(65)争いはディナーの後で
「……やはりあのお坊ちゃんはやりますね」
聞き覚えのある声に私はサッと振り返る。
顎に指を当てた東出さんだった。
珍しくメイド服じゃなくて私服姿で、私は一度目を疑った。
「ひひ、東出さん?!」
えええ、いい、いい、今の見られてないわよね?!
わわ、私と桐蔭君のちゅー? ちゅちゅ、ちゅー?
だめええ、ちゅーは恥ずかしい!
じゃ、じゃあキッス??
これもダメえええ! やっぱりはーずーかーしーいー!
そ、そうよ、接吻(額)?!
ぎゃーーーーーー!
ええい、どれも恥ずかしいわよ!!!
腹をくくりなさい、私。
とにかく、私のおでこに桐蔭くんがアレした所、見られてないわよね!
それなら何だっていいわよ。
「すっかり元気ですね。何をやったかわかりませんが……しょげたエリコ様を元気にするなんて……やはり、やりますね」
東出さんはクスクスと楽しげに笑っている。
「え、しょげた?」
「あら、気づいてませんでした? エリコ様、ずっと元気がなかったんですよ」
あ、だからヘンな冗談を言ってたんだ――それに――
さっきのおでのアレ事件を思い出して顔が沸騰しそうな程熱くなる。ど、どうしようドキドキ音が復活してきた〜〜!
あれってやっぱり、キスよね――?
ちが、ちがうわ!
そ、そう。
さっきのは――気のせいよ!
それに、おでこにキスとかってアレでしょ?
お友達のキスでしょ?
きっとそうよ。
きっと
「エリコは俺の友達だから元気出せ(声マネ)」
って言いたかったのよ、桐蔭くん!
「思えるかああああああ!」
私はガンガンガンガンと壁に向かって額を打つ。
キスされた!
キスされちゃった!
キッスされちゃったああああ!
「痛い……夢じゃない!!」
って事は――
祝・広陵院エリコ当選確実であります!!!!
私はド両の目から涙、額から大量の血をドバドバと流して神に感謝した。
神様、私は幸せです!
広陵院エリコはとても幸せです!!!
「え、エリコ様?」
東出さんが私に駆け寄る。
ど、どうしよう、リアル家政婦は見たみたいな顔してる――!
「あ、ひ、東出さんっ……」
東出さんはニコリと笑って、私の頭にポンと手のひらを乗っけてくれた。
「何か、良い事があったんですね。そういう時は赤いご飯を食べましょう」
ですよね!!
お祝いごとは赤いご飯!
つまり――
「東出さん、薄い卵のオムライス連れてってくれるの?!」
「ええ。コースケ様もお迎えに上がりました」
「やったーーー!」
薄い卵のオムライスだーー!
と、私は両手を挙げて喜んだところでもう一度思い直した。
いえ、当確扱いは早過ぎるわ。
ちょっとリードしただけよ。
しかも、ほんのちょっと。
だけど、桐蔭くんって他の子にそういう事してるのかしら。
ふふ、そういう想像は――もう少し後にしましょう。
いつまでか分からないけどこの体でいるうちは広陵院エリコを目一杯楽しまないと。
あれ――だけど何か違和感がひどいわ。
おかしい。何かが引っかかる。
もし私が中西さんの立場なら、広陵院エリコの体を手に入れたら「嫌だな」って思うデメリットがある気がするんだけど――。
それが一体何なのか。見当もつかないんだけど。
「コースケ、赤いごはん――」
エレベーターから飛び出して廊下を滑るように駆けていく。
そこで、誰かとぶつかって尻もちをついてしまった。
あの見慣れたマシュマロボディは――。
「つぐみ!」
つぐみと思わしき人影は、顔を拭う――泣いてる?
彼女はすぐにエレベーターの中へと吸い込まれて行ってしまった。
私は追いかけようとするけど、誰かに腕を掴まれてそれを阻まれる。
「何するのよ! 私の大親友が」
「……いいんだ」
コースケだった。彼は、顔を青白くして無念そうに首を左右に振る。
「彼女には、帰ってもらった」
「は?! はあーーーー?!」
私は次の瞬間コースケの顔面を掴んで指に渾身の力を込めてめり込ませた。
「いたいいたいいたいたい痛いよ姉さん」
「痛くしてんのよ! 何やってんのよアンタ! 私の大親友に!!」
「……僕にとっても大事な子だよ」
コースケは苦しげに言うと、両手で私の手首を掴み、それを無理やり剥がさせる。
「いいんだ……。これでグフッ」
私はコースケの腹に正拳突きを食らわせた。
「いいんだ……じゃないわよ、このタコ! 大事なつぐみを泣かせてるんじゃないわよこのタコ! うじ虫! 童貞!」
「はいはい、そこまでですよ、エリコ様」
じたばたと暴れる私の両手首を掴み、東出さんがなだめる。
「で、でも……」
「コースケ様にも理由があるんじゃないでしょうか?」
うぐ……そうよね。
コースケはつぐみの事が好きで寝ずにデートスポットを考えて、結局デートに誘えないでいたのに。
それなのに、私ったら何よ!
理由も聞かずにいきなり暴力なんて。
それって最っ低よ!!!
「私ったら何やってるのよ~~~~」
ドンドンドンドンドンドンドン
私は壁に向かって頭を何度も何度も打ち付ける。
「エリコ様、それもやめましょうね~」
コースケは私から目をそらしていたけど、東出さんに背中を押されてグイグイとエレベーターの方へと案内される。
「とにかく、お腹が空いていますでしょ? お話はごはんを食べてからにしましょう」
東出さんの言う事はもっともだった。
色々あってすっかり忘れてたけど、私もお腹がペコペコに空いていた。
しょうがない。
どんな緊急事態だってお腹が空く時は空くんだから。