(53)農家の娘が悪役令嬢?!
炎の海が屋敷を飲み込む。
見慣れた建物。
これは、私達が暮らしている、広陵院の本邸。
え、火事?
コースケは、お母様は、お父様は。東出さんは? 栗原さんは? 使用人の皆は無事?
「姉さん!!! 姉さん!!!!」
髪色の明るい男の子が、火の中に飛び込もうとするのを、細身の女の子が両手を掴んで引き止める。
まるで、私はここに居ない、幽霊よう。
違う。観客なんだわ。
観客というより――プレイヤー。ゲームをプレイしている感覚よ。
ここで、これがようやく夢なんだってわかった。
きっとこれは、前世でプレーした『花カン』の夢。
髪色の明るい男の子は、私の生きる現実では地味で黒髪で、そしてメガネで学園一の人気者。
細い女の子は、現実ではふっくらと焼きたてのシュークリームみたいな可愛らしい体形をしている、私の一番の親友。
ここで、私は理解した。
これはゲームのワンシーン。ウチの屋敷が火事になってしまう、『花カン』のエンディングのひとつよ。
夢の中の江介の叫ぶ「姉さん」は、炎に包まれた屋敷の中に居る。
そう、このエンドで、江梨子は死んでしまう。
江梨子は、わがままの果て、江介に当たり散らし、花巻つぐみをいじめ通し、桐蔭聖率いる生徒会に断罪され、勘当を言い渡されて、狂ってしまった。
挙句、自らの家にガソリンを撒いて火をつけ、笑いながら「これ、全部私のもの!!」と叫び死ぬのだ。
その時、誰かが江介の肩を叩いた。
こんな事、ゲームでもあったっけ?
長身の男子は、金髪に近い明るい髪色で、一直線に炎に包まれる屋敷へと駆けていく。
誰?
桐蔭くん――じゃ、ないよね。
だって、桐蔭くんのせいで江梨子は断罪されちゃう訳だし。
そして、場面が変わる。
一人、泣き叫ぶ江梨子に寄り添う、一人の男性。きっと、さっきの男の子だ。
だけど、肝心な男の子の顔だけモヤが掛って誰だかわからない。
私の記憶はこういう虫食い状態のものが多い。
現に、前世の名前すら思い出せないもの。
それなのに、食べ物の事はありったけ覚えてる。
やっぱり前世を含めて私って、ちょっと「足りない」んだと思うわ。
「大丈夫だよ、江梨子。君は一人じゃない」
私がそうこう考えている間にも、ゲームは進んでいく。
顔の分からない男の子は、江梨子の手を握って、彼女を抱き寄せる。
正気を失い、トチ狂った江梨子は、それにも気付かないまま、言葉にならない叫びを続けている。
そういえば、江梨子ってすごく大物の声優さんを起用したのよね。
なんだか、後日インタビュー雑誌で、シナリオライターさんが「私の一番好きなキャラは江梨子です。一番思い入れがある子なので、無理を言ってお願いしました」とかハッキリと言ってて。
「あんな性格の悪い子だし、一切贔屓とかしてないじゃない。アレ好きだなんて、変わってる人だなー」って思ったのよ。
実際会った時もすごい変な人で、私は病院で死にかけてるっていうのに、「これ、あたしが書いたの!」やたら高いテンションで――ってあれ、会ったっけ、私。
っていうかこれ、大分大事な場面であの人と会ってない?
それはともかく、この演技が余りに真に迫ってたから、私も前世で、コントローラーを握る手にぐっしょりと汗をかいたものよ。
江梨子は煙を吸い込み、朦朧とうわ言のように「私のもの……ぜんぶ……」とか細い声でつぶやいている。
男の子は、江梨子を強く、強く抱きしめていた。
そして流れるエンドロール。
私は、シナリオライターのクレジットを見ようと気をつけていたけど、目覚ましの音で夢は途絶え、結局それを断念した。
「ん……」
目覚めて思う。
変な夢だった。
夢の割には、私は色々考えてたし、思い出せなかった前世の記憶もたくさん思い出した。
江梨子が火事で死ぬとか知らなかったわよ、私。
それに、あのモヤの男の子。あれは誰だったかしら。
コースケは違うし、ストーリー上、桐蔭くんでもない。
背格好からして、高崎先生も違うだろうし、地味な今治くんがあんな気の利いた事言うなんてありえない。
そうなると――倉敷くん?
