22.あなたは卑怯だわ
たた、と走ってきて、シャーはいったん足を止めた。さすがに息はあがっている。それを軽く整えつつ、彼は周りを見回した。相変わらず人気のない、廃墟だらけの区画だ。
「チッ、どこにいったんだ?」
シャーは、くるくるの髪の毛をかきやりながら呟いた。
「あの旦那としゃべっているうちに、おいてかれちまったな」
少し考えて、シャーはちらりと闇の凝ったほうに目を向ける。悪党は闇に身を隠したがるものだ。
「まあ、ちょっといってみようかな」
そんな独り言をつぶやきつつ、シャーはそっとサンダルばきの足を進めたが、一瞬、ちらりと光が目に入った。
「うおっ、と!」
シャーは、身を翻す。その横を、前に転びそうな勢いで、誰かが通り過ぎていった。
「物騒だな」
シャーは、後退して、軽く片足だけでたっと着地する。目には、きらりと光る剣があった。
「いきなりつっかかってくるとはね、と……」
シャーは、一瞬きょとんとした。
「アレ、あんたは」
シャーは、目をぱちくりさせて、相手を見た。
テルラだ。夜の闇でわからなかったが、間違いなくあの時酒場に現れた青年である。
「あんたかい。探されていたぜ。知っているのか?」
シャーは、いつもと変わらぬ口調で言った。テルラの目は、夜の闇でも、はっきりわかるほどぎらついていた。
「お前とあいつが一緒にいるのを見たぞ!」
テルラはすでに怒り心頭といったところで、シャーの言葉をきこうという意思も感じられなかった。ぎらつく剣を握り締めたまま、彼は怒りのままに、叫んだ。
「お前たち! 最初から組んでいたんだな!」
「何を言ってるのかしらないが」
シャーは、少し息をついて、剣に手をかける。
「あんまり、そういう風に剣を抜くのはやめとけよ。オレは、普段はジャッキーちゃんより優しいつもりだが、……キレるとどうなるかわかんないぜ」
「黙れ!」
テルラは、どちらかというと、あまり感情をあらわにしない朴訥な青年だ。だが、今ははっきりと怒りの形相を浮かべて、そのままシャーに切りかかってきた。
「チッ、仕方がないぜ」
シャーはそうはき捨てると、一気に剣を抜いて、飛び掛ってきたテルラの剣を受け流しながら、後退した。続けてテルラは何度か突っ込んでくる。
軽く後退しながら、シャーは、明らかに違和感を感じた。
(何故だ)
テルラが気合の声をあげながら、飛び込んでくるのを軽くかわす。
確かに、ジャッキールと剣の流れは似ている。だから、彼の手をジャッキールのものと間違えたのは、わからなくもない。
だが、決定的に違うものがあるのだ。
(こいつは、弱すぎる)
まるで初心者じゃないか。シャーは、剣を握りたての少年の稽古の相手をしているような気分になった。
「畜生!」
よけられてテルラは、振り返りざま思い切り突いてくる。だが、それにしたって、素人すぎた。シャーは、あっさりと下からそれを払った。あっという間に、テルラの手から剣がこぼれる。
反射的にテルラの前に剣を突きつける。劣勢にたたされたテルラは、後退気味になった。
(何故だ?)
