(5)お紅茶ってどんな味かしら
まぶたの上に朝日が降り注いだ。
私は体を起こしてうーーーん、と伸びをする。
爽やかな秋の初めの朝の香り。ああ、なんて気持ちいい。
とっても気持ちいいし、もう一眠りしようかしら。
記憶が戻ってから最初の朝だし、ちょっと位いいわよね?
あー、二度寝ってどうしてこんなに最高なのかしら~~~。
そうして私は大きな枕を抱きしめて寝返りを打った。
「わっ」
が、ベッドからずり落ちた。
それはもう、ドデンという派手な音を立てて。
もちろん、痛みで眠気は吹っ飛んだ。
「あたたたた……」
前世は畳の上で布団を敷いていたし、慣れてないベッドだものねぇ。
と、見上げたベッドはとても広々としていて、とても転げ落ちるとは思えないような広さだった。
更に恥ずかしさがギアを上げた。
今の私は大金持ちの娘なんだから、こんな寝相はあり得ないわよね……。
でも良かった。寝室なら誰にも見られてないもの。
こんなマヌケな所を誰かに見られてたら恥ずかしすぎるわ~~~。
「まあ。大丈夫ですか、お嬢様」
見られていた。
しかも思いっきりガン見してる。
相手は窓際に立った若いメイドさんだった。きっとこの人がカーテンを開けてくれたんだわ。
彼女は、私を見て楽しそうにニコニコと笑っている。
やだ~、朝にメイドさんが来るなんて聞いてないわよーーー!
「すいません、あはは」
なんとか笑ってごまかしたけど、恥ずかしさと痛みと混乱で頭が爆発してしまいそうだった。
顔は沸騰したヤカンみたいに真っ赤になっていたと思う。
「大丈夫ですよ、お嬢様。私、見なかった事に致しますから」
メイドのお姉さんはそう言ってウィンクしてくれた。
な、なななな! 何て優しいの……!
これが大人の女性の余裕ってヤツなのね!!
「うふふ」、と上品に笑ってくれたメイドさんを女神様と見間違えそうになった。
「それでは、ご支度をいたしましょうか」
メイドさんの名前は東出さんっていうらしい。
20代前半かしら。お母様よりも若そうだわ。
っていうか、私、お母様の年齢を知らない――。
後で聞いてみようかしら。でも、いっつも怖い顔してるお母様に質問だなんて、ちょっと気が引けるわね。
「え、今日ってどこか行くの?」
「西条様のお屋敷でお茶会でございます」
ああ。なるほど。コースケが言ってた例のお茶会かぁ。
それにしても西条様って……どんな人だったかしら。
曖昧な今世の記憶を探ってみる。
「あ」
思い出した。
クラスメートの子だ。西条牡丹ちゃん。私の取り巻きをしてる女の子。
確か西条さんのお父さんはウチの会社の重役さんだったのよね。
っていうか小学3年生にして早くも取り巻かれてたのね、私。
凄いわね、金の力って。
でも、確かに私が西条さんの立場だったら、お父さんの会社の一番えらい人にはおべっかを使っちゃうかもしれないわ。
と言っても、それは前世の私が大人だったからであって、小学3年生だったら普通に頭を引っぱたいてたかもしれないわ。だって、相手は“クソガキの江梨子様”だし。
きっと西条さん、あのクソガキに沢山理不尽な目に遭わされてたんだろなぁ……。
うう、偉い子ね、西条さん。今日は今までの事を謝らないと。
それにしても――お茶会って、要するに――
「ねえ、東出さん。お茶会って美味しいもの一杯食べれるかしら?」
私は東出さんが引いてくれた椅子にぴょんと飛び乗り、鏡に向かう。
そうよね、そうよね。
「そうですね、お行儀良くしていらしたら、奥様もお許しくださると思いますわ」
「わーい! いっぱい食べちゃおーっと。じゃあ東出さん、お洋服はウェストがゴムの物でお願いします! 私、ドーナッツが食べたいな~」
東出さんは、寝癖が大爆発している私の髪をブラッシングしながら、おかしそうに「うふふ」と笑っている。
「あくまでお行儀よくできたら、ですからね。お・行・儀・良・く。――ね、お嬢様」
鏡越しに見る東出さんの笑顔が一瞬怖くなった。
私は凍ってしまったかのように体を固くする。
「ひ、ひがしでさん?」
「うふふ、怖いです? 奥様のかみなりは、もーーっと怖いですからね」
今度の東出さんの笑顔は全然怖くなかった。だけど、想像したお母様の姿は言葉では言い表せないほどに、怖かった。
うぅ、確かにお行儀よくしなきゃダメね。
お抹茶は前世でトラウマ物の大恥をかいたから顔(?)も見たくない。
前世、旅行先でお抹茶のお椀をどう回せばいいか分からなくて、ろくろを回してるみたいに何回転もさせたのよね――うう、思い出して泣けてきたわ。
でも、お紅茶は大丈夫よね。
「おいしい」紅茶っていうのをぜひ味わってみたいわ!