倉敷千尋くん。
花カンに登場するフェミニストで遊び人な男の子。
高校編入組で、クラスが一緒。
いつもは今治くん、竹原くんと一緒に行動してて、早くも制服のネクタイをずり下げてボタンを3つ程開けてルーズに着こなしてる。
セクシーとも言えるけど、腰パンしたズボンをするびかせながらブチ切れる高崎先生と追っかけっ子している姿は全然セクシーじゃない。
むしろ子供っぽくて、イタズラ好きな印象。
でもなんで、倉敷くんが江梨子と一緒に火事で死んじゃうわけ?
うーん、思い出せない。
ま、いっか。
あ、ひょっとして、この夢はきっと私に何かを伝えるために見せてくれた物なんじゃないかしら。
倉敷くんはモヤが掛かってたから、どうでもいいのよね、多分。
重要なのは――火事よ!
で、今の私が迷いに迷っているのは、デートスポットについて。
あ、これ、どうしてこんな夢見ちゃったか、私、わかっちゃったわ。
ひょっとして、この夢は、私におすすめのデートスポットを教えてくれたって事でしょう!
マンガとかにもよくあるわよね。迷ってる主人公に夢が未来をアドバイスしてくれるって展開。
やだ、私の夢ってすごく親切!
そう、そうよ。ここで前回までのあらすじ、行きましょう。
ハイ、ドン。
私、広陵院エリコ、15歳!
片思い中の桐蔭聖くんにデートに誘われちゃいました、キャッ。
そう、おデートですよ、エリコ様。
おデート。ふたりきりで男女がどこかにお出かけするんですよ、エリコ様。
そのデートスポットを選ぶ権利を持ったのは、私。
桐蔭くんが「楽しい所はエリコの方が知っている。任せた」って言うんだもの。
野球に例えると、競合せずにドラフト1位を指名できる、みたいな物ね。
いえ、何のために野球に例えたのよ。余計わからなくなったわよ。
あ~もう、デートスポットを選ぶなんて、そんなの、困る!
私はベッドの上でゴロゴロした。
要するに、デート次第では、デート終盤に
「エリコ、手を繋がないか(声真似)」
とかあるんでしょ?
もっと上手く行けば
「エリコ、目をつむってくれないか(声真似)」
とかも?!?!
そういう事でしょ?
「やだ~~~~~~~~~~」
私はさらにゴロゴロした。
「姉さんうるさいよ!」
ドンとドアを蹴破って寝ぼけ眼のコースケが怒鳴りつけてくる。
「コースケの方がうるさいわよ! 悔しかったらアンタもデートのひとつや2つ、してみなさい!」
「な、でで、でーと?!」
起き上がってあかんべーしてやると、コースケは顔をまっかにする。
「不埒だ! 姉さんは不埒だ!」
ドアをバタンと閉めた。
コースケは、近頃とてもウブなのです。
ふふ、なんだかんだ、コースケはやっぱりカワイイ所があるわね。
うーん。就寝直前までデートスポットに悩んでた訳だし。
やっぱり夢のお告げに従ってみるべきかしら。
お告げ――
火事の屋敷――
要するに、炎のある場所に行けって事よね。
わかったわ。私、桐蔭くんと炎のある場所に行けばいいのね!!
ならばひとつ有るわ。とっておきのデートスポットが!
「護摩行……?」
「そう、連休は護摩行に行きましょう!」
いつもの教室。
桐蔭くんが、知らない単語に首を傾げる。
むっと眉間にしわを寄せて、辛気臭い顔をしている。
「なんだ、それは。楽しいのか?」
楽しい。確かにそう言われると微妙ね。
護摩行って、修行みたいなものの一種だし。
「そうね、護摩行っていうのは、たかーく燃えてる炎の前で、一時間位、全身全霊を込めて心から呪文を唱えて、煩悩とか悪いものを炎で焼いてもらうって儀式よ。お寺とかでやってるの」
護摩行。
高く燃え上がる火の前で、一時間以上向き合い全身全霊を込める激しい修行。
っていうか……宗教的儀式?