シャーは眉をひそめた。
(なぜだ。あっけなさすぎる。……こんなに弱いはずは……)
剣を持っていれば、技量はなくても人は殺せる。だが、アレはそこそこの技術がないとできないものだった。
シャーは、青年を見下ろす。敵意をもってこちらをみている、青年の瞳は、しっかりと澄んだものだった。血に騒ぐ男は、こんな目をするだろうか。いや、それよりも、目の前の青年に、狂気が感じられない。
剣にすべてを託している人間は、剣を狂信している分、強くなるものだ。普段から強いジャッキールでも、フェブリスを使っている間は、普段より厄介になっているはずだ。あそこまでとはいかないが、その剣のために、凶行を行っている人間が、これほど弱いとは思えなかった。
「待て!」
突然、暗闇から声が走った。ちらりとそちらを見ると、闇にまぎれるようにこちらにジャッキールが走ってきているのだ。 黒いマントが、たなびいているのがかすかに見えた。
「ジャッキール?」
「やめろ、アズラーッド!」
あわてて走ってきたジャッキールは、シャーに向かっていった。よほど急いで走ってきたのか、珍しく息を切らしている。だが、息を継ぐ暇もなく、ジャッキールは続けていった。
「その男ではない! その男は関係ない!」
「え? ど、どういうこと?」
ジャッキールが、いきなり擁護したので、当のテルラのほうが驚いたような顔になっていた。ジャッキールは、一度息をついて、呼吸を整えると、静かにこちらに歩み寄ってきた。
「この男は、確かにハルミッドの弟子だが、この男がやったのではない」
「だが、カディンじゃない。アイツは腕利きだったがアイツじゃないのは、剣ですぐわかった。こいつでもないとしたら、誰なんだ。弟子がやったといったじゃないか、ジャッキール」
「そうだ。カディンでもない。ハルミッド自身、ある程度剣を使える男だった。あいつの弟子なら、誰でも使う」
ジャッキールは、珍しく早口で答える。
「おまけに、ハルミッドは、俺の剣術をよく見ていたし、時に弟子に教えさせることがあった。貴様が当初俺の手と間違えたのは、その男が俺の癖を知っていたからだ。わざと真似たに決まっている。俺はほんの少しだが、あいつに剣を教えたことがある」
「カディンでもなくて、こいつでもないって、じゃあ……」
ジャッキールは、何か確信をもったような目をしていた。
「そうだ。ハルミッドには、弟子が二人いた。俺が剣を教えたのは、もう一人の男のほうだ。だから、メフィティスをもっていったのは……」
「うそだ! 師匠を殺したのは、お前だ!」
テルラが、突然声を上げた。
「お前に決まってる! オレはお前が師匠の返り血を浴びているのを見た!」
「落ち着いて話を聞け。あの返り血は、賊を殺したときのものだ。大体、俺には、無料で剣を修復してくれたハルミッドを殺す理由がないだろう。それに、仮にメフィティスを目当てにしていたとしても、どうして俺がメフィティスを持っていない」
ジャッキールは、なだめるように言う。
「それに、貴様、うすうす感づいていたはずだ。あの後、やつの行動がおかしいことを。……都に出てきたのは、それを確認するためではなかったのか?」
それをきき、テルラはがくりと肩を落とした。ジャッキールの言うとおり、彼はメフィティスを持っていないし、大体、ジャッキールが犯人であれば彼が自分をかばう理由がないのもよくわかっている。
ジャッキールは、おとなしくなったテルラを見、シャーのほうに向き直った。なにやらそわそわしている。
「アズラーッド。リーフィ殿はどこにいる?」
「どこにいるって……」
シャーは、きょとんとした。
「どういう意味だ? アンタが探しにいったんだろ」
「だが、酒場にリーフィ殿はいなかった」
ジャッキールは冗談を言わない。シャーは、あわてて彼に食って掛かった。
「何! どういうことだよ!」
「わからん。あてのあるところを回って見たが、この周辺にいなかった。貴様のほうにいったのではないかとおもい、こちらに回ってきたのだが……」
ジャッキールは、心配そうな表情になっていた。
「まさか……リーフィちゃん……」
シャーは、背筋がぞっと冷えるのを感じた。
いけない。この感じはいけない。
