(54)ごま! ごま! ごま! 前編
持久走記録会、当日。
昨日は早く寝て、体はしっかり作ってきた。
うねちんよりも早く走るために、今朝はストレッチと軽いジョギングも済ませている。
「よーい」
ピストルの音と同時に、私は走りだした。
うん、出だしは順調ね。春の風もとっても気持良いわ!
桐蔭くんとのデートがかかってるんだから、絶対に負けられない!
記録会は校舎から少し離れたグラウンドで行われていて、今日は、教室に帰らずに現地集合、現地解散。
この行事は、中等部からの毎年春の恒例のもので、中学までの女子1位はうねちんが2回、私が1回取っている。
何よりも特徴的なのは、テレビのマラソン大会みたいに、中継車が追いかけてきて、私達を撮っているところだ。
流石セレブ学園というか。子供の活躍の記録を残すために、お金をを惜しまない辺りが、本当に凄い。
初めて見た時は、正直呆れてしまった。
一応、希望者にはお金を取ってDVD渡したりしてるんだけど。「誰が買うのよ」と思った私に対して、思わぬ客層の注文が殺到した。
コースケのファン集団だ。
他校からのファンも喉から手が出る位欲しいらしくて、一家庭一枚限定販売なのをいいことに、一般の男子なんかも手に入れて、塾とかでオークションを行ったりしてるらしい。
なんてことなの、桃園学園。
さて、この記録会では、6kmを走る訳だけど。
トップは、うねちん。それを追うのが私で、すぐ後ろに誰か迫ってきてる。
チラッと後ろを盗み見ると、同じクラスの、黒髪のショートカットの、いつもヘッドフォンを首から下げてる女の子だった。
流石に今日はヘッドフォンを下げてないけど、なんだか話しかけづらくって、あんまりよく知らない子なのよね。
走るのは昔から好きで、気づいたらスポーツ特待の子にも負けない程、足が早くなっていた。
訓練として、ジョギングも日課にしていたし、何に熱中しても、どんなに忙しくっても、毎日走る事だけは辞めなかった。
だって、いっぱい走った後のごはんはとってもおいしかったから。
子供の頃、いつもよりいっぱい走った後に、余りにおいしいからって白いごはんだけで食べていたら、コースケに怒られたわね。
しょうがないからゴマをかけて食べたらもっと怒られて、果てには「姉さん、そういう事じゃないんだよ……」って呆れられたわ。
そういえば、あの頃ぐらいから、家にも一般的な和食の夕飯みたいなのが時々作られるようになったわね。
私の熱意あるリクエストが遂に通って、嬉しくって仕方なかったものだわ。
って、思っていたら、ショートカットの子が私を追い抜き、さらに背中を追いかけていたうねちんを追い抜いた。
「!」
私は予想外の展開に、思わずペースを乱され、足を早める。
本気で競ってもうねちんとは五分なのに、ここでペースを乱したら、どうなるか分かったもんじゃない。
だけど、ショートカットの子は、こちらに振り返り、挑発的を誘うような――嘲るみたいな笑みを私に向けた。
え?
この子と私、接点がないはず。
意味がわからかったけど、私は痛み始めた胸に力を入れ、足を早めて彼女に付いて行く。
この時点で、うねちんは少しだけ、私達から離されて行った。
結局、ラストスパートをかけても、ショートカットの子は追い抜けなかった。
むしろ、ラストの競技場のトラックに入ってから、いよいよ彼女はペースを早めた。
一体どこにそんな力があるのかと思いながらも、私は必死に走ったけど――まさか、本当に追い抜けないなんて。
結局、ショートカットの子が1位で、私は2位。うねちんは3位に終わった。
「ぜーはー、あのっ」
タオルで額と首筋を拭くショートカットの子に、私は声をかける。
「足、早いね」
女の子は、なんにも答えずに、フンとそっぽを向いてどこかに行ってしまった。
「……嫌なカンジですわ」
背後からは、うねちんの恨めしげな声が聞こえた。
せっかくうねちんに勝って、水族館のチケットもゲットできるはずなのに――。
なんだか嫌な予感がして、どうにも気持ちは晴れなかった。
さて、今度は男子の部。
持久走なら桐蔭くんの圧勝だと思うんだけど――。
競技場のスクリーンが、中継車からの映像を映し出している。
待機中の女子達は、男子の走る姿をキャーキャー言いながら鑑賞中。
「リコちゃん、惜しかったね」
つぐみだ。つぐみが隣に腰掛けて、私を見上げる。
走った後なので、顔に赤みがさしていた。
「ん、まあ……なんていうか――」
私は一瞬だけ、例のショートカットの子を盗み見る。
うーん。あの子、なんであの時私にあんな挑発するみたいな顔を見せたのかしら。
つぐみがそうしていたので、一緒にスクリーンを見上げてみる。
画面には、ひーひー言いながらも、表情を崩さないよう必死に走っているコースケが映しだされていた。
女子の歓声が沸く。
なんというか、大して速くもないし、真ん中程度の順位のコースケが多めに映されているのは、姉として、微妙な気分だった。
コースケの背後には、余裕しゃくしゃくの様子で手を振っている男子の姿が。
居るのよね、こういう、テレビのカメラが来てるからってはしゃいでピースとかしちゃうタイプの子。
だけど、その顔には見覚えがある。
「って倉敷くんじゃない」
そう、スクリーンの向こうで手を振っている恥ずかしい子の正体は倉敷くんだった。
女子からは、「コースケより目立つな」とブーイングを喰らっている。
なんとううか、倉敷くんってこういうの、好きそうだものね。
軽くてチャラチャラしてるし。
すると、スクリーンが切り替わり、桐蔭くんの姿が映し出される。
汗を散らしながら、流れる金髪がうっとりする程美しい。
私は思わずゴクリと唾を飲み込んで、見入ってしまった。
普段は「忍者」とか「テロ組織が」とか言って、アホみたいな事をしてるけど、こうして改めて見ると、すごくカッコイイ。
スラっと伸びた手足を無駄なく振って走る姿は、余りに様になってるわ。
こんなに完璧なのに、女子の皆はあんまり桐蔭くんに興味を持ってないのよね。
どうしてかしら。
ああ、どうしよう。DVD……今年も買っちゃおうかしら。
と、画面が再びコースケの中継へと切り替わる。
今度は、倉敷君の姿は見えなかった。