顔は熱でパンパンに膨れ上がって真っ赤になるし、大量の汗も書く。
チリが目に入って目が悪くなる場合もある。
それ以前に熱さが大変よ。
ある野球選手選手が毎年オフシーズンにやっているのが有名ね。
有名すぎて、「護摩行」でWEB検索すると、彼の必死の形相の写真がお腹いっぱいになる程出てくる。
最近だと、テレビのバラエティ番組とかでも芸能人が企画でチャレンジしたりしてるわね。
「それは――」
桐蔭くんはゴクリと唾を飲み込む。
あら、護摩行、ダメかしら。
うーん、修行だしね。やっぱり炎は違うのかしら。もっとおとなしい炎がいいのかしら。キャンプファイヤー、いえ、責めてフランベとか――。
だけど、桐蔭くんは私の手を取り、目をじっと見つめる。
「楽しそうだ。すごく」
桐蔭くんは、心底納得いった顔でコクコク頷く。
「でしょう? 冴えてるでしょ、私」
「ああ、冴えている。流石、お前は最高だ、エリコ」
「でしょ、でしょ?」
私は嬉しくなって手にとった腕をぶんぶんと振る。
「じゃあ今度の連休は護摩行で決まりね!」
「ああ、行こう、護摩行……とやらに」
「楽しみね、護摩行!」
「そうだな、楽しみだ」
「待ちなさい! そこの2人」
と、そこに現れたのは、仁王立ちに腕組してどーんと現れたのは、隣のクラスの畝山田龍美ちゃん。
通称「うねちん」。
ミルクティー色の髪に、腰までの見事なドリルヘアー。キュッとウェストの締まったくびれの上は、見事に実ったたわわなバスト。
顔もすっごく整ってて、モデルさんみたいな「THE・お嬢様」って外見。だけど、実家は農家で、中学のスポーツ編入組。
柔道がすごく得意で、全国大会まで上り詰めたとっても強い女の子。
左右には西条牡丹ちゃんと、友利勇気ちゃんが控えている。
牡丹ちゃんは相変わらず竹原くんとの関係が良好だけど、最近「誠一と今治くんを間違える人が多いんですんの。全然似てなくてよ!」とカンカンに怒っていた。ごめんね、私ももう3回ぐらい間違えてるわ。
友利さん、通称「ともりん」は、小学生から一緒の子。ケイドロでシナリオ班をしていた子で、昔から仲が良い。
3人とはクラスが離れちゃって残念だけど、そこそこ仲が良いと思ってる。
「あ、うねちん!」
「誰がうねちんです!」
うねちんは、なぜか額に青筋を浮かべてカンカンに怒っている。
「エリコさん、誰の許可を得て桐蔭くんと護摩行に行くんですの?」
「え、桐蔭くんにはオッケー貰ってるわよ」
うねちんはフンと鼻で笑い、ポケットから何かを取り出す。
何かのチケットみたいだ。
「残念でしたわね、聖さんは私と水族館でゴマあざらしを見に行くんですの。もうチケットを用意していましてよ」
「えええー?! そうだったの、桐蔭くん」
桐蔭くんはフルフルと首を左右に振っている。
「聖さんも護摩行なんかより、アザラシの方が良くってよね?」
「俺は……護摩行の方が……」
うねちんは、目を三角に釣り上げて、桐蔭くんの首根っこを掴み、光の速さで教室の角に移動して、鬼のような早口で何かを耳打ちしていた。
桐蔭くんはウンウン頷いたり、首を傾げたり、うーんって悩んだりしている。
うねちんに突き飛ばされるようにして、桐蔭くんはこちらに戻ってきた。
「エリコ、済まない。次の連休は畝山田と水族館に行くことになった」
桐蔭くんは、不自然な棒読みで、手の平を何度も見ながらこう言った。
ガーン!!!
