終.麗しきフェブリス
ちょうど昼前の太陽が、まぶしいながらもゆったりと光をおろす。酒場は、事件の間の静けさを取り戻すように昼間から騒がしかった。
「のどかだねえ」
「そうね。のどかね」
シャーは、舎弟たちが騒いでいるホールから離れて、まだ店にでていないリーフィの控え室でまったりと酒を飲んでいた。もちろん、弟分におごらせた酒である。シャーも、ここのところ、おごられていない分を取り戻すかのように、あちこちに無理をいって泣きついておごってもらっているのだった。
窓から見える青空は、今までの凄惨な空気を吹き飛ばすかのように、少々無理をして青すぎる青を作っているかのようだった。
しかし、すべては終わったのである。
リーフィは、例のごとく、あまり愛想のない無表情な顔のまま、シャーの酒と話の相手などをしている。そこに色気めいたものが全く感じられないので、シャーも、違う意味で安心して飲めるところがあるらしい。妙に自然体でくつろぎながら、シャーはぼんやりとリーフィと一緒に窓の外を見ながら、そんなことをつぶやいたものである。
と、急にのどかな風景が翳った。窓の外に人影が見えたのだ。
「のどかだねえとは、お前も暇そうだな」
そう声をかけられ、一瞬でシャーは顔をこわばらせる。
「手前……」
「よう、しけた面してんなァ、相変わらず」
シャーが二の句を継ぐ前に、さっと入り込んできたのはゼダだ。あの夜から会うのは初めてだが、相変わらず派手な上着を羽織ってうろついているらしい。シャーと会うときは、性格を繕おうともしないので、すでに顔には、例の含み笑いがはりついていた。
「ふん、日の高いうちから派手な格好しやがって! ……害獣がうろつくには早すぎるんじゃねえの、ネズ公」
シャーは、皮肉っぽくそんなことを言うが、ゼダは平気そうににやりとする。
「朝っぱらから、酒場にいりびたりのだめ男にいわれたくねえ台詞だな」
「何だあ、やる気か、テメー。表、いや、裏に出たら徹底的に今日こそ勝負を……」
時々妙に血の気が多くなるらしいシャーは、思わず右手を刀の柄にかける。
「あら、あなたたち、本当に相変わらずね」
リーフィが、ふらりと現れてそんなことをいったので、シャーはひとまず柄に手を置いたまま、ゼダをにらんだ。
「何の用だよ、ネズミ」
「いいや、別に。用があったついでに、とおりすがったからよってみたんだがな。ほれ、この前、連続で上着をなくしちまったからなあ、新しく仕立ててたのができあがったから、取りにきたのさ。そのついでにご機嫌伺いに立ち寄ってやったのよ」
ゼダは、そういって肩に羽織っている派手な上着をちらつかせる。
「へ~……。仕立て直すねえ、いい身分だことで」
「一回目はともかく、二回目は、テメーのせいなんだがな。弁償してくれるとかねえのかい?」
ひくりと、すでに唇が引きつっているシャーに、ゼダはにやにやしている。シャーも、ゼダの前では、普段はうまく隠している感情が押さえきれないらしい。
「自分で奴さんに引っ掛けたんだろ。それに、オレはお前と違って、そんなど派手でセンスのない服についやす無駄金ありませんもんねー」
「てめえも目の覚めるような派手な青着てるくせに。まあ、みすぼらしいけどよ」
たっぷり皮肉を込めてそういって、ゼダは、わざと大声になった。
「ああ、でも、そりゃそうだよなあ。お前には、こういうのを着こなすセンスってもんがねえもんなあ!」
「な、何だと!」
思わず、シャーが剣を鞘走らせるが、ネズミは、さらりと後退し、にんまりと笑った。
「おいおい、図星かよ。まあ、お前さんをからかっても面白くねえし、今日はこれぐらいにしとこうかな」
「……てめえ、絶対、そのうち叩き斬ってやるからな!」
シャーの呪いの言葉もそこそこに、ゼダは、ふとリーフィのほうを見た。