そのとき、突然、悲鳴がきこえた。闇に消え入るような声は、その人物の断末魔を伝えていた。
手に提げた剣は、月光の光を浴びて、禍々しい姿をさらしていた。
ああ、なんという醜い剣なんだろう。リーフィは、思わずそう思った。
本当は美しい剣のはずなのに、なんて浅ましい姿なのだろう。ジャッキールの持っていた、あの気品のある剣とはまるで違う。似た造形をしているのに、まるで別物だ。
「叫べ」
男は言った。血のついた剣を振るいながら。
「叫んでもいいといっているだろう? ……その方が、メフィティスが喜ぶ」
リーフィは、そこに立ちすくんでいた。彼女の目の前には、一刀のもとに斬り捨てられたカディンが倒れていた。生きている様子はない。
男は、彼を斬った剣を下げたまま、リーフィのほうを見ていた。血の色に酔った目は残虐にゆがむ。
「あなたね」
そのとき、リーフィの声は冷たい空気に月光のように冷たく響き渡った。
「今回のすべての犯行は、……あなたがやったのね?」
リーフィの声は不穏に透明で、おびえが見えない。男はどこかぎくりとしたようだった。リーフィの瞳は、恐怖のかけらもみせず、例のごとく冷ややかだったからだ。
「……この人は、あなたのパトロンでしょう。あなたを援助していたはずなのに、とうとうそれも殺すなんて……どういうつもり?」
「恐くないのか?」
「恐くないわけではないわ。私は、ただ理由を知りたいの」
リーフィは、少し目を細めた。
「死ぬ前に理由を知りたい……か。まあいいだろう。教えてやってもいい」
男は、笑いながら言ったが、次の言葉を吐き出したとたん、それは怒りの感情をあらわすものに変わっていた。
「奴は、メフィティスをほしがった」
リーフィは、冷徹なほど無表情だ。男はそれに怒りをぶつけるように吐き捨てた。
「あいつには、この剣のすばらしさがわからなかったのだ。あんな奴の手元において、ただ飾られる剣にするぐらいなら、折ったほうがましだ。……だから、殺した! ……ああ、でも、これで清々した。これで、メフィティスを手に入れようとするものはいなくなったんだからな!」
男は、そうはき捨て、満足げに口元をゆがめた。リーフィは、わずかに眉を寄せた。目の前の男はすでに狂っているのかもしれない。
あの剣のせいで。
「大体わかったわ……。あなたにとって、この人は邪魔だったのね?」
「ああ、そうだ。だが、お前もよかっただろう。この男、俺に殺されなければ、お前を殺していたぞ」
「けれど、私はあなたが殺すつもりなのでしょう?」
リーフィが言うと、男は無言になった。
笑っているのだ。
「あなた、ジャッキールさんとテルラさんを知っているわね?」
リーフィは言った。
「なぜそう思う?」
「あなたの剣は、あの人の剣にそっくりだわ。……あの人は、この事件はハルミッドという鍛冶屋が殺されて始まったといっていたわ。ジャッキールは、そこの工房に行っていた。テルラは、あの人を追いかけてきた。だとしたら、その犯人は、必ず三人とかかわりがあるはず。あなた、ハルミッドという人の、弟子でしょう?」
「は、はは」
男は笑う。
「ふ、ふふ。さすが、女神の選んだ獲物だな」
男の唇が冷酷に引きつった。
「目の前で人が死んだのに、その冷静なまなざし。恐れを見せない瞳。冷たい顔の美しい女だ。お前のような女を殺せば、彼女も満足してくれるだろう。そして、俺は彼女の、いや、師匠の鍛冶の秘密を知ることができる! お前は、最高のいけにえだ!」
男の言動は、もはや正気だと思えなかった。リーフィは、それでも少し不安そうに、手をぎゅっと握り締める。だが、表情には出さずに言った。
「私を殺すのも、すべてジャッキールさんになすりつけてしまうつもりなのね?」
「あの男を知っているのか?」
男は嘲笑するような声で言った。
「ええ。知っているわ。少し恐い人だけど、本当は……とても繊細で優しい人よ」
「優しいだと? 奴をかばうのか?」
男は、大声で笑った。
「哀れなやつだ。あの男は」
「哀れ?」
リーフィは、聞き返す。男は笑いながら語りだした。
「あの男は、頭の箍が外れているからな。剣を握ると後先のことが考えられない。だからこそ、罠にはめやすいんだがな。あいつは、とっくの昔に狂っているのさ」
