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5.籠の鳥

 高楼から砂の上に金色に光る月を眺める。

 それが彼女の日課である。

 夕暮れの街に、今日もゆっくりと日が落ちていき、月が昇る。

 花街の夜は華やかだが、どこか刹那的で儚げでもある。ぼんやりと浮かぶ夢のような空間に笑い声が響き話当たる。

 じりじりと音を立てるランプの光に透けて、赤く見える髪の毛に薄紅の上等な衣服がかかる。金属の髪飾りが、しゃらりと音を立て、彼女はわずかに顔を上げた。どことなく幸薄そうなはかなげで繊細な顔立ちに、伏せがちの大きな瞳。華やかな中にもかげろうのような消えていきそうな雰囲気が影をひく。青ざめた顔は、けして血色がいい方ではなく、また色が白いだけでもなさそうだった。

 シーリーンは、冷たい風の入ってくる窓を閉じた。夜風に当たっていると熱を出してしまうかもしれない。

 シーリーンは、この妓楼の妓女だ。もとは貴族の娘だったが、彼女の家は内乱後急速に零落し、彼女は仕方なくここに売られてきた。体の弱かった彼女は、ここでの生活のうちに体を壊してしまい、またおとなしく控えめな性格のため、上客もついていなかった。

 病気の彼女が妓楼を出て行かねばならなくなったとき、ふと、この妓楼にいりびたっていた男が、ふと手を差し伸べてきた。彼のおかげで彼女は、しばらくここで店には出ずに静養できるようになった。しかも、この一部屋を自由に借り切ることもできた。

 だが、それでも、それは体が治るまででもあるし、男が妓楼の主と契約した年月が限度である。それが終われば、またつとめなければならない。どことなく幸の薄い彼女の印象は、ただの印象というより、彼女の過去やこれからの運命を象徴しているような感じでもあった。

 こほん、と軽く咳をして、彼女は水差しの水をふくんだ。

 向こうで大きな音が鳴り、歓声が響き渡る。はやくも酔っ払った客が、盛り上がって暴れているのだろうか。そういうことはよくあることなので、シーリーンは特には気に留めず、しばらく休むことにしたが、このときは、それだけではすまなかった。

 誰かの大きな足音が、徐々にこちらに近づいてくるのがわかったのだ。

「なんだ、こんなところにもいるじゃないか!」

 裏返った声と共に、男が入り口の布をめくりあげて現れる。シーリーンは身をすくめた。酔っ払っているらしい顔の赤い男は、すでに千鳥足になっている。よろよろとこちらまで歩いてきながら、彼はシーリーンを覗きやった。

「す、すみません。私は、お店には出ていないんです」

「なんだ? いいじゃねえか。こっちにきてちょっと遊んでくれれば!」

「いいえ、駄目なんです。私は……!」

 シーリーンは、首を振る。一応彼女は、ある男に保護されている身であるし、彼の顔を立てる意味でも、妓女として今は出るわけにはいかない。

「なんだよ! 一緒にきてくれてもいいだろうが!」

「だ、だから、駄目なんです!」

 そういったが、シーリーンの力は弱い。あっという間に引きずられそうになり、慌てて彼女は手を払って部屋の隅へと逃げる。誰か助けに来てくれるかと思ったが、誰も助けにくる気配はない。他の客にかかりきりになっているのかもしれないし、或いは――。

 男は、下卑た笑い声を上げた。

「かわいいじゃねえか。そういうの、オレは結構好きだけどなあ」

 シーリーンは、身をすくめて目を閉じた。

 と、男の笑い声が一瞬にして悲鳴に変わった。何か事がおこったのをしり、シーリーンは、おそるおそる目を開けた。

「シーリーンに手を出すな」

 聞き覚えのある声が聞こえ、男の背後にもう一人男の姿が見えた。彼は男の腕をねじり上げ、だまってそこにたっていた。実年齢より幼く見える顔立ちだったが、そんな可愛げなどほんの少しも宿していな鋭い視線が、男に注がれている。

「な、なんだ! お前は!」

 いきなりのことに、酔っ払った男は慌てた。だが、青年は、容赦なく彼を突き飛ばす。うめいた後、何か大声で罵声を浴びせながらも、男は既に逃げ腰になっていた。というのも、目の前に立つ青年の帯には短剣がひっかかっているし、彼はいつでもそれを抜ける体勢だったからもある。