外国の人たちがその魅力にドはまりした紅茶をぜひとも飲んでみたい。
私の前世のお茶のお供は大体がおせんべいだったわ。
そもそも、お茶と言ったら大体は緑茶。ティーパック以外で紅茶なんて飲んだ事はほとんどないし、紅茶を飲む機会はドリンクバーがぶっちぎりナンバーワンだったの。
うん、虚しい……人生だったわね。
「もし今日頑張ったら、お夕飯は好きな物を食べれるように奥様に相談してあげますわ」
東出さんはニコニコと笑って言った。
なんですって!
私の目が「きゅぴーん」と鋭い閃光を放つ。
「私、さつまいものお味噌汁が飲みたいです!」
「! ……うふふ、聞いてみますわ」
東出さんは一瞬びっくりしたような顔をした。だけど、すぐに嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべる。
「エリコ様はきっと、お母様に似たのでしょう」
東出さんが何か重要な事を言った気がするけど、私はそれをほとんど聞いていなかった。
その意味を考える前に、私は鏡に映る自分の姿を見て口をあんぐりと開けていたからだ。
「何、これ……」
すごーーーくかわいい~~~~~!!!
鏡に映ったその姿は、すらっと背筋の伸びた、陶器のように白い肌の美少女だった。
漆を塗ったような胸の上までの黒髪に、真っ黒な瞳。少しつり目だが、凛としている。
唇は少し薄く、ほのかなピンクがとても上品だ。
広陵院江梨子って、こんなに可愛いんだ……。
前世の日に焼けた田舎くさい顔とは全然違う。
これじゃあ、世界で二番目に可愛いお子様かもしれないわ!!
あ、もちろん一番はコースケね。
「東出さん……私って……とってもかわいいですね。うっとりしてしまいました」
そんな事を真剣に伝えたら、
「うふふ、ヨダレを垂らしながら”もうたべられない~。でもおかわり~”っていうエリコ様もすごく可愛いんですよ」
って言われてしまった。
「それって――ギャップ萌えですね!」
「うふふ、そういう所、エリコ様らしいですわね」
と、言った東出さんに私は首を傾げる。
「私、自分が一番だったエリコ様が急に聞き分けの良い子になったと聞いて。実は少し心配したんですよ」
「はぁ」
「だけど、やっぱりエリコ様は自分が一番のままだったので、失礼ながらなんだか安心致しました」
ひどい言われようだわ。東出さんって毒舌なのね。
でも確かに、あのワガママかんしゃく娘が、かんしゃく一つ起こさずにおとなしく椅子に座っているのって相当不気味なのかもしれない。
「それに、いつもの殿方の話、今日はなさってないですよね? 大人ぶるのをやめたんですよね、エリコ様」
「え? う、うん」
そう言って、東出さんはクスクスと笑っている。
実際、江梨子様と私は中の人が丸々変わったようなものなんだけど。
あれ、なんか都合よく勘違いしてくれたような――。
ま、9歳の心変わりなんてあっという間よね。
今までより、こういう9歳の方が自然なカンジだと思うし。
って、私って転生する前は20代だったのよね? うう、複雑な気持ちになるわね……それって。
「お食事の方が良いっていうのも、なんだか奥様のお子様らしくって」
「え、お母様が?」
「あら、わたくしったらなんたる失言。さっきの言葉は奥様には内緒にしてくださいね」
東出さんがクスクスと笑いながら私の両肩に手を置いてくれた。
それにしても東出さんって、お母様の事をよく知っているみたいね。