剣がかたかたと軽い音を立てていた。まるで剣もあざ笑っているようだ。
「ああいう狂った奴は、死んでもらったほうが世のためだ。あいつは人を殺すことをなんともおもっちゃいないんだからな。フェブリスを持つ資格もない。だから、すべて背負って死んでもらうことにしたんだ。そのほうが、世の中のためだからな!」
「あなた……卑怯だわ」
突然、リーフィは言った。その声に、男はぎくりとした。
「あなたはジャッキールが狂っているといったけれど、あの人は少なくとも、自分の行いを人になすりつけて逃げたりはしないわ。それに、あの人は、斬ってはいけない人を斬らない。……あの人が斬るのは、自分と同じ舞台に上がった戦士だけよ。それをあなたは、自分の為に無差別に人を殺し、おまけにその罪から逃れるつもりなのね」
リーフィはいつになく饒舌だ。まるで鉄でできたように、表情がまったく変わらない外見からはわからないが、彼女なりに憤りを感じているのかもしれなかった。
「あの人は、確かに壊れたところがあるのかもしれない。けれど、あなたは、卑怯だわ! あの人の足元にも及ばない!」
「黙れ!」
リーフィの声に、刺激されたように、男は叫んだ。
「黙れ! あんな奴がフェブリスを持っていること自体が、おかしいんだ! 師匠が、あんな奴を買いかぶったのが悪い! あんな奴に、メフィティスをさわらせたのが!!」
男は、ざっと剣を振りかぶった。
「すべて、あの男が……!」
男の目は血走っている。リーフィは、冷ややかなまなざしで迫る剣を見つめた。世界が赤く見える。それは、彼女の目の錯覚だろうか。
「やめろ! それ以上やっても、何もわからんぞ!」
突然、リーフィの背後から声が聞こえた。刃物の光が、彼女の目の端を通り過ぎる。男は、そのとき、とっさに体を退いた。火花が散り、目の前に黒い塊がよぎる。金属音とともに、男の姿がふと闇に消えた。
いつのまにか、リーフィは、黒衣の人物にかばわれる形になっていた。
「チッ……」
目の前の人物は、軽く舌打ちし、わずかに歯噛みしたように見えた。リーフィには、ようやく彼の正体がわかっていた。
「ジャッキールさん」
そうつぶやくと、彼はちらりと彼女の方を向いた。心なしか青ざめているようだったが、元から青い彼のこと、よくわからない。
「怪我などはないか?」
「え、ええ」
「リーフィちゃん!」
追いついてきたシャーが、慌ててリーフィを抱き寄せるように後ろにやった。その後ろから、テルラが心配そうについてきていた。
男は闇にまぎれている。ジャッキールは叫んだ。
「出て来い! いるのはわかっている! 貴様だということもな!」
「もう少しのところだったのに!」
男の声が、忌々しげに響いた。
「相変わらず不死身だな、ジャッキールの旦那。おまけに勘もいいとは、意外だったよ」
そういわれ、ジャッキールは、薄く笑った。
「……ふ、俺も今の今まで一応こういう世界で生き抜いてきているのでな。その辺の匂いをかぎ分ける程度の能力ぐらいある」
「そうか、少々甘く見ていたよ」
そういって、男が一人ふらりと姿を現した。
まだ若い。少なくとも、シャーには、見覚えがなかったが、後ろのテルラの様子で、彼はなんとなく事情を知った。目の前の男は、取り立てて目立つということもない男だが、少なくとも、ジャッキールのように戦士でもなく、ゼダのようにどこかよれたところのあるやくざまがいでもなく、自分のように裏のある遊び人でもない。少なくとも、普段は、剣を振るう絶対的な理由をもたない男だ。
だが、その男の目は、鍛冶屋の目ではなかった。血に飢えた目は、性格が変わった後のジャッキール、いいや、彼よりももしかしたら強いぐらいの狂気を秘めている。
「ラタイ!」
テルラの声が悲痛に飛んだ。その声が聞こえたのかどうか、ラタイは、顔色ひとつ変えていない。かつての愛想のいい兄弟子の雰囲気は、まるで一かけらものこってはいなかった。
「……やはり貴様か」
ジャッキールは、沈んだ声で言った。
「ふ、ふ、ふ……。あんたが普段馬鹿正直すぎるものだからもっと鈍いやつだとおもっていたがなあ。いつから、オレだと気づいた?」
