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シャルル=ダ・フールの王国  作者: 渡来亜輝彦
エルリーク暗殺指令・中編

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25.その表情の……


 もう、すっかり日が落ちていた。

 その時、メイシアは、フルドという名前の傭兵に連れられて街を歩いていた。

 河岸区域の街。しかし、先ほどからどうも様子がおかしい。あちらこちらが封鎖されているようで、明らかに厳戒態勢が敷かれている。

 ザファルバーンの兵士たちが道のそこかしこを歩いており、街中は煌々と明るかった。

 その明るい道をわざわざ避けるようにして歩く傭兵フルドのこと。メイシア=ローゼマリーは、別に彼のことを信用しているわけではない。

 明るくて人懐っこく、あっけらかんとしている彼女だったが、それなりに苦労は重ねてきた。どんな人間でも無条件に信じるようなことはない。

 ただ、彼女にはある種の自信があるだけだ。

 何かあっても、自分であれば切り抜けられるという。

「どこに行くつもり?」

 何度目かの進路変更で、メイシアは不審そうに彼を見上げてそうきいてやる。

「いやあ、こっちでよかったと思っていたんだけどさあ」

 優男風のフルドは、愛想笑いを浮かべて彼女の警戒を解こうと心掛けていたが、内心少々焦っていた。

(さっくりとどっかの酒場にでも連れて行って、酔わせちまおうとでも思ってたんだけどなあ)

 なぜか、突然、街が厳戒態勢になったことも予想外だった。

 ”作戦”のことがバレたのかとも思ったが、よくわからない。ただ、河岸の地区から出ることはできそうにないのは確かだった。幸か不幸か、兵士たちはあくまでその地域から外に出る道を封鎖しているだけなので、フルドは河岸の中でなら自由に動けると思ったのだった。

 が、どうもおかしい。河岸の中のどの道を移動していても、誰かの視線を感じる。人気のないはずの道も、暗がりのような場所も、明らかに人の目を感じていた。

 これは、どうやら監視されている?

 フルドは、その不気味さに今更ながら困惑していた。

(まずいなあ。俺は作戦さぼって人気のないところに行きたいだけなのに)

 と、フルドは内心ため息をついていた。

(ワズンには悪いけど、俺はエーリッヒとかどうでもいいんだよな)

 フルドは相棒を見捨てるようなことを考える。

(アイツと関わると昔からロクなことがねえし、対峙したところで勝てる可能性なんかない。アイツは俺らが剣を抜こうとする前に俺たちの首を刎ねるぐらい朝飯前の男だからな)

 だからフルドは作戦前に、ふけてしまおうと思っていたところ、ちょうど目の前に現れたのがメイシア=ローゼマリー。

 ジャッキールに報復する理由もつもりもないフルドだったが、ジャッキールのことが気に入らないのは確かであり、彼が大切にしていた可愛らしい少女を目の前にすると、それなりの邪心もわく。ついでに作戦不参加の言い訳もできそう。

 メイシアはジャッキールに剣を教わっているとは言ったが、強いといっても年端もいかない娘のこと。何とか一人でもなる。というより、自分には”奥の手”もあることだ。

 フルドはあまり乱暴なことは好きではない。暴力的ではなく、うまく目的を達成できるのが一番だ。そのためには人気がない場所で、それなりにいいところに彼女を連れ出さないと。

 そんなことを考えて、フルドは彼女を誘い出したのだったが。

 ところが、今のこの状況。

 さすがのフルドも監視されている状態で、メイシアをどうこうしようというつもりはない。

(気配の少ないところっていうと、どうもあの屋敷のほうになりそうなんだよなあ。そっちの道以外は人の気配がするんだよなあ)

 フルドは内心舌打ちした。

(他の傭兵連中に見つかると面倒なんだよなあ。とはいえ、屋敷のあたりは広いからな)

「言っておくけれど、あたしをだまそうったってそうはいかないんだからね」

 フルドの心を見透かしたようにメイシア=ローゼマリーは、大きな目で彼をにらむ。

「そんなつもりはないさ。第一、俺に負けるほど弱くないんだろ、君」

 フルドはごまかすように笑う。

「何せ、エーリッヒの弟子だもんな」

「当たり前よ」

 メイシアは自信たっぷりに言う。

「隊長はすごく強いし、あたしだって強いわよ」

「ははは、わかってるよ。心配しなくたって、ちゃんと向かってるだろ。こっちの方角が、ファザナーの若旦那の別荘さ」

「別荘?」

 メイシアがアイードの名前をきいて反応する。

「ま、将軍様だからさ、別宅なんざ、いくつかあるんだろうけどさ。一つ、いい感じのお屋敷がここにあるんだってさ」

 本当に、その方角に至る以外の道は使えなさそうだ。この監視の気配はなんだというのだ。

(もしかして、俺はわざとそっちに誘い込まれている?)

