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シャルル=ダ・フールの王国  作者: 渡来亜輝彦
エルリーク暗殺指令・中編

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30.人間性のかけら


「御前様、どうなさいましたか?」

 そう尋ねられて、ジェイブ=ラゲイラは、顔を上げた。

 ここは、彼の書斎だった。

 逃走中の仮住まいとはいえ、読書家の彼は本を手放せない体質だ。元から置いてあったものも多いが、この生活を始めてからも彼はいくらかの本を買い求めて増やしている。ラゲイラはけして華美な男ではないのだが、多少の貴族趣味があり、こうしたものには金を惜しまない。

 そんなラゲイラが夜に差し掛かった今も、ランプに火を入れて書斎で本を読んでいると、護衛役の青年、マクシムスがふと声をかけてきた。

 マクシムスは真面目な青年だが、彼の祖父ラザロと同じく、やや表情が固く感情表現に乏しい。流石のラゲイラも、ラザロや彼が何を考えているのかを読み違えることがあった。

 なので、この時も、無駄口を叩かない彼が急に声をかけてきた理由が分からなかった。

「何を? とは、私が聞きたいものですね」

 ラゲイラは苦笑する。

「私はただ本を読んでいただけですよ。お前こそ、急にどうしたのです?」

「いえ」

 マクシムスは尋ねられて、少し困った様子で答える。

「御前様の、その、表情が浮かぬ様子でしたので」

「本の内容がそういうものだからです。他意はありません」

 ラゲイラは物腰柔らかく返答した。

 王都では権謀術数に秀で、さぞ陰湿で恐ろしい男だろうと囁かれる彼は、しかし、実際は非常に紳士的で優しい。特に使用人に対しても優しく親切だ。

「私のような男でも、時に悲しい物語には心を動かされますよ」

「それなら良いのですが」

 マクシムスは、ふと眉根を寄せた。

「御前様は、その……」

「お前らしくありませんね」

 ラゲイラは本に栞を挟んで閉じると、脇に置いた。

 ラゲイラには、マクシムスが何か目的を持って彼に話しかけてきたことがもうわかっていた。

「はっきりおっしゃいなさい。答えかねる質問には答えられませんが、意見は聞きますよ」

「はい。その、あの気になることがあり。あの時、サギッタリウスという男と、御前様は何をお話になったのですか?」

 あの時。

 道ゆくザハークに声をかけたラゲイラは、彼との会話の時にマクシムスに席を外すように告げた。

 危ないと反対する彼に、大丈夫。そもそもお前が対抗できるような男ではない。と一蹴し、十分ほど何かしらの手短な会話をして帰ってきた。

 サギッタリウスという男が、名うての傭兵であり、マクシムスに剣を教えてくれたジャッキールの宿敵のような存在であることは、あとで、調べて知ったことだ。

 それ以来、マクシムスはずっとそれが気にかかっていたが、なかなか切り出せなかったのだ。

「ああ、そんなことですか。まあ、はっきりとは言えないのですが……」

 とラゲイラは指を組み替えながら苦笑する。この男は祈るように組んだ指を、話しながら組み替えるのが癖だ。

「彼にはとある依頼をしたのです」

「依頼? どなたかを殺すようにとですか?」

「お前は不用意ですね。そんなことを口にするものではありませんよ」

 ラゲイラは穏やかながら叱る。

「ここは安全ですが、万一ということはある。壁どころか、本や花瓶にも耳があると思いなさい」

「は、はい、申し訳ございません」

 マクシムスが悄然とすると、ラゲイラはふと優しい表情になる。

「お前はまっすぐですね。私はお前のそういうところは嫌いではありません。しかしね、マクシムス。お前のまっすぐさは時として不利に働くことがあります。お前に限らず、真面目でまっすぐな者はみんなそうだ」

 遠い目をしてラゲイラは呟く。

「それは……」

 ラゲイラの息子のことを知るマクシムスは、彼の言わんとすることが予想された。

 マクシムスが幼い頃遊んでくれた"公子様"は優しかったが、正義感が強くラゲイラのように清濁併せ呑むことができなかったのだ。彼のことは、それゆえの悲劇であったのだろう。

 そして、それはあのジャッキールにも言える。傭兵をしていて、裏切りに満ちた世の中をよくわかっているのに、彼は真面目でまっすぐすぎる。いまだに正義感の強さが捨てられず、それが彼を病ませる原因にもなっている。

