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フランベル  作者: あおい
身罷る神のうた
1/2

01

 

 神さま。

 ぼくらにきみはいらないよ。


 これは身罷(みまか)る神のうた。



 ▼▼


 

 廃退してゆく世に必要なのは、神さまだ。なんて、嘘っぱちなんだけどなあ。


「神は、天上のお方。その神々が降りてこられることは、奇跡に等しいのです。わたくしたちは常から奇跡に触れ、そして、奇跡に守られているのです」


 分厚い神書を胸元で開き講説する女のひとは、夢見る少女のような瞳を蒼穹へと向けた。まるでそこに、神さまがいるみたいに。

 ヴィラ=イレという神さまを祀っている神殿前の広場にて、信奉者による示教は行われている。神殿は、広場から百段はあるだろう石造りの階段の先にあった。純白の門の前には、番人らしき神官の影がふたつほど立っている。奥に神さまが〝いる〟からだろうか。神殿の白亜の壁とステンドグラスの目映さは、遠目にもうつくしい。ただ、それらを眺めていることにも飽きてきていた。ここに着いたときから、神さまを知るためとはいえ二時間も拘束されっぱなしなぼくは、もう辺りを観察し尽くしたと思ってもいいだろう。

 拝聴している信奉者たちの以外のひとの群は、ただ流れてゆくだけである。


「神々は御殿に華人(はなびと)たちの住まう園、フィラノーア=ジュレをお選びになりました。しかし、螺旋の園の外、わたくしたちの街へと降りてくださった神もいらっしゃるのです。その一派のお方のひとり、それが我らが崇めるヴィラ=イレ神なのです」


 身を包む陽気の心地よさに、真綿に包まれるような眠気が襲ってくる。周囲の観察によってどうにか誤魔化してはいたけれど、ついに限界が訪れたみたいだった。立ったままうつらうつらと船を漕ぎ出したぼくの背後で、不穏な気配が膨れ上がった。かくん、と頭が落ちたと同時に覚醒。う、怒ってる。ツキタチ、ごめんってば。

 ぼくの心のうちの謝罪が届いたのか否か。ため息混じりにツキタチの怒気が薄れ、女のひとの永遠に続くかと思われた教説も終わりの兆しを見せた。


「ヴィラ=イレ神はわたくしたちのお傍におられます。神という天上のお方たちは分け隔てなく我々を愛し、慈しみ、ときには試練を与えることにより育ててくださるのです。ヴィラ=イレ神こそが、我らの指標」


 ふ、と。

 いつかの甘やかな嘲笑が、耳を掠めた気がして。


「あなた方も、ヴィラ=イレ神の深き胸に抱かれ、お眠りなさい」


 神書が、音もなく閉じられる。

 静かな幕引きに、再びのせせら笑いが響くことはなかった。 

 ひとつ深呼吸。

「ツキタチ」と、ぼく。

 そう呟いたのは、信奉者による人垣が消えて、しばらくのち。ぼんやり立ち尽くすぼくを訝しげに追い越す人々も減ってきた。どうやらここは、普段はひとがあまり通らない場所であるらしい。こうして、ただ立っているとよくわかる。神への信仰を持つ者と、持たざる者の境が。信奉者たちは神殿へ。ほかの群れはここから一本向こうの通りへと集結している。喧騒から切り離された神殿の方角を見上げながら、隣にだけ聞こえるように声を潜める。


「何か感じてる?」

「おまえはどうだ」

「ぼくは、なんにも。知らない神さまの気配なんてわからないよ」

「感じろ」

「無理だよ」


 ツキタチが重く嘆息。

 呆れ混じりの冷たい吐息に、ぼくは首を横に振るしかない。ツキタチは黙した。そんなにいまの答えが気に入らなかったのかと思ったが、広場に増えた人影にぼくの口も閉じる。なるほど、このせいか。地べたに置いていた四角い鞄のベルト部分を伸ばし、左肩に引っかける。ぼくの足は喧騒へと向いた。今夜の宿を決めなくてはならないのである。でも、それよりなにより。