 ふとフルドはそんなことを考えたが、すぐにそれを打ち消した。

 まさか、考えすぎだ。

(まあいいや、あいつらやエーリッヒと鉢合わせしなきゃ問題ねえんだしさ)

 フルドはそう考え直すと、まだ彼を睨みあげているメイシアに笑いかけた。

「でも何やら向こうが明るいな」

「そうね」

「そうツンケンしないでさ。俺のことを信用していないなら、明るい方が君も安心でしょ? ちょうどいいじゃないか」

「それはそうだけど」

 メイシアはそう答えて、空の方に目をやり、何をおもったのか眉根を寄せた。

「なんだか、こんな風に明るいの、変じゃない?」

「さあ、あれだけ兵士がいれば松明の光で明るくもなるさ」

(ま、この明るいのは多分、建物が燃えてるせいだとは思うけどな)

 フルドはメイシアにはそれと悟られないように、炎が見えない場所を通ろうと考えていた。



 *


 高いところに上がると、川風が強く感じられる。帆は閉じられているが、周囲のロープが不気味にゆれてきしんだ音を立てていた。

「ここなら、邪魔は入らねえからな」

 アイードの余裕の言葉が響いた。

 帆柱を上がって帆桁の上。そこはさすがに足場が悪い。

 アイードは比較的太く安定した帆桁の上にシャーをいざなうと、そこに陣取って続きをしようと誘いかけた。

 真上に檣楼があるらしい。

 小ぶりな船とはいえ、結構な高さがあり、足を滑らせるとただでは済まないだろう。

 下には野次馬どもがたむろしているのが見えたが、アイードが牽制しているせいもあってか、集まってわいわい騒ぐだけで上って手をだしてこようとはしない。

(まずいな。これ、敵地じゃねえか)

 シャーは平衡感覚に優れているし、軽業師のような真似も得意ではあったが、船の関係は管轄外だった。

 挑発されたとはいえ、ここまで上がってきたのはシャーとしては判断が甘かったかもしれない。だが、ここで逃げかえるわけにはいかない。

 それはアイードの方もわかっているのだろう。にや、とアイードの口元が歪む。

「いい度胸してんじゃねえか。まァ、それぐらいしなきゃあなあ。青兜の名前が泣くぜ」

 さらにあおるように言われ、シャーは片目を引きつらせるように見開く。

「お前、どういう了見で……」

「ふふふ、まァ、そんなことはどうだっていいだろ。俺は最初から警告していたはずだぜ。無視してここまで来ちまったのは、アンタじゃねえか、”王子様”」

 妙にアクセントをつけてそう呼びかけ、アイードは悠然とたたずんで微笑む。

 その別人のような冷徹さに、シャーは知らずに冷や汗が流れるのを感じた。

「お前、本当に……」

 そう言いかけると、アイードのほうが声をかけてきた。

「そうそう、さっきの話の続きするんだったな。だが、夜も短いことさ、用件は仕事しながら聞くぜ!」

 た、とアイードが後ろに足をひらくと同時に左手を引き寄せた。キラッと光るものが空中を走る。例の短剣だ。

 シャーが身をそらせると、短剣が二本、後ろのロープに突き刺さる。それを見送る暇はない。アイードはすでに狭い板を蹴って、突きかかってきていた。避けられない。

 がっと受け止めて横に力を流す。ぎりぎりと火花が散っていく。

「で、っ、なんだって?」

 アイードが歯噛みしつつ笑って尋ねてくる。

「テメエ……」

 ぐっとシャーは手に力をこめる。アイードの肩で何かがきらりと光った。マント留めの宝石が、篝火に映えてきらきらと輝いているのだ。その意匠を確認できるほど、シャーには余裕はない。ただ、妙に印象に残った。

