここで何をしておる!」
一際豪奢な鎧を着た男が居丈高に声をかけてくる。
「…ギルドからの依頼でここの妖魔を退治した」
自然体のまま答えながら,さりげなく男たちの様子を確認する。確かにサナリア王家の紋章の入った鎧を着ているが,あまり立ち居振る舞いが良いとは言えない。
「何だと?」
それを聞いて,あからさまに男の機嫌が悪くなる。
「おのれ…なめた真似をしてくれたな。我々はこんなところだけに構っておれるほど暇ではないのだ!だというのにわざわざここまで出向いてきてやった。ところが我々の顔に泥を塗り,よりによって冒険者風情と二股をかけようなどと…!」
(…確かに…冒険者に先に片付けられて無駄足を踏みましたなど恥もいいところだ…)
「うむむ…許せん!身の程をわきまえぬ依頼主は国家反逆罪で極刑,ギルドも責任者は極刑,相当期間営業停止だ」
「そ,そんな無茶苦茶な…」
そこで思わず声を出してしまうリーリヤ。ぴくり,と男の眉が吊り上がる。
「何だと…?女,このレヤーネン様にケチをつけようというのか…」
「あ…い,いえ!そんな…」
「有象無象の冒険者ごときが,この私に…」
ぴくぴくと震えるレヤーネン。殺気立つ男たち。
「も,申し訳…」
庇おうと前にでかけるカティを制し,口を開く。
「…そちらのメンツを潰さない,良い考えがあるのだが」
この程度の相手を蹴散らすのはわけないが,さすがに口封じは気が引ける。かといって敵対したまま生かして返せば国そのものを敵に回す事になるので,ここはまず譲歩しておくのが得策だろう。
「言ってみろ!下らん考えだったら極刑だぞ!」
「…要は,そちらの功績にしてしまえばいいという事だ。俺たちはここには来なかった。この依頼そのものもなかった,そちらが討伐をしたという事にしてしまえばいい」
「…」
「…そちらの手柄なのだから,戦利品も当然そちらのものだ。俺たちへの口止め料は俺たちの命。それでどうだ?」
「…ふん,口の利き方が気に入らんが,そこまで言うなら助けてやらんでもない」
ちらりと袋を見て,レヤーネンは偉そうに言う。
「…英断,痛み入る」
リーリヤから袋を受け取り,次にカティの所へ。
「お,おいジョウ…」
ぼそぼそと囁いてくるカティに首を振って見せ,袋を受け取る。それを男たちの所へ持っていき,手渡す。
「ふん,命拾いしたな貴様ら!これに懲りて,身の程をわきまえた行動を心がけるのだぞ」
「…了解した。…行こう」
頭を下げ,二人を促してその場を離れた。
◇
ギルドへ戻って前金を全額返し,事情を話す。依頼主へ返却して依頼そのものを無かったことにし,あとはともども口を閉ざすことを伝える。
(…とりあえず,これで打てる手は打ったが…)
酒場の片隅に陣取り,食事を摂る。二人の表情は暗い。
「…すまなかった,勝手に話を決めて…」
カティに謝る。
「いや,あらためて考えればあれがベストだったよ。助かった。…むしろ謝るのはこっちだ,あんなヤバい依頼受けちまって,ジョウだけ働かせた上にあれじゃ…」
最近はお互いの事が分かってきたのもあって,依頼はカティに任せていた。
「…なに,俺のわがままで妖魔退治ばかりやってもらっているんだ。気にしないでくれ」
「すみません…私が余計な事を言ったばかりに…」
申し訳なさそうなリーリヤ。
「…どのみち連中は引っ込まないさ。陳腐な…と言うとみもふたもないが,メンツの問題だからな」
「しかし…悪いな。せっかく今回で完済,だったのに…」
「…なに,生きてさえいれば次があるさ。…そう言えば,さっき今後がどうとか言っていたな」
「あぁ。一応用心棒としての契約は終わりになる。あたしらも随分楽させてもらったし,あんたも当座の生活費は手に入れた。今後の相談をしておくべきかな,と思ってな」
「…」
ちょっと寂しそうな表情を浮かべるリーリヤ。
「で…どうするんだ?これから」
「…そうだな,思うところはいろいろあるんだが…」
横を向いて考え込むふりをしながら,一瞬だけ視界の端で先ほどからの違和感を確認する。さして遠くない卓に座り,さりげなくこちらの様子を伺っている一人の男。
「…そういう二人はどうするんだ?」
「あたしらかい?」
意外そうな表情で言うカティ。二人ともこちらの真意を測りかねているようだ。
「確か…リーリヤのまっとうな就職先が決まるまで,と言っていたな?カティ」
「ね,姉さん…」
「まぁね。せっかく学院まで出たんだ。しがない冒険者なんか続けさせるわけには行かないからね」
「…あては,あるのか?」
「ん?んー…そうだね。差し当たってひとつ,無いでもないんだが。何せ先方様次第ってところだしね…」
また悪戯っぽく笑うカティ。付き合いが長くなったおかげで,彼女がこの笑いを見せる時は大抵脱線するという事が分かっている。だが今はそれに付き合っている場合ではない。
「…そのあて次第だが…もしかしたら,この国を離れたほうがいいかも知れないぞ」
「え…?」
「なんだって?」
「…あからさまには見るなよ…俺の後ろ,二つ置いた卓に一人で座っている男。おそらくは密偵か何かだ」
「!?」
目を丸くする二人。だがさすがにカティは経験豊富だ。すぐにその理由を推測し,口元を抑えて声も落とす。
「まさか,さっきの…?」
「…おそらくはな。こちらが余計な事を口走らないように見張っているのかも知れない。だがもしかしたら…」
「…こっちが余計な事をしゃべる前に…って事かい?」
「…かも知れん。見張り続けているのも面倒だろうしな」
「こっちの様子を伺ってるのは間違いないね。こっちが声を落としたもんだから,気にしてるよ」
「姉さん…ジョウ…」
不安そうな瞳のリーリヤ。ちくり,と心が痛む。
「…すまないな。これなら,あの時殲滅しておけばよかったかもしれん…」
「気にしなさんな。あの時はあれがベストだったんだから。で…あんたはどうするんだ?」
「連中の狙いが俺一人なら,俺が姿を消せば済むことだ。だが…そうでないならこの事態を招いた責任は取らねばなるまい」
「ジョウ…」
「そっか…なら,あたしらの利害は一致してるわけだね」
問題は無い,と言わんばかりに笑うカティ。
「…カティ?」
「正直ね,二人だけで何も知らない他所へ行って食えるようになる所まで持っていくのは大変なんだ。かといって,あんたなしでここで仕事を続けるのもちょっと身の危険を感じる。逆に言えば,あんたが居てくれるならどこででもやっていけるって事さ」
それにこの国にはもう一つ厄介な因縁もあるしね,と付け加えるカティ。
「ね,姉さん…それじゃジョウに悪いわよ…」
「…俺はそれで構わないが…」
他に目的があるわけでもない。しかしあまりにあっさりしていて拍子抜けする。
「…あての方はいいのか?」
「ん?問題ないない,全く。いざとなればどこででも大丈夫さ」
そこでまた悪戯っぽく笑うカティ。
「…ならば,早めにここを出たほうが良いな…」
自分がいつまたあれに飲み込まれるか分からないという事を考えれば,早めに他所へ移ってそこでの地盤を作ってしまったほうが二人の為になる。
「分かった。それじゃ明日の朝早くに出よう。まずはルトリアへ行ってみようか」