第七話:さらばFH
サリアの入学試験やら科の選択やら演技やら色々とあった翌日の朝、俺は窓から外の景色を眺めていた。
ああ、空は何でこんなにも綺麗なんだろう。一切の穢れもなく、誰からも文句も言われず、伸び伸びと過ごせていいなあ。
俺がこうして空をやっかんでいるのは昨日の出来事が原因だ。あまりにもバカな演技をして、バカバカ言われてバカにされて挙句の果てにはバカが移るからとサリアとの交流を絶たれてしまった。
俺、学園行く意味あんのかな。サリアと仲良くなったのに他の妖精を攻撃するのもちょっとどうかと思うし、かといって妖精を倒しもしないのにFHに居る意味とかマジでないし。
「俺も解析科行こうかな……」
はぁ、と溜息交じりに空を見ながらそういうと、
ガタゴトッ
俺の部屋から何やら変な物音がしてきた。
「いや、お前やめとけってそれはマジで」
「別に俺も本気じゃねえよ。てか部屋戻れよ。"ロイス"」
そう、昨日の乱闘の後、なぜかこいつは俺の部屋でこれから過ごすなどと言ってきたのだ。意味わからん。
「いやーだってここお前一人しか使ってないんだろ? それはちょっと不公平だし、お前と一緒の部屋なら面白いもん見れるかなって思ってさ。なっ」
「いや、『なっ』じゃねえから。なんにも面白くないし。つか部屋戻れよ」
面白そうとかいう変な理由で俺の部屋を使われても困るのだが。
本来、生徒の使う部屋は三人用なのだが、俺と一緒の部屋は嫌だとか何とか色々な理由もあって仕方なく俺は普段使われていない空き部屋に移動させてもらった。この空き部屋は間取りは他の部屋と何ら差異はない。ただ、長年使用していなかったから最初は埃がすごかったし、床とかも劣化しているようでよくきぃきぃと鳴る。
俺はこの部屋が結構好きだった。他に人がいないのもそうだが、この部屋がある階は通常使われていない最上階なので、とても静かでそして何より景色が良い。そんなお気に入りのパーソナルスペースに、いくら俺の数少ない親友でも一緒にというのは気が引けないでもない。
しかし、今回ばかりは相手が悪かった。だってロイスだもん。
「レイドを一人にさせとくとサリアちゃんをこの誰もいない部屋に連れ込まれそうで怖いし、俺はきっといい相談相手になれると思うぜ?」
「連れ込みはしないけど……なんだよ相談相手って」
"相談相手"という言葉が気になって思わず訊いてしまったが……やられた。こいついま完全に『おーおー、鴨がネギ背負って、しかも全身に塩振って来ましたわ』みたいな顔したぞ。こいつバカじゃなかったのか……!!
「レイド、お前いま悩んでるんだろ? 自分に献身的に愛を捧げてくれてるレヴィを選ぶか、自分に従順にしてくれて尚且つお前自身も意識してるサリアちゃんを選ぶか……」
あ、やっぱこいつバカだった。何言ってんのこいつ。レヴィが俺に献身的に愛を捧げてるだあ? 確かにレヴィは俺の部屋の片づけとかをしてくれてはいるけど、それは愛とかそういうんじゃないだろ。ただ単純にそのままにしとくと俺がごみに埋もれて死にそうな勢いだから見るに堪えなくて助けてくれてるだけだろ。
そんでサリアのことだが……まあそれはその、な。べ、別に意識なんかしてねえし? 普通だし? 普通過ぎて異常なまであるし?
