(80)花巻つぐみの恋愛事情
つぐみが帰る頃は雨が上がっていた。
いつもはうちのリムジンで送るところを、つぐみは断って歩いて帰る事になった。
なんだか、つぐみは「話したい事」があるみたい。
「こんなにたくさん貰っちゃって……ありがとね」
「いいのよ。おいしく食べた方がお母様も喜ぶだろうし」
つぐみはじゃがいもの入った紙袋をポンポンと撫でて笑う。
遠慮するつぐみに、お母様が「これ、絶対おいしいから!」って半ば無理やり持たせたものだ。
もちろん、今日はわざわざつぐみを引き止めてじゃがいもだけを食べさせたワケじゃない。
っていうか大切なつぐみにそんな酷い事しないわよ!
つぐみには、栗原さんたちが腕によりをかけて作ったごはんも食べて貰った。
彼女は一時期、栗原さんに料理を習っていて「師匠」なんて呼んで慕っている。
「久しぶりだけどとっても美味しい」と喜んでくれて私は満足だった。
つぐみと一緒に栗原さんにお礼を言ったら、栗原さんったらポカンとしちゃって見とれてたわ。つぐみが誰だか分からないみたい。
うふふ、ほんっとにつぐみったら痩せて見違える程キレイになっちゃったもんね。
私は思い出したら、おかしくって笑っちゃいそうだわ。
「ホント、つぐみったらすっかりキレイになっちゃったわね~」
私は何度目か分からないため息をついた。
親友のつぐみを太らせた。
もちろん、太ったつぐみだってとっても可愛かったわ。でも、心ない人は居て、つぐみは心ない陰口を叩かれていた。
男子に「ドム」とか「ズゴック」とかよくわかんないアダ名を付けられている度にそよちゃんも血相を変えて怒っていたわ。
「神聖なものを汚すな!」とか言って……知らないうちにつぐみとも仲良しになってたみたいね、泣かせるじゃない。
つぐみを太らせた。
ずっと罪の意識で辛かった。
そのままのつぐみで良いと思おうとしたけど、できなかった。
迷って迷って迷った末に、勇気を出して本当に良かった。
そのつぐみが痩せて嬉しくないわけがない。
多分、今の私は世界で一番幸せだ。
「や、やめてよリコちゃん……照れちゃうよぉ」
つぐみは茹でたみたいに真っ赤になって恥ずかしそうに両手で顔を隠す。
ああ、かわいい。天使だ。天使がここに居る。
「これなら男子も選び放題よ。今だって学校でつぐみとすれ違った男子は見とれて動けなくなっちゃうのよ?」
誇らしげに胸を張る私に、つぐみは「やめて~」とか「違うよ、気のせいだよ!」と手をブンブンと振ったりしている。
実際、最近の男子達の態度は手のひらを返したみたいにつぐみにメロメロのデレデレだった。
「花巻、ホントかわいいよなー」って声を聞く度に誇らしくなって、むふっと鼻の穴が膨らんだものよ。
「でも……私の好きな人は……」
つぐみは悲しそうに眉を下げる。
消え入るような声でよく聞こえない。
彼女の街頭に照らされた瞳は、何かを諦めているみたいで見ているこっちも不安になってしまうような表情だった。
「つぐみ?」
「ううん、大丈夫だよ。それより――ありがとうね、リコちゃん」
つぐみは微笑む。
お花が咲いたような可憐な笑顔に私はクラりとした。
つぐみ……なんてカワイイの!!
こんなに可愛かったら世界中の男性を婿にするのも夢じゃないわ!!
「つ・ぐ・み! つ・ぐ・み! つ・ぐ・み! つ・ぐ・み!!!!」
私は拳を突き上げてドバドバと涙を流しながら「つぐみコール」を始める。
「ちょ、リコちゃん?! ひ、人が来ちゃうよ!!」
「つ・ぐ・み! つ・ぐ・み! つ・ぐ・み! つ・ぐ・み!!!!」
構うものかああああああああ! この世の神をたたえて何が悪い!!!
つぐみ様こそナンバーワンなのじゃ!!
この世界はつぐみ様のために回っているのじゃああ!!!
「うわああ、リコちゃっ! 落ち着いて……深呼吸して! お願いだから恥ずかしいよおぉ」
「つ・ぐ・み! つ・ぐ・み! つ・ぐ・み! つ・ぐ・み!!!!」
角を曲がって人がやってくる。
「姉さん……何やってるの」
見知った顔だった。
私の事を「姉さん」と呼ぶ人物は一人しか居ない。
「何よ、広陵院コースケ。やるの?」
「いや、どうせ花巻に迷惑掛けてるんだろうと思って」
コースケは「ふっ」とカッコつけた嘲笑みたいなのを漏らしてカチャリとメガネを上げる。
彼は高1にして予備校通いなので、帰りの時間が遅くなる。
「ななな、何よ。何なのよ、このヤレヤレ系気取り!」
「何なのは姉さんだよ。まったく、花巻。姉さんが迷惑掛けた時は僕にいつでも知らせてね」
「う、うん」
ヤレヤレ系気取りのコースケはつぐみに笑いかける。
私をつかってつぐみにお近づきになる……だと?!
い、いつの間にそんな技を!
最近のコースケは日々の研鑽の成果を出している。
屋敷中の人に恋愛話を聞きまくってメモを取るという奇行に走ったり、夜中に「壁ドンの練習」をして部屋の隣まで振動が来て迷惑を被ったりしている。
残念な愚弟の恋の道は険しい。
まあ、たまには一肌脱いであげましょうか――。
コースケも一気にライバルが増えて大変だと思うし。
「あ、あいたたた……おなか痛くなっちゃった」
私はお腹を抑えてうずくまる。うん、ゴールデングラブ賞並のパーフェクト演技ね。
あれ、演技はゴールデン・グローブ賞だったかしら……。
「ごめん、コースケ。私の代わりに……つぐみを頼むわ!」
「え、リコちゃん?!」
目線で「頑張りなさい!」とコースケに激励する。
そう言っておじゃま虫は退場したのでした。
その夜、
「はあ!」
ドシーーーン
「はあ!」
ドシーーーーーン
「うう、うるさい……」
壁越しにでも聞こえてくるコースケの張り手。
ベッドに潜り込んで布団を頭から被っても振動で起こされる。
結果は最悪だったらしい。
うっかりお近づきイベントもなく、つつがなく近況の会話をして、バイバイ。
気合を入れて練習した壁ドンも披露される事はなかった。
隣の部屋に住む、壁ドン王子の気合の入った壁ドンの稽古のせいで、私はひどくうなされたのでした。
っていうかコースケ!
これ、壁ドンっていうかどう考えても張り手よね!!!
「どすこーーーーーい!」
こうして、広陵院家の夜はふけていったのです。
あれ、つぐみの「話したいこと」って一体何だったのかしら。