その日がくるまで/コースケ視点
「お父様。僕、つーちゃんと婚約したいです」
あの日の事は今でも覚えている。
小学校高学年の頃、「ご褒美をあげる」と言われた時の苦い記憶。
僕は、お母様に言われた『ご褒美』を最初から決めていた。
花巻つぐみ。つーちゃん。はじめて会った時から僕の心を揺さぶった、笑顔のかわいい女の子。
お父様は、つーちゃんのお父さんを広陵院の次期トップにしたいらしいけど、役員達から反対を受けている。
お父様の意見を大きく擁護しているのは、西条と竹原。西条牡丹の父親と、竹原誠一の父親だ。
逆に、大きく反対しているのはお母様の実家である井生野。そして桐蔭――つまり、聖と「あの人」の生家。
例えるなら、こっち側の竹原・西条はポーンだ。そして、向こう側、は桐蔭というクイーンが居る。
戦力的に、お父様の味方は、微妙な小粒ばかりで、反対派はどうしたって覆せない――こちらに嫌がらせをしたいとしか思えないような大物が揃っている。
井生野は、財界の大物・野々村源次郎氏でも連れてこない限り、動かないと言っていた。
野々村源治郎氏は経済界にとって、生きた至宝。彼の情報能力と未来予知の術を知るために、何億もの金が闇に消えたという。
だが、野々村氏は若いうちから財界を去っていった。
その彼を連れ戻す。多分、エイリアンを捕らえたりするよりも難しい事だっただろう。
なにせ、娘のように可愛がられたお母様ですらそれができずにいたのだから。
いや、お母様は実際、この件には手を貸していないように見える。あの頃からそうだった。
いつもソファーに寝転がってテレビ番組を見ている。内容も、大したものではなくて、大体が「肉のうまい店特集!」とかそういう類の物ばっかりで本当にくだらない。
とはいえ、「あいつ」と違って、「女は口を出すな」という暗黙のルールを守って下がっているのかもしれない。
そして桐蔭の条件は、家を出てしまった長家一家の長女――桐蔭あかり。つまり、東出あかりの返還を要求している。
僕は、部が悪すぎる、と思った。聖の母親であり、あかりの妹・桐蔭まりえ個人が言いがかりを付けたいだけだ。東出さんを桐蔭に返した所で彼女を利用して何か企むに違いない。
桐蔭と広陵院の関係は持ちつ持たれつだ。現状規模は同じものの、2代目の桐蔭と、伝統ある広陵院では見えない格差が存在する。
伝統があって古臭いだけに、広陵院の革新派は内部刷新に踏み切りたい訳だが。先代、お父様のお兄さまがやらかした時に付け込まれて、桐蔭は広陵院内部に入り込んだ。
まるで、体をむしばむ癌のように、権力を増長させながら、桐蔭は成長している。最初は服飾関係の問屋であって、そういう企業ではなかったらしい。そう、魔女・桐蔭まりえが現れるまでは。
実際、お父様が堕落の一途を辿る広陵院の役員を刷新しているのは、そういう事情があるんだと思う。まりえはそれを察知したせいで、井生野をたぶらかして阻止を企んでいる。
だけど、一個だけ状況を覆せる一手がある。それは、相関図を知らない、あの頃の僕でも知っていた。
「つーちゃんが、広陵院に来れば、おじさんも僕らの親戚です」
そう、政略結婚。
僕とつーちゃんが婚約を結ぶことによって、花巻家は広陵院家の親戚になる。
そうすれば、きっと、あの頑固な面々を黙らせる事ができるんじゃないだろうか。
だけど、お父様は眉を下げて、僕の頭を撫でた。
「気持ちは嬉しいけど、そういう事は僕らが決めるものじゃないよ」
お父様が言った言葉は、やわらかなだけど、確かな否定だった。
あの頃の僕はすべてを見透かされたようでドキッとした。
家のため、とは言った。
頼っていたんだと思う。広陵院の権力に。
あの、花のような少女を手に入れる事ができるなら――。
このちっぽけで弱っちい僕だけじゃ到底何もできない僕が、唯一彼女に手を伸ばせるその方法。
「どうして、お父様。そうすればすべてうまく行くじゃないですか! 僕ならつーちゃんを幸せにできます。絶対にします」
諦めきれずに続ける僕に、お父様は苦笑いして頭を撫でた。
「コースケ、人の心を損得勘定で縛るのは、よくない事なんだよ。本当に想い合ってするんならいくらでも歓迎するが、コースケはまだ子供だ。もっともっと大人になったら、プロポーズすればいい」
「お父様、僕はどうすれば大人になれるんですか」
そうだなあ、とお父様は考えこむ様子を見せていた。
「お母様の言うことをちゃんと聞けば、近道できるかもしれないぞ」
結局、冗談で煙を巻かれた。
「つぐみちゃんのためを想って行動して、つぐみちゃんにまごころを込めて優しく接しなさい」
そう言って、お父様は僕の頭を撫でる。こんな大きい手になるのに、あと何年掛るんだろう。あの頃の僕は呆然と、砂漠に一人取り残されたような感覚でいた。
僕は考え込みながら、うつむいて歩く。中等部に上がって入った生徒会の案件が山程ある。
僕は今、生徒会長を務めている。成績も大半トップ。余程落ちても2位。勉強も山程している。
最近、眉間を揉むのが多くなった。
小学校高学年の頃から、勉強のしすぎで、視力もガクンと落ちて、メガネを掛けるようになった。
つーちゃんのため。
つーちゃんに見合う男にならなきゃいけない。
彼女の隣に似合う男は。
完璧で、何でもそつなくこなせて、頭も良くて、当然困ったりしない。
そういう男になれたなら、つーちゃんにプロポーズしても、きっと誰も非難したりしない。つーちゃんも喜んでくれるはず。
そうじゃなければ、きっと、姉さんみたいな、破天荒で特別な人間位しか、受け入れられない。
僕は姉さんの起こした奇跡の一端を見てしまった。
あの年、春が来て、屋敷に別宅が建った。
野々村源次郎氏が、本当に広陵院側についた。
姉さんが「家を建てる」と言い出した時は冗談かと思った。だけど、現にあそこに別邸が見える。何年も経った今も、確かに居る。
広陵院家を影で支えてきた男。ある日突然、引退宣言をして若くして財界を去った、とんでもない化物が。
「待ちなさいーーーー! エリコ様薫製・ロリっ娘☆魔法少女あかねの衣装を着て写真に撮られなさい!! マネキンよりあんたが着た方が確実に売れるのよ!! 感謝しなさい!」
「待つかバーカ! んな事されたら死んだほうがマシだ」
キイイとか奇声をあげながら、自作のフリフリ衣装を持って、全速力で野々村氏の養女を追いかける姉さん。
野々村氏の養女は、足が早い。
学校でも負けなしの姉さんよりも速く逃げている。
「あんた、絶対学校に来ないでよね!! 来たら承知しないから!」
「誰がそんなトコ行くか。うるせーからとっととあっち行け、バカ女」
姉さんは、今まであれだけ僕達に見せつけてきたのに、「聖をとられるかも」なんてあの子供相手に嫉妬心をギラギラと燃やしていた。
あんな確かな関係を築いていたら、もっと自信を持てばいいのに。
そうじゃないと、聖も可哀想なんじゃ――いや、アイツも悪い。アイツが無自覚なのが一番悪い。
だから、僕は余計な事は言わない。
とにかく、僕は決めた。
僕が完璧な男になってつーちゃんに惚れてもらう。その日が来るまで、僕は振り向いたりしない。絶対に。