広陵院コースケは彼女ができない(後編)/コースケ視点
姉さんが中西の家に行っている間、僕は品川にいた。
情けないと思うが、姉さんは僕に何も知らせてくれなかったから仕方ない。
この後どうなったか思い返すと、若干恨めしくも思う。
改札前の柱に立ち、震える手でケータイを持つ。が――もう一度頭に手をやった。
最悪だ。
髪の毛は何度なでつけてもピョンと跳ねてしまう。
今朝は寝坊で、ドライヤーで直す時間もなかった。
一世一代のデートで寝癖を付けたまんま参加とか、本当に最悪だった。
結局、昨日はなかなか寝つけなかった。
なんとかデートの約束を取り付けたと思ったけど、作戦は何一つ立てていない。
服装すら決まっていない。
そう、ファッション。
これは手強い敵だった。
普段から服装は家に雇われている仕立屋のオーダーメイドで、何着も持っている。
服の質はいい。それに、学園の女子の評価からすれば、僕の容姿はトップクラスのはずだ。
なのに――鏡に向かうとその自信が一気に失せる。
標準よりやや低めの身長。
白すぎる肌。
ひょろりとした、男らしさみたいなのが足りない体。
整髪料を付けていないサラサラの黒髪。
そして何より問題なのは、このノンフレームのメガネ。
「だ………だめだ……」
僕は鏡の前で崩れ落ちる。
自信がない――!
この容姿は頼りない。
鍛えてないのがまるわかりの、捉えようによってはただのガリ勉のメガネだ!
女子にキャーキャー言われているのは決して容姿が良いからではない。
僕はこの容姿を財力・学業成績、そして聖を始めとした周りに集まる微妙な男子達がカバーしてるだけだ!!
明日、水族館でつーちゃんと並んで歩いた所で、「釣り合いが取れてない」と周りから白い目で見られるのがオチだ!
髪を茶髪にしてパーマを当てるのはどうだろうか。
だが、既に時刻は22時を回っている。
いや、僕はお金持ちだ! そのヘンは札束を叩けばどうにでもなる!
バカバカしい――。
今までもダメだったんだから、今どうにかしたってダメに決まってる。
僕はベッドに体を放り出して天井を眺めていた。
ずっと、一番のつもりだった。
昔から、女の子には誰よりも人気があった。
言ってしまえば、そういった意味で、姉さんや聖、菊池原をバカにしていた時期もあった。
だけど、現実は違った。
みんなはずっとずっと僕の先に行ってしまった。
「完璧な男」になれば、つーちゃんは振り向いてくれる。
そう思っていたのに、僕は完璧とはどんどん離れて行ってしまったし、つーちゃんとは距離が広がる事があれば、近づく事は全くない。
一体どうして――
グチグチと悩んでいるうちに朝が来た。
いや、朝って言ったら語弊がある。集合時間の一時間前だった。
とやかく言う時間もなく、僕は顔だけ洗って、テキトーに見繕った服に着替えてリムジンに乗った。
朝ごはんも食べていないし、服だってまともに考えていない。
「はあ……」
そして、この寝癖。
駄目だ……神は死んだ。
完璧にはほど遠い、情けない寝癖。
つーちゃんをガッカリさせてしまうに違いない。
今日の僕は一日をかけて敗戦処理だ。
ため息が止まらない。
「おはよ、コースケくん」
「おお、おはよう!!!」
つーちゃんだ。
相変わらずカワイイ。特にこのほっぺ。マシュマロみたいに柔らかそうで最高にキュートだった。
確かにちょっと丸くなったけど、やっぱりつーちゃんは世界一だ!!
溶けてしまいそうな程にやけそうになるけど、寝癖の事を思い出して一瞬でしらけた。
大好きなつーちゃんとデートなのに、寝癖がある。……残念すぎる。
「い、行こうか!」
高鳴る胸を押さえ、僕は駅から歩いて行く。
水族館への道は完璧だ。リムジンの中で100回は予習したしイメージトレーニングもした。
絶対! 男は! 車道側!
「あ、あの……コースケくん?」
つーちゃんはおっかなびっくりしている様子で僕の顔をチラチラと見ている。どうしたんだろう。
「えっと……その髪……寝癖? あ、ごめん……気にしてるよね」
「うっ!!!」
つーちゃんにもバレてしまった!
っていうかまだ会って10分も経ってないうちに言われたってことは相当気になったんだよね?!
神様、僕はあなたに何か悪いことでもしたんですか?!
やっぱり今日の僕は最悪だった。
僕は指摘されて絶望の谷底に突き落とされたような心地だった。
「あ、えっと! ごめんね! 忘れて……!」
「……うん」
僕は、既にほぼ気が抜けていた。
これからは地獄だろうと腹をくくった瞬間だった。
「うわあー! キレイだね、コースケくんも見てみて!!」
ガラスに張り付いたつーちゃんが僕を手招きする。
色とりどりに輝く魚は確かにキレイだった。
だけど、すぐ視線を移すと隣のつーちゃんの顔が近い。
ゴクリと唾を飲み込んで、もう一度魚に視線を移した。
緊張して、何を言えば良いかわからない。
自然と、僕はだまりこくってしまった。
ここ数年、こんな至近距離で過ごすなんて機会はまず無かった。
水族館の威力というものは恐ろしい。一緒に時間を過ごすだけで「なんとなくいい感じ」になってる。
この薄暗い照明に幻想的に光る水槽なんて、どう見てもカップル向けの空間だし、現にカップルが多い。
姉さんが水族館を「デートスポットの覇王」と呼んだ意味もなんとなく分かる気がした。
まあ、僕は緊張しすぎてさっきから足が震えっぱなしで、何にもできてないワケだけど。
「あのね――コースケくん。私、嫌われてるのかと思った」
つーちゃんは言う。
最初、その意味がよくわからなかった。
だけど、だんだん言葉を咀嚼していき、僕は――ギクリとして背中が冷えた。
「そ、そんな事――」
「小学校高学年の頃ぐらいかな。コースケくん、私の事を避けてた」
僕はうつむく。
避けていた。
確かに、そうかもしれない。
つーちゃんを嫌いなんて事は地球が避けてもありえないけど、僕は確かに逃げていた。
ちーちゃんや、自分の気持ちと向き合うのが嫌で、カッコよくない自分や、みっともない自分から逃げ続けていた。
自分がつーちゃんに好いてもらう努力もせずに、離れた距離から、「好きになってもらえるように頑張る」なんて、都合がいいにも程がある。
その結果がこれだ。
好きな人に「嫌われてるかも」と思わせてしまう、無様でダメな男。
こんなの――僕が目指していた理想の男性には遠く及ばない。
どうしよう。
もしかしてつーちゃん。僕に誘われたが、嫌だったのかな?
