(9)知らない世界の給食
「それにしても」
東出さんは、昨日と同じように朝一番で私の所に来てくれた。
そんな彼女の背中に、寝ぼけた顔をこすりながら、私はポツンと言う。
「この部屋の家具って全部売っぱらったらどれ位の額がつくのかしら」
東出さんは一瞬びっくりと目を丸くしたけど、すぐにクスクスと笑い始める。
「エリコ様って本当に奥様に似たんですね」
「へ?」
「奥様もこのお屋敷に初めて来た日に同じ事をおっしゃっていました」
そうなんだ、お母様って良家の娘さんって聞いてたんだけど、広陵院程大金持ちじゃなかったのね。
「奥様はお家の方針で、質素な暮らしをされていたんですよ」
「へえー。お母様って立派な教育方針のお家で育ったのね」
少なくとも、江梨子みたいな子をワガママ放題させちゃうウチよりずっと素晴らしいと思うんだけど。
そう思って言ったんだけど、東出さんの笑顔には複雑な色が浮かんでいた。
「ふふ。そのうちお話致しましょう。さ、エリコ様。身支度をお整え致しますわ」
そう言って、東出さんがそっと椅子を引いて私に手招きをした。
仕草を見たら、私より東出さんの方がずっとお金持ちっぽいわよね。
こういう「レディ」みたいな人も憧れるけど、私がなりたいのはただひたすら「強い人」だし……。
「そうそう、東出さん。ウチに墨と筆はありますか?」
「勿論ありますけど、いかがされました?」
「ちょっと、”ざゆうのめい”を書いておきたくて」
あら、と東出さんは目を丸くした後に、すぐにクスクスと笑い出した。
そう、座右の銘。
今から私が目標に向かって突き進んでいくための、大事な言葉よ。
額にでも入れて飾っておけば、辛くて投げ出したくなる時も、この言葉を見たら「がんばろう!」って思えるようなそんな言葉。
こういうのって後々モチベーションが下がった時に大切になると思うの。
だって、人生は何が起こるかわからないものね。いつ目標につまずくかわからないじゃない。
「エリコ様。まさか”一日三食”とかじゃありませんよね?」
なるほど、その手があったわね。
って、そうじゃない!
「ち、違いますっ。からかわないでくださいっ! そうですね……”一日三膳”なんてどうです?」
ドヤ、という顔で言った私。
だけど、堪えきれない、と言わんばかりに東出さんは吹き出してしまう。
「それって結局”一日三食”と一緒じゃないですか」
ウフフと笑いながら、東出さんは言う。
「むぅ、じゃあ何が良いかしら。心も体も強くなって、つぐみやコースケを守りたいのに」
「っ」
東出さんはピタリと動きを止めて、何かを考えるように天井を仰いだ。
「……そうですね~」
優しいなぁ~。たかが9歳の考え事に付き合ってくれるなんて、若いのに立派だなって感心しちゃうわ。
結局、私の座右の銘は「まずは自分で探してみよう」、という事になった。
そうね。人生の軸になる言葉だもの、自分で見つけるのが一番よね。
東出さんが部屋を出てから、少し時間に余裕もあったし、鏡で自分を観察する事にした。だって貴重な小学生時代の制服姿だもの!
そりゃあ穴が開く程見ちゃうわよ。
それに、前世と違って今の私はすっごい美少女だし、いくら見てもほれぼれしちゃうわ~。
初等部の制服もとてつもなくかわいいわ。流石お金持ち学園。
胸元の赤く大きなリボンの目立つブラウスの上に裾に一本ネイビーのラインの入ったアイボリーのワンピースに、地厚なネイビーのジャケットボレロを羽織って、頭にはアイボリーのベレー帽。
ベレー帽には紺色のリボンがついている。
こんな凝った制服、前世じゃマンガの中でしか見たことがないわよ、私。
まあ、ここは乙女ゲーの世界なんだけどね。
「ふふふ、私ったら今日もかわいいっ」
姿見の前でクルっと一回転。
世界で三番目にかわいいお子様だもの、伊達じゃないわよ。
ついでにポーズも決めちゃうわ。
「何してるの? お姉ちゃん」
振り向けば、固まって呆気にとられた様子のコースケが立っていた。
「げ……どこから見てた?」
「鏡でじーっと自分を見てるとこから」
「見てはいけないものを見てしまった」とでも言いたげのコースケ。
えーーーーっ、最初からみられてたの~~~~?!
そんな訳で記憶が戻ってから最初の学校生活がスタート!