「ちょいと聞きたいんだが、お前さん、この前の夜、女を助けなかったかい?」
「この前、いつ?」
リーフィは、思い当たることがあるのか、少し気がかりな顔になったが、ゼダは、いいや、と首を振る。
「まあ、いいのさ。……そういう女がいたんで、礼を返してくれといわれただけよ。ま、……そのうちな」
ゼダは、からりと笑うと、シャーにもう一度視線を送る。相当不機嫌らしい彼は、三白眼で、じとりとゼダをにらんでいた。
「おめえさん、目つき悪いよなあ。凶相とかよく言われるだろ」
「や、やかましい! オレだってちょっとは気にしてるんだよ! というか、貴様みたいな奴がいるから、ますます人相が悪く……! 大体なあ、てめえも、人のこと言えた……」
「あー、わかったわかった。まあ、図星ということだな。それじゃあな~!」
いきり立つシャーを軽くいなして、ゼダはふらりと身を翻す。後ろで、シャーがなにやらわめいているのが聞こえたが、ゼダは無視して、上着を翻していってしまった。
「畜生、あのネズミ! 用がないならくるなっての!」
シャーがそう吐きすてていると、リーフィが後ろで軽くうなずく。
「そうね。でも、なんだかんだいいながら、あなたたちも、仲がいいわよね」
「よくないよ、リーフィちゃん! この状態でなんでそう見えるの!」
思わずすべりそうになりながら、シャーはそう言い返すが、リーフィはきょとんとしているようだった。
「仲がよいことに、何か問題があるの?」
「……う、ううん、もういいや。オレが悪かったよ」
リーフィにはどうも勝てそうにない。この娘、結構鋭いところもあるのだが、なぜか、時々ふらっとずれたところがあるような気がする。
「それにしても……」
シャーは、ふと、ある男のことを思い出してあごを撫でた。
「あれがいなくなってから、もう結構経ってるけど」
そう、黒くて結構うっとうしい男が、逃げたのは、シャーもリーフィから聞いて知っている。
「あのオヤジ、朝ご飯作ってる間にいなくなったんだったよね?」
「そうみたい。どうせなら食べていけばよかったのに」
「……だめな奴だなあ。朝起きたらリーフィちゃんと二人っきりだったから、ものすごくあせったんじゃない? ったく、へたれ男が」
自分も大概だが、ジャッキールに関しては、とことんめちゃくちゃにいうシャーだ。
「どうして焦るの?」
「ど、どうしてって……。いや、朝起きたら身に覚えなく女の子って、割と男はみんなそれなりに焦りそうな気もしなくないんだけれども」
シャーは、少し考えてそんなことをいってみるが、リーフィが理解してくれたかは甚だ怪しいものだ。
「まあ、おまけにあのダンナは、リーフィちゃんの体裁とか考えるほうだからねえ。若い女の子の家に一日と一晩泊まってたとか、周りに見られたらまずいとか瞬間的に思ったんじゃないの?」
常識的に考えれば、飛び出して逃げていくほうがよほど不審だが。焦ったジャッキールにその辺を考えろなど無理な話だ。
「でも、あれからもう三日は経つのよ。大丈夫かしら」
リーフィが心配そう、なのかどうかは、顔からはわからないが、そんな風に言った。
「そーねえー」
シャーは、頬杖をつきながら、無責任にこたえる。
「どっかでのたれ死んでなきゃーいいけどねえ……。ま、ああいうあぶねえのはいないほうが、世の為かもしんないけど」
「まあ、シャー、あなた、意地悪なことを言うわね」
そういわれて、シャーは何をつぶやいたか気づいたらしい。あわててシャーは居住まいを正した。
「あ、あの、リーフィちゃん」
リーフィは、きょとんと首をかしげた。
「何? 改まって」
「最近、ちょっと、オレ、たまにアレなこといってるけど、い、いや、これが素ってわけじゃないのよ。相手があいてだからちょっと調子にのっただけでぇー、その……」