お父さんの会社の立場で、ウチの方が上だからって気を使ったのかな?
「あ、あの……」
答えが定まらないまま、ケータイが鳴った。
「もしもし?」
『コースケ……』
聖だった。何かを恐れているような声色で、不安が滲んでいる。
「どうしたの? まずは落ち着こう」
『エリコが……中西の所に……ダメだ……信じなきゃいけないのに……不安で……エリコが帰って来なかったら……俺は……』
「姉さんが? まずは落ち着いてくれ。それじゃ分からないよ」
電話の向こうの聖は普段じゃ絶対ありえない程ひどく狼狽えていて、僕の不安を煽る。
姉さんに、何かあった?
話していると、2人は遠くの町に居て、姉さんは中西の家に行ってしまったらしい。
聖は、姉さんと一緒に「行かない」と言ったものの、一人で待つのが不安で不安で仕方ないといった様子で、僕に電話をしたみたいだった。
つまり――それって大変な事じゃないか!
姉さんが戦っているっていうのに、僕はこんな所で楽しい時間を過ごそうとしてる。
なんて最悪なんだ、と自分を責めずには居られない。
「リコちゃん、何かあったの?」
つーちゃんが怪訝そうな顔で僕に聞く。
「貸して」
すると、彼女は僕からケータイを奪い、「うん」とか「わかった」とか言って、すぐに切ってしまった。
「行こう、コースケくん」
「え? どこに?」
つーちゃんは僕の手を掴んでずんずんと歩いて行く。
「リコちゃんの所」
あれ、つーちゃんってこんなにカッコ良かったっけ?
暗い顔をした聖と合流すると、つーちゃんは全く事情を知らないのにうろたえる男性陣をまとめて「大丈夫、必ず無事だから」と繰り返した。
コンビニで温かいドリンクを買ってきて、僕らに配ってアパートを見上げている。
「甘くて美味しいから、飲んで落ち着こう」
そう言って、3人で公園のベンチに腰掛ける。
聖はホットコーヒーの缶を開けずに下を向いている。
あの食堂の一件で、中西がどれだけ恐ろしいヤツか知っていたから、僕もその気持が分からなくもなかった。
「俺の選択は――正しいんだろうか。俺は行くべきじゃないと思ったが、エリコを一人で向かわせたのは不安で堪らない」
「大丈夫だよ、リコちゃんは一人でもすっごく頼りになるから。それに、中西さんとお友達になりに行くんでしょ? ならきっと大丈夫だよ」
僕も聖と同じ不安を抱えていたけど、つーちゃんの言葉は甘いミルクセーキのように心に染みこんでいく。
つーちゃんは、カワイイだけじゃなくって、こんなに優しい。
彼女はやっぱり完璧だった。
僕なんかじゃ――きっと全然つり合わない。
こうして、姉さんが無事僕らの元へ帰って来た。
僕は安心してしまい、うっかり泣いてしまった。
だけど、さっきまであれほど気丈に振舞っていたつーちゃんまで一緒に泣いてるなんて、僕は頭が真っ白になってしまいそうだった。
そうか、つーちゃんは不安なのを、泣くのを我慢していたんだ――。
つーちゃんは、強い。
「コースケくん」
帰りの電車を待つ途中、つーちゃんは僕を呼び止めた。
「あ! えっと――」
「寝癖、とってもカワイイと思うよ」
つーちゃんは満面の笑みを浮かべて言う。
僕は息が止まりかけた。
「コースケくん、なんでも完璧だから……その、同じ人間なんだか不安になっちゃう……、でも、寝癖を見て――親しみやすいなって」
照れくさそうに言うつーちゃんの方がずっと可愛かった。
何やら僕は間違っていたらしい。
「そ、そうかな? ……ありがと。あのさ、つーちゃん」
「何?」
「僕、つーちゃんの事、全く嫌いとかじゃ――ないから」
* * *
「ふーーーーーん」
僕の話が終わる頃、姉さんはにまにまと薄笑いを浮かべていた。
「な、何だよその顔」
僕は目を細めて渋面を作る。
「いい調子じゃないの~。がんばんなさいよ」
「う、まあ……」
僕は座り直して紅茶を一口すする。
「女の子って、思ったよりずっと強いんだね。だけど、隠すのも上手いから……側に居ないと守ってあげられないんだなって……」
姉さんはそれを聞いて口をポカンと開けている。
「凄いわね、水族館。コースケ、大きな進歩じゃない!」
「いやあ、それほどでも……」
こうして、僕の恋はマイナスからようやく動き出した。
こういった「気づき」みたいなのが人より遅れてしまった分、「彼女ができない」扱いは勘弁して欲しいんだけど……。