「何をするじゃねえ」

 青年は、口元をゆがめて笑っていった。

「この娘は、今のところオレが貸りてるんだよ。テメエのような与太郎に指一本触れさせるわけにはいかねえんだよ」

「な、何言ってやがる!」

 挑発するような言い方に、おびえながらも男は腹をたてる。だが、青年の方は余裕の様子で、肩にひっかかけた赤い上着をととのえていた。

「やる気ならやってもいいんだぜ。だがなァ、ここで刃傷沙汰起こして困るのは、オレじゃなくおたくさんの方じゃねえのかい?」

「う……」

 男はうめいた。彼が言ったことも事実であるが、それ以前に青年のまなざしが不気味だったのだ。口元はへらへら笑っているくせに、まるで蛇の目だ。じわじわと恐怖をあおるような、そういう目をしている。

 男は息を呑む。このまま待っていても、自分の立場が悪くなる一方のような気さえする。もしかしたら、相手は腕がたつだけでなく、この店の上客なのかもしれない。

「お、覚えていろ!」

 とうとう、男は、そう吐き捨てて逃げ出した。いや、吐き捨てるのが精一杯だった。その全てをみることもなく、青年は、上着を跳ね上げると身を翻しながら嘲笑う。

「度胸があるのなら、月のない晩にでもオレを待ち伏せしてみやがれ。返り討ち覚悟でって事だがな」

 低い声でそう脅し、彼は上着を肩にかけながら、娘の方まで進み、ふと表情をゆるめた。

「大丈夫か?」

「ゼ、ゼダさま」

 シーリーンは驚いていた。その反応をみて、ゼダは軽く首をかしげる。

「おや、オレがきちゃいけねえのか?」

 シーリーンは、首をふって大きな瞳で彼を見上げた。

「でも、今日はいらっしゃる予定ではなかったし……」

「予定を変えたんだよ」

 ゼダは、にやりとした。シーリーンが首をかしげる前に、彼は笑っていった。

「お前の顔を見たかったからにきまってるじゃねえか。オレだって、おめえの事が心配だったのよ」

 ゼダはそういって、一瞬、ふと人好きのする顔をのぞかせる。どちらかというとあどけない顔立ちに、まったくといっていいほど幼さの残らない瞳をした男は、自分の顔が他人から見られるかということを知っているらしい。

 相手が遊び人なのは、もうすでに知っているのだが、それでもシーリーンの頬には、少しだけ朱がさした。

 ウェイアード=カドゥサ、というのが彼の公式の名前である。大富豪カドゥサの一人息子である彼が遊び人であることは、有名な話だ。だが、その彼が、ゼダという名前を名乗っているのを知るものは少ない。

 ゼダは、ウェイアードという名前で呼ばれることを嫌い、心を許したなじみの女や部下には、すべてゼダで呼ばせている。その名を知っているものの中でも、普段おとなしい男のふりをしている彼の正体をしるものはごくわずかでもあった。

 誤解されることもあるが、ゼダは女性にとことん優しい男ではある。金で心を買ったりはしないし、金でかった相手でも別に無理を通そうとしたことはない。

 彼の本性を知る妓女達が、彼と遊ばなくなってからも、彼の正体について口をつぐんでいるのは、金のためというよりは、ゼダのある種の人徳ゆえといえるかもしれない。

「それで、体の調子はどうだ? 少しはよくなったかい?」

「え、ええ。おかげさまでかなり……」

 シーリーンはそっと俯くが、ふと何かに気付いたように慌てていった。

「あ、あの……お煙草は?」

「おめえは、煙は駄目なんだろうが。なら、酒だけでもいいんだよ」

 この前、咳き込んだのを覚えられていたのだろうか。シーリーンは申し訳なさそうな顔になりかけたが、その前にゼダが、さっと手を差し出した。

「酒でも注いでくれ」

「あ、は、はい!」

 シーリーンは、慌てて立ち上がり、廊下に出て誰か酒を持ってきてくれるように頼んでいた。それを見上げながら、ゼダは、上着を相変わらずひっかけたまま、そこに座る。見る限り、彼女はこの前よりはいくらか顔色がよくなっているようだ。彼があげたきれいな髪飾りも、彼女によくあっているようでもある。

 ゼダは、安堵のため息を、こっそりと知られぬように漏らすのだった。

 



 ここのところ、ゼダは、部下の縄張りや花街を渡り歩きながら転々としていた。というのも、ここのところ起きている殺人事件とやらに、自分が関わっているという噂が流れたためだ。もちろん、彼には身に覚えもないことである。

