(40)上り坂のラーメン屋・2
で、数カ月後、実際に家が建ちました。
っていうか家建つの早すぎじゃない!
何かしらの事件が起きてラーメン食べられませんでした、残念!
みたいな展開が来るのかと思ってヒヤヒヤしてたけど、むしろ早すぎるわよ、完成が。
屋敷から少し離れた林の中に建てられたそれは、古き良きタイプの瓦張りの日本家屋。なぜか本宅はカギ括弧みたいな形をしている。そして、それを囲うようにして塀がある。「野々村」って表札はインパクト大。言うまでもなく、池と錦鯉付き。
大きな柵に囲われて、猟犬のユウスケも一緒。
って、ちょっとまってよ!
欲しいのは「一般的な一戸建て」って言ったけど。
言ったけどさ!
どう見たってお金持ちの邸宅じゃない。
っていうかこの立派な木造の門から、拳銃やドスをチラつかせた刺青のお兄さんが出てきてもおかしくないわ。
なによ!
こんなの建つなんて知ってたら最初からラーメン店を買い取ってたわよ。
「エリコちゃん、すまんな」
「……」
ゲンさんが私の髪を撫でる。そよちゃんは黙ったままだけど、軽く会釈をしてくれた。
そよちゃんの薄い茶色の髪は丁寧に結わえた三つ編みで、それを右肩にかけている。
「よっし、新築祝いするぞー!」
酒瓶を片手にお母様がはしゃいでいる。
あ、この人ノリノリだ。最初から「酒盛り用の別宅が欲しかった」って顔してる。
多分、私の存在は、こ「飲み放題できる別荘作り大作戦」のピエロだったのよ。お母様にとっては。
だから邸宅もさっさと建ったのね。
あ、今、ようやく分かったわ。
ううっ、切ない。やりきれない。大人って汚い。
「エリコ、シケた顔しないで。シメにラーメン頼んであげるよ」
「ほんとにー? お母様だいすきー! 一生ついていく~」
やっぱりお母様は最高ね! 一生ついていく。お母様大好き!
お母様の腕にしがみつく私を、コースケが冷えた視線で見ている。
「姉さんはお母様に乗せられてご褒美を使うなんて、ほんとバカだね」
「なによ~。そういえばアンタはご褒美何にしたの?」
そういえば、コースケも何かねだったりしてなかったわね。
コースケは顔を伏せた。少し悲しそうな顔で。
「あ、もしかしてラーメンチャーハンセット頼んで玉砕した?」
「ちがうよ……玉砕はしたけど」
コースケは何も言わずに私達から背を向けた。
「なによ……ラーメンとチャーシュー丼セットにしたのかしら……」
多分、彼は今から、部屋に戻って勉強をするんだと思う。
最近、コースケは前にも増して勉強を頑張ってる。
苦手だったプール教室でも、ぐんと努力して、クロールがとても速くなった。
下から数えた方が早いけど、それだって著しい成長だ。
お母様は最近はしょっちゅう嬉しそうにコースケの記録を眺めている。
お父様は頑張ったものなら何だってほめてくれるけど、お母様は苦手な事を頑張るといっぱいほめてくれた。
私は勉強。コースケは運動。
だけど、得意な絵で学園主催の絵のコンクールではじめて入選した時、お母さまは、ご褒美に「本を買ってあげる」って言ってくれた。
「本なら何でもいいよ」って言われたので、私は自衛隊の本を買ってもらおうと思った。けど、武器とか戦闘機とかの本は全部却下。「何でもいいよ」からの華麗な手のひら返し。今のお母様はお金持ちのマダムというより、太眉毛でぐりぐり頭の某5歳児のお母さんみたいだと思った。
やっぱり、お金持ちのマダムって言ったら東出さんよね。マナーの虎の。だけど独身なのよね、あの人。なんでかしら。
で、結局買ったのがこれ、「大かいぼう! せかいの軍服」。
色んな国の軍服や、昔の軍服が図解されてるミリオタキッズ大満足の一冊!
……なんだと思う。
どうにも遠回りな気がしたけど、お母様が許してくれた唯一の自衛隊関係……とは遠い気がするけど……の本な訳だし、ありがたく頂戴したわ。
だけど、毎晩読んでるこれが意外と面白い。
軍服って装飾もカッコイイし、子供向けの本にしては意外と実用的。いろんな色があってカッコイイし、日本の自衛隊も迷彩だけじゃなくって、色んな格好をするのね。繊維について書いてある部分もある。
私も自分で「私の考えた軍服」をデサインしてみた。こういう風な格好をして働いたらいいかなって。茶色ベースの迷彩のジャケットに、カーキのタンクトップ。そしてスラっとしたグレーの細身のズボン。靴はブーツ。茶色で、歩きやすくてしっかり地面を踏みしめてくれるもの。そして手には、マシンガン。もしゾンビや怪獣が襲来しても安心仕様。これ、絶対。
これは確実に黒歴史になると思うんだけど、大事にするって決めてる。前世、子供の頃に「黒歴史!」って思って捨てたイラストを、大人になって「どんなの描いてたか思い出せないなー。あ、あの頃の絵、捨てちゃってる」なんて思うこと、たくさんあるもの。
今後、もし没落しても、子供時代の楽しい思い出になるだろうし。
とはいえ、恥ずかしくてデザインは誰にも見せられなかった。
だけど、こうなると、自分で何か作ってみたくなってウズウズした。お洋服の仕組みがムショーに気になる。どうすれば、どう縫えばあんな服になるのかしら。前世では知らなかった事を、今世では知りたい。好奇心が湧き上がる。
そして最近、ミシンを借りた。お母様のお古らしいけど、埃をどっさりと被っていたのを東出さんがきれいにしてくれた。
今、ウチで働いている人達は皆ネイビーの手下げ袋を持っている。流行ってる訳じゃない。私のミシンの犠牲になった布切れたちだ。
縫い目がぐちゃぐちゃな初代手下げ袋はミシンを教えてくれた東出さんが「欲しいです」て言ったからあげた。あんな物、捨てるか雑巾にするかしか使いみちがないのに、一体何に使うのかしら。
だけど、成長もしてるみたいで、最近は巾着袋と、ゴムのフレアスカートを縫う事を覚えた。「ズボンの丈つめとか覚えたい」って言ったら、東出さんは「助かりますわ」とクスクス笑っていた。
「そよちゃん、引越祝いあげるね」
そんな訳で、私は早速「広陵院家指定手提げ袋」をそよちゃんに進呈する。心底ウザそうな顔でそれを受け取ってくれた。
「ねえねえどうどう? かわいい? お花のステッチ、頑張ったんだけど」
「……ダッサ」
初めて聞くそよちゃんの声は、そよ風みたいにか細くて、儚い音だった。そしてたった3文字に悪意と毒っけをこれでもかという程詰め込んでいる。
なるほど、ゲンさんをわざわざ山から引きずり降ろした理由はコレね。