 当時はまだ幼いマクシムスにも、彼が実直すぎるのはなんとなくわかった。そして、それゆえに彼が生きづらく、その為にラゲイラから愛情を注がれていたことも。

「私はね、マクシムス。実のところ、……あの依頼が、果たされないことを祈っているのです」

 きょとんとすると、ラゲイラは目を伏せる。

「私は、本当は何事も起こらないことを願っているのかもしれません。しかし、皮肉なものですね。私はとうに人の情とは無縁とおもっていたのに」

 ラゲイラは立ち上がり、ため息混じりに窓の外を見る。運河の方はうっすらと明るい。

「あの依頼はね、マクシムス。私の最後の人の情がなさせたのかもしれません」

 そういう主人のラゲイラの顔は、マクシムスが見たことがないほど優しく、そして悲しげだった。



 シャーが階段を上り切って地上に戻ると、目の前に火の手が上がっていた。

 枯れた草が燃え、火の粉が地下入り口にまで入り込んでくる。それを手で払いつつ、火の手の少ない場所を確認する。地下道への門の前にチロチロと火が来かけていたが、ここなら通れるかもしれない。慌てて踏み消す。

「くそっ!」

 幸い、火の勢いは激しくなく、サンダル履きのシャーがやけどしない程度で踏み消せそうだ。

 ザッザッと火を踏み消して、庭に戻る。

 シャーは持っていたランプを腰の刀の柄に引っ掛けた。

 物音が聞こえるが、あたりに人の姿はない。当然ながら、先ほどまでいた場所にジャッキールの気配がなかった。

 誰もいない。

「ジャッキール?」

 ぽつりと呟く。

 シャーは、辺りを見回して考える。

 周りには火がかけられて、ほの明るい。

(これだけ火で明るくなってるんだ。ダンナやイカレてる奴は眩しく感じるはず。それで場所を移した?)

 その光で見える範囲で人の気配はない。

(いや、あのダンナの性格なら)

 まだジャッキールは、本来の調子が出せないのだ。しかし、彼の性格を考えると、シャーのいる地下道から遠ざけようと動いているのは、予想だにかたくない。

 中庭への門扉に近づく。

 先程閉めた木切れの閂が外され、扉が開いている。

 強行突破されたのではない。破られかねない状態になったので、シャーのことを考えて、ジャッキールが自分から出ていったのだ。

 シャーは反射的に剣の柄をおさえた。

(まずい! ダンナ、まだ無理させられないのに!)

 シャーはぬるりと猫のように扉を抜ける。

 争いの形跡がちらほらあり、向こうで音がしている。シャーは足音を忍ばせながら、そちらに進む。

「そこにいたか!」

 と、近くから気合いの声がかかり、シャーは剣を抜きながら飛びのく。一撃目を紙一重でかわすとすぐに返しがきて、それを受け止める。ギリギリと刃が滑ると火花が散る。

「ちッ! このッ!」

 シャーは押し返して、そのまま強引に剣を外し、殴り倒した。その隙にさっとその場から走り出す。

 さらに、物音や声が聞こえる方に足をすすめる。光を嫌う彼らの向かう先は、もっと暗い場所だろう。

 暗くて見通しが効かないが、人の気配だけは強く感じる。

(これは……)

「この野郎!」

 突然、斜め前方から白い光をちらつかせ、男が斬りかかってくる。シャーは焦る気持ちを抑え、冷静に相手をいなす。

(まずいな。これ、それなりの人数に囲まれてるんじゃないか?)

 シャーは走り抜けて相手をかわしつつ、気配を探った。闇の中だが、声や物音から推測するとそれなりの人数がいそうだ。

「いたか!」

「さっきのやつだな!」

 ぞろぞろと足音が聞こえ、人が集まってくる。

「ちえっ! やっぱりなあ」

 ついとシャーは足を止め、近くでちらちら燃えたまま放置されている松明を拾い上げる。

 ざあっとそれを人影に向けると、相手が萎縮した気配がした。

「ふん、あのカワウソのやり方だが、ちょっと拝借するぜ!」

 シャーはそう言い捨てて、松明を左手に軽く振り回しつつ辺りを照らす。

 彼に向かってきているのは、見えているのでも三人。足音を含めるともう少しいるのだろう。

 屋敷の中にまで傭兵が入り込んでいた。川にいる海賊を含めると、実際何人いるかはわからない。なるべく気づかれないうちになんとかしなければ。

 奥側で戦闘しているのが、おそらくジャッキールだろう。

 シャーが炎を向けたことで、一部の男が逆に刺激されたらしい。なにやら意味のわからない喚き声をあげながら、やぶれかぶれに飛びかかってくる。どうやら、強い炎が彼らの神経に障ったらしい。