 があっと力任せに押し切ると、アイードが余裕の表情でたっと後退する。その瞬間、川風で波が立ったのか、ぐらりと船が大きく揺れる。シャーは慌ててバランスをとるが、アイードは涼しい顔だった。

「ほれ、足元に気をつけな。お坊ちゃん。今度こそ、平らな地面じゃないんだぜえ。足滑らせたら、怪我するんだからよ」

 ちっとシャーは舌打ちする。

 しかし、頭に血をのぼらせてはだめだ。それこそアイードの思う壺である。

 落ち着け。

「さて、何か話したいんだろ。今なら何でも聞いてやるぜ」

 アイードが乱暴にそういい捨てる。

(落ち着け。絶対に挑発にのるな)

 シャーは一息深呼吸した。

「お前、ゼダに会ったんだな?」

 そう尋ねると、アイードが意外そうにふむとうなる。

「会ったよ。聞きたいことってのはそれか」

 アイードは軽く唇をゆがめて笑う。

「俺をなじりたいなら、なじればいいさ。それで気が済むならな」

「オレが効きたいのは、会ったのにお前はそうなのかって話だ? なじっても返答変わらねえんだろうな?」

「そうだな。わかってんじゃねえか」

 アイードは、戦闘で乱れて飛び出た前髪をなでつけつつ肩をすくめた。先ほどからの戦闘で、頭巾がずれて外れかかっている。

「それじゃあ、どうして同じことを聞くんだ?」

 シャーは、そう尋ねられてアイードをにらみつけつつ、

「オレは、正直アンタが羨ましかった」

 そう告げられて、アイードは少し驚いた様子になる。

「アンタは街で、ちゃんとファザナー家の棟梁として皆にあんなに慕われてさ。同じようなことをしていても、オレはあんなふうにはできなかった。それだけでなく、ゼダやザフの奴にあんなふうな煌びやかな視線を向けられていて、本当に、オレはさ、……うらやましいとおもったんだ」

 シャーはため息をつく。

「オレは、あんな目で見られたことがない」

 シャーは言った。

「は? まさか。英雄の東征王子が何を言う?」

「オレは、王子じゃなきゃあんな目で見られなかった。あれだって親父の息子だったからだよ、あれは」

「はっ」

 アイードが顎を上に向けるようにして鼻で笑う。

「まさか、よりによって殿下の口からそんなことを聞くとはな。二度目だぜ、その台詞」

 すっとアイードが右手を引いた。

 シャーが警戒をしたのと同時に、アイードはざっと足を踏み出して鋭くまっすぐに突いてきた。それを刀で横に跳ねのけて押さえつける。

「よりによって、青兜将軍アズラーッド・カルバーンがそんなことをいうのかよ!」

 アイードが抑えたような低い声で告げる。

 ざっとシャーがアイードの剣を跳ねると、アイードは深追いせずに一旦下がった。そして構えを崩して肩をすくめた。

「あのなア、お前」

 とうとう無遠慮にアイードは”お前”と呼びつける。

 薄ら笑い、しかし、目は決して笑っていない。アイード=ファザナーは、威圧感を伴いながら対峙している。

「俺とお前じゃ、立場っつーのが違うんだぜ。俺は所詮小者。真剣に演技したってあれ以上のことは望めねえのさ。それに比べりゃ、お前はどうだい? 軍勢の一番最初で、燦然と輝きながら指揮してたんじゃねえのかよ」

 シャーは無言。アイードはふっとうつむいて嘲笑うように、唇をゆがめる。

「俺のことより、お前のことについて知りてえな、俺は。俺にそんなことを聞ける”心情”がだぜ?」

「何がだよ」

 知らずに苛立ちが募る。

 冷静になれ、と自分に言い聞かせながらも、何か感情が噴き出しそうだ。アイードはそれを知ってか知らずか、煽るような口調になった。

「小者の俺に比べて、お前は東征王子、王国の旗頭だった男だろ。その重圧はすげえもんだとは思うが、お前に向けられてた視線は俺の比じゃねえだろ。それなのに、俺にどうしてそんなことをいうんだ? アンタがその先にある壁にぶち当たってぶっ壊れたんなら、俺の心情はおのずとわかるだろう?」