でもめんどいからなんでもいいや。適当にそれっぽい返事しとこ。
「よくわかったな」
「へへーん。俺くらいになるとそんなのは余裕でわかっちゃうんだよなー」
哀れロイス。全然余裕で分かれてないからな? でも面白いからちょっとこのままにしとこう。
「そうか、流石だな」
「で、俺からのアドバイスだけど、レイドはサリアちゃんを選ぶといいぞ」
ほうほう。なんだかしっかりとした理由がありそうな口ぶりだな。多分また的外れなんだろうけど。
「なんでかってーと、それが一番みんな幸せになれるからさ」
え? いやそれおかしくね? だって、さっきのロイスの話からすると……
「さっきのロイスの話だと、レヴィは俺に献身的な愛を捧げてんだろ? だったら選ばれなかったら幸せじゃねえだろ。なに、レヴィってそういう趣味がおありでしたこと?」
「ばっ、ちげえよ。レイドは分かってないなあ。落ち込んだレヴィを俺が慰めればレヴィはたちまち……うん、俺って天才か!?」
こんなやつを諜報科に置いていてもいいのだろうか。諜報科の皆さん、心中お察しします。
「そうかそうだな。おう、頑張れ」
「レイドこそ頑張れよ! 互いに健闘を祈る!!」
俺が適当に流してやるとロイスは大層機嫌がよくなったようで、鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。うわ、もう登校の時間じゃねえか、行きたくねえ……。
単位がギリギリな俺はサリアに避けられることがわかっているのに学園へと一応向かうのだった。
▽▽▽
サリアに避けられるかもとか思って学園に行くの憂鬱だったけど、そもそも避けるも何も会う機会がないやって思ったらなんか、うん。落ち着いたってか、冷静になったってか、現実に引き戻されたよね。そしてレヴィの言うサリアと近づかないでってのが現実味を帯びてきた気がする。はあ。
俺はいま、一応FHでもあまりやることのない座学を受けていた。何でこの脳筋FHで座学なんてあるのかというと、簡単に言えば戦闘は力だけが全てじゃないってことだ。その場その場で状況は瞬く間に変わっていく。もちろん良くも悪くも。そんななかで俺たちは無い知恵を絞りながら戦わなければならない。実際俺も前まで妖精と戦っていたときは、砂を妖精の目にかけて即席の目くらましにしたこともある。戦闘は力だけじゃないというのもどういうことかはわかる。わかるんだけど、やっぱ話聞いてるだけってすんごいそわそわする……。寝よう。俺がそう決意して腕枕を作ろうとしたとき、全身がぶるりと震えた。や、やべえ。
「おい、レイド。今何しようとしていた?」
「や、やだなあーただノートをよく見ようと思って顔を近づけようとしてただけですよー」
俺が、苦し紛れではあるがこれ以上ない言い訳をすると、先生――モラコフ先生は「そうか」と言ってニヤッと笑った。よかった、この人ちょろいわ。
「で? ノートはどこにあるんだ?」
俺がショボかったッ!
もうこれ以上は言い逃れできないな。素直に謝るか。
「最近、私的な用事で少し忙しくてですね。まあその、睡眠時間がなかったといえば嘘になるんですけど、まあ、はい」
あれえ? 謝ろうと思ったのに口をついて出た言葉はまたもや言い訳。くそお、言い訳ばっか言う口はどの口だ!
「そうかそうか、大変だったな。なら授業は受けなくてもいいぞ。ただ、単位はどうなるか俺にはわからんがな」
「あれー!? なんかきゅーに元気になってきたなあ!! よーし、気分もいいし、授業受けちゃうぞー!」
ちょろい。俺ってばなんてちょろいのだろうか。単位という二単語で、人はこうまでちょろさを極めることができるのか。今度ロイスにこの悪魔の単語で攻め抜いてやろう。絶対泣くぞ、あいつ。
俺は結局モラコフ先生の単位という言葉に負け――いや、負けてはないけど。とりあえず、授業をまともに受けることとした。が、そもそも受けたくなかったわけじゃなく、むしろ受けたかったのに耐えきれなかったのだ。なので決意を新たにしたすぐ後にはもう心が折れてた。寝たい。
▽▽▽
「グーパンだけで済んでよかったぁ……」
殴る蹴るは訓練の時に散々やられてきたので痛いことには痛いのだが、ある程度我慢できるようになっていた。しかし、単位が落とされては耐えられない。軽く複雑骨折になれるレベル。
結局のところ俺は睡魔に負けて、モラコフ先生の魔法の言葉には勝ったのだった。その結果でマジカルパンチを食らったのだからほんとに勝ったのかわかんないけど。しかも、後で教務科に来いと言われた。やだなあ、こんな頻繁に教務科行くとか問題児みたいじゃん。でも無視なんてした日には俺は虫の息になってしまうだろう。うまいな、俺。
呼び出された理由は何となくわかる。今回の件もそうだが、多分あの事だろうな……。
