(70)彼女と選んだスタンド・バイ・ミー 3
学校から少し歩いて、昔からある古びた団地へと入る。
「よっと」
私は、歩道の縁石を渡りながら歩く。
隣を歩く桐蔭くんとの身長差は縮まったけど、それでも私の方が僅かに背が低い。
「……地図も見ずに。この辺りの道、よく知ってるんだな」
「まあね」
桐蔭くんに言われても、軽く流す事しかできない。
「子供の頃から、エリコは俺の知らない事をたくさん知っていた」
「……うん」
「エリコが話してくれる時を待っている」
桐蔭くんはそう言って、少しさみしげに俯いた。
「ごめんね。何も知らないのに連れだしちゃって」
「いや……」
私が桐蔭くんに視線を移すと、かちりとお互いの視線が合った。
そして、彼はふんわりと笑いかける。
「エリコに頼られると、嬉しい」
なっ!!
バフッと音が立ちそうな位、一瞬で顔が真っ赤に染まる。
そんなの反則だよ~~~!
な、何なのよそれ!!! その笑顔!!
まるで凶器よ。
凶器だけどお花が飛んで見えたわよ。もちろん幻覚だけど。
思わぬ衝撃によろめいて、縁石から落ちかけた。
ドキドキが止まらないし、こんな真っ赤な顔を見られるのが嫌だから視線を逸らす。
なんなのよ……!! そういうの、卑怯じゃないの!!!
「あべしっ!」
「エリコ?!」
とか思ってるうちに、ガツン、と目の前の標識に顔面を思いっきりぶつけた。
「いっててて……」
縮こまって鼻を抑えていると、桐蔭くんが手を差し出す。
「よそ見をしていると危ないぞ」
「ありがと」
思い切り手を引き込まれ、そのまま桐蔭くんの胸の中に収まって――
「わーーー!」
私は彼の胸を思い切り突き飛ばして電柱まで後ずさりした。
「そそ、そういうの……いいい、今はナシにしましょ! だだだだ、だってききき、昨日の今日じゃないの!」
「……そうか」
どもりまくってまくし立てる私に対して、桐蔭くんは苦笑いして頷く。
その変化に乏しい顔が、「しょうがないな」って言ってる気がした。気のせいだと思うけど。
私はとっ散らかった頭の中で、別なことを考えようと必死に思考を巡らす。
そうそう、そうよ! 中西さんの事でここに来たんだから、彼女の事を考えなきゃだめよ。
彼女を利用してるみたいで申し訳なくなって心の中で謝る。
中西さんと夢で会った教室も、この町を完璧に再現していたのも――中西さんは、この町が好きだったからだと思う。
彼女は決して、孤独じゃない。
たくさんの人に囲まれて、たくさんの人に愛されたはず。
自分の人生に嫌気がさして私と体を交換するように迫ったワケじゃないのは確信してる。
なのに、どうして体を入れ替えようとして、火事のイベントを彼女が引き受けようとしているのかは分からない。
鉄筋コンクリートでできた集合住宅を見上げて、桐蔭くんは立ち止まる。
「今度は中西の家か?」
私はうん、と小さく漏らして頷く。
「俺は――行かない」
「へ?」
桐蔭くんの言った事の意味がわからずに、私は硬直する。
だけど、だんだんと意味が分かった時、私は目線を上げて桐蔭くんの顔を覗き込んだ。
ここからは、一人でって事……。
そうね――そうよね。
目線が合う。
照れくさくって少し視線を逸らしてしまった。
「彼女は俺が来たら警戒すると思う」
「そ、そうかな」
桐蔭くんの手が、私の長い髪に伸びる。
その仕草をごまかすように私は慌てて向こうを指さす。
「あ、えっと! ……近くに喫茶店あるから」
「ああ」
「ちょ、ちょっと聞いてる?!」
髪をすきながら、桐蔭くんは答えた。
この、目の前の男の子が何してんのかよく分からなくって、私は半ばテンパっていた。
「あ、えと、あの!」
「エリコ」
「はは、はい!」
私はピンと背筋を伸ばして気をつけをしていた。
桐蔭くんは、手にとった私の髪にくちづけを落とし、優しげに微笑んだ。
「必ず、帰って来い」
「――うん」
髪が、彼の手からはらりと落ちる。
ドキドキと胸の鼓動は鳴り止まない。
もし今からしようとしてる事が失敗したらどうしようと、不安になって、彼の胸を借りて泣いてしまいたくなる。
一歩間違えれば、誰も幸せにならない結末が待っているかもしれない。
けど――
だけど――
「大丈夫、私にまかせて!」
私はぎゅっと震える拳を握りしめてドンと胸を叩き、桐蔭くんにVサインをして見せた。