「わかるかよ!」

 シャーは思わず言い返した。

「わかんねえよ! わかるようで、全然わかんねえからきいてんだろ!」

 やや感情的に切りかかってくるシャーを軽くいなすように後退し、うまく刀をはじいた。

「そうか、わからねえなら仕方がねえ、なッ!」

 アイードが最後に強く剣をはじいて、力任せにがっとシャーを押しのける。

 再びアイードは、体勢を整えるとふと息をついた。まだ、アイードはさほど息が上がっていない。

「もう一度言うが、俺のほうが色々知りたいぐらいなんだぜ、ボウヤ。それじゃ、ちょっと違うことを一つ質問しよう」

「何だよ?」

 アイードはにっと笑う。

「俺が知りたいのは、一つ。テメエがここに来ちまった理由さ。……お前、俺のことをうらやましい、自分はそんな目を向けられていないといったな」

 アイードは笑みを収める。

「だが、ジャッキールの旦那はお前の為に命を懸けるといったんだろ?」

 不意にジャッキールの話題を持ち出され、シャーは意外そうな顔になる。

「それで、殿下はジャッキールを信用するといったよな?」

「あ、ああ。だからってなんなんだよ!」

 アイードは左目を引き攣らせるようにしながら笑みを刻む。

「信じるってことは、全部任せるってことなんだぜ? 信じているなら、テメエはこんなとこ来ちゃダメなんだよ!」

 しかりつけるようにそういって、アイードは告げた。

「さて、俺はどうだか知らねえが、あのジャッキールは覚悟して仕事を受けたはずだぜ? 少なからず、お前はそんな風に言わせた男だ。俺のことをうらやましいとかいう前に、テメエのことを考え直せよ」

「そ、それは……! で、でも……」

 シャーは思わず狼狽する。

「オレだって、そう、したかったさ! だけど……」

「俺みてえな小者はな、なんだかんだ自分で動いても許されるんだ。だが、テメエはそうじゃねえだろ。お前みたいなやつはなア、後ろでドーンと座ってりゃ何もしなくていいんだよ! クソガキが! そういうところが、イチイチむかつくんだよ!」

 シャーの言葉にかぶせるように言い放ち、獣が牙を剥くように、アイードがにやりと笑う。

 やや青ざめた顔になったシャーは、それでも気を取り直す。

「そ、それじゃ、ジャッキールは、どうしたんだよ!」

「さて、知らねえな」

「なんだと! まさか!」

「いきり立つなよ。俺は直接知らねえという意味さあ」

 アイードは両手を広げて斜めにシャーを見やる。建物の炎がちらちらとアイードの瞳を輝かせている。その瞳の真意が見えないが、その瞳の炎のちらつきに気づいてシャーは、はじめて後ろを見やった。

 燃え上がっているのは別荘の隣地の建物だが、その近くにもいくつか建物があり、広がっている帆桁の向こうに屋根が見えていた。運河に向かってせり出した建物の屋根だ。

 あそこなら何とか飛び移れなくもないかもしれない。

 ここは、とりあえずジャッキールと合流した方がいいのだろう。ここにいて、たとえアイードを倒したところで、下の野次馬達に追い詰められるだけだ。

 思考を巡らせていると、ふいにアイードの声が聞こえた。

「ま、死んでねえんだろ。そういう報告はきてねえんだから。それに、あのダンナ、本気で丈夫だからなあ」

 アイードは、薄ら笑いを浮かべた。

「アイツ、たぶん首吹っ飛んでも、死なねえよ?」

「まだ別荘の中にいるってことか?」

「そうだろうぜ。逃げる時間はないだろうが、そうそう簡単にとびかかろうって相手じゃねえからなあ。この船にたむろする雑魚どもじゃ相手にならねえよ。それに、あの旦那、意外と馬鹿じゃねえから、挑発にも乗らないさ」

 アイードはじっとりとシャーを見やりながら言った。

「で、お前、いつまで俺とここで遊んでるつもりだい? 最後までやりてえなら、相手してやってもいいんだが」

「ど、どういう意味だよ?」

 飛び移れる建物を見つけたことを読まれているのか。絶妙なタイミングでアイードがそういう。

「どういう意味って? さて、それはテメエで考えな、三白眼のボ・ウ・ヤ」

 シャーはぞっとしたが、なるべく平静を保つ。アイードは不気味に微笑するのみだ。

「くそッ、行くぜ!」

 シャーはひとまずアイードに斬りかかり、隙を見て屋根への移動を試みることにした。だっと帆桁の木材を蹴りつけてとびかかる。アイードはそれを平然と受けて立つ様子だった。