 表向きは、ザフに全てを任せているので、あえて自分は隠れておくことにしたのだが、それにしてもゼダにもその事件のことは気にかかる。自分も巻き込まれた形であるし、調べてもいいだろうともおもったのもある。

 だが、行動を起こす前にどうしても彼女のことが気にかかったのもあり、隠れる目的ついでにここに通ってきたのだ。

 酒を注いでもらいながら、ゼダはふと眉をひそめた。何となくシーリーンの顔が曇っているような気がしたのだった。

「どうした? 加減が悪いのかい?」

「い、いいえ。違います」

 シーリーンは、慌てて首を振った。ゼダは、いぶかしげにさらに訊く。

「じゃあ、どうしてだ?」

 はい、と答え、シーリーンは、目を床に落とした。 

「ゼダさまは、わたしにあれこれよくしてくださいますが、わたしのほうはお世話になりっぱなしで……」

 シーリーンはため息をつく。

「あまり気もつかないし、わたしはご迷惑ばかり」

「またそういうことを気にしているのか? ……かまわねえよ。オレは、どうせ気まぐれで金をばら撒くぼんくら息子だ。むしろ人助けになるぐらいだったら、オレがありがたいぐらいよ」

「でも、わたしは何も出来ません」

 シーリーンがため息をつくと、ゼダは杯を一度おき、優しく微笑する。

「見返りが欲しくて通ってるんじゃねえ。おめえの顔を見に来ただけだといってるだろう?」

 そっと肩に手をふれながら、ゼダはシーリーンの顔を覗き込む。

「こうやって、たまに笑って側で酒注いでくれるだけで、オレはいいのさ」

 そういって、何故かとても純粋そうに微笑める辺り、ゼダはやはり遊び人である。

 しかし、ゼダも別に全て演技で笑っているわけでもない。ゼダはゼダで、この逢瀬を楽しんではいる。だが、そんなゼダでも、どうして大金をはたいて、彼女を助けようとしたのかわからないことがある。

(大体、オレが囲っちまってるみたいで……)

 ゼダは、ふとわずかに眉をひそめた。

(まるで籠の鳥じゃねえか)

 それ以外、彼女を助ける方法がゼダには思い浮かばなかった。そう思うと、彼でも柄にもなく切ないような気持ちになることがある。籠の鳥なら、逃がしてしまえばいいと単純に思っていたゼダだが、彼女にあって考えが変わった。世の中には、籠の中でしか生きられない鳥もいるのかもしれない。 同じように身を落とした感じのするリーフィとは違い、どこか強かな印象もない。きっと、外の世界に放てば、長生きできないだろう。

 だが、別に彼女をそれだけで助けたわけではないと思う。実際、ゼダでも、彼女をどういう心境から助けたのか、時々わからなくなる。百戦錬磨の遊び人の彼でも、シーリーンに対するこの気持ちが果たして同情なのか、それともいつもの遊び心からなのか、それとも別の感情からなのか、いまいち図り損ねているのだった。

「幸せになってほしいとは思うんだがよ……」

「え?」

「ああ、いや、何でもねえ」

 思わず口に出てしまった言葉を、苦笑と共に消しながら、ゼダはため息をついた。

 しかし、迷いながらも結局、ゼダは、暇が出来ると彼女のところに遊びに来て、話をして、酒を飲んで、時に贈り物をしてかえるのが、ここのところの常である。本当は、自分でも、ただそれだけでのことを十分楽しんでいるのかもしれない。

「外では、何か物騒なことが起きているとか」

 シーリーンは、酒を注ぎながら不安そうに言った。

「ゼダ様は大丈夫ですか?」

「ああ、その話か」

 まさか、とゼダは心の中でつぶやく。

(オレがその男と間違えられて役人に追われてるとは言えねえよなあ)

 苦笑したのがわかったのか、シーリーンはふと首をかしげた。

「いや、何でもねえよ。おめえが心配するようなことじゃねえ。それに、オレはそういうのに襲われたりしねえほうだしな」

「でも、どうかお気をつけくださいね」

「ああ。そんなこと気にせず、お前はゆっくりと休んでくれよ。でも、ゆっくりとでいいんだぜ。お前に金をかけてんのは、オレの気まぐれなんだし、オレに遠慮せずにここにいろ」

