(18)みんなで食べましょう
この世で最も魅力的な匂いは、お肉の焼ける香りだと思う。
じゅわって音を立てて鹿の肉が焼ける香りをたっぷりと吸い込んで、私は目を閉じた。
お酒の香りと混じったお肉の香りが鼻を通り抜けて脳に「ごはんだよ! しかもお肉だよ!」と信号を送る。
うん、幸せ。
これだけでごはん3杯はいけそうね。
「とりたてのお肉って素晴らしいですね!」
と言ったら、東出さんは苦笑いして言う。
「これは冷凍のお肉なんですよ。殺菌されますから」
隣にはコースケと、黙々と料理を作る東出さん。
そして、囲炉裏をぐるっと囲うようにして、困惑するお母様、お父様、おじいさん、そして知らない男の人。
なんだかわからないけど、すき焼きは大勢で食べた方が良いし、大歓迎よ!
とりあえず一番大事な事を確認しなくちゃ!
「コースケ、お肉ばっかり食べちゃだめだからね!」
とりあえずこれ!
円満なすき焼きのための一番大事なルールね。
一番楽しみなお肉が全部コースケに取られてすぐになくなっちゃったら嫌だもの。
わ、私はちゃんとお肉を譲りながら食べるんだから! だって転生者だし。もちろんできるってば!
「姉さん、今はそういう場合じゃないんだけど……」
コースケは肩をすくめ、お母様とお父様の方をゆび指す。
お父様とお母様は何やらお話をしているみたいだった。
お父様が頭を下げていて、お母様は困った顔をしている。
「すまない。つらい思いをさせてしまって。僕が間違っていた。結果、キミを困らせてしまった。これから、キミの事はちゃんと守る。だから、屋敷に戻ってきてくれないか」
確かにお父様達は、とんでもなく真面目な話をしていた。
私、てっきりすき焼きを食べに来たんだと思ってた……。
「まさか姉様、お父様がお肉を食べたいからここに来たとか思ってないよね?」
げ、もしかして、コースケってエスパー?!
コースケは悟ったらしく、ため息をついていた。
「夜中、東出さんから知らせを受けて、お父様、血相を変えて来たんだよ。”百合子が戻って来ないかもしれない”って。僕相手にすごく動揺してた」
お父様にとって、お母様ってなくちゃいけないものなのかしら。
愛し合ってるとは思えないし、道具として見られてるの?
会社の社長さんにとって、良家の妻を失ったら世間体とかもうるさいし。
だったら――
「ねえ――お母様は山に住みたいんだよね。跡取りを育てるのを疲れちゃったんだし。だったら、私も一緒にここに住むよ。私、ここが気に入っちゃった」
コースケやつぐみとお別れすることになっちゃうかもしれないけど、お母様をひとりになんてできないし。
ほら、お酒で取り返しのつかない失敗を犯しそうでしょ……。
「エリコ?!」
何故かそれに反応し、驚いた顔をしたのはお父様だった。
そして、お父様は目尻を下げる。
目元にシワの寄ったお父様は、やっぱり優しそうな顔だった。
キレイに正座し、背筋を伸ばしたお父様はハッキリと、この場に居る皆に伝わる声で言った。
「百合子も勘違いをしてると思うが、この際ここでハッキリと言おう。次期社長は広陵院からは取らないつもりだ」
それを聞いて、お母様がハッと目を見開いた。
「だから、百合子は百合子のままでいいんだ。それに、エリコ、コースケ。お前たちも好きなように生きるといい」
お父様は私達に笑いかける。
「コホン、改めて紹介するが――」
そう言って、お父様は、なぜか一緒に来ていた痩せたおじさんの肩に手を置く。
「彼は私の秘書。花巻くんだ。子供たちにはつぐみちゃんのパパって言えばわかるかな?」
ええ、この人がつぐみのパパ?!
つぐみのパパさんは「花巻です」、と丁寧に頭を下げて挨拶をする。
とても誠意の伝わる挨拶のしかたで、なんだか謙虚そうな人ね。
「私は数年のうちにトップを降りる。後は花巻くんに任せるつもりだ。広陵院には新しい時代が必要だからな」
「それって――」
お母様は顔を真っ青にしている。
「江次さん、私が母親として失格だからですか?」
お父様は、お母様の手を取り、ゆっくりと首を横に振る。
「いいや、私は決めていたんだ。会社を背負う苦しみや、醜い家督争いに巻き込まないために、絶対に子供は残さない、と。だが、最愛の女と出会い、私の決意は揺らいでしまった。そして天使の生まれ変わりのように可愛い子供たちを授かったんだ。しかも、2人同時に」
すいません、お父様。私は天使の生まれ変わりじゃなくて、ただの乙女ゲープレイヤーの生まれ変わりです。
「最初から、百合子も子供たちも広陵院に巻き込むつもりなんてなかったのに――百合子、すまない。キミには本当に我慢ばっかりさせてしまっていた。何て謝ればいいか、わからない」
私は口をポカンと開けていた。
え、お父様、お母様のことが好きなの?!
なんだか話がよく見えないんだけど、要するに「私とコースケは次期社長じゃないです。つぐみのお父さんが次期社長になります」ってこと?!
えーーーー!
そんなの聞いてないよ!
だって、つぐみのお父さんって、乙女ゲーだと江梨子のワガママで会社をクビにされちゃうじゃない!
江梨子のわがまま――そっか、江梨子が私だから、こうやって話がトントン拍子の大団円なわけね。
江梨子だって寂しかった訳だし――
ちょっとしたボタンの掛け違いだけで、ゲームの江梨子はああなっちゃっただけなのかも。
「皆さん、お話中申し訳ありませんが、ごはんの時間ですよ~」
そう言ったのはニコニコ顔の東出さん。
全員に生卵の入った器を配っている。
「卵は1人半分になっちゃいましたけど、とれたてのおいしい卵ですよ~」
東出さんの言葉に、おじいさんはウンウンと頷いている。
そして、おじいさんの隣には――あのかわいい女の子が正座していた。
っていつの間に?!
むっつり顔のまま、お肉をドバっと箸で掴んで――
えええーーーー!
いきなり登場してすき焼きのルール破っちゃうの?!
「こーら、そよちゃん」
東出さんがやんわりとした口調で言う。
「そよ」と呼ばれた女の子は肩をすくめた。お肉を頬張りながら。
ああ~お肉なくなっちゃった。
「でもご安心を。お肉はまだまだた~っぷりありますから、特にエリコ様」
「ふぇ?!」
白菜を食べていた私に向かって東出さんが笑いかける。
「そよちゃん、この子も食いしん坊さんだから、悪い子じゃないわよ。仲良くしてあげてね」
東出さんはそよちゃんの頭をポンポンと撫でていた。
すっごい人見知りみたいで、すぐに私から背を向けてしまった。
追加されたお肉はとてつもなく美味しかった。
鹿の肉って臭いイメージがあったけど、ほとんど牛肉ね。
それに淡白な味がする。
うーんしあわせ。
何より、知らない人もいるけど、家族揃ってすき焼きが食べれるってほんとサイコーよ!
「百合子、一緒に飲もう。キミが好きなのを持ってきたんだ」
お父様に誘われて、お母様はほのかに頬を染めて頷いた。
そこから二人が寄り添ったのは見ないフリしてあげる。