 その時。

 どんと大きな音がした。

 急に横風が吹いた為か、船が大きくかしいだ。アイードはすぐに対応して事なきを得たが、駆け出していたシャーの方はすぐに対応できない。

 空中で体の軸が半分ずれていた。右足から着地しようとして足が滑る。そのまま体が傾く。

 はっとアイードが驚いた様子で前のめりになった。

 今まで一切の感情を読ませないような獣の目をしていたアイードが、はじめて焦りをあらわにしていた。

 今更、なんだよ、その表情。

(なんだ、お前……、一体……)

 シャーの右足が空を踏み、一瞬で彼の体は落下した。

 


 *


 船室にいた狼のターリクは、不機嫌そうに眉根を寄せていた。

 なんだか船上が妙な感じに騒がしい。気になっているが、何かあれば部下が報告しに来るはずでそれが来ないのも不機嫌の原因だった。

 基本的には冷静なターリクだが、機嫌が悪くなると表情に出やすい。彼を見慣れている者にとっては、すぐにわかってしまうのだ。

 ということで、彼が妙にイラついているらしいことを、とっくにムーサはわかっていた。

「まあ、落ち着けよ」

 と声をかけてみると、余計にターリクは彼の方を不機嫌そうににらんだ。

「お前、この騒ぎがなんだかわかるのかよ」

「さあなあ、喧嘩じゃないのか?」

 ムーサは体も大きいが、その体躯に似合うおっとりとした部分もある。

「喧嘩だったら一大事だろ」

「俺たちの仲間が喧嘩してなきゃいいじゃないか」

 それもそうだが。とターリクは浮かぬ顔のままだ。

「いやそれにしても、喧嘩っていうにはちょっと違わねえか」

「それじゃあ、攻め込んでいる別荘から反撃されてるとかかな?」

 ムーサがのんびりとそんなことをいう。

「見張りの部下からそんな情報は来てねえよ」

 ターリクは、眉間にしわを寄せてため息をついた。

「よく考えると戦場にいるんだし、騒がしいのは当たり前だろう? アーノンキアスの持ち込んだ”作戦”中なんだろ、今」

 ムーサはそう言って、にやっとした。

 船室の窓から見える、少し離れたアーノンキアスの船。どうやら高見の見物をしているようだ。ムーサの視線をたどって、それを眺めたターリクは明らかに嫌悪の情を浮かべている。

 正直腹立たしい。

 それをみたムーサが笑いだす。

「やっぱり、アーノンキアスに使われるのは嫌なんじゃねえか。やる気なく、ここまでついてきたものの、色々腹が立つってか?」

「当たり前だろう! だが、この船に何かあっても困るからよ。参加せざるを得なかったんだよ!」

 ターリクはむっとしつつ、ムーサをにらみつけた。

「この船を取り戻すには、アイツに協力するほかねえ」

「それもそうだが」

 ムーサは苦笑しつつ、

「だが、まだかっぱらって逃げるには分が悪いぜ。もっと派手な戦闘だったらドサクサに紛れてかっぱらおうと思ったんだが。どうも計算違いだなあ」

「お前の計算違いはよくあることじゃねえか」

 ターリクは眉根を寄せて肩をすくめる。

「まあいい。今から機会はあるだろう。だが、この騒ぎは確認しておかねえと……」

 そういってターリクが身を起こしたとき、不意に窓の外で何か影が映った。

 ばっとターリクが短剣を手にしながら窓を開ける。

「誰だ!」

 ざっと上の方に移動した人影が、ふと笑うような声で言った。

「おっと、見つかったか! つくづく潜入に向いてないな」

 ロープにつかまって窓の上に片足をかけている人物は、しなやかな動作で振り返る。猫科の大きなケモノみたいな、そういう動き。男にしては小柄。金色の髪が船室の光ですけてみえ、端正な顔にはそれに似合わないいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。