 シーリーンは、ふと目を絨毯の上に落とした。ゼダの世話になることには、彼女も気に病んでいるようだった。ゼダは、上半身をやや起こすと、シーリーンの肩に手をおいた。

「気にするな。だから言っているだろう。オレはおめえの顔がみたくて、ここに来てるんだよ。おめえが楽しくここでやって、ついでに元気になってくれれば、オレは言うことねえんだ」

「……は、はい」

 こくりとうなずくシーリーンを見て、ゼダは、人知れず安心する。軽くシーリーンの頭をなでやって、ゼダは杯を手に、酒をふくもうとしたが、ふとその動きを止めた。ぱっと鋭い視線を廊下の方にやって低い声でたずねる。

「誰だ?」

「すみません。オレです。ザフです」

 部屋の向こうから聞こえる小さな声に、ゼダは崩していた姿勢をやや整えた。

「……オレが出て行ったほうがいいのかい?」

「すみません。できますなら」

 控えめなザフの声に、ゼダはうなずき、杯の酒を飲み干して、立ち上がった。シーリーンは、彼を見上げる。

「お帰りですか?」

「悪いな。ちょっと面倒なあれこれがあるらしいんだよ」

 ゼダは、立ち上がろうとするシーリーンの肩をおさえて座らせると、少しだけ笑った。

「またきてやるよ。だけどなあ。本当の事いうと、オレみたいにいい加減で、しかも何時死ぬかわからねえ男なんて待つもんじゃないんだぜ」

 そういいやる様子が、いかにも遊び人なのだが、本人はもしかしたら気付いていないのかもしれない。ゼダは、上着を引きながら入り口から外に出る。 

「それじゃ、ちゃんと養生するんだぜ。薬は届けさせるから」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあな」

 頭をさげるシーリーンに笑いかけ、ゼダは、ザフに従って外に出た。しばらく無言で歩き、ザフは、周りに誰もいないのを確かめる。それがわかったのか、ゼダのほうが静かに切り出した。

「何か動きがあったみてえだな」

「はい。くつろいでいらっしゃるところ、すみません」

「いや、いいってことさ。あまりいると、あの娘は気疲れして熱をだしちまいそうだからさ。で……」

 ゼダは、目をあげる。

「なんだって?」

「坊ちゃん。どうやら、疑いはあらかた晴れたようです。連中の動きが変わりました」

 ザフが安心したようにそういっても、ゼダは相変わらず淡々としている。

「へえ、そりゃよかったな。でも、濡れ衣とはいえ、いい気はしねえやな。まさか、カドゥサの金が動いてるんじゃねえだろうな?」

「いえ、そうではないようです。目撃者が幾人か現れたのですが、どれも坊ちゃんからは大きく特徴が……」

「そりゃそうだ。オレは関わっちゃいねえんだからな。で」

 ゼダは、据わったような目を翻して、ザフを見る。

「その目撃されたヤロウはどういう男だったわけだよ?」

「坊ちゃん!」

 ザフが、端正な顔をしかめる。

「坊ちゃん、また何か関わる気ですね!」

「まさか。オレは情報が聞きたいだけよ。元から好奇心は旺盛な方だからな」

 ザフは、額に手をやってため息をつく。どうも、また主人の悪い癖が顔を覗かせたらしい。ザフは、頼み込むような口調になった。

「坊ちゃん、お願いですから、無茶はよしてください。これは関わったら命にかかわります。い、いえ、坊ちゃんが弱いというわけではないのですが、それでも、もう相手は何人も殺しているんです。何かあったら……」

「心配するな。オレは、別に関わったりしねえよ。ただ知りたいだけだ」

「本当ですか」

「本当だよ。疑うのか?」

 ザフは、考え込んでいたが、ゼダの顔色があまりにも変わらないので、一応信用することにする。

「黒い服の結構な大男らしいんですが」

「目撃した人間ってのは」

「……カタスレニア近辺のパリーアという酒場づとめの娘だそうですが……坊ちゃん」

 ザフは、不意にまじめな顔つきになった。

「本当に、関わらないんですよね?」

「なあにいってやがる。オレがお前に嘘をついたことがあったか? そもそも、心配性なんだよ、おめえは」

 ゼダはそういって笑い飛ばしたが、ザフは余計心配そうな顔になった。彼の主はいつもそうなのだ。なんでもないようにとぼけながら、とんでもないことをしでかす。こうやって、彼がへらへら笑っているときほど、彼は自分を出し抜いて、勝手に事を起こすのだ。