「そ、そんな――」
私はショックで崩れ落ちる。
護摩行。
炎と並んで二人で呪文を唱える、特別な時間が――。
ひどいよ、ひどい、うねちんも、桐蔭くんもひどい!!!
私は絶望に明け暮れた。
「ほーら、エリコさん。言ったとおりでしょう? 聖さんは水族館の方が良いんですのよ。オーッホッホッホ! 悔しければ、明日の持久走記録会で私に勝利なさい! そうしたら、聖さんと水族館のチケットは貴方に差し上げても良いですわ。ま、柔道全国大会出場の私に勝てるとは思いませんけどね!」
うねちんは、手のひらをアゴの下に置き、高らかに笑う。
いわゆる悪役令嬢笑いだ。
このポーズ、実際にやる人って居るんだ。
いや、ゲームの中の江梨子はやってたけど――。
とにかく、うねちんって凄い。
「流石ですわ、畝さん!」
「やっぱりうねちんは凄いなー」
牡丹ちゃんと、ともりんが口々に言う。
完全敗北した私の耳を通り抜けていく。
桐蔭くんが、うねちんと、水族館――
暗い水族館で、うねちんと、桐蔭くんがふたりきり――!
「お魚、きれいですわね」って言ううねちんに、頬を染めた桐蔭くんが「お前の方がキレイだ」とか言っちゃうの?!
そうだよね、実際うねちんって美人さんだし、今日は変だけど、いつもは優しいし。
桐蔭くんがクラっときちゃうのも分かる。
でも、ぐぐぐ、ぐやじーーー!
そんなのやだーーーーー!!!
いえ、待ちなさい、私。逆転の目はあるわ。
持久走記録会に勝てば、桐蔭くんとのデート権が!!
「わかったわ。受けて立つわ……。明日の持久走記録会でしょ。……覚悟なさい、うねちん!!!」
「ええ、楽しみにしていますわ。エリコさん。ま、精々頑張りなさい」
うねちんは、腕を組みながら、一度だけ、大きく頷いた。
「恋ッテタイヘンダナ、一般人」
「キクチさん、多分あれは大分特殊だよ」
机の上に腰掛けるキクチさんと、今治くんが口々に言う。
「ばっかみたい」
騒動の近くの席で、一人ヘッドフォンで音楽を聞いていた女の子が、何かをつぶやいていた。
* * *
「あーーーもう。
聖さん。いいですの?! 護摩行っていうのはですね、女の子がするととにかく危ないんですの。
貴方のような鈍感なバカは良いかもしれませんが、火の粉が飛んでいってエリコさんのこの世で最もキレイな顔に火傷がついたらどうするんですの!
貴方、責任取れます?!
大体、デートっていうのは男が場所を決めるものなんですのよ、この甲斐性なし!! オタンコナス!
あーーーー、ナスだなんて、ナスがかわいそうですわ!
とにかく、貴方は私の言うとおりにしなさい! さもないと、エリコ様がと~っても不幸になりますわよ!
ホラ、返事。
今から貴方が言べきことはバカのあなたにでもわかるように手に書いておきますから、ほら、手、出しなさい。水性ペンでカンペ書いてあげますわ。
ああ、こんなのに惚れてるなんて、エリコ様がかわいそうですわ!
っていうか、あなた達、いつ付き合うんですか!
学園の98%はあなた方が付き合ってるって思ってるんですのよ!
それってどれだけの罪かわかってます?! 聖さん!
っていうか、牡丹ちゃんも、ともりんもあなた方が付き合ってるって思ってますからね。
それってどういう事かわかります?!
わたくし、デートと聞いて、本当に嫌な予感がしていましたの。案の定ですわ!
花巻さんがわたくしに知らせてくれなかったらどうなった事やら。
――あら、花巻さんったら、今はどこにいらっしゃるのでしょう」
桃園学園 1年C組 畝山田 龍美 熱狂的な広陵院エリコ信者。