「昨夜、俺を斬ったときに……。……あの時、貴様はなぜ追撃してこなかったのか、気にかかっていた。確実に俺をしとめる絶好の機会だったというのにな。それについて、一昼夜考えた。そして、お前しかいないのに気づいた」
「理由はわかったのか?」
「ああ。……貴様は俺に死なれては困るのだろう。いいや、厳密に言うと、俺が他殺体で見つかっては困る。貴様の筋書きでは、あくまで俺が追い詰められて自殺しなければいけなかった。貴様は、すべてが終わった後、元の生活に戻ろうとおもっていたのだろうからな。俺に罪をかぶせるなら、そういう生活ができると貴様は踏んだ。だから、俺に止めを刺さず、役人に逐一俺の動向を報告した」
ジャッキールは、続けた。
「だが、普通、まだ殺戮を楽しむつもりのものなら、そうはしない。俺をあの場で殺すか、そうでなければ、まだ泳がせる。前者なら俺を殺すのも楽しみの一つであるからで、後者なら、俺が死ねば逃げ口上がなくなるからだ。これから先しばらく殺しを楽しみたいなら、俺をもっと利用するはずだ。俺には悪癖があることはわかっているだろうし、俺なら疑われても役人に駆け込むことはない。だとすれば、わざわざ、俺を痛めつけたまま、役人の前に投げ出すようなまねは中途半端だ。……自らの楽しみの為に殺しているのではない。それに気づいたとき、ハルミッドの弟子が思い浮かんだ」
ラタイは答えない。ジャッキールは、テルラのほうにちらりと目を向けていった。
「ハルミッドの弟子は二人。だが、ここにいる小僧は若すぎる。おまけに、剣の心得があるとは思えなかった。ハルミッドが死んだときにも、返り血を浴びていなかったしな。あの時間で着替えて平然と戻ってくるのは不可能だ。それに、この小僧は、ちょっと無愛想なところがあるからな。カディンのような男と取引をするとは思えなかった。そうだとすれば、ハルミッドの代わりに接客をし、頭がまわり、剣の心得があり、あの時姿を現さなかった貴様しかいない」
「やっぱり、人を殺すことそのものが目的ってわけじゃあないのか」
シャーが口を挟むと、ジャッキールは軽くうなずいた。
「そうだ。この男の目的は、そもそも人殺しではない。ただ、人を斬って、あの剣の切れ味が見たかった。いいや、剣の切れ味を確かめて、そして、師の剣の秘密を盗みたかった。ハルミッドは、剣を戦争の道具として作った。つまり、ほかの生き物では代用にならない。師は人殺しの道具として、剣を作ったのだから、その妙技は人を殺さねばわからない。それにこの男はいきついた。だから、こうして人を斬って歩くようになったのだろう」
「そうだ。……師匠は、メフィティスの秘密を教えてくれなかった。俺はどうしても、秘密が知りたかったんだ!」
ラタイは、はき捨てるようにいった。
「だが、師匠はメフィティスを俺に触らせもしてくれなかった! だから、俺は実戦のなかで、それを学ぼうとしたのさ」
ラタイは、狂気にゆがんだ笑みを浮かべた。
「そして、収穫はあった! 斬る度に、師匠がどういう思いでこの剣を作ったかが、実感としてわかるんだ!」
「ハルミッドならそうだろうな。予想は大体つく。あの男も、とても正気ではない男だったよ」
ジャッキールは、静かに言った。
「貴様はメフィティスがほしかった。カディンと組んだのは、師の剣を盗むのに協力がいったからだろう。カディンは、数日前剣を求めにいって、振られて帰ったそうだな。そのとき、貴様は、奴に話を持ちかけた。カディンには、私兵がいる。奴らに剣を盗ませるつもりだった。後で、ほかの剣を渡しておけば、メフィティスをあきらめるかもしれない」
「だが、あの時お前が現れた」
「そうだ。俺があの日偶然あそこに舞い込んだことで、予定が狂った。貴様、一瞬あせっただろう。だが、貴様は頭が回った。すぐさま、貴様は予定を変更し、俺を利用することにした。流れ者の俺に、ハルミッド殺しと盗みを着せれば、より貴様に疑いが向かなくなる。だから、貴様は、あの騒ぎの直後にあわせて役人を呼んでいた。いいや、これは、カディンとの打ち合わせの末だろうが」
「そして、ハルミッドを殺し、剣を手に入れ、……ジャッキールは、罪を着せられた上カディンを追って都に逃れた」
「そうすれば、確かにあなたは罪を負わないわね」
リーフィは軽くうなずいた。