 腹が減ってはなんとやら、だ。

 そこからひとつ通りを越すと、賑やかな露店に出迎えられた。さきの教説とは毛色が違う、統率のないひとたちで溢れかえっている。その光景に圧巻され、ひとの群に飛び入る勇気をなくしてしまった。いままでの経緯から、ここでの神さまへの信仰はまだ薄いのだろうと判断する。もしくは、ヴィラ=イレ神が台頭してきたのが最近か。どちらにせよ、神さまに支配されていない人間ならではのこの雰囲気は好ましい、と思う。

 だって。

 肉体も魂も、色褪せぬままだ。

 清かろうが汚れていようが、腐りはしていない。その欲望のベクトルがどう向いているのであれ。


「危ない!」

「え?」


 後方に、長いひとの影。押されるかたちになってたたらを踏む。ぼうっとし過ぎていて気づけなかった。振り返ったにきは壮年の男のひとと、落ちてくる山積みの木箱。

 咄嗟に顔の前で腕を交叉。

 受けの体勢を取ったところへ固い衝撃。踏ん張れず、木箱とともに地面を転がる。尻餅をついて埋もれながら、視界の端で木箱が砕けるさまを眺めていた。

 石畳で、どす黒い赤の花が咲く。死臭とともに転がり出た肉の塊は、原型を留めていない。だが、その腐り爛れた肉の内側で蠢く影があった。ぼくが理解するよりはやく、全身の細胞がそれを拒絶する。

 ――(むし)だ。

 異形なる使徒たち。

 若緑色のそれが、どろどろになった腐肉を喰らっている。見ていて気持ちのいいものではなかったが、ぼくはそれから目が離せない。ツキタチが震える。その瞬間、途方もない不快感が指先へ伝った。

 きもちわるい。

 不浄を斬ろうと、右手が無意識に動く。

 ところがぼくが手を出すより早く、ひとの腕ほどあろう蟲から炎が上がった。焼かれた蟲はのたうち回って奇声を発し、目にしみるような異臭を振り撒く。悲鳴と逃げ惑う人間の足音。外装が燃えて黒い塊となってゆくが、それでも蟲は生を得ようと足掻いている。木箱を抱えていたひとは、真っ青な顔でうずくまってえずいていた。ぼくも胃のあたりがむかむかしてくる。

 ただ、肉を裂く冷徹な炎だけはぶれず揺らがず、命の沈黙を強制していた。


「ちっ。また焼けたか」


 蟲を見つめるぼくの背側から、舌打ち混じりの呟きが落ちてきた。振り返ると、太陽を負う女のひとのシルエット。でも、呟きを聞く限りではこのひとがやったわけではないらしい。うずくまるひとも違う。ただ、日輪が、炎が蟲の存在を許さなかった。これはなにを指すのだろう?


「大丈夫か」


 思考が纏まる前に、視界に別の色がさ す。目線を上げると、さきの女のひとがこちらを覗き見ていた。かち合うのは、切れ長の燃えるような赤い双眸。

 あ、と思う。

 彼女は、強烈な印象の美女だった。まだ若い。長い足がぴったりとしたパンツに包まれ、さらに強調するように高いヒールの靴を履いている。だが機能性を重視した加工もしているようで、ただの靴が装甲のように黒光りしている。あれで踏まれたら、間違いなく折れる。瞳と同色の髪は後頭部で結い上げられ、微かに頬にかかる程度である。腰元には剣がひとつ。白シャツの上に、濃灰の生地に花だか鳥だかのエンブレムが刺繍された外套を羽織っていた。


「掴まれ」

「あ、うん」


 頷いて、差し出された手を素直に借りることにした。手袋ごしの手のひらは、外見に似合わず固い。その潰れた肉刺の感触を吟味することなく、ぼくは早々に手を離した。外套の隙間から手甲が覗く。視認できないが、こうなればほかにも武器を仕込んでいそうなものである。散り散りに消えた露天商たちとは違う、戦うための装備だった。

 まずいことになった。

 ……かも、しれない。

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