(60)僕の姉さんと、あの時の「半分」(1)/コースケ視点
今朝の姉さんは、珍しく元気がなかった。
「どうしたの?」と聞いても、気返事しか返さずに、ぼんやりと遠くを眺めていたりして、なんだか様子が変だった。
中西の件だろうか。それとも、僕と会話した後に何か有った?
いや、姉さんはあの後まっすぐに寝たはずだ。
でも――。
やめよう。仮説の上に仮説を立てるのは危険だ。
「……これは少し調べる必要がありそうだ」
制服のポケットに手を突っ込み、スマホを握り締め、昨晩作ったグループトークを思い出す。
「姉さん」
相変わらずぼんやりとしている姉さんの肩を叩き、僕はなるべく明るく見えるように笑った。
「何があったか知らないけど、姉さんには僕らがついてるよ」
その時、姉さんの目に涙が滲んでいた事を、僕は知らなかった。
姉さんは、既に戦っていたのだ。
僕らの知らない不思議な運命と。
昼休み。
第一食堂の二階奥にあるVIPルーム。お金持ち学園には、こんな不思議な場所がある。
一部のお金持ち生徒の接待に使われるらしい。
うーん、いかにも怪しい。中等部時代に姉さんが貸りてたけど、そこで「バター醤油ご飯」なる奇っ怪な食べ物を作っていた。
「見て、コースケ、このツヤッツヤのお米! バターでコーティングされてるの!」ってドヤ顔をしていたのを今でも目に焼き付いている。
僕は滅多に使わないけど、食堂に申請をしたらすぐにOKが出た。
重たい扉を開けると、ソファの後ろに、聖と、【キクチさん】に搭乗した菊池原が僕を待ち構えていた。
トークアプリで、「姉さんが大変な事に巻き込まれるかもしれない」と伝えると、二人はすぐに僕に連絡を返してくれた。
菊池原に至っては、息を切らして青い顔で、本邸に直接出向いて来た。
流石に「後で説明するから」とすぐに家に返したが、本当に意外だった。
もっとドライだと思ってたのに、小奇麗な顔のまんまるに広がった目を見ていると、思わず顔が火照ってしまいそうだった。
つーちゃん程じゃないけど、菊池原は普通にカワイイ。
そして、現在。まだ詳細は話していないものの、二人は不安そうではあるが、不満を抱いている様子はない。
中学時代に海外で諜報組織の仲間としてテロ組織と対決し、活躍した聖。
日本初の搭乗型二足歩行ロボットの開発プロジェクトの中核として動いていた菊池原。
僕が真っ先に頼りにした二人だ。
こう書くとメチャクチャだし、日常生活を過ごすことに難がありすぎる。
社会性もどうかと思うが、チート過ぎる二人なら、こういう時は絶対的に頼りになる。
「メガネ、アノふんわり女、イイノカ」
菊池原はボイスチェンジャーを通した不気味な声で言う。
ふんわり……つーちゃんの事か。
「花巻も喜んで協力する筈だ。コースケ。何か――訳がありそうだな」
聖も続ける。
僕は一度頷いたきり、その質問には応えることはなかった。
つーちゃんを巻き込むのは、少し待ってほしい。
なぜなら、姉さんが中西から聞いた言葉が引っかかるからだ。
『中西さんって子がね、コースケとつぐみから離れろって――』
姉さんは、本来ならば主人公であるつーちゃんや、攻略キャラクター(改めて言うのはなかなか恥ずかしい)の僕をいじめる悪役らしい。
そして、本来の世界では、ワガママの限りを尽くした姉さん――いや、仮に江梨子と呼ぼう――は然るべき罰を与えられる。
ある結末では、勘当されて、娼婦になる。
そして、ある結末では――自分で屋敷に火をつけて、焼け死んでしまう。
この焼け死ぬっていうのが姉さんの言う『護摩行エンド』という奴だ。
僕も大切な人が焼け死ぬなんて、聞いてて気持ち良い訳がない。だから、今後は姉さんの間抜けな命名センスに則ってこの結末を『護摩行エンド』と呼ぶことにする。
僕の仮説が正しければ、『護摩行エンド』は僕(というか、「江介くん」とかいう同姓同名の別個体なんだけど)とつーちゃんが結ばれることによって、引き起こされる。
実際、姉さんが「僕とつーちゃんに近づくな」なんて言われるなんて、それ以外考えられない。
ゲームでも、つーちゃんが他の人と恋愛したら、「江介くん」は江梨子に利用されるだけ利用されて、疎遠なままらしいし。
つまり、僕はつーちゃんとの恋愛と、姉さんの命。
この2つの選択に迫られているという事になる。
仮に――まあ現段階では全くフラグのフの字もない訳だけどさ!――僕とつーちゃんが結ばれたら、姉さんは護摩行エンドの可能性が高まる。
まあ、あくまで仮説だけど。
それを今から確かめるわけだし。
こういう地に足のつかない話は得意じゃないけど。
僕は姉さんが、ある日を境に別人のように変わってしまった事を知っている。
だから、難しいと思いつつも、なんとか受け入れられる事ができた。
だけど、二人はどうだろう。
ソファに掛ける僕を守るように、左右の背後に立つ聖と菊池原。
いや、二人なら信じてくれるだろう。
なぜなら、二人とも、得意分野以外はまるっきりバカだから。
とびきり級のバカ二人だから、大丈夫だ。
そうこうしているうちに、部屋にノック音が響き、食堂の給仕役が一人の女子生徒をこちらへ通す。
僕は、ソファにどっしりと腰掛け、眼鏡越しに、女子生徒の細い体を上から下へと視線を滑らす。
最初の印象が肝心だ。
僕は、実情はどうであれ、今だけは学園一の権力者の衣を被る必要がある。
できるだけ、相手をビビらせて条件を優位にしたい。
「待ってましたよ、中西玉枝さん」
黒髪のショートカット。首にヘッドフォンを掛け、学園では珍しいスニーカーを履いた彼女こそ、姉さんの言っていた中西玉枝だ。