昨日と同じリムジンに乗って、コースケと一緒に登校。
こんなのが小学校の校門に停まるなんて――もしかしなくて、クソ目立つわよね。
道すがら、コースケに「つぐみは何組なの?」って聞いたら「つーちゃんは別の学校だよ」って教えられた。
っていうか、コースケはつぐみの事を「つーちゃん」って呼んでるのね。
何だかんだ二人も大親友なんだわ。なんだか安心ね。
正直、あの「大親友の誓い」は私だけが舞い上がってる感じがしてたんだけど、これなら心配はいらないわね。
「……な、なな、なんなのよ、これ」
と、私がつぶやいたのは、教室の隅っこにある「今月のおしらせ」と銘打った掲示板。
そこに貼りだされた一枚の紙。『今月の給食』
ここに書かれているのは給食のメニューよね?
そこには、コッペパンも揚げパンもソフト麺も大学芋もわかめご飯も見当たらない。
1か月分を2行に渡ってツラツラと書かれているのは、聞いたこともないような単語の数々。一応、高級料理っていうのはギリギリ分かるけど。ところどころに伊勢海老とか松阪牛とか書いてあるし。
そこで気づいた。
この学校ってもしかして――セレブ学園的なアレなの?
普通は「外観を見た時点で気づくだろ」ってツッコミはナシね。
だって、余りに給食が楽しみすぎてイノシシみたいに教室に突進しちゃったんだもの。
そっか、この学校は前世のゲームの学園の初等部なのね。
なら納得がいくわ。
ゲームでつぐみや江梨子、江介が通っている『桃園学園』は日本有数のセレブ学園っていう設定だものね。
でも、こんなに高級な給食じゃ、安易に「おかわり争奪戦じゃんけん」なんてできないんじゃないかしら――
っていうか、お嬢様おぼっちゃまだらけの学校で、庶民の私はどうやって振る舞えばいいの~~~?!
お昼休みですらどう過ごすか分からないわよ~~~!
「もうむり、つかれた」
今日の授業が全部終わり、私は机に突っ伏して「ぐえっ」と声を漏らす。
教室に迎えに来たコースケに抱えられて、迎えのリムジンに乗せられた。
頭から煙が出ちゃいそうなくらい、脳みそは疲弊していて、頭のなかでプスプスと音を立てていた。
心配していた昼休みだけど、そんな物は私には与えられなかった。
今まで散々ワガママ言って宿題をサボっていた私には、「ツケ」が待っていた。
美味しい給食が終わって、「わーい、お昼休みだ~」って思った瞬間、机にドサリと問題集の山が置かれた。顔を上げると、担任の先生がニコニコと笑っていた。
「今日はよく宿題を頑張りました。頑張ったご褒美にこれをあげます」
なんて言われた。超怖かった。
お昼休みは一度も立ち上がることなく山積みになった宿題を片付けるハメになった。
中には「夏休みの宿題」も混じっていた。
い、いつのよこれ~~~! しかも真っ白じゃない~~!
お、おのれ広陵院江梨子~~~!
そう思いながら鉛筆を必死に動かして、気づけば昼休み終了のチャイム。
クラスの子とも目が合ったらサッと逸らされるし。とほほ……。
こんなの児童虐待だわ!! とも思ったけど、身から出た錆だとも思った。
もちろん、これは江梨子のサボった分なんだけど、私の前世の「ツケ」でもあるのよ。多分。
ふと、私からプリンを奪った前世の数学教師の顔が思い出す。
数学の先生は、生まれ変わった私に振りかかる宿題(災厄)から守ろうとしていたのかもしれないわね。
それにしても、これじゃあまるで落ちこぼれ児童じゃない。本当に学力無双なんて遠すぎる夢だわ。
だけど、ずっと誰かに見られた気がしたのは気のせいかしら――
「それでね、今日の学校はお尻が痛くなっちゃうまで座りっぱなしでね。ひどい先生ですよね~」
「うふふ、これは奥様の意向ですからね」
早速今日の出来事をテラスで東出さんに愚痴っていたら、また意外な言葉。
「お母様が?!」
私は突っ伏してたガーデンテーブルから跳ね起きた。
「そうですよ。奥様は学校に『厳しく叱ってください。特に娘を』とお願いしていますから」
「どうしてコースケは免除されてるのよ!」
そう言った私に、東出さんは困ったような笑みを浮かべる。
「学校のことを子育てのプロだと思っているのでしょう」
なんだか皮肉めいた発言に、私は不思議になって東出さんの顔を見る。
それにしても、東出さんってお母様の話をするのが好きよね。
それによく知ってるみたいな口ぶりだし。
今度、お母様の事を聞いてみようかしら。
東出さんならお母様本人に聞くよりもリラックスして聞けそうよね。
ここで、1人のメイドさんがお庭にやってきて私に礼をする。
「失礼します。エリコ様。お友達がお見えになっています」
それを聞いて、私はぱあっと目を輝かせた。