「いいのよ、私、そういうこと言っているあなたのほうが、どっちかというと好きだもの」
さらりとリーフィがそんなことを言う。シャーは、思わぬ言葉にきょとんとした。
「え、そ、それはどういう?」
「ほら、あなたって、ちょっと信用できない感じだったんだもの。毎度へらへらしてるばかりって感じで」
「そ、そう?」
「ええ」
リーフィは、遠慮なくうなずく。妙に正直なところもある。
「でも、あなたって、結構皮肉も言うし、意地もはるし。けれどね、それぐらいのが、人間らしいと思うのよ、私」
「ほ、ほんと? あ、安心していい?」
「ええ。本当よ。今のあなたのほうが好きっていうのは」
「そ、そうなの。そ、それはよかった、かな」
シャーは、どぎまぎしつつ、少しだけほっとする。これから先もうっかり失言してしまいそうなものだが、リーフィがそういってくれるなら、少しだけ安心である。失言しなければいい話だが、最近、リーフィとの付き合いも長くなってきたものだから、ついつい本音がぽろりと口を突くことが多いのだ。もし、とんでもないことをいって、嫌われたらどうしようと、シャーでもちょっとは恐くなるときがあるのだった。
リーフィは、そんなシャーの思いに気づいたのかどうか、ふと、珍しくほんのわずかに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「でも、私、なんとなくわかるのよ?」
「へ? 何が?」
いきなりそういわれて、若干面食らいながら、シャーはリーフィのほうを見る。
「あなたが、この事件にかかわった理由」
「え? 何? 何だと思うの?」
シャーは、好奇心半分に、ちょっとだけ笑いながら訊いてみるが、リーフィの答えはシャーの期待していたものとは違った。
「ゼダとジャッキールが心配だったんでしょう? 本当は」
「な、何いってんの。そんなわけないじゃない」
シャーは、少々不機嫌になってそうはねつけるが、リーフィは、妙に確信をもっているらしい。実際、シャーにも、ちょっと余裕がないのである。本人は認めたくない部分だが、図星ではあったのかもしれない。
リーフィは、例の冷静な口調で、シャーに言った。
「だって、今回、あなたがこの事件に首を突っ込む理由があまり見当たらないもの。好奇心っていうだけでもなさそうだし、実際ゼダがかかわっているかも、っていうから、様子を見に行ったでしょう?」
「う、それは……」
シャーは、思わず折れそうになって、慌てて言い直した。
「違うよ、リーフィちゃん。オレはねえ、あんなずるがしこいネズミ男とか、おせっかいで無闇に丈夫な人斬り男とか、どうでもいいの。というかねえ、正直、成り行きで手を貸した形になっただけで、オレは、正直、あんな奴らいないほうがいいとおもってるわけ」
「まぁ、そうかしら」
リーフィの方は、てんで本気に取っていない様子だが、シャーは、珍しく芝居がかった様子で真剣に続けた。
「そうそう。……オレは、いっとくけど、ああいうやからに対しては、本当は厳しく……」
「兄貴、兄貴!」
いきなり、そう呼ばれ、シャーはひょいと戸口から入ってきたカッチェラを見やる。
「なんだい、慌てて……」
カッチェラは、いつも冷静な男である。その彼が妙に慌てた様子で走ってきたので、シャーもなにかあったのか、と柄になく心配になった。
「あ、兄貴、あの、酒場に妙なやつが……。いや、兄貴がここにいるはずだっていうんですが……」
「妙な……」
いわれて、シャーはたっと立ち上がり、カッチェラに先導されて酒場の方に出て行った。もちろん、シャーは酒場では戦う気がないので、本当にまずい相手ではない限り、お茶を濁そうとしか思っていないが、それでも、言われればいかないわけにもいかない。本当にまずい、昔からの知り合いだったら余計こまることであるし。
