(84)天才少女の課外授業/そよちゃん視点
学校で一般人と別れて教室を離れたら、バカ広い校舎を何度も曲がって奥まで突き進み、空いた教室でCS-33【キクチさん】を脱ぐ。
そうしないと夜まで電力が持たない。
それに、授業みたいに知ってる事を聞いているだけの物ではなく、本格的な勉強となると、どうしても生身で文房具を持たないとうまく捗らない。
高崎先生の受け持っている授業が終わるまで、一人で教室に待機する。
椅子に座り、カバンから地理の教科書とテキストを取り出して自習を始めた。
課外授業を始めた頃は、「復習しろ」と散々言われたが、私には高校一年生の数学に復習が必要な箇所なんて殆ど無い。
なので、「数学以外」と言われている。
英語は実際に会話さえしなければ得意。
物理は言わずもがなだが、まだ履修をしていない。
逆に古典は死ぬほど苦手で、授業中は機体の中で居眠りをしていたが、「受験に使わないから」と高崎先生はそれを早々に切り捨ててくれた。
得意な物ならいくらでもできて、逆に苦手な物はトコトン苦手な私に、先生の判断はありがたかった。
そこで、二年生から履修の始まる地理のテキストを渡された。
データやグラフも多く、世界の特産なんかを知れる地理は知識欲を満たす地理はそんなに嫌いじゃない。
過去の事を掘り返して反省しろとか言われる説教臭い歴史よりも好きだ。
が、数学や物理と違って「大得意」と言える程でもない。
先生はそのヘンを心得てるらしくって、分からない事は専門外にもかかわらず、ちゃんと教えてくれた。
エリコは普段から高崎先生に絞られているせいで悪く言ってばかりだけど、私はアイツを嫌いにはなれなかった。
むしろ、文句も言わずに私と付き合ってくれる大人って、ジイサンや鉄砲のネエチャン以外初めてかもしれない。
この課外授業だって、他のみんなと「同じようにできない」私を見かねて開いてくれたんだし。
今までの先生なら、そういう手間をかけずに「同じようにしろ」って言って私に「普通」を強制してきたもんな……。
エリコや一般人も、私に「こうしろ」なんて言わないんだよな――。
エリコはアホだから仕方ないけど、一般人はフツーのクセして私に何にも押し付けない。
――「かわいい」
あの時の一般人の顔を思い出す。
顔が熱くなって思わず机に頭を叩きつけた。
何で! こんな! 時に!
それに転んだ時、一般人の顔が近くて。
息が顔に掛かる程近くって、手が――体に触れてて。
アイツ、首筋と口元に小さなホクロが有るんだ。
ただのフツーのヤツだと思ってたのに……。フツーじゃない気がして。
特別な気が――
「あああああああああああああああ」
ガンガンガンガンガンガン
私は机の端を両手で掴み、思い切り頭を打ち付けた。
落ち着け私! 何考えてるんだ私!!!
そもそも、水族館に行ったのだってエリコのために何かできるか考えた末だろ!
結局私はエリコの役に立ててないんだぞ!
それを少しは自覚しろ、何ひとりでお花畑になってるんだ馬鹿野郎!
肩で息をしていると音も立てずに引き戸が開く。
「……何やってるんだ……菊池原」
高崎先生だった。
数学の教材を持った先生が、眉を潜めてこっちを見ていた。
「な、何でもない!」
私は思わず背筋を伸ばす。
「なんでもありません、だろうが」
先生はため息をついて教科書で軽く私の頭を叩く。
「先生にタメ口はやめろって言ってるだろ。広陵院じゃあるまいし」
「すまない!」
「す・い・ま・せ・ん」
あっ、と私は口に両手を当てた。
またやってしまった。
高崎先生を「高崎先生」と呼ぶのにもこんなに時間が掛ったのに。
「他のみんなはちゃんとできるのにな……」
私は肩を落としてため息をつく。
高校に入って環境は変わっても、相変わらず「普通は、みんなはこうする」は全然できていない。
「それは違う。別に俺たちは皆やってる事を教えてるワケじゃない」
「そうなのか」
先生は頷く。
私は「皆と同じ事」ができずに苦しんできた。
けど、皆がやっている事を教えてる訳じゃないって、意味がわからない。
何言ってんだ、コイツ。
「まあそんな顔はするな。……そうだな、ちょっと難しいかもしれないが」
先生は教科書を開いて背中を向ける。
「……菊池原はそのままでいいんだよ」
そのまま――私はどこからが「そのまま」なんだろうか。
例えば一般人は、キクチさんを脱いだ私を「かわいい」と言ったが、キクチさんを着た私の事をどう思っているんだろうか。
私がロボットに乗らなきゃまともに学校にも通えないと知ったら、その言葉を取り消すんじゃないだろうか。
本当は、かわいいって言われてすごく嬉しかった。
そんな言葉、今まで誰にも言われてこなかった。
余りに慣れない言葉のせいで、よくわからなかったけど、変な気持ちは嫌じゃなかった。
むしろ、ジイサンに欲しいものを買って貰った時のような。
ネエサンに頭を撫でられたような。
エリコと――友達になった時のような。
そんな時に感じたものとよく似た何かがあった。
胸の中がむず痒いような、そんな感じ。
一般人は一般人のくせに美的感覚がおかしいとは思うけど、それを抜きにしたってやっぱりなぜだか嬉しい。
だから、失望させてしまいたくなかった。
「なあ高崎……あっ」
「高崎先生、な?」
高崎先生は笑顔のまま凄んだ。
なんというか、怖いとは思わない。
むしろナメられてる感がすごくてどこかアホっぽい。
「先生、私はどこからがそのままなんだ」
「そうだな――お前の場合はロボットに乗ってる方がそのままなんじゃないか?」
高崎先生は教卓に頬杖をついてニッと歯を見せる。
「最初は不登校生徒って聞いて身構えたもんだけど、アレに乗ってれば大丈夫なんだろ?」
私は肩を縮めて恐る恐る頷いた。
「それならいいよ。学校に来てくれるんならさ。それに、先生も憧れたんだ。なんでもできるスーパーロボットみたいなヤツ」
先生は眉尻を下げ、長いまつげを伏せる。
「先生は……好きな人を守れなかったから」
「お前にも好きなヤツとか居たのか、あっ」
「お前じゃなくて先生な」
高崎先生はため息をついて窓の外を眺める。
「居たよ。白百合のように可憐な美しい人だった――」
そのうっとりとした表情に、私は言い知れないような不快な気持ちが押し寄せて鳥肌が立った。
これを言葉にするなら、きっとこれだ。
「先生……キモい」
「……先生呼びすれば許すと思うなよ」
先生は咳払いする。
「とにかく、先生は意気地なしで好きな人を守れなかったし、菊池原は先生みたいな失敗はするなよ」
「ふーん。良くわからんが分かった」
なんだか良くわからんが、大人は色々あるらしい。