(30)紅茶を飲めるようになりました
結局、私は夏休みに入ってからも桐蔭くんを許すことができなかった。
教室で桐蔭くんがこっちを見ていても、私はフンとそっぽを向いたし、プール掃除中、いきなり水の中から勢い良く飛び出してきも無視。
中庭で迷彩服の彼が森の樹木に紛れていても無視。
林間学校中、暗闇の中で突然両手に懐中電灯を持って突っ込んできても当然のごとく無視だった。
周りからは、「あれを無視できる精神力がすごい」とか、「桐蔭くんって頭大丈夫じゃないよね」とか、「っていうか桐蔭くん最近全然忍んでなくね?」「桐蔭くん……ちょっときもい」とか、様々な意見が飛び交ったわ。
そして、私が桐蔭くんを殴った事件も、いつの間にかすっかり噂になっていた。
というか、事件が元になっただけで、「エリコちゃんがアラブの石油王を殴った」とか、「署長が痴漢をボコって半殺しにした」とか。そこまでならいいけど、「エリコちゃんが単身山に乗り込んでひぐまを倒した」「署長が一人で暴力団を壊滅させたらしい」とか、「エリコちゃんが今度の夏休みにヒマラヤで雪男と戦うらしい。素手で」とかそれはもう笑い事じゃ済まないような、っていうかもう人間じゃない所業が噂になっていた。噂の原型なんてもうどこにもない。
っていうか女子に対する噂じゃないわよ、あれ。一体私になんの恨みがあってそういう噂立ててるのよ、あんたたち。
私と桐蔭くんがこんな状態なのも、割りとみんな「桐蔭くんはいつかやると思っていた」だけでおしまいよ。
この1か月あまり、桐蔭くんとは全く会話をしていない。あんな噂が立ったのも桐蔭くんのせいだし、桐蔭くんは桐蔭くんで反省してるんだかしてないんだかよくわからないし、私、まだ怒ってるんだからね!
だってあの時、本当に桐蔭くんが死んじゃったんだと思ったんだから!
「でね、金曜の桐蔭くんはいきなり壁から出てきたと思ったら、わざとらしく私の前を通ってこう言ったのよ。ああ、いたのか。正直イラッっとどころの騒ぎじゃないわよね!! あーーー頭きちゃうわ」
日曜のマナー教室の後、ガーデンテーブルでお菓子をつまみながら、コースケとつぐみに桐蔭くんに対する愚痴を思う存分吐き出していた。
「リコちゃん、最近は本当に桐蔭くんの話ばっかりだね」
ティーカップに口をつけて、つぐみは微笑んだ。
「姉さんは本当に聖の話をするとイキイキとするね」
そう言って、コースケはカップを受け皿に置く。
コースケはいつの間にか桐蔭くんのことを「聖」と下の名前で呼ぶようになっていた。
そういえば、最近2人の仲が急激に良くなった気がする。階段の踊り場でコソコソと何かを話し合ったりするのを何度か見かけた。
一体何の話だか見当もつかないけど、毎度桐蔭くんは綺麗な顔をむっつりとさせ、鬼気迫ったかのような表情でコクリ、コクリと首がちぎれんばかりに頷いていたのをよく覚えている。
「そういえば今度の花火、つぐみも来るでしょ?」
毎年広陵院では、花火大会の日はお庭でパーティを開いている。
私はおぼろげにしか覚えていないけど、見栄を張り合うみたいなパーティよ。
「うん」
つぐみはニコっと天使のようなほほ笑みを浮かべる。
ああっ、かわいい!
桐蔭くんのせいで荒みまくった私の心が光で満たされていくわ。
私は居てもたってもいられずに、つぐみに抱きついた。
「あーんつぐみ~! 私はあなたさえ幸せなら何だっていいわ~」
私はそう言ってつぐみに頬ずりする。
つぐみは嫌な顔など欠片も見せずに「私もだよ」「大好き、リコちゃん」なんて言ってくれたりして、あ~~~この時間が永遠に続けばいいのに。
「姉さんふざけるのはそこまでにしなよ。聖も呼ばない?」
幸せを充電していた私は、コースケのせいで露骨に嫌な顔になってしまった。
「いやよ」
「言うと思ったけどさ、聖は僕たちの親友でもあるし、去年も呼んだでしょ? ご両親も来るみたいだし、ここはひとつ、妥協してほしい」
そう、江梨子は桐蔭くんにメロメロだったので、彼女は去年もこのお屋敷に桐蔭くんを招いたらしい。
「去年はあんなに”桐蔭くん来て”って駄々こねてたのに、変わったよな。姉さん」
「人間っていうのはそういうものなのよ」
私はフンと息ついて受け皿ごと持ち上げたティーカップを片手で口に運ぶ。
もう腕は震えたりしない。
「コースケだって、ちょっと前のかわいげがなくなってきちゃったでしょ」
私のなにげない発言は、コースケ本人には相当痛いところを突かれたらしくて、「う」と唸り声をあげていた。
「私、桐蔭くんに来てほしいな」
そう言ったのはつぐみ。こうやってつぐみが自分の意見を主張する事は滅多にないので、私は思わず耳を疑った。
あれ、もしかして――つぐみって、桐蔭くんのこと、好き?
だって乙女ゲーのヒロインと王子様攻略キャラだものね。
ちょっと頭ヘンでもよければ、桐蔭くんは最高にイケメンでお金持ちだし。頭はヘンで「せいかつそうだん室」の常連だけど。
「リコちゃんはそこで、桐蔭くんと仲直り、しよ。新学期になったら間に合わなくなっちゃうよ?」
ニコニコ顔で言ったつぐみの言葉がは私の胸にチクっと刺さった。
確かに、桐蔭くんとずっと一緒に居たかった私に、死んじゃったフリをされたから怒ってた訳であって、こうやって無視してたら結局ずっと一緒にいれない訳だし。
もちろん! 「ずっと一緒」っていうのは、中学、高校までの話であって、別にその先は――!
って、何考えてるんだろ、私。
眉尻を下げてシュンとする桐蔭くんの顔が浮かぶ。
まるで犬耳と尻尾がついたみたいなかわいい姿に私はおもわずクスっとした。
そうよね、私の方が大人にならなきゃ。
結局、花火パーティには桐蔭くんを招待することになった。