 大体、ゼダが嘘をついたことがないはずもない。ザフは、しゃべってしまったことを後悔しつつ、ゼダが約束を守って出て行かないことを祈るばかりだった。






 夜の風にさそわれ、彼はふらりと城下を供もつれずに歩くことがある。一見目立つ特徴を持ってはいるが、素の彼と印象が随分違うので、よほどでない限り、その正体がわかることはない。

 将軍という身分になっても、結局街の雰囲気を忘れ去ることは出来なかったらしく、ハダート=サダーシュは、意外に街の中に溶け込むのが好きだ。辛い思い出もあるくせに、結局、居心地のいいふかふかした椅子には座り続けることができない性分でもあるのだ。

 おまけに、今、町ではなにやらアブナイ事件が起こっているとも言う。好奇心が生きる糧のような彼が、それに反応しないはずもない。

 頭に巻いた布の間から銀色の髪の毛が垣間見え、切れ長の目に覗くのは青い瞳。すらりとした整った顔立ちのハダート=サダーシュは、そのまま、ごく自然に小さな酒場に入った。

 いつもの行き着けの店である。いつもどおりに亭主に酒を頼むと、ハダートは店の奥に座っている相手の反対側にすわった。

「全く。いきなり呼び出されるとは思わなかったぜ。しかも、話が終わったらすぐ帰れって」

「いや、オレ、かわいい子と待ち合わせしてるの」

 本当か、と言いたげに彼は横目で見るが、彼の言葉の真偽など大した問題でもない。

「……しっかし、なんでオレを頼るかねえ」

 あきれるようにいうハダートをみながら、何となく緊張感がない声が響く。

「仕方ないでしょ」

 しゃっきりしない声が聞こえ、目の前で青年が、空の杯をもてあそんでいた。あきれかえるハダートに、青年は、相変わらずの三白眼をちらりと上に上げる。。

「あんたも、結構カラス体質なんだよねえ。好奇心が旺盛すぎるっていうかさあ。だから、絶対野次馬すると思ってね」

 シャーは、そういいながら頬杖をついてにんまりと笑った。

「あまり嬉しくない言われようだな」

 ハダートは、運ばれた酒を受け取って口に含み、そして声を低めた。

「だが、オレも情報はあんまりつかんでねえんだよ」

「でも、上と関わってるかどうかとかはわかるんでしょ。一応きくけど、どうなのさ」

「ソレは、関係ない。一応調べてみたんだが、連中に怪しい動きはない。大体、利点もないだろうし」

「そうか~。よかったような、よくないような」

 シャーは、複雑そうにいいながら、頬杖をついた。それを眺めながら、ハダートは足を組む。

「で、オレに情報をくれっていうのか? こういう事件に関しては、オレは完璧にノータッチだぞ。寧ろ、ジートリューにきいたらどうだ。あの一族は、昔、警察権をもってたことがあるらしいし」

「それはわかってるんだけどさ。いや、でも、アンタの方が、あれこれいろんなこと知ってるんでしょ。いろんな人がいるしさ」

 シャーは、もみ手をしながらにんまりと笑う。ハダートは、眉をひそめた。

「へえ、じゃあ、あいつらを使う金をあんたが払ってくれるのか?」

「あ、いや、ソレはその……」

 シャーは、途端慌てだした。そして、声を低くしながら、そうっとささやくようにいう。

「つーか、あんたも知ってるんでしょ。オレ、正直、金がないのよ。明日をも知れないわけなのよ」

 事情を知ってはいるが、ハダートは冷淡である。

「……明日をもねェ……。まじめに働きゃ困るまいに」

「んなこといっても、わかるでしょ。というか、一々、町に繰り出してしまうアンタなら、オレのこの繊細な気持ちもわかってくれると思うんだけどなあ」

「アンタと一緒にされたくもないね」

 ずばりと言われ、シャーは、がくりと肩を落とす。

「そ、そんな言い方ないじゃない」

 見るも哀れ、といった様子だが、さすがにこの様子も慣れてくるとあまり哀れに感じない。これはこれで結構強かなところも、少しどころか、かなりある。

 とはいえ、ハダートも、結局好奇心の人である。そういわれると、調べる口実ができるので、少々考えるところもあるのだった。ため息一つで、ハダートは、あきれながらこう答える。

