(55)ごま! ごま! ごま! 後編
「先頭集団が来るぞ!」
ほどなくして、先生達がガヤガヤと騒ぎ、女子達もまばらに立ち上がって、トラックに侵入する人影を待つ。
だけど――そこには、私が思ってもみなかった光景が飛び込んできた。
「な、どうして?!」
目に飛び込んできたのは桐蔭くん――と、倉敷くん。
え、倉敷くん、つい数十分前までコースケと同じくらいの所走ってたよね?!
必死に息を吸って吐きながら、黙々と手足を動かす桐蔭くんに対して、倉敷くんは女子達に手を振りながら、余裕しゃくしゃくで走っている。
なぜか目が合って投げキッスされた。
えー、何?
ヘンなの。
だけど、女子は倉敷くんに対して、熱い声援を送っている。
え、さっきの「コースケくんの邪魔する倉敷くんふざけんな」みたいな風潮どうしたの?!
結局、ゴールテープを切ったのは桐蔭くんだった。
私は桐蔭くんに駆け寄る。
彼は、私の呼びかけに答えられない程に息を切らしてそのまま運動場に体を投げ出していた。
「はい、これ」
桐蔭くんは、私がスポーツドリンクを渡しても錆色の運動場に金髪を散らしたまま、息を吸って吐いてするのに精一杯という様子だった。
だけど――
「俺の活躍、見てた~?」
倉敷くんは、女の子に囲まれ、色んな質問に答えながら、余裕しゃくしゃくの様子で手を振ったり、ウィンクしたりしている。
多分、勝とうと思えば、簡単に桐蔭くんに勝てたはず。
「エリコ――」
桐蔭くんは息も絶え絶えになりながら、私の名前を呼ぶ。
「だ、大丈夫? 桐蔭くん」
私は桐蔭くんの手を取り、彼の声に耳を傾けた。
桐蔭君が私の頬へと手を伸ばす。
ドキッとした。
え、何このシチュエーション!
「はあ……倉敷の……身元を……ぜえ……調べろ……アイツは………テロリスト集団”金曜日の爆撃団”構成員の疑いが……」
そう言って、桐蔭くんはガクリ、と手を落とした。
耳を傾けることをやめた。
ドキドキも急降下した。
――まったく、いつもの病気は最低ね。
倉敷くんは、相変わらず余裕しゃくしゃくの様子で、女の子から貰ったスポーツドリンクを飲んでいる。
「あー、疲れた。目が回って竹原が2人に見える」
「俺が今治、こっちが竹原くんな!」
「わりーわりー」
なんて、いつもみたいに、今治くんをからかって遊んだりしてる。
あ、でもどっちが今治くんだっけ――。
記録会が終わり、直接家に帰るように、と指示をうけた直後、私はうねちんに呼び出されて、競技場の裏手にある大きな木の下に来ていた。
学校の中庭みたいに、木々が多くて静かな印象の場所ね。
「コレ」
暮れかかったオレンジの木漏れ日に染められたうねちんは、バツが悪そうに水族館のチケットを私の胸の前に突きつける。
「ああ、一応……勝ったものね」
一瞬、なんのことかわからなかった。
だって――ショートカットの女の子に、倉敷くん。
あの2人の事が頭を離れなくって――。
ちなみに倉敷くんがテロ組織の一員かもしれないという桐蔭くんの妄言はすぐに忘れた。
平和な日本なんだから、そんな訳ないでしょ! まったくもう。
「後味がよろしくないですわ。何なんですの、中西さん」
フン、と鼻で息を吐き、うねちんは長くてキレイな巻き髪をかき上げる。
「中西さん?」
「まさか、エリコさん。1位の子ですよ。あの子の名前、覚えていらっしゃらなかったの?」
うねちんは「信じられない」と言わんばかりに目を広げている。
私は苦笑いでごまかし、視線を逸らした。
あのショートカットの子は中西さんね。うん。中西さん。
あのショートカットの女の子の名前は中西さんっていうらしい。
よし、覚えたよ!