小さくざわめきながらも、それでも、中央にいる人物の気を損ねないように気をつかって、気まずい静けさが支配する酒場は異様だ。シャーが、ひょいと顔を出しても、彼らは声を立てなかった。
その視線の中心に、くだんの人物が立っていた。と、その人物を一目見て、シャーは態度を変える。いや、せっかく緊張していったのに、気合が抜けたといった感じだった。シャーとしては、それほど困らない程度の知り合いだったからだ。
「ジャッキール」
その声をきいたのかどうか、ジャッキールはシャーの方を振り向く。まだ左腕を吊るしたままに、相変わらず黒ずくめの姿で、青ざめた顔に鋭い瞳をしていたが、冷静さも感じられた。右手を背後に隠してはいるが、そこに何をもっているのかは、シャーの位置から大体わかる。
だが、ジャッキールは、剣を常に持ち歩いている上、どんな格好をしていても、妙に物騒な印象があった。ともあれ、ジャッキールのような男は、こういう酒場では異色だ。そもそも、何もしていなくても、十分不吉な感じのする陰気な男だ。かすかな殺気を、普段から漂わせている彼に、周りがおののいても仕方のないことである。とはいえ、これでも、戦闘の時よりはずいぶんおとなしい、というより、一番おかしいときと比べれば別人といってもいいぐらい、静かではあるのだが。
「あの野郎……」
ぽつりとシャーがあきれたようにいったのをきいて、カッチェラが、すかさず訊いてきた。
「あのまさか、……兄貴の知り合いですか」
知り合いねえ、と、シャーは気のない返事をする。
「あんまり知り合いたくねえ奴だけどなあ。……むしろ、只の腐れ縁ていうか」
「あー、なんだ、兄貴の……、とはいえ、何かむちゃくちゃそうな人ですが……」
一瞬ほっとしそうになって、やはり、カッチェラは、ジャッキールの様子から安心できないらしい。シャーは、横目で彼を見て手を振った。
「大丈夫。ちょっかいかけなきゃ、噛み付いてこないよ。あの野良犬は」
その代わり、万一噛まれたら即死だけどもな。
そういう不吉なことは、舎弟がおびえるので口には出さない。
「まあ、いいよ。オレが何とかするからさあ」
シャーは、ジャッキールのほうに歩み寄ると小声で話しかけた。酒場にいても、例のごとく無愛想で少々不機嫌そうに見える男だ。
「ダンナ、困るんだよなあ。こういうところで、呼び出さないでくれる?」
シャーは、やれやれといいたげな口調で言った。
「オレはこういうところじゃ、アンタの相手してる余裕ないわけ……。ここでは、素直で愛らしいシャー兄貴でいたいわけなのよ」
「安心しろ、貴様に用などない」
つんと冷たく答えるジャッキールに、シャーは肩をすくめた。
「おや、妙に強気じゃんか。その様子だと怪我も大丈夫そうだね。……ッたく丈夫だな、アンタは。ますます黒い何かとそっくりだぜ」
「やかましい!」
「やれやれ、相変わらずだな」
シャーは、予想通りの展開にあきれながら、ちょいと癖の強い髪の毛をなでつける。
「リーフィちゃんだろ? 背に隠したって、見えるとこからは見えるんだから、堂々と持ってればいいのに。あのなあ、女の子呼びつけられないからって、いったんオレを呼ぶのやめてくれない? つーか、最初からリーフィちゃん呼べばいいじゃんか」
「べ、別に俺は、そういうわけではなく……。ただ、いきなり女性を呼びつけるのは……」
ジャッキールは、図星をさされたのか、途端弱腰に、もごもご何かいっている。シャーは見かねて、後ろを向き、自分についてきていたリーフィを手招いた。
ジャッキールは、リーフィを見ると、途端硬い表情になり、シャーをほうっておいて、つかつかとリーフィの前に歩み寄った。そして、背後に隠していた手を直立のまま差し出した。
よりによって、武人そのものの動作で差し出したのは、彼には到底似合いそうもない色とりどりの花で作られた花束である。
