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(1)きっかけはビシソワーズ

豚汁が食べたいなぁ、と思った。


目の前には朝食のじゃがいもの冷たいポタージュがある。

私が気まぐれで癇癪を起こし、朝っぱらからメイドを蹴ってまで作らせたものだ。


今は10月。季節で言えば秋。

秋と言ったらやっぱり豚汁で、お母さんの得意料理だった。

「あんたいつ結婚するの?」という小言を聞き流して、七味を一振り入れた豚汁を啜るのが私にとって、至福の瞬間だった。


あれ?


おかしい。

私は「こうりょういん(広陵院)家のおじょう様」のはず。

「とんじる」なんてものは知らない。

それに、お母さんは今、目の前で静かに朝食を食べているこの気品の塊みたいな、きれいだけどこわい女の人。「おかあさま」と呼ばないと私をたたくこの人のはず――


その時、私は理解した。

前世を思い出したんだ、って。


不思議な感覚だった。

9歳の誕生日を迎えたばかりの私に、まだ知らないはずの知識がどんどんと流れ込んできた。

言葉、漢字、常識、道徳観、ハンバーグ、味噌煮込みうどん、オムライス、焼きそば、お刺身、モツ煮、軟骨の唐揚げ、たこわさ、枝豆――――

あれ、流れこんでくる知識は食べ物ばっかりじゃない?

っていうか後半は完全にお酒のつまみじゃないの!


「江梨子、どうしたんだい?」


私にはベタベタに甘いお父さんが、不思議そうに私の顔を覗き込む。

お母さんとかなり歳の離れた、痩せた男の人。ロマンスグレーという言葉の良く似合うとても上品な紳士さん。それが私の”今の”お父さん。いえ、「おとうさま」。


「なんでもない」


首を振ると、ポタージュをスプーンで掬って飲む。

その瞬間、じゃがいもと生クリームの風味が口の中でフワッと広がった。

もう一口掬って飲む。少しぬるいスープが舌に触れる。

あ、寒いから、お腹を冷やさないように少し温めにしてくれたんだ。


「……おいしい」


声は控えめだったけど、心のなかでは「んんんおいしい~~~~~~~っ」ってカンジで絶叫ものだった。

凄い、私って今までこんなに美味しい物を食べてたんだ。

何だか涙が出そうになるくらい感動してしまった。


それなのに、どうして毎日「美味しくない」って言って癇癪を起こしてたりしてたのかしら。

怒りというよりも、どうして、なぜ、と不思議だった。

こんな美味しいものを作ってくれる人なんてそうそう居ないわ! ぜひともお礼を言いたい! 


「おとうさま、これを作ってくれた人を呼んでくれませんか?」


お父様は、さっきの優しい笑顔から、がっかりの顔になって肩を竦めて見せた。

お母様は黙って首を横に振っている。

何故か、隣に座っていた弟の江介(こうすけ)は俯いてしまった。

元々静かだった食卓が一瞬でどんよりムードだ。


あれ、どうしてそんな反応なの?


「どうしてだめなんですか? お礼を言わせてください」


その一言で空気が変わった。

お父様は驚いたように目を丸くして固まっていた。お母様も同じく。

江介は僅かに顔を上げて私を凝視している。彼も驚いているみたいだった。



あれ、何か変なこと言った?

あ、そっか。大事なことを言い忘れてたわ。


「もちろん、メイドさんを蹴ってしまった事はあやまりますから!」


向こうで誰かがトレイを落とす音が聞こえた。





「今日はひどい事をしてしまってすいません。おいしいポタージュ、ごちそうさまでした」


朝のメイドさんにお礼を言って頭を下げたら、彼女もお父様達と同じように固まっていた。

何でなの。どうしてその反応なのよ。



すれ違った使用人さん達は、私と挨拶を交わす度に集合して固まってはヒソヒソ話を始めている。

あれ、何か変だったかしら?

礼儀作法は駄々をこねて殆ど手をつけていないし、前世でも基本寝っ転がって腕枕だったから自信が無いのよね……。


でも、揃いも揃ってどうしてそうなのよ。

確かに今までの私はワガママばっかりで、すぐに癇癪を起こして物を投げたり、人を罵ったり蹴ったりしてたけど――


ああ――なるほど、そういうことね。


私はひとつの結論を見つけた。

要するに、わがまま放題だった私が、いきなり物分かりの良さそうな子になったから皆驚いちゃったんだわ。


確かに今までは、物は投げるは人を蹴るは罵るわで最低だったわよね……。

大体、私がしてきたことって9歳だからって笑って許されるレベルじゃなかったし。

前世の私が9歳児に同じことをやられてたら普通にキレてその子の親に文句の一つ位言うレベルだったわ。


えーっと、つまり……とっても手のかかる子だったのね、私って。

いえ、もっと簡単に言えばクソガキだったのね。私。

うん、そうね。クソガキよ。私。


私は色々な意味で痛くなった頭を抑えてため息をついた。




さて、探索の意味も含めて、屋敷の中を歩き回りながら情報を整理しましょう。


脳みその中でいろんな情報がごちゃまぜになって頭は痛いけど、こういうのはきっと早めにやっておくといいと思うの。


私の前世は、お仕事をしている女の人だったみたい。

年齢を思い出そうとすると頭が痛くなっちゃうんだけど、若い時より後の記憶がないから、多分その辺で死んじゃったんだろうなぁ……。


実家ぐらしで彼氏なし。趣味は食事とゲームで、乙女ゲームが大好きだったみたい。

これも途中から記憶がないけど、ゲームやマンガの男の子に凄いキュンキュンしてたみたいね。


あれ、コレってなんかアレなヤツじゃない?

