(94)一番好きな食べ物は……!
「……そんな経緯で赤点でした」
「アンタってほんっっっっっとにばかねぇ」
赤点だった古典と倫理と化学の答案用紙を机に並べて、玉ちゃんはしみじみと噛みしめるようなが実感が込めて言った。
「いやあ……それほどでも……えへへ」
「あ?」
「すいません。ほんっとうに申し訳ない。この通りです。ごめんなさい」
私は正座させられ、床に額をこすりつける。
「ナニシテンダ」
その様子を見て、キクチさんに搭乗したそよちゃんがこちらへやってくる。
玉ちゃんは顎を使って机の答案用紙達を指した。
それに釣られてキクチさんのキグルミの耳が動く。
「ウワ、ナンダコレ。エリコはスッゲェ馬鹿ダナ」
ボイスチェンジャー越しにとんでもない侮辱をされてしまった。
「そういうキクチさんはどうだったのよ」
どうせ赤点だったでしょ! 私、分かってんのよ。
ふふんと若干得意げになりながら鼻を鳴らす。
だけど、玉枝様はそれを許さなかった。
「あ?」
人を殺さんばかりの鋭い視線で射抜かれ、私は再び床に頭をこすりつける。
「すいません、ほんっとうに申し訳ない。この通りです。ごめんなさい」
デジャヴだった。
「フッフーン。コレヲ見ロ」
キクチさんはやや得意げに腕組みすると、懐から答案用紙を取り出す。
「うっそ……古典、満点じゃない?!」
得意の数学と化学はもちろん、他の教科も見事な点数でこの分だと、廊下に貼りだされる上位トップ50にも食い込んでくるかもしれない。
「な、なんで?!」
「見クビルナ。オマエト、ワタシハここガ違ウンダ」
「ここ」と言う時にキクチさんはぬいぐるみの頭部をトントンと指す。
さすが天才少女というところか……ぐぬぬぬぬぬ、侮れない。
でも悔しい! こんなふざけた見た目のヤツに馬鹿扱いされるなんて!
「当たり前じゃない! あなた、そんな変な格好なんだから!」
「ナンダト、オマエ量産機バカニスンノカ!」
「まーまー。でも、菊地原さんも良く頑張ったわね。教え甲斐があったわ」
満足気に言った後、玉ちゃんがぐらりと揺れたような気がした。
だけど、それは一瞬の事ですぐに元の姿勢に戻っている。
……気のせいだったのかもしれないわね。
「なんですってーー! あなた、玉ちゃんに教わってたの?!」
「イイダロー! 姐サンハ頼リニナルカラナ!」
きーーー! ここが違うとか言い腐ったくせにーーーっ!
「教え甲斐があったわ」
あれ、また玉ちゃんがぐわんぐわんと揺れてるような。
それに、その台詞はさっきも聞いたし。
「おーい、女子諸君。我らが同士、桐蔭くんが赤点だったから肝試し決定なー!」
倉敷くんが今治くん、コースケ、桐蔭くんを引き連れてやって来る。
「……面目ない」
桐蔭くんは余りにきっぱりと言ったせいで、逆におちょくってるんじゃないかと思ったわ。
「教え甲斐があったわ」
「え、玉ちゃん……赤点なのに教え甲斐って?!」
っていうかその台詞聞くの三回目なんだけど――
ここで、玉ちゃんは座った姿勢を崩さないまま、棒を倒すみたいに床へと倒れこんだ。
へ?!
