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(16)あの時のお食事会のお母様 

「ホント、エリコは大したタマだよ。見込みあるわ。アンタ」


そう言ってお母様は豪快に笑い、川で水洗いした後の手で私をワシャワシャと撫でてくれた。

冷たくて気持ちがいい。


お母様は小さいころ、気管が弱く、咳がちだったせいで、療養をかねてこの山に預けられていたらしい。

だけど、表向きは「療養」。実際は「屋敷で暮らせない娘など、不良品も同然だ」と判断され、捨てられたも同然だったとか。

なんてひどい話だろう、と思ったけど、お母様の体は都会から離れてすっかり良くなった。

そして、やんちゃすぎる元気娘として成長して、中学生の頃までここで暮らしていたとか。

井生野の長女の結婚が失敗したからって、お母さんは物みたいに「戻ってこい」って言われて逆らうすべもなく強制的に桃園学園に編入する事になってしまったらしいの。


東出さんが説明してくれた。


お母様は、私を撫でながら、もう片方の手で鹿さんの骨を犬の祐介にあげている。

私はどうしても聞きたくて、お母様をじーっと見てしまった。


「何、どうしてそんな目で見るのさ」

「あの……えっと……本当にお母様ですか?」


失礼な質問をした、と思ったけどお母様はアッハッハと豪快に笑っていた。

えええ、お母様、こんなキャラだったの?!

それなのに、あんな貞淑マダムの演技をしてたなんて――そんなの大変じゃない!


「ごめんね、エリコ。アタシさ、ホントはこんなんなんだよね。呆れちゃったでしょ。育ったのもこの山だし、正真正銘の田舎モンだよ」

「ええっ! そんなことないよ。私、お母様のこと、すっごくカッコ良いって思ったよ」


そう言うと、お母様は私から顔をそむけてしまった。

顔を真っ赤にしている。なんだか少女みたいで、すごくかわいらしかった。

カッコ良い上にかわいいだなんて、お母様って凄い!


「なんだよ、生意気なこと言っちゃってさ」


きっとお母様は本当に本来の自分を殺してまで、あの”良家の妻”フリをしてたんだと思う。

自分じゃない自分を周りに求められてきたから、お母様、ずっと大変だったのね。

本来の自分を殺す事ってとっても辛いことなのに。


「正直さ、守りたいものが多すぎて必死になりすぎてたんだよね」


祐介の頭を撫でながら、お母様は言う。


「アタシって、広陵院や井生野から、野蛮な娘とか悪口ばっか言われてたし。アンタらが”これだから野蛮な娘の子は”とか言われるのが怖くって。アタシのことなら何て言われても構わないけど、エリコとコースケがあの人達の冷たい目に晒されると思うとさ。必死で自分を殺してきた」


お母様――。

東出さんはああ言ったけど、私、ちゃんとお母様に愛されていたのね。守られていたのね。


「エリコにも、コースケにもかわいそうな事したと思うよ。ねえ、エリコ。”ママ”ってアタシを呼んだ時、ぶっちったこと、覚えてる?」


私は頷く。

これは江梨子から私になった時、アイツから引き継いだ最初期の記憶だ。


小学1年生の頃だったかな。親戚が集まったお食事会で、お母様に駆け寄って「ママ」という言葉を出してしまった時のこと。

集まりが終わった後、私を呼び出して、お母様は私をぶった。

お母様は、怒りや憎しみ、いろんな気持ちが混じったような複雑な表情で私を見つめ、青ざめた顔で震えていた。


「あの日、眠れなくってさ。今もあの感触、覚えてる。エリコがずっとずっと泣いてたことも。その後もずっと夢に出たよ。それから私、エリコから逃げるようになっちゃったんだ」


お母様は目を伏せた。

口角は自分を嘲るかのように上がっている。


「最低な母親だよね。エリコのためだけじゃなくて、エリコが誰かに言いつけて、広陵院や井生野から”体罰なんていけない“、ってギャンギャン言われる方が怖くなってさ。それまでずっと、エリコもコースケも守るとか思ってたのにエリコを見捨てようとして――」

「お母様」


私はたまらなくなってお母様を抱きしめた。


「私、お母様のこと誤解してた」


体の奥から水が湧き上がって、目から涙がどんどん溢れて止まらない。


「私、お母様がこんなに立派な人だなんて、ずっと知らなくて。ごめんなさい」

「はあ? 何いってんの、アンタ……! アタシ、こんなんだよ? 良家の妻が務まらないダメな女じゃん」

「いえ、お母様はとても立派な方です。私、お母様のような女性になりたいと、今、強く思いました。お母様の子供でよかったと思っています」


涙はとどまる事を知らず、お母様をぎゅっと強く抱きしめる。

お母様はどうすればいいかわからないみたいで、困ったように手を泳がせていた。


「お母様、私、この場所も好きです。大好きです。ここで育ったからお母様を悪く言う人なんて、私がやっつけてあげます」

「な……!」

「百合子さん、抱きしめてあげてください」


うふふ、と東出さんが笑う。

祐介の頭を撫でていて、幸せそうにたっぷりと笑顔を浮かべていた。


お母様の手が私の背中に回る。

そして、お母様も、私を抱きしめ返してくれた。


「嬉しい。エリコがこんな私を認めてくれて。この場所を褒めてくれて。ほんと、嬉しいよ……」


頬に当たるお母様の胸は、ナイロンベストのつるつるとした感触。

香りは、火薬と血の混じった獣の香り。

だけど、とってもあったかかった。

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