「このマラソン大会、ずっと2人で競ってたもんね、中学の時から」
「……そうでしたわね」
うねちんは、顔を赤く染めてうつむいた。
ほんっと、スポーツとなると、うねちんとはずっと一緒だったなー。
クラスが一緒になった年は、球技大会のバドミントンで、2人でダブルス組んで。
現役のバドミントン部とガチンコバトルしたんだけど、最後の最後で、私が渾身の力を込めたスマッシュでシャトルを木っ端微塵に破壊しちゃったんだっけ。
帰りに二人でラーメン屋に行って、悔しい、悔しい、って言いながらラーメンと
チャーハンの大盛りをガツガツ食べたのも懐かしいわね。
あの頃のうねちんは、髪も伸ばしかけで、今みたいに胸も大きくなかったし、少しボーイッシュな雰囲気だった。
しゃべり方も、もっと違う感じだったし。
背は今みたいに高かったから、女子の王子様、みたいな存在だったのよね。
「応援……していますから」
よく聞こえなかったけど、うねちんは顔を真赤に染めてポソリと言った。
「今度こそ告白してくださいまし! さもないと!! 私………」
うねちんは一度目を潤ませ、眉間にギュッと皺を寄せた。そして、蛇口を勢い良く捻ったみたいにダーーーーッと喋り出す。
「この、私が、桐蔭くんを奪ってしまいますから!!」
「えー、ダメダメ! それは困るよ~!」
「ホントのホントですわよ! いいですか、エリコさん!」
チケットを私の手に握らせ、そのまま手をぎゅうっと握られる。
握力つよっ!
「いたいいたいいたいいだだだ! そんなに強く握らなくたって!!」
「ホントのホントにホントですわよ!! もう、ほんっとうに!! いい加減にしてくださいませ!!」
「楽しそうな所、悪いんだけど」
涼し気な声に、私達は慌てて手を離す。
中西さんだ。
いつものヘッドフォンを首にかけて、ポケットに手を突っ込んでいる。
遠くに立っていたはずの中西さんは、いつの間にか、私の鼻先に立っている。
え、なにこれ?!
中西さんは、まるで幽霊みたいに熱を感じさせない青白い顔を、私の耳元に寄せ、私にしか聞こえないように囁いた。
「――死にたくないなら、花巻つぐみと広陵院江介から離れなさい」
ズキン
「うっ」
私の頭に稲妻のような痛みが走る。
脳内に、よみがえる、炎の燃え広がる屋敷の夢。
炎の中で泣き叫ぶ声。私の声。
――多分、これは江梨子自身の記憶?
どうしてこんな場面が頭の中に。
中西さん、あなた、一体――。
「フン」
彼女は、私に冷たい視線を浴びせながら背を向けた。
「な、なんなんですの! 貴女!!」
うねちんが肩幅に足を開き、握り拳を胸の前に持っていく。ケンカの構えだ。
この構えを見せた後、うねちんは数多くの男子を沈めている。
「中西さっ!!」
痛みが走る。私は思わず頭を抑えた。
「――浮かれてる暇なんて無いわ。あなたは、死へと歩み始めてる」
それを無視して、中西さんは一歩、一歩とどこかへ行ってしまった。
「エリコ、どうした」
木の上から、桐蔭くんが降りてくる。
「と、桐蔭くん」
私は思わず足がフラつき、その場にぺしゃん、と倒れこんだ。
怖かった。
あの、中西さんの目には、何に対してかわからないけど、憎悪でいっぱいで。
すごく怖かった。
「……見ていらしたのですか……」
ゴゴゴゴゴゴゴと、地鳴りの音でも聞こえてくるような、異様なオーラを放ち、顔を耳まで真っ赤に染めたうねちんが「ケンカのポーズ」を見せていた。
桐蔭くんは「まずい」と言わんばかりに顔から大量の汗を噴き出している。
「いや、違う、違うんだ。花巻には止められたんだが。悪い、畝山田。抜け駆け禁止は確かに俺達の鉄の掟。だが、やはり、さっきのような事があっただろう。それがだな」
「ごちゃごちゃうるさくてよ、聖さん」
言い訳なんてしない、「おとなしく殴られる」が信条の桐蔭くんが、珍しく早口で何かをまくし立てている。
「ずぇったいに!!! 許しませんわ!!!」
「ああ、うねちん、ストップ! ストップだよ~~~!」
私はまだ力の入らない体をどうにか動かし、走り出してうねちんの背後に手を伸ばす。
「破ァーーーーーーーーーー!」
「うわあああああ!!!」
桐蔭くんの叫び声を合図に、周りの木から小鳥達がいきよいよく飛び出していった。