用事はさっさと終わらせて早く帰ってサリアに会いたいので後で、と言われたが今行ってやる。ちょっとした嫌がらせだ。
「FHのベリアン・レイドです。モラコフ先生に呼ばれてきました」
ここ数日でお馴染みになってしまったFHのレイド君こと俺はモラコフ先生のデスクまでスタスタ歩いていく。モラコフ先生のデスクがどこかほとんど覚えてないけど。
俺がかなり薄い記憶を頼りに教務科内を歩いていると、低く響く声が俺のことを呼んだ。
「おうレイド、早かったな」
モラコフ先生が何やら飲み物を持って奥から来た。
あれー? もうちょい困ってほしかったんだけどな。『お、ちょ、おま、後でって言っただろ。お、ちょ』みたいな感じで。
「あははー、早く行くのは当たり前の事じゃないですかー。それに、今回の件は俺のわがままなんでそんな大遅刻とかやってらんないすよ」
「そうだな。お前、あの話本気なのか? なにかあったのか? 俺はお前たちを心のない殺戮マシーンにしようとしてるわけじゃないが、もしかしたら俺の配慮不足でお前たちに辛いことを強制させてしまってるんじゃないかと心配でな。理由を、教えてくれないか」
俺は、モラコフ先生にFHを出たいと言ってある。当然、普通の科であればそんなことはまかり通らないものなのだが、このFHは心や身体に大小さまざまな傷を負うことが少なからずある。なので、FHでは途中で他の科に移ることも一応は認められているのだ。もちろん、しっかりとした理由があればの話だが。
「最初に断っておきますが、決して先生の教育方針がおかしくて、それでついていけないとかではないです。ただ単純に、時が来たって感じです」
「ふむ、何言ってるかわからないんだが、俺の問題ではないってことでいいんだな」
俺はモラコフ先生の問いに首肯。なんて言おうかなー、この人過激だし、俺が妖精と敵対したくないって言ったら処刑されそうなんだけど。大丈夫?
でも、ここで言い淀んでいたって仕方がない。腹を括って俺は要所要所かいつまんで話すことにした。
「もともと俺がこのFHに入ったのは俺の才能が買われたからっていう単純なものでした。けど、俺自身としては妖精とは敵対したくない。むしろ仲良くなりたいとまで思っていました」
一昔前までは人間と妖精は普通に仲良かったしな。
「で、俺は任務で妖精討伐に赴くとき、まず最初に妖精に語り掛けることから始めるんです。どんなに奇襲しやすい状況でも。逆にどんな危険な状況でも。でも、返事は返ってこず、返ってきたとしても一方的に突き放すようなものばかりでした。その時には仕方がなく毎回……」
モラコフ先生は黙って俺の話を聞いている。それが俺にはとても恐ろしかった。何を考えているのかが全く分からない。怒っているのか賛同してくれているのか、はたまた別の感情を秘めているのか。
「そして最近になって思ったんです。いくら自分の身を守るためでも、それでも仲良くなりたい者に刃を向けてもいいものか、と。所詮口先だけに過ぎないのではないかと。それで俺は自分自身を戒めるためにFHを辞め、他の科に移籍しようかと思った次第です」
ほかの科? んなもん解析科だろ。あ、でも流石に引かれるかな……。やだなあそれは。
「二つだけ聞かせてくれ。何でこのタイミングなんだ? そして、それは本当にお前のためになるのか?」
「え、や、特になんで今なのかっていうのは……強いて言えば、最近になって決心したから? ですかね。俺のため……ですか。俺はこうすることで自分自身に嘘をつかなくて済む。これで本当に俺は俺のやりたいことへと向かっていける。そう思います」
と自分で言ったはいいものの、これで答えになっているのだろうかと思ってしまうな。そもそもモラコフ先生は何でこんなこと訊いてきたのかもわからないし。
「そうか。まあ今はそれでいいだろうな。だがな、レイド。俺は一回だけお前に言うぞ。お前の居場所は"FHにしかない"んだよ」
なんだよそれ。さっきと言ってることが違うじゃねえか。強制はさせないって。これじゃあただの脅しじゃないか。
「そんな言葉で俺が考えを変えると思われてるのなら心外ですね。先生はもう少し賢い人かと思ってましたよ」
俺もつい喧嘩腰になってしまう。この人には勝てない。そんなのは分かっているが、俺にだってプライドがある。
「まあいい。お前の席は空けておく。戻って来たくなったらいつでも歓迎だ。生憎うちは出る奴は多いが、入る奴は少ないからな」
俺はこれ以上は話すことはないと、「わかりました」とだけ言って教務科を後にした。
何なんだよあれは。しっかりと俺だって考えたんだよ。色々とお世話になったFHを去るのは俺だっていやだったよ。だけど仕方がないじゃないか。俺はあそこにいたらきっとなんだかんだでまた妖精を殺してしまう。サリアはそれをどう思うだろうか。良い思いはしないに決まっている。だから、こうするしかなかったんだ。