『私の恋人が画面から出てこない』みたいな。

そんな前世だったんだ、私……。何だか急に視界がぼやけてきたわ……。



それにしても記憶の戻る前の私が口癖のように言っていた「広陵院家のお嬢様」ってフレーズ。

要するに苗字が広陵院で、名前が江梨子。

うーん。

広陵院(こうりょういん)江梨子(えりこ)――この名前、前世で見たことがあるのよね。


それに、双子の弟の江介(こうすけ)。広陵院江介って名前にも見覚えがあるわ。

知り合いだったのかしら……。

いえ、そんな見目が良い上にお金持ちの知り合いなんて前世の私に居る訳がないし――。


「あ!!」


そこで私は完全に思い出した。


広陵院江梨子。コイツ、前世で攻略中だった乙女ゲーの登場人物よ!

悪役で、好きな男の人を取られたからって主人公をいじめまくってた器の小さい女じゃないの!

ちなみに弟の江介は攻略対象キャラで……。


つまり、私、『花カン』の世界に生まれ変わっちゃったって事?


私の頭にガーーーンという衝撃が走る。



だって、江梨子って―――ゲームで不幸になっちゃうじゃない!!!


人の恋路を散々邪魔した江梨子は、ゲームでろくでもないエンディングばっかり迎えてるのよ!

前世は江梨子の悲惨な末路にバンザイしたけど――今は私がその江梨子本人! そんなの言語道断じゃない!!!

どうしましょう!

でも……それは今、置いておくことにするわ。


だって、厨房の方からものすごくいい匂いがするんだもの。

香ばしい、秋の味覚の香り。

きっとさつまいもだわ!!!

色々考えてたらお腹も空いちゃったし、この季節のさつまいもなんて美味しいに決まってるじゃないの!


スイートポテトとか、タルトみたいなオシャレなスイーツもいいけど、大学芋や焼き芋も捨てがたいわね。

でも、さつまいも料理はお味噌汁が一番好きだったわ。

ネギをたっぷり入れたあま~いお味噌汁。

仕事帰りの一杯のお味噌汁。あの中につやつやと輝く黄金色のさつまいもを見つけた瞬間は、まるで長旅の果てに金脈を発見した冒険家の気分だったわ~。



なんて考えていたら、足が勝手に動いた。気がついたら本能のままに厨房へ流れ着いてしまった。


「え、江梨子様!?」


最初に気づいたコックさんの一人が驚きと恐怖で顔を青くしている。

「しまった」とは思ったけど、ますますお芋の香りが強くなったので心とお腹がそわそわしてしまう。


「こんにちわ、お兄さん。さつまいもですか? すっごくいい香りですね」


ニコニコ顔で挨拶を済ませると、オーブンを指さした。

目はランランと輝いていたと思う。


「あ、ああ。厨房をお借りしてまかないを作っています」


コックさんは姿勢を正してハキハキと言った。

やっぱり顔は青いままだ。気づいたら他の人も同じだった。

うーん、すっごい距離感を感じるなぁ。

前世だったら、「え~、いいよタメ口で~」的なノリで解決するけど、今世はそれ絶対無理だわ。


そうだ、今朝のお礼を言おう。

そしたら少しくらいなら心を開いてくれるかもしれないわ!

運が良ければオーブンの中の「まかない」を分けてもらえるかも……。


「あ、もしかして今朝のポタージュを作ってくれたのはお兄さん達ですか?」

「は、はい、ビシソワーズの担当は私です」


コックさん更に姿勢を正して言った。

何だか軍隊じみてるわね……きっと今までのクソガキ9歳児だった私のせいでこうなっちゃったんだわ。いくら無自覚だったからって、本当に申し訳なくなってきたわ……。


「わー、お兄さんだったんですね!」


とりあえずその気持ちをひとまず置いて、私は笑顔で言った。

と、いうか今朝の味を思い出す度に顔から勝手に笑みがこぼれ出す。

それくらい、今朝のポタージュは美味しかった。


でも、どうしてお兄さん達は顔を一層青くして、ガクガクと震えてるのかしら。


「ありがとうございます。とっっっても美味しかったです! 私、あの味で今までのおこないを反省しました。これからは、ごはんは残さず食べますね!」


っていうかあんなに美味しいお料理、残すわけないじゃない!

ここのコックさん達は皆腕がいいのね。

今までの私はどうしてあんな素晴らしいご飯を残すんだか理解できないわ。


「江梨子様……」


え、スープのお兄さん、どうして泣いてるの?!

見れば、皆が目を真っ赤にしている。


「ありがとうございますっ!!!!」


お兄さん達は全員一斉に頭を下げた。

ええっどうして?! 何よそのノリ!

私はそれを見て若干ヒいたしまった。


きっと広陵院家のお屋敷ってブラックな職場なのね……。

まあ十中八九、例のクソガキのせいだと思うけど。

ちなみにそれ、さっきまでの私ね。がっくり。


「あ、あの。頭を上げてください。お兄さん達のお名前を教えてくれませんか?」


コックさん達が頭を一斉に上げて動揺したようにざわめく。

今にも起立して敬礼せんばかりの勢いだったので、しばらく手を焼くハメになった。

あの超ワガママ小学生(私)の遺した嵐のような暴挙の尻拭いも楽じゃないわ。

これからもこうなのかしら……。

ここで働いてる人も物凄い人数がいるし、大金持ちも楽じゃないわね。


ま、毎日おいしいご飯が食べれるんなら結果的にオールオッケーだけどね!



ちなみに、あのビシソワーズは「江梨子様のワガママを治した奇跡の薬」として以後、料理人達に代々語り継がれる事となったのでした――。

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