だが、シャー以外に誰も笑うものはいない。なにせ相手はジャッキールだ。何か失礼があれば、そのまますぱっと切られても仕方のない雰囲気が異常なほどに漂っているのだから。
「先日は世話になった。……傷のこともあるので、しばらく、都周辺で職を探しながら逗留することになる。今後、しばらく、ここに立ち寄る機会もあろうとおもうのだが、ひとまず、礼をいいに来た……」
ジャッキールは、どう切り出したものか、少々迷いながらだが、はっきりとした発音でそう告げる。リーフィはというと、相変わらず表情の読めない娘だから、ジャッキールのほうは、見かけよりどぎまぎしているのかもしれない。なにせ、逃げたわけであるし。
リーフィはというと、相変わらず表情が読めない様子で、小首を軽くかしげた。
「怪我の方はもういいの?」
「ああ。……少なくとも、左手が動くくらいにはなった」
そういってジャッキールは、かすかに左手を動かしてみせる。
「これも、それも、あの時に、助けてもらったからだと思っている。……命を大切にするほうではないが、それでも、あんなところで罪を着せられて死ねば、浮かばれないところだった」
そういうジャッキールの表情は柔らかだった。
「感謝する」
そういって、ジャッキールは、わずかに顔を綻ばせる。リーフィは当然として、シャーですら、この男がこういう風に自然と普通の表情を浮かべるのははじめて見た。特に、笑顔なんて。ジャッキールは、自分がこういう顔をしているのを知っているのだろうか。
ジャッキールが笑うとして、狂気じみた歓喜の笑みか、歪んだ皮肉の笑みぐらいしかできないと思っていた。こんな自然に笑顔を浮かべられる男だと思わなかった。
「それで、なのだが、……これを受け取ってもらいたい……。せめてもの、私の気持ちとして……なのだが」
ジャッキールは、花束を差し出しながら、急に所在なさげに視線をさまよわせ始める。まったく、妙なところでまるきりだめな男だ。
「いや、あの時は、逃げ出してしまってすまなかった。お、俺などがいては迷惑極まりないかと思い……。い、いや、そもそも、感謝としても、こんなものですまないとは思っているのだが、どうしようかとあれこれ考えたのだが、お、俺には、その……」
リーフィが黙っているものだから、ジャッキールはさらにあせってごにょごにょそんなことを言い始める。
「気にしていないわ。それより、左肩も大丈夫そうでよかったわね」
「あ、ああ」
「ありがとう」
リーフィは、花束を抱きかかえるように受け取り、にこりと微笑んだ。受け取ってもらった途端、どこかほっとした顔になるジャッキールをみて、シャーがその脇をつつく。
「何でれでれしてんだよ」
「な、何がだ」
あからさまに動揺した様子の彼に、シャーは、ぼそりと呟く。
「おっさん、年の差考えろよ。一歩間違えると犯罪だぞ」
「な、な、何を言う! 俺は貴様のように、不純な感情から会いに来たのではない!」
「不純な感情以外の感情ってどんな感情だよ。ほれ、言ってみそ。ジャッキーちゃん」
突っ込まれて、ジャッキールは、明らかに詰まる。
「そ、それは、そ、……尊敬とか、ゆ、友愛とかそういった……」
きっと顔を引き締めるとジャッキールは、慌ててシャーに言った。
「お、俺は、感謝の念からきたわけであって、貴様のような不純極まりない理由ではないわ!」
「ナニソレ、あんまりないいようじゃない? オレをどういう生き物だと思っているのよ」
シャーは、あきれたような目でジャッキールを見た。
「まあ、いいや。ダンナ、いっとくけど、オレへの貸しまた増えたからね」
「な、何だと?」
「あんたを引きずって家まで連れてかえってあげたのオレだもん。さて、利子がどれだけになるか楽しみだなあ」