「……まあ、仕方ねえな。ある程度は、あんたに情報を流してやるよ」

「えっ、マジ?」

 バッと顔を上げ、シャーは喜びの色を見せる。それをうっとうしそうにみやりながら、ハダートは手を振った。

「その代わり、オレがやるのはそれまでだぞ。それ以上については責任もたないからな」

「その辺はわかってますって。さすがだなあ。ハダートちゃん」

「調子のいいこといって」

 ハダートは、ため息をつき、酒を飲み干すと、懐から手帳のようなものを出して、一枚破るとシャーの前に投げやった。それに何かが書かれているのは一目瞭然である。

「オレが今知ってるのはソレだけ。後は、今から調べる」

「結局、調べてるんじゃない。相変わらずだけど、性根が曲がってんじゃない?」

 シャーが不満そうにいいながら、紙を手にしようとしたが、ふとその手をハダートの手がさえぎる。

「だったらいいんだぜ」

 青い目でじっとりと見やりながら、ハダートは意地悪く笑った。

「全部自分で調べてみるかい?」

「い、いいええ。ありがたいです、ごめんなさい。オレが悪かったです」

「わかればそれでよろしい」

 慌てて謝るシャーを見ながら、ハダートは横目で一度にらんだあと、手を引っ込め、杯を置いて立ち上がる。

「それじゃあな。また、そのうちに」

「はーい。……でも、ま、あんたもちょっと丸くなった? というか、結婚してからおとなしく、かつ、せこくなったような気が……」

「ふん、賢くなったといってもらいたいねえ。それでも、アンタの泥舟に乗ってやってるんだから、感謝してもらいたいぜ」

 そういうと、ハダートは、じゃあなといってきびすを返す。ちょうど、外に出ようとしたとき、入り口から一人の女性が入れ違いにやってきた。その顔を見て、シャーが慌てて立ち上がる。

「リーフィちゃん!」

「シャー……。ごめんなさい。少し遅れてしまったわね」

 入ってきた無表情だが、きれいな娘は、ふとハダートのほうを見上げる。

「どうも」

 会釈すると、リーフィもまた会釈して返す。

 その顔を見て、改めてシャーを見るまでもなく、ハダートは状況を知った。

(あーあ、また、こりゃ相当入れ込んでるわ)

 瞬時にハダートは気の毒そうな顔になった。

 リーフィとかいう娘は美人だが、いわゆるシャーの好みとはちょっと違う気がした。シャーの今までを知るハダートが推し量るところ、シャーはもっと激しい気性の女性が好みなのである。激しい気性のその中に、時折ちらっと優しさを見せるぐらいが好み、という、それだけでも、報われなさそうな好みなのだが、今度はどうやら違うらしい。

 だが、好みとちょっと違うからといって、彼が惚れ込まないとは考えない。リーフィという女性の、シャーを信頼しきった様子や、冷たい中にある優しさ、健気な割りに妙に強かな感じがするあたり。正直、シャーがはまると一番抜け出せないタイプのような気がした。

(……また悪い癖が。つったく、あれだけ振られて、また一目惚れか、コイツ)

 ハダートは、あきれるような、少し哀れむような表情になった。だが、憐憫の情がわく一方、野次馬根性がわかないでもない。その後、どうなるかしらないが、これからこの何となく変な二人組の行く末を、こっそり影から見てやろうとも思うと、ハダートは、思わずにやけそうになる。そして、シャーにもちらりと目配せして、そのまま入り口を出た。

 リーフィは、シャーのところまで来ると、入り口の方を覗きながら訊いた。

「お知り合い?」

 きかれて、シャーは、少し首をかしげて、いつもの調子で答えた。

「ああ、飲んだくれでひねくれモノで、珍しいもの好きで、さらに友達もいなかったりする親不孝モノの自称貴族のダンナ。かわいそうだから相手してあげてるの」

 出て行くハダートの動きがぴたりと止まる。

「そうなの?」

「そうそう」

「でも、とてもきれいな顔の方ね」

 リーフィに他意はないらしい。確かにハダートは、どちらかというときれいな顔立ちに入る。だが、それをなんと取ったのか、シャーの方は急に焦ったように椅子から立ち上がる。

「リーフィちゃん! ああいうどっちつかずの蝙蝠男だけはやめといたほうがいいよ! ああいう男はねえ、女を不幸にするだけなんだよ、遊び人だよ、遊び人!」

 シャーの力説が続く中、入り口の一角をつかんで力を込めていたハダートは、ようやく歩き出す。その彼の顔が、怒りにゆがんでいることは、その時、前を通りすがったものがいないので一応誰も知らないだろう。

(あ、あの三白眼が……。い、いつか、地獄に叩き落す!)

 ハダートは、ひそかにそう決意しながら、酒場の壁を一蹴りして出て行った。

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