 凶暴化しているのは面倒だが、こうして飛びかかってくることを想定して挑発しているので思う壺だ。カウンターを狙い、すれ違うようにして刀の柄頭で叩きのめして撃退する。

 松明を振り回して殴りつけ、威嚇して近づかさせないようにする。

 そうして、相手が怯んでできたその隙間から、するりと囲みを破ってすり抜ける。

「いけた!」

 シャーは足を早める。

 音の強い方向に進むと、闇の中で切り結んでいるジャッキールが見えた。

「ジャッキール!」

 ふっとジャッキールが顔を上げる。

「ば、馬鹿! こちらにきてはいかん!」

 シャーに気づき、ジャッキールが声を上げる。

 ジャッキールが慌てて、目の前の敵を力尽くで跳ね飛ばす。ざっとシャーが松明を振ると、そのうちの何人かが声を上げて飛びのいた。

「ダンナ、こっち!」

 シャーはそのスキをついて、ジャッキールを誘導する。

「逃すな!」

「殺してやる!」

 後ろから声がかかる。

「しょうがねえ! 足止めにつかうぜ!」

 シャーは、腰に下げてあったランプを外して手にした。

「ダンナ、後ろ向くなよ!」

 シャーはジャッキールにそう警告してから、そのまま大きくランプを振り回す。投げつけると、草の上に油が広がって火が広がる。シャーは、すかさずそこに松明を投げ込んだ。

 ばっと一瞬、一気に炎が燃え上がる。

 その光にやられ、追ってきていた男たちが悲鳴をあげる。

「さあ、今だ!」

 うまく足止めできた。

 シャーは元の地下道のあるところまで戻ると、先に門にジャッキールを通し、先ほどのように木切れをさしてかんぬきをかけた。そして、近くの板切れを押し付ける。

 だが、もうここの場所は割れている。程なく追いかけてくるだろう。この程度の扉は何の障害にもならない。すぐ破られる。

 先ほど燃え上がっていた火は、燃えるものが少ないせいか沈静化している。煙も入り込んでいないようで、地下道に再び潜ることはできそうだ。

「地下道から逃げられそうだったぜ。さあ時間がない! ダンナ、行こう!」

 息切れしたシャーが、一息ついてからそう急かす。進みかけたところで、

「待て」

 と、ぐっと肩をつかまれて押さえられる。シャーは足を止めて振り返った。ジャッキールはまだ肩で息をしていたが、それをおさめる。

「待つのだ」

「な、なんだよ、ダンナ?」

「ここから二人で逃げるのは、無理だ」

 ジャッキールは息をついて告げる。

「すぐに追いつかれる。こんな扉、破られるのは時間の問題だぞ。わかるな?」

 ジャッキールは、真面目な顔をしていた。

「ここでは俺が時間稼ぎをする。その間にお前は逃げるのだ」

「な、何言ってんだ? こんな時に悪い冗談は?」

「俺は冗談は言っていない」

 焦るシャーを落ち着かせるように、ジャッキールは諭すような口調になっていた。

「お前の方が足が速い。だが、俺と一緒だと目立つ。どちらに向かうか見抜かれると、先を越される。後で必ず合流する。先に脱出しろ」

 シャーは、呆然とした。

「そ、そんなこと……」

 シャーは思わずぐっとジャッキールの腕をつかむ。

「できるわけないだろ! 確かに強いけどさ、アンタ、今日はそんなに本調子じゃないんだろ! 目だって……」

 シャーは反論する。

「多勢に無勢なんだろ! いくらダンナだって、こんな状態……」

「聞き分けろ!」

 ジャッキールが言葉を遮って、強く言った。有無を言わさない厳しさに、シャーがはっとして黙る。

「お前はどんな時も俺を信じると言っただろう? だったら、俺のことを今信じろ!」

 ジャッキールの瞳は静かだ。

 戦場の狂気に冒されることもなく、今日の彼は水を打ったように冷静なのだ。

 その静けさにシャーは、かえって不安に駆られる。

「落ち着け。わかるだろう。二人で行動することは危険を伴う。一人ずつである方が、この場合は脱出しやすい。俺は体が大きく目立つが、いざとなれば力任せに強行突破できる。お前はそれに比べて、隠密行動に秀でている。やりようによっては、お互いの方向に追っ手を分散できる」

 ジャッキールは、あくまで理詰めに徹している。

「こんなところで感情に振り回されてどうする? 聞き分けろ。お前はそれができない男ではないだろう?」

 遠くでわあわあと騒ぐ声が聞こえる。徐々に近づいてくるそれが、今は他人事のようだ。

「お前は青兜将軍アズラーッド・カルバーン。有能な軍人なのだ。だったら、何が良いことかわかるはず」

「そ、そんな、こと、わかってる!」

 シャーは思わず言葉が詰まる。

「わかってんだよ! そんなこと、で、でも、そんな……」

 シャーは、ぐっと歯を噛み締める。

「オレは、そんなの、嫌なんだよ!」

 シャーは顔を上げた。ほのあおい瞳が揺れる。

「こんな状況で、オレだけ一人で逃げるなんて嫌だ!」

 シャーの目は、少し潤んでいた。

「アンタ、だって、死ぬ気だろ! ジャッキール!」

 ジャッキールは、その強い言葉にもまったく、揺るがなかった。

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