「ぐ、……そ、それは……」
律儀なジャッキールは、眉を寄せて苦悩の表情を浮かべるが、シャーはそんなことお構いなしである。
「それじゃ、ダンナ。また何かのとき頼むからね」
「う、う……」
借金に悩む男のような顔をした後、ジャッキールは、黙って外に向かって歩いていった。背中に敗北感があふれているのは、おそらく気のせいではない。
ジャッキールが外にでたあと、ふとリーフィがなにか思い出したように声をかけた。
「ジャッキールさん」
扉の外で、ジャッキールが足を止めた気配がした。リーフィは続けていった。
「あなた、さっきみたいにちょっとだけ笑った方がいいわよ。もともときれいな顔をしているんだし。そうしてると、割といい男だとおもうんだけど」
外の方からがっしゃーんとけたたましい物音が響き渡った。
(うわー……、もしかして、アイツ、入り口の樽をひっくりかえしやがったか……)
ジャッキールには、ああいう言葉は動揺の材料なだけらしい。
(アイツ、ひょっとして自覚ないのか? いや、でも、周りも、確かに言われるまで二枚目ってわかんないよな。確かに、客観的に見れば、顔だけはいいはずなんだけども。もったいねぇー……)
「どうしたのかしら。何かすごい物音が……」
リーフィが首をかしげた。
「どうしたっていうか、まあ、ちょっとした事故じゃないの?」
シャーはそう答えながら、ため息をついた。
それにしても、リーフィもひどいことをするものだ。いや、本人には悪気はないだろうし、おまけに、リーフィは客観的事実を述べただけらしいので、別に色恋の意識もひとつもないところが罪が深い。
「しかし、贈り物が花って、相変わらず古風な奴」
ネズミがやるのはただのキザだが、ジャッキールは、考えた末にそれ以外思いつかなかったという感じが濃厚にして、何となく可愛そうにならないでもない。ジャッキールという男、時々妙に不憫さが漂うところがあるらしい。
「外をみにいってこようかしら」
「あ、あの~リーフィちゃん、あんまりかまってあげない方が、本人の幸せの為ってことも……」
どうせ、派手な転び方をしたに決まっている。ある意味悲惨なことになっていそうなのだが。
シャーは、苦笑いしながらそういうが、リーフィは、すでに酒場の扉の方にいる。リーフィの後をついていきながら、シャーは、ちょっとだけジャッキールに同情するのだった。
シャーの予想通り、入り口の樽をひっくり返したジャッキールは、それを慌てて積み上げ終わり、ようやくため息をついたところで、ふと我に返って周りを見やった。ジャッキールが派手な転び方をしたものだから、まわりにギャラリーが出来ているのだ。
「……な、何を見ている!」
ジャッキールは、はっと頬を赤らめながら、慌てていった。とはいえ、ジャッキールの顔色はもともと悪いので、多少赤くなったぐらいではわからないのだが、本人は必死だ。
「み、見世物ではないぞ! 去れ!」
さすがに、ジャッキールの風体でそれを言われると恐い。ジャッキールの場合、もともと持っている雰囲気自体も異様なのだが、それだけでなく、やたらと武官くさい雰囲気がある。名門武人が身を持ち崩した感じだが、それだけに、気位が高いのは一目瞭然でわかるので、プライドを傷つけると厄介な印象があるのだ。
だからこそ、笑えるのだが、さすがに笑うとその場で、斬捨て御免でもやられそうな雰囲気がある。見物人は慌てて視線をはずした。
ジャッキールは、ようやく安堵して胸をなでおろした。この上で、もう何か番狂わせは起きないだろう。
そう彼が安心した瞬間、更なる試練が彼の前に立ちふさがった。
「あ! おじさん! 大丈夫だったんだ!」
急に背後から聞こえた子供の声に、ジャッキールは改めてびくりとした。そっと振り返ると、そこには小さな女の子が立っている。彼を見上げて、安心したように笑っている彼女に、ジャッキールは、さっと青ざめる。
