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(93)彼女が風邪をひいた日

「くしゅっ」


翌朝。

玉ちゃんが小ぶりなクシャミをする。

家が近所のつぐみとそよちゃんは先に家に帰っていて、家の遠い玉ちゃんだけがウチに残っている。


「だ、大丈夫?」

「……平気よ」


玉ちゃんは青ざめた顔のままティーカップを口を運んでいる。

さすが、前世が広陵院江梨子なだけあって、慣れたものだった。

正直、私より全然様になってる。


それにしても、ベッドから落としちゃったのに。

てっきり玉ちゃんの事だから、形が残らない位殴られると思ったんだけど、何にも言わないなんてヘンね。


「おはようございます、エリコ様。今日は早いんですね」


東出さんがニコニコとほほ笑みながらお茶菓子をテーブルに置いた。


「ああ、ありがとう」

「お友達もゆっくりしてくださいね」


玉ちゃんがその姿を見た瞬間、蛇にでも睨まれたかのように凍りつく。


「あかり……おばさん?」


小さな声で何かを言った気がした。

東出さんはニコニコとしたまま表情を崩さない。


「さて、それは誰でしょうか?」

「……すいません、気のせいです……キシッ」


玉ちゃんはそう言ってもう一度特徴のあるクシャミをした。




今日は土曜日なので、学校が無い。

玉ちゃんはお父さんが迎えに来て帰ってしまった。



私はもう一度テスト勉強の復習をする。

本当に数式の裏に「mm」を付けるだけで問題が解ける。

自分の頭のアレ加減に私は閉口するしかなかった。


「エリコ様」


東出さんだ。

リビングでくつろいでいる私にお茶のおかわりをすすめてくれた。


「数学のお勉強ですか? さすが、とても勤勉ですね」


クスクスとほほ笑みながら、東出さんは数式を見る。

そしてハッと気づいたように目を丸くした。


「エリコ様も数式にmmを付けてるんですね」

「も?」


東出さんは確かに「エリコ様も」と言った。

それってつまり――誰か他にも数式にmmを付けないと解けない人が居たって事?


「百合子さんもそうだったんですよ。距離を表すmを付けないとどうしても解けなくって」


クスクスと笑いながら言うけど……mな上に距離って。長さじゃなくって距離って……要するにアレを「ぶっ放つ」ための計算なんじゃ――。


「私じゃどうしても百合子さんに数学を教えられなくって。数学が得意なクラスメイトの男の子に相談したら“アイツの得意な物に置き換えればいい”って」

「それで鉄砲で使う距離なのね……」


東出さんはあはは、と苦笑いした後、遠くを見つめてうっとりと目を細めていた。


「あの頃は、辛い事もたくさんありましたけど、本当に楽しかった――エリコ様も、とても楽しそうで私も嬉しいです」


ニコニコと微笑む東出さんに、私も釣られて笑顔になる。


「うん、毎日すっごくすっごく楽しい」


東出さんは指の長い手を私の頭の上に運び、ゆっくりと頭をなでてくれた。

子供っぽいかもしれないけど、こうしてるとすごく落ち着くわ。

どうしてかな。



「あーーー疲れたー。あれ、エリコ。数学してんの? 珍しいね」


お母様が頭に被ったほっかむりを脱ぎながら、私のテキストを覗き込む。


「あれ、アンタも数式の後ろにmm付けてんの? あたしもよくやったよ。私が教えてる途中に寝ちゃうからって、高崎が鉛筆へし折って床に投げつけて”それなら語尾にmでもつけとけ!”ってすーごく怒ってさ~」

「うふふ、そんな事もありましたよね」


クスクス笑い合う二人をよそに、私は動きを止めてしまった。

え、お母様?

その……さっき、高崎って言いませんでした?


さっき東出さんが言った「数学の得意な男子」って、もしかして高崎くん?

そして、鉛筆をへし折って怒り狂う高崎ってあの――


「ああ、あかり。知ってる? カイザー高崎って今、エリコの担任してんだよ」

「あらまあ」


あちゃー、やっぱりそうだったかーーー!

衝撃の事実に私は頭を抱えたい気持ちになった。



「ただいまー」


そして、次にコースケが帰ってくる。

同じ理由の二度目の入院で、そんなに心配もされていない。


彼は私を見つけるなり手を引っ張って別室に連れ込んでバタンと扉を締める。


「な、何よ……」

「つーちゃんは僕の話とかしてなかった?」


食い気味で聞いてきたのを見て、私は悲しくなった。


そうだった。

つぐみは好きな人が居るんだ。

しかも、相手はヨーロッパの王族。

コースケなんかじゃとても及ばないわ。


「コースケ、頑張りましょう。王位を剥奪するしかないわ」

「何を言ってるんだ姉さんは一体――」

「つぐみはね、ヨーロッパ王子様が好きなの」

「……何言ってるんだ、姉さん」


コースケは、二回も同じ台詞を吐いた後、心の底からかわいそうななものを見るような目で私を見ていた。


「だって、聞いたんだもの! つぐみの好きな人は手の届かない王子様のような人って!」

「それだからって、ヨーロッパの王族だと思うのは安直にも程があるだろ!」

「じゃあ、違うの?」


コースケは顎に手を当てて考えこむ。


「……つーちゃんみたいに可愛い子の手の届かない……王子様のような人――やっぱり石油王かな」

「アンタも大して変わらないじゃない! 大体、つぐみ、石油王は違うって言ってたわよ!」

「な、なんだって!」


コースケは衝撃を受けたように後ずさる。


「となると、誰なんだか気になる……姉さん、よければ聞き出してみてくれないか? 姉さんってバカだからあんまり使いたくなかったけど――」

「使いたいならもっと誠意を見せないよ、誠意を!」


とはいえ、かわいい弟のためだもの、スパイぐらいやって見せようじゃないの!


こうして私は可愛い弟のためにスパイ作戦を不眠不休で考え、特に良い案も見つからない間にテスト当日となってしまったのです。


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