「中西さん?!」
玉ちゃんはぜーぜーと荒い呼吸を繰り返し、顔を真っ赤にして苦しんでいる。
最初に反応したのはまさかの倉敷くんだった。
「……ひどい熱だ」
倉敷くんは、しゃがんで玉ちゃんを膝の上にのせて、額に手を当てる。
「まったく……どうせ無茶しちゃったんでしょ……」
そうつぶやくと、彼はうなされている玉ちゃんをおんぶして教室の扉へと向かって行った。
いつものおちゃらけた雰囲気とは全然違った優しげな眼差しが妙に印象的ね。
「く、倉敷くん! どこ行くの。ま、まさか襲うとかじゃないよね――!」
慌てた今治くんに
「保健室に決まってるでしょー」
そう柔らかく言うと、ひらひらと手を振って、刷子扉が遮られ、姿が見えなくなった。
結局、玉ちゃんはひどい熱があったみたいで、保健室で休む事になった。
もともと風邪をひいていたのに、無理をしてしまったせいで悪くなっちゃったらしい。
お父さんが迎えに来てくれるまで寝て待つらしくって、今も保健室に居る。
今は落ち着いているらしいけど、心配には変わりない。
キクチさんも「姐サン……私ノセイカ……」とボイスチェンジャー越しにしょげた声を出してしゅんとしていた。
私達もお見舞いに行こうと思ったけど、倉敷くんに「人数が多いと迷惑になっちゃうから」と止められてしまった。
お見舞いは、倉敷くんが一人で行っている。
「倉敷くんって……チャラいだけじゃないのね~」
私はしみじみと言う。
ああ見えて意外と優しいなんて、モテるに決まってるわ。
コースケみたいなお金だけの根暗とはモノが違うわね、モノが。
と、言ったところで教室に遊びに来ていたコースケがくしゃみをする。
「……エリコはああいう男がいいのか」
その台詞が、桐蔭くんが放った物だと気づくのに、少し時間が掛かってしまった。
「ふぇ?!」
「……いや、なんでもない」
「んーなんていうか、案外あの二人ってお似合いかもって……」
桐蔭くんは綺麗な顔を複雑そうに歪めて首を傾げる。
「二人?」
「玉ちゃんと倉敷くんよ」
もし玉ちゃんがこの台詞を聞いたら、私の事を形がなくなるまで殴りかねない。
「そうか?」
「え、そう思わない?」
彼は、珍しく表情を変えて考えこむような素振りを見せていた。
「ふふーん。桐蔭くんにはちょっと早いかもね~」
「な、そんな事……」
反論しようとして身を乗り出したけど、桐蔭くんは少ししょんぼりとした様子で僅かにうつむく。
見えないはずの犬耳と尻尾が見えた気がした。
なんだかこれが見えるのって久しぶりね。いえ、実際は見えてないけど。
「エリコ……倉敷みたいなタイプは好きか?」
唐突な質問に、私は考えこむ。
好き――友達としてなら、とっても明るくて、今みたいに玉ちゃんを真っ先におぶって保健室に連れてってくれたりして。
仲間思いでいい人だと思うな~。
だから――
「うーん…………パイナップル飴とおんなじぐらいかな」
「そうか」
桐蔭くんは考え込んだ末に一拍置いてボソリと言う。
「じゃあ――俺は」
「うーん、桐蔭くんは……」
少しドキドキする。
改めて聞かれると結構困ってしまう質問だ。
倉敷くんがパイナップル飴だから――私の好きな食べ物。
一番――好きな食べ物――。
「うーん……う、ううう~~ん……」
こめかみに指を当てて必死に考える。
焼き肉とラーメンと豚汁と桐蔭くんが頭の中でぐるんぐるんと回っている。
あれ、でも――これって全部お酒に合いそうじゃない?
なら、お酒がナンバーワンよね。
間違いないわ。
「焼酎――かな?」
「……そうか、焼酎か」
ぶっ
と音がして、コースケと今治くんが同時に謎の痙攣を起こしていた。
桐蔭くんが呆然と立ち尽くして「俺は焼酎……」と繰り返している。
「ところで、つーちゃんはどうしたんだろう」
コースケは、窓の外の校庭とサッシ扉をチラチラと見比べながら落ち着かない様子でいる。
「そうね~。珍しいわね」
結局、この日つぐみは学校を休んだ。
「助けて! リコちゃん、コースケ君!」
つぐみから電話を貰ったのは、その日の放課後の事だ。