ジャッキールは名前を知らないが、彼が助けたあのレルという娘だ。
「リーフィおねえちゃんからきいてたけど、本当に大丈夫だったんだね! よかったわ! あの時、助けてくれてありがとう!」
「し、知らん。俺は知らんぞ」
樽はひっくり返した後だ。こんなところで、女の子を助けたのが暴露されると、ちょっと恥ずかしいらしい。変なところで、妙な体裁をかまうらしいジャッキールは慌てて悪ぶっていった。だが、一度動揺してしまうと、彼のような不器用な男が、それをつくろえるわけがない。声には、はっきりと狼狽が現れていた。
「お、お、俺は、知らん。ひ、人違いだ」
「おじさんを間違えるわけないよ。あまりこういう格好の人、町にいないのに」
「と、とにかく、俺は知らんといったら知らん。人違いだ! 早く行け!」
きつくそういうと、ジャッキールはそっぽを向いて歩き出そうとしたが、ふとレルの方を目の端でみやってびくりとした。
レルが、突然わっと泣き出したのだ。
「う……」
ジャッキールは、泣き出したレルを見て、ぎくりとした。周りでは、去りかけたギャラリーが、女の子を泣かしたジャッキールに非難の目を向け始めている。
「な、な、何も泣くことはないだろう……。わ、悪かった。私が悪かった」
慌ててひざまずいて、どうしたものか、と、ジャッキールは、明らかに狼狽した顔になっていた。
「い、言い方が悪かった。……すまん。悪かった」
ジャッキールは、子供にどう接するか接し方をしらない。泣かれるとどうすればいいかわからないのだ。おろおろしながら、機嫌をうかがってみるが、レルが泣き止む様子はない。
「わ、わかった。驚かせた詫びに、何か好きなものを買ってやろう。……な、何でもいいぞ。何がいい?」
慌ててそういうジャッキールの前で、レルは、突然顔を覆っていた手をぱっとはずして、あどけない顔をのぞかせた。
「ホント? 何でも買ってくれるの? だったら、私、お人形がほしい!」
「な、……何? 泣いていたのではなかったのか?」
レルは、ばつが悪そうにしながら、それでもにっこりと笑いかけてくる。
「えへへ、おじさん、だって、怖い顔するんだもの」
完全にはめられた形になったジャッキールは、一瞬呆然としたが、そうはいっても先ほど口約束をしてしまったばかりだ。律儀な彼が約束を破るわけもなく、ジャッキールは額を押さえてため息をついた。
「約束は約束だな。……わ、わかった。買ってやる」
「ありがとう、おじさん! やっぱり、思ったとおり、おじさん、優しい人なのね」
「お、俺は……別に……」
ジャッキールは、しどろもどろになりながら、照れて思わず視線を泳がせる。
「おじさん、じゃあ、今日は一日私につきあってね」
「う……」
レルが笑いながらまとわりついてくるのに、困りながらも、ジャッキールは困惑気味に言った。
「お、おじさんではない。俺はジャッキールだ。呼ぶならこれからは名前で呼べ」
そうは見えなかったが、実は結構気にしていたらしい。咳払いしてそういい、慌ててそこを後にする彼を見ながら、シャーとリーフィは顔を見合わせた。
ふと、ジャッキールの背後にぼんやりと白い服に白い肌の女が見えた。黒髪の女はこちらを向くと、にっこり笑い、軽く投げキスをして、ふわりと消えた。
「な、何だ?」
シャーはあわてて目をこする。だが、別にジャッキールが、レルに振り回されて弱りきっている様子しか見えなかった。
「ま、まさか、ね……」
あれだけ不死身なのだから、何か人外が取り憑いていてもおかしくないが――。
「やめとこ。オレは現実しか見ない主義なんだし」
「何か言った?」
「いいや、ちょっと、ね」
シャーは、そうつぶやいて、リーフィと一緒に酒場に戻ることにした。
魔剣呪状・完