(104)誰が江梨子を殺したの(1)
「とりあえず、江梨子ちゃんが元気そうで良かった」
倉敷くんは心底ホッとしたような顔で言う。
「どこが元気そうよ……ふざけないで。見てわかんないの?」
江梨子の声は怒りと屈辱でわなわなと震えている。
倉敷くんって前々から人を煽るみたいな所があったけど……多分、今はそういう感じじゃないとおもうんだけど……。
彼はゆっくりと首を左右に振って力なく笑った。
「俺、最悪の事態も考えてたから……もう一度君に会えて本当に良かった」
倉敷くんの笑顔に、胸がじんわりと痛んだ。
沢山の人に切り捨てられた江梨子を、一番好きな人に見限られた江梨子を、この人だけは見捨てていなかった。
江梨子はまだ、やり直せる。倉敷くんならきっとどうにかしてくれる。
そう思わせてくれるような、心強い笑顔。
それに対して、江梨子はというと――
「ふーん? その方が良かったんじゃないの。皆も、アンタも」
(な! そんな事言っちゃダメだよ!!)
私はつい小声になって江梨子に耳打ちした。
(素直になりなよ~~! 倉敷くんは本気で心配してるよ?)
江梨子は私の方を振り向いて鋭い目つきで睨みつける。
すぐに倉敷くんの方を刺し殺すんじゃないかって程鋭い視線で射抜いた後
「ご心配には及びません。私は平気ですので。家の権力を借りれば学校になんて通わなくてもどうにでもなります」
早口でまくし立てて部屋から出て行ってしまった。
「ちょっと! 待ちなさいよ~~~~!!!」
それを追いかける私。
ちらりと倉敷くんの方を見ると彼は肩をすくめて――なぜか、見えないはずの私の方を見て悲しげに微笑んでいた。
部屋に戻っても、江梨子は扉の前にへたり込んでしまった。
そして、体育座りの足に顔を埋めて嗚咽を漏らしている。
どうしようもなくどんよりとした空気に、押しつぶされそうになりながらも、私は声を掛けられなかった。
掛ける言葉が見つからない。
ここまで打ちひしがれた女の子には、なにを言っても無駄なんじゃないかと思えてくる。
多分、言葉をまともに聞いてすらくれない――。
江梨子は顔を上げて私を睨みつけて言う。
「何じろじろ見ているの」
地を這うような、恨みだけでできた言葉だ。
私は気まずくなって、床へと視線を落とす。
「アンタは私なんだから……愚痴くらい付き合いなさい」
カサカサに掠れて力の感じられない声。命令するような口調。
それが江梨子の声だとわかるまで、少し時間が掛った。
「桐蔭くんは、親が勝手に決めた婚約者なのは……もちろんアンタも知ってるでしょ?」
そうだ、『花カン』本編では江梨子と桐蔭くんは婚約者なんだった。
くそう、羨ましい!
どうして私達はそういうハッキリとした関係がなくって、曖昧なままなのよ!
なんて思ったけど……江梨子の様子を見ていると、そんな気も起こらなくなる。
「子供の頃はたしかに好きだったけど……今じゃ重荷だし、お父様やお母様に認めてもらう、たった一つの手段だった……」
江梨子は膝を抱きしめる力を強める。
「私は勉強もできないし、他の特技も無い。性格だって悪いし……それは一応、知ってる。……誇れることは家柄と顔だけ」
「そんな事ないよ……私は江梨子の良い所、沢山知ってるわよ?」
江梨子は眉間にしわを寄せて私を睨みつける。
その迫力に思わず背筋が縮こまった。
「だから、男を落とすことに全力を尽くした……邪魔な女は排除して、蹴落として。ふふ、沢山の女を泣かせてきたわ。邪魔者を排除するなんて簡単だもの。ウチの弟みたいにね!」
口端を寄せる江梨子は、悪女と呼ぶのに相応しい顔をしていた。
どうして――この子がこんな顔をしなきゃいけないのかしら。
「でも……江介は――あの庶民の女に唆されて……いえ、バチが当たっただけね。そうよ、バチが当たったのよ」
ちょっとしたボタンの掛け違いのせいで、この子は歪みに歪んでしまった。
多分、どこかに本心が隠れているはずなのに。
大人たちの勝手な期待や、人との軋轢や、本音の見えない人間関係が、ぐちゃぐちゃに絡まってこの子をおかしくしてしまった。
私は黙って江梨子を抱きしめた。
そんな事ぐらいしかできないから。
江梨子は肩を揺らし、唇をかみしめていた。
そして、枯れたザラザラ声で言う。
「私も――普通の家に生まれたかった……」
多分、これが本音なんだと思う。
「……倉敷くん」
しゃくりあげながら、何度も繰り返した名前の少年は、婚約者なんかじゃなかった。
私の知ってる倉敷くんは、何を考えてるか良くわからない所はあるけど……いつも明るくって、江梨子を探してる。
誰かとケンカをしてる所を見たことが無くって、気づいたらたくさんの笑顔の真ん中に居る男の子。
江梨子の心のなかに居るのも、倉敷くんだった。
もしかして、両思いなのかな?
なら、今からでもきっと何とかなるはず!
だって、私は江梨子と接触ができるから、説得すればどうにかなるんじゃないかしら!
「大丈夫、これからでも間に合うよ。倉敷くんは江梨子の事、助けたいと思ってる!」
「そうなのかしら……だって……私なんかを好いてくれる人なんて誰も居ないわ。最初から……居なかったのよ」
江梨子は眉を下げて真っ赤な目で私を見る。
「そんな寂しい事、言わないで――私は江梨子の事が好きだし、倉敷くんだってきっと……」
脳裏に倉敷くんの姿が浮かぶ。
玉ちゃんと一緒に居る時の倉敷くんは、とても幸せそうで。
いつもチャラチャラしてて本心は分からないけど、彼は玉ちゃんと仲良くなるまで、ずっと誰かを探していた。
いろんな女の子に声を掛けて口説いてた。最初は誰を探しているかは分からなかったけど、今ならわかる。
倉敷くんが探していたのは――江梨子だったんだ。
どうしてなんて考えるのは後でいいわ。
私だって転生者だし、玉ちゃんはチート級の魔眼を使う、桐蔭くんだってニンジャとして理屈の分からない忍術を使うし、そよちゃんはオーバーテクノロジーなロボを操る。
だから、理屈なんてどうだっていいのよ!
「倉敷くんは絶対に江梨子が好き。私が証明するわ!」
「……っ」
「だから、絶対大丈夫だよ。もっと未来に希望を持とう? 私は――未来から来たけどすっごく幸せよ?」
嘘を――ついてしまった。
江梨子のためなんだからいいのよね、と自分の中で言い訳をして、江梨子の手を握りしめる。
彼女は力なく微笑んでゆっくりとうなずいた。
その後、彼女は疲れちゃったみたいで、眠りに落ちた。
私もだるさを感じて江梨子を抱きしめるようにして眠ってしまった。
なんとかなる。
そんな予感がして、私はホッとしてしまった。
江梨子は死んでしまう運命にあるというのに。
バカな私は自分の力を過信してしまった。
だけど、確かにその時まではたった一欠片だけでも希望が有った。
たった一人の普通の男の子が江梨子を救ってくれると信じきっていた。
――そう、彼女が訪れるまでは。




