(62)僕の姉さんと、あの時の「半分」(3)/コースケ視点
「大丈夫?」
ふと顔を上げると、つーちゃんが僕の手を取っていた。
「え、あ、何で?!」
僕はベンチから転がり落ちる。
どうしよう。不意打ちのせいで顔が焼けるように熱い。
いけない、僕としたことが昼寝をしていたみたいだ。
今は昼休み。授業をサボっていた僕に、クラスメイトの花巻つぐみ――つーちゃんが心配して様子を見に来てくれたみたいだ。
つーちゃん。正確には今より痩せたつーちゃん。痩せすぎって程の細い手だ。
あれ、「今より」?。
そもそもつーちゃんって太ってたっけ?
意識が朦朧としていて、記憶がうまく手繰り寄せられない。
やっぱりつーちゃんはかわいい。
大好きなつーちゃん。僕がずっと好きだった可憐な女の子。
あれ、僕とつーちゃんは同じ高等部編入組のはずだったような――
って、つーちゃん顔近いよ!
緊張でドクン、と心臓が大きく高鳴る。
僕は何も言えずに口をパクパクとしていると、つーちゃんがヒリヒリと痛む僕の腕を一度撫でる。
そっか、僕の腕には小さい頃に姉に熱湯を掛けられて消えない火傷が――。
え、ウチの姉さんが僕にそんな酷い事をしたなんて冗談だろ?
だって姉さんは――あれ、おかしいな、思い出せない。
ダメだ。意識がはっきりしない。思考に靄が掛ったままだし、何かを思い出そうとしても、記憶と記憶が結びつかない。
僕はつーちゃんから目を反らし、人差し指で眉間を揉む。
あれ、メガネを掛けてない。いや、僕は最初からメガネなんて掛けてないはず。
やっぱり、何かが変だ。
「大丈夫だよ、江介君」
「つ、つーちゃん?」
つーちゃんは僕を抱き寄せ、頭をポンポンと撫でる。
そうだ。ずっとこうされたかった。
つーちゃんに見合う男になるために、僕は必死で努力を重ねてきた。
だから、褒めて欲しかったんだ。
「よく頑張ったね」って。
ずっとこうして居たい。
僕はようやくつーちゃんに認められたんだ。本当に、本当に、僕は幸せだ。
あれ、何かやらなきゃいけない事があった気がする。
だけど、一体なんだったっけ。
「さあ、江介くん、一緒にお姉さんから逃げましょう」
「え……」
お姉さん?
つーちゃん、どうして僕の姉さんの事をいつもみたいに「リコちゃん」って呼ばないんだ?
あれ、そもそもそんな呼び方なんてする程二人は仲が良くなかったような。
――「やっぱりつぐみがナンバーワンよ~~~!」
そうだよな。姉さんはそんな風にやかましく喚いていた気がする。
「江介くんにあんな酷い事をするなんて、私……許せない。江介くん、もうお姉さんに縛られなくっていいんだよ」
つーちゃんが握った手を引き、細い身体で僕を抱き寄せる。
彼女はもう一度僕の火傷の跡を制服越しに撫でた。
つーちゃんの胸の中で、僕は安心感よりもじわじわと蝕むような不安を覚えた。
姉さん――僕の姉さんが、僕の腕に火傷を作った?
違う。子供の頃に姉さんが僕に遺した物は、火傷なんかじゃない。
――コースケ
声? 誰かが僕を呼んでいるような。
「江介くん。大丈夫だよ」
つーちゃんが僕を呼ぶ。だけど、やっぱり何かがおかしい。
違和感が続く。
『これからは私があなたを守るわ。貴方が私を怒鳴ったり蹴ったりしても構わない。私だって今まで江介にそういう事をしてきたんだから』
子供の頃のある日を境に姉さんは優しくなった。
『江介、私に怒ってるでしょ。だから、ぶっていいわ。気が済むまでぶって』
姉さんは、強かった。
そして、姉さんは――
『じゃあ半分に割るわね――お、おおぅ』
誰よりもマヌケだった。
あの日、僕が姉さんに貰った物は火傷なんかじゃない。
8:2に分けられた焼き芋の、小さい方。
不器用で、たかが焼き芋を半分に割ることすらできない姉さんに、僕は笑わされてしまった。
だけど、僕はそれでも嬉しかった。
姉さんが僕に火傷を作る?
そんな世界は――
「つーちゃん、君は偽物だ!」
僕はニセのつーちゃんを突き飛ばし、制服の腕をまくる。
傷ひとつ無い白い肌がしっかりと僕の視界に映った。
背景の木々、学園、そしてつーちゃんは光となって露を払うように弾け、僕は真っ白な空間に立つ。
何も無い真っ白の中。
僕の前に、包帯を巻いた腕をかばいつつ怯えた目でこちらを見ている少年が立っていた。
この顔、よく知っている――きっと、彼は「存在したかもしれない僕」だ。
彼に手を伸ばし、僕は抱き寄せる。
「安心して。君は幸せだよ。姉さんが幸せにしてくれたんだ」
僕のこの腕は、傷ついた腕じゃない。
だけど、姉さんを守るためならいくらでも傷ついていい。
例え、僕の想いが実らなくとも、僕は姉さんを助けたい!!
「メガネ、伏せろ!」
その時、声がした。
パリン!
花瓶が割れる音がして、僕は我に帰った。
痛む頭と、チカチカする視界を堪えて辺りを見回す。
僕の両隣に聖と菊池原が構えていて、僕の頬に手を当てたままじっとこちらを見ている中西を睨みつけている。
夢だったのか。
【キクチさん】に搭乗した菊池原の手には銃が握られていた。
僕は中西の手を跳ね除け、そして手首を掴み彼女をぎっと睨みつけた。
「なあに、コウスケ」
中西は目を細める。
「悪いが、僕は渡せない」
僕は眉間に力を入れて、中西を掴む腕の力を強めた。
「僕の姉さんはこの世でただ一人だけだ。あの時。あの秋の夜。焼き芋を不格好に分けてくれたーーあの人だけだ」