(35)桐蔭くん、好き!
「リコちゃん、大丈夫?」
つぐみが心配そうに私の顔を覗き込む。
いつもなら、「ああ、かわいい! つぐみはナンバーワン!」って言って抱きしめたりするんだけど。
今日は無理。絶対無理。
私は魂が抜け出てしまったかのように、机にだらんと体を預けていた。
朝、リムジンから降りた時から足元がフラついていた。
そして、朝礼から、放課後になった今までこの状態。
ラーメンが、食べられない。
千載一遇の好機を逃した。
次のチャンスはいつになるか分からない。
その間に没落イベントが起きたらどうなるの?
その間に死亡イベントが起きたら――
考えれば考える程、危機感に押しつぶされそうになってしまう。
まさか、ラーメンが食べられない事をきっかけに将来に初めて不安を覚える事になるなんて、夢にもおもなかったわ。
今日は毎日続けてるトレーニングもお休みにしようかしら……。
ああ、ラーメン。
麺とスープとどんぶりの御名よりて、ラーメン。
「シっ、静かにするんだ、花巻。エリコは今、“影繰りの術”を発動している。どこかに意識を飛ばして隠密活動をしているはずだ。意識妨害はエリコの命に関わる」
「多分それ違うよ……。桐蔭くん……」
長台詞でわけわかん解説を入れた桐蔭くんに、つぐみはとても言いづらそうにツッコミを入れている。
「姉さんは今落ち込んでるんだよ、聖。慰めてあげれば?」
隣のクラスのホームルームが終わったらしい、コースケが言う。
うそ、いつから居たのかわからなかった。
自称忍者の桐蔭くんがいつから居たのかわからないのとは訳が違う。
それくらい、私は参ってしまっているみたいね。
ああ、ラーメン。私のラーメン。
「慰める……何をすればいい?」
「食べ物あげたら3分で元気になるよ」
人をカップラーメンみたいに言わないでよコースケ!
うう、カップラーメンとか想像したら食べたくなっちゃった……もう無理かもしれない。
私は限界かもしれない。
そうか、と桐蔭くんがうなづき、ポケットから例の小分けパックを取り出す。
どうせ乾パンでしょ?
私は桐蔭くんと乾パンを心底ナメきり、軽蔑して、その光景を眺めていた。
だけど――ほんのりと肉の香りが鼻を掠めた。
「カルパス。食べるか?」
「いただきます」
2秒後
「ごちそうさま」
夢中になって私はかじり付いていた。
うまいい!!!
うまいぞカルパス!!!
涙が出そうな程暴力的に、そして雑にしょっぱい。
唾液が止まらない。
噛めば噛むほど味が湧きだして、舌に染みこむ。
おいしいい、おいしいけど安っぽい。凄いおいしい。
これよ!! 私の求めていた味は!!
私は立ち上がり、桐蔭くんの両手を握る。
「桐蔭くん、好き」
「はっ?」
声をあげたのはコースケ。
桐蔭君は、まるで石像みたいに固まっていた。
「おやつカルパスをくれる桐蔭くんが好き!」
しばらく無言の時間が流れた。
なぜかコースケが桐蔭くんの肩に手を当てて、首を横に振っている。
「姉さんは、飼育員として、聖が好きなんだよ」
何か言ったコースケに、桐蔭くんは両眉をしゅんと下げつつも、「よくわからない」的な顔で首を傾げていた。
「干し肉は非常食だからな。忍者たる者常備は当たり前だ」
「桐蔭くん……。それ、先生にバレないようにね」
つぐみは、一度言葉を飲み込んだ後に言った。
「つーちゃん、ツッコミは諦めな。俺はとっくに諦めたよ」
悟りを開いたみたいな顔をしてコースケが言う。
「エリコ、俺の部下になるか? 主に隠密活動や(以下略)」
「うん、なる! カルパスくれるなら、私なんでもする!」
「うわあ、リアル桃太郎だよ……」
そうぼやいたのは、自称ツッコミは諦めたらしいコースケだった。
「ねえコースケくん。リコちゃんと桐蔭くんにも一緒に来て貰おうよ」
つぐみが手を合わせてぱあっと微笑む。
あまりの可愛さに背景にお花が咲いているように見える。
仏か、この子は。
私は駆け寄って抱きしめて頬ずりを始めた。恐ろしいことに、無意識だった。
ああ、浄化されていく。
ストレスが、不安が、ラーメンが。
「えー」
コースケはにっがい顔をして私と桐蔭くんの顔を代わる代わる見ていた。
「何よコースケ、私達に隠し事?」
「違うよリコちゃん。隠し事なんてしてないよー。ただ、コースケくんが私の家で遊びたいって言うから」
コースケが自分から何かしたいって思うなんて珍しいわね。
つぐみの家――確かに気になるけど、ウチの屋敷と比べたらコースケには物足りないと思うのよ。
となると、気になるとしたら食卓ね。
そんなに中流家庭の食卓が気になるのかしら。
それに、中流家庭といえばラーメンよね。
ラーメンが食べたいのね、きっと。
うん、完璧。Q.E.D。
「もしかしてコースケ、ラーメン食べたいの?」
「だからどうしてそうなるんだって」
証明終了ならず。
全教科グランドスラムの私でも解けない謎――難題ね、これは。
「よければ2人も来て。狭い所だけど、お菓子も用意してるよ」
おやつ?!
もしや――栗大福?!
「行く! 行きたーーい」
「俺も行きたい」
私はつぐみから離れて、両手でハイハイと手を上げてアピール。
桐蔭くんもうんうんと頷いている。
コースケは、なぜか露骨に嫌そうな顔をしていた。