(12)伝説のゼリー泥棒
「円周率は3.14、3.14。鶴舞う形の埼玉県に、今日のデザートはクレームアンジュ 」
移動教室に向かう途中、私は呪文のようにこれをつぶやいていた。
数日経っても、私は宿題地獄のままだった。
なまじ頭がよくない(悪かったわね、いい加減思い知らされたわよ)せいで、効率がすこぶる悪い。
少しずつ少しずつ問題を解いて、テキスト1つを確実に1冊ずつ終わらせていった。
これじゃあまるで、ギャンブルで作った借金を返済するために町外れの小さな工場でいそいそ働く人みたいじゃない。
ちなみに、最初に渡されたドリルやテキストが2年生用のものだって知ったのは数時間前。
今日、ようやく渡されたもの全部を終わらせたら、先生がにっこりと笑って「よく頑張ったね、ご褒美をあげる」ってテキストとドリルの山をもらったわ。わーい嬉しい。嬉しくないわよ!
そこには理科と社会科が混じってた。そこでようやく気づいたの。「あ、これ3年生用のだ」って。
私の債務(宿題)多すぎ!
ねえ、これってもしかして過払い金も生じてない?
ちなみに「先生、じこはさんってできますか?」って聞いてみたわ。もちろん無理でした。ですよねー。
そんなわけで、休み時間や移動時間も、「いざ宿題!」って時に忘れて困らないように勉強の内容を呟いたりしてる。
「円周率は3.14、3.14。鶴舞う形の埼玉県に、今日のデザートはクレームアンジュ 」
私は完全に不審者と化していた。前世の容姿だったら完全に「怪しい人」だったと思う。だけど、今世では「怖い人」だと思われてるわ。
あー、良かった。全然よくないわよ!
周りからはなんとなく「近づいちゃいけない人」みたいに見られてるし……。牡丹ちゃんは優しいから時々「エリコ様、大丈夫ですか? ちなみに鶴舞う形の群馬県です」って真っ青な顔で心配してくれるけど。
でも、こんな生活がずっと続いたらクラスで孤立しちゃうよーーー!
「おい」
その時、凛とした少年の声が聴こえた。どこからその声が聴こえたかはわからなくて、私は思わず辺りを見回す。
「上だ」
見上げると、大きな木の枝の上に桐蔭くんがちょこんと載っていた。
って、桐蔭くん?!
美少年が木の上なんて、まるで少女漫画のシュチュエーションじゃない。
私があんぐりと口を開けていると、桐蔭くんはこんなことを言った。
「俺はこれからもお前を見張ってるからな」
「えぇっ?」
ってもしかして、前々から感じてた視線って桐蔭くんだったの?!
「お前もこの間までみたいに、いつでも追いかけてこい。ただし、俺を見つけられるなら、な」
フフフっと綺麗な顔で怪しく笑う桐蔭くん。
え、どういうこと?
「あのー」
私はいそいそと片手を挙げる。
「何だ」
「私、もう追いかけないから安心してね。迷惑かけたくないし。今までごめんね」
「なっ」
私は桐蔭くんに手を振って背を向けた。
円周率はクレームアンジュ。今日のデザートは鶴舞う形の3.14……あれ?
翌日の放課後。
私は『せいかつそうだんしつ』に呼ばれていた。
「しょうらいの夢」って作文を提出した後、先生は血相を変えて私を呼び出したのよ。
我ながら名文だと思ったんだけど、どこがマズかったのかしら。
「公務員になりたい小学生」なんて、夢がないって思ったとか?
うーん。今どき普通だと思うけど。むしろ模範的よね。
それか、「カレーが保障された生活がしたい」って切実に訴えたものだから、ウチの食事にはカレーが出ないって思われてるのかもしれないわ。
そういえば記憶が戻ってからウチの食卓にカレーが並んでる所はまだ見たことがないわね。
そうして向かった『せいかつそうだんしつ』前には、先客がいた。
件の桐蔭聖くんだ。
桐蔭くんは壁にもたれて退屈そうに天井の蛍光灯を眺めていた。
今日は雨。大好きな木登りができなくて退屈してるのかもしれないのかしら。
「桐蔭くんも呼ばれたの?」
むすっとした顔で桐蔭くんは私をじーっと見ている。
やっぱりすごく綺麗な顔。どうしよう、緊張しちゃうよー!
「俺との追いかけっこ、つまらなくなったのか?」
そう言って桐蔭くんは、しゅんと眉尻を下げた。
へ、と私は目を点にした。
「俺はお前から逃げるのがすごく楽しかった。どうしてやめたんだ」
美しい顔がぐっと前に出て私の鼻先に迫る。
え、楽しいって……。
もしかして、桐蔭くんって――
鬼ごっこ大好き?
「でも、桐蔭くんのためを思って……」
「俺のことを思うなら俺を追いかけて見つけろ! どこに逃げて隠れても虚しくなるだろ!」
やだ、桐蔭くんって情熱的!
鬼ごっこだけじゃなくてかくれんぼも大好きなのね!!
わかるわ、わかる。私もおいしいものにはそれ位の情熱を注げるもの。
そうよねー。子供の頃って鬼ごっこやかくれんぼをするのが凄く楽しかったのよねー。
私なんか、前世は小学校にいる間、昼休みは大体『けいどろ』をしてたわよ。
警察役と泥棒役に分かれて追っかけっ子する鬼ごっこの発展系みたいなゲームね。
時々、給食のゼリーを懸けたりして、私は死ぬ気で警察から逃げたわ。
もちろん逃げ切ってゼリーは総取りだったわ。
その「伝説のゼリー泥棒」事件は後の同窓会でも語りぐさになったんだから。えっへん。
あら、それにしても学園のお昼休みに『けいどろ』をしてる人がいないような――
よーし、いっちょこの学園に革命とも言えるような一大ブームを築いてみせましょうか!
もちろん給食のデザートを懸けて戦うのよね!
桐蔭くん、私が死ぬ気で捕まえてみせるわよ!
「よし、わかったわ。桐蔭くん。今度『けいどろ』やりましょ。その時は存分に隠れて! 私、探してあげるから!」
私は桐蔭くんの両手を取ってじっと見つめる。
なぜか桐蔭くんは視線をそらしていた。
「けいどろ……なんだかよくわからないが頼んだ」
うふふ、今から桐蔭くんが泣きべそかいて私にプリンを差し出すのを見るのが楽しみだわ~。
よーし、そのためには今までやってなかった宿題をきっちり終わらせないとね!