「すべては、貴様の思惑通りのように思えたが、メフィティスを握っただけでは、師の秘密などわかるものではない。貴様は、それを実際に使ってみる必要を感じた。おまけにカディンは、予想以上にしつこくメフィティスを求めてくる。だから、貴様は、逃げたままの俺が、カディンをかぎつけているのを利用しようとした。つまり、俺がやったと見せかけ、剣の秘密を得るために通行人を殺し始めた。そして、本来、すべては昨日終わるはずだったのだ」
「昨日?」
「そうだ。あの夜、俺が死ねば、貴様はカディンを殺すつもりだった。だから、役人に追い詰められ、俺が自尽したという報告を待っていたはずだ。だが、いつまで経っても俺の死体どころか、所在がつかめないので、貴様は一日伸ばしたのだ。いいや、もう待てなかった。メフィティスを求めてくるカディンに、貴様はもう我慢が出来なくなっていたのだろう。それに、剣の秘密もそろそろつかめてきていた。だから、今日は我慢できずに、カディンを殺した」
「……だが、今日あんたが死ねば、ちょうどいい」
ラタイには、シャーやテルラが見えていないのかもしれない。そんなことを言いながら彼は笑った。
「俺はその女を斬って剣の秘密を知る。そして、今度は師匠以上の刀鍛冶として名を馳せるんだ!」
彼の目には、どこか夢見るような陶酔が漂っていた。メフィティスの見せる幻影によっているかのようだ。
「貴様ならまじめに修行すれば、さぞかしいい鍛冶屋になれただろうに。そんなことでこんなことを……」
ジャッキールは、忌々しげにつぶやいた。
「……貴様はすでに魔道に堕ちたのだ。そんなことなど無理に決まっている。一度味わった愉悦を忘れられず、また人を殺す! もう戻ることなどできないのだぞ」
「黙れ! 俺はお前とは違う!」
ラタイはメフィティスを振り上げた。血と怒りの赤に染まった刀身は、月の冷たい光を跳ね返している。
「……俺はお前みたいに見境のつかない化け物じゃない! お前が死ねば、全部うまくいくんだ!」
ラタイは、そう叫んで剣を突きつける。ハルミッドのところにいたときとは、まるで別人のようだった。
「やはり、話だけでは収まらんか」
ジャッキールは、ため息をつき右手に下げた剣を軽く持ち直す。それに反応してか、ラタイは、ざっと剣を構えた。
リーフィを背後に回したまま、シャーが反射的に剣の柄に手をかける。
「アズラーッド!」
足をだしかけたシャーを、ジャッキールがさえぎった。
「手を出すな! ここは俺がやる!」
「ジャッキール」
「あの剣を回収してくれ、と、俺はアレの師匠に頼まれた。……俺には、約束を果たさねばならない義務がある!」
ジャッキールは、半分振り返っていった。戦いを前にして、珍しくジャッキールの目は、血走っていなかった。
シャーは、リーフィをその場にとどめ、ジャッキールの方に歩み寄った。
「正気、だよな? 状況わかっていってんのか?」
シャーは、少し小さな声で言った。リーフィに聞かせたくない内容だったからだ。
「馬鹿にするな。俺の腕はわかっているはずだ」
「俺が知っているのは、普通のときのあんたの実力だぜ」」
シャーは、相変わらず小さい声で言った。
「本当は、結構きついはずだ。さっき、相手に一撃をよけられたのを見ればすぐわかる。普段のあんたなら、間違いなく相手をしとめているはず。……それがああも簡単に避けられたのは、あんた自身、アレ以上の力を出すことができなかったから」
ジャッキールは、無言だ。シャーは畳み掛けるように言った。
「昨日、あれだけ血を流したばかりなんだぜ。今度やられたら、いくらあんたでも死ぬ。それはわかってんだろうな? せっかくリーフィちゃんに助けてもらったんだろ?」
「ふん、死ねばそれも運命だ」
それに、と、ジャッキールは付け加える。
「俺がもし死んだとしても、俺の所持金をリーフィ殿に渡してくれれば、それでそれなりに恩が返せる。無礼はわかっているが、それでわかってくれない娘ではないはずだ」
シャーは眉をひそめた。やはり、ジャッキールは勘違いをしている。
「オレがいったのは、そういう意味じゃねえよ」
「だったら何だ?」
少しきょとんとしてジャッキールは、振り返る。視線の先のシャーは、珍しく不機嫌そうな顔をしていた。いや、少し怒っているのかもしれない。