 その人物には見覚えがある。ターリクは驚きとともに声を上げた。

「っ、てめえは! 西風のゼルフィス!」

「なんだ、私のことを知っているとは誰かと思ったが、玄海の狼か」

 ゼルフィスは意外に冷淡な対応だ。ちらりと部屋の中をのぞきやる。

「なるほど。部屋にいるのは、お前とムーサか。それならいいや。話をしようぜ」

 反射的に窓から離れたターリクを見やり、ゼルフィスはにやりとするとそのまま窓から船室の中に入り込んだ。

「紅い貴婦人がいるってことは、お前らもいるのはわかってたんだが、こんなとこにいたとはね。奇遇だぜ」

 ゼルフィスはそういってにやりとする。

 明るい室内で見ても、その人物はやはりゼルフィス。かつて西風と呼ばれていた人物だった。当時はもっと子供っぽかったが、今はいかにも金髪碧眼の美青年といったいでたちである。

 当時も上等な服は着ていたが、今は明らかに軍属だとわかる立派な服装だ。

「”北風”の失脚後、行方不明になったと聞いていたぜ。死んだんじゃねえかと」

 ターリクがそういうとゼルフィスは肩をすくめた。

「悪いけどな。そうそう簡単にはやられないんでね」

「ザファルバーン海軍にやとわれているって噂はあったが、嘘だと思っていたぜ」

 黙っていたムーサがそういうと、ゼルフィスは首を振る。

「雇われてるって感じじゃねえんだな、これが。まあ、私も今は副官なんざしてるもんだからさあ。それなりに、色々大変なんだよ。今は周辺警備も大変でな。なかなか太内海の、特に西側には足がむかねえもんだから、色々噂は立ってただろうな」

「その副官様がどうしてこんなところに?」

 ターリクが明らかに警戒をあらわにする。それをみて、ゼルフィスがくすりと笑った。

「別にお前等を捕まえにきたわけじゃあねえさ。私は私で色々仕事が忙しいんだぜ」

 ゼルフィスはすっと目を細める。

「私は、自分ちの大将を捕まえにきたんだよ。なんかと問題起こされたら困るからな」

「大将だと?」

 ターリクが、片眉を引きつらせる。

「あれ、知らないのか? お前等だって知ってるツラしてるはずだけどな。ま、当時と雰囲気違うけど」

 ゼルフィスがそう言った時、わあっと外で歓声が上がった。ゼルフィスが跳ね上がるように立ち上がる。

「おっと、こうしてる場合じゃない! ターリク、邪魔したな!」

「お、おい! 待て!」

 隠密行動はあきらめたのか、堂々とターリクとムーサの間をすり抜けて、ゼルフィスは船室の扉を開けて外にでていく。慌ててターリクが後を追いかける。

 流石に甲板の上に出ると、見とがめられるだろう? と思ったターリクだったが、甲板の上ではアーノンキアスの手下たちが何やら帆柱マストの上のほうを見上げて、わいわいと何か言い合っている。

「なんだ?」

 先に出たゼルフィスは、人込みに紛れるようにして見えなくなる。

 ターリクと少し遅れて出てきたムーサが視線を上に向けると、そこで二人の男が対峙しているようだった。剣を交わしているらしく、時折火花が散るのが見える。

「何やってる? 誰だ、アイツら」

 近くの部下を捕まえて、ターリクが尋ねる。

「さあ、一人は侵入者で、もう一人は……」

「勝手なことを! アーノンキアスがなんだっていってても、この船の上で勝手は許さねえぞ!」

 ターリクはそう吐き捨てたが、燃え上がる建物の明かりで二人の男の様子がちらりと浮かび上がる。

 一人はてんで知らない、青い服を着た長身痩躯の男。もう一人は綺麗な上等の服をきた男らしいが――。何かがひっかかったのか、ターリクは目をすがめるようにしてそれを見る。

 確か、どこかで見覚えがあるような気がする。

 青い服の男が攻撃を仕掛けるために、だっと足を蹴りだす。

 と、その瞬間、どんと船が何かにぶつかったかのような揺れを起こす。不意にふきつけた横風が、桟橋に船を押し込んだらしい。

 船上に慣れているターリクやムーサには、何でもない揺れであったが、上で戦い彼らには。

 とターリクがそれに気づいて目を向けた瞬間、青い服の男が着地に失敗して足を滑らせるところだった。

 それをみたもう一人の男が反応して動く。