「助けてもらっておいて、たった一日で死ぬ気か?」
シャーの口調は妙に非難じみていた。ようやく彼は意味を把握し、少しだけ意外そうな顔をした。
「……、それも、詮無いことだ……」
ジャッキールは、そういいやる。
「詮無いだけのことなのか? ……あんたにとって、自分の生死はそんな価値のないものなのか?」
ぶっきらぼうな口調のシャーに、ジャッキールは、静かに、しかし、はっきりといった。
「そうだ。俺にとってはそれだけのことだ。ただ、俺が気がかりなのは、リーフィ殿が、俺を助けてくれ、そして、今現在ではそのことに対する礼ができていないということだけだ」
シャーの表情は変わらない。ジャッキールは、それをみやってふと自嘲的に笑みながら続けた。
「貴様には、わからんだろうな。俺はかつて一度死んだのだ。一度死んだ男というのはな、理由さえできれば、二度死ぬにためらう理由がなくなる。いいや、死に場所を探して生きているようなものかな。今生きているのは、あのときに死に損なっただけのことだからな」
「死に損なったのは、オレも同じだ。だからって理由にはならないぜ」
「まあ、聞け、アズラーッド」
ジャッキールは、怒りの色を浮かべるシャーをとどめるように言った。
「こんな俺でもな、かつては、正気だったことがある。なるべく敵ですら殺すのをさけ、人を信頼して生きていた。命令が下れば、誇りと理想の為に死に物狂いで戦った。だから、上から下される命令に、俺は疑うこともしなかった。気が合わなくても、皆仲間だと思っていたし、俺自身も奴らと語らっていた理想を真剣に信じていた。……あの時は俺も若かったからな」
ジャッキールは、少し苦笑し、すぐに目を伏せた。
「だが、それは俺の甘さだったのかもしれん。そのせいで俺は部下を全員失い、俺自身も生死の境をさまよった」
ジャッキールの思わぬ言葉に、シャーは、黙り込んでしまった。ジャッキールは伏せていた顔を上げた。
「アズラーッド、あの後、俺は、人を殺すことをためらわなくなった。いや、それどころか、何人斬ったか、直後にもう頭に残らなくなった。もちろん、罪悪感など、毛の先ほども残らない。ただ、斬ったという感覚が残るだけだ。だから、歯止めが利かなくなった。心の赴くままに相手を斬り捨て、その快感に酔うようになった」
ジャッキールは、一息ついて、少し小さな声で言った。その表情は、おどけるわけでもなく、どこかさびしげなほど真剣だった。
「もしかしたら、俺は、何か人間として大切なものを、あの時に壊したのかもしれない」
シャーは無表情で黙っている。ジャッキールは目を伏せて笑った。
「貴様には、俺の気持ちはわからんだろうな、アズラーッド。いいや、貴様は永遠にわからんほうがいい。知れば俺のように、いいや、貴様は俺どころでなくなるだろう。貴様が生死をさまよったとき、貴様には守るべきものがあったのだろう? ……だから、貴様は死なずにすんだ。そのとき、すでに、俺には誰もいなかったからな」
ジャッキールの冷ややかな笑みは、冷酷さも皮肉さも感じられなかった。
「だが、自らを投げやりに他人の為に尽くすのはよせ。……俺はもともと何もなかったから、これだけで済んだが、何か持っているものが一度にすべてをなくすと脆い。貴様は、もっと自分に執着したほうがいい」
「なんで、オレにそんなことを言う。……あんたはオレを殺そうとしていたんだろう?」
シャーは、不機嫌な顔のままそう聞く。ジャッキールは、薄く笑った。
「さあ、何故かな? もしかしたら、俺には今の貴様がうらやましいのかもしれん。貴様が死のうが生きようがどうでもいい。ただ、生きている間は、貴様に俺のようになってほしくはない。……なぜか、ふと、そう思っただけだ」
ジャッキールは笑うと、ため息をついて、足を進めた。シャーは、もう何も言わなかった。ジャッキールは、だから、と言葉を継いだ。
「もはや俺にとっては、貴様の問いは無意味なのだ。アズラーッド・カルバーン。残念だな。十三年前、あの時に、そう問われれば、俺ももう少し違った人生を歩めたかもしれないが……」
もうすべては手遅れなのだ。ジャッキールは、そう声には出さなかったが、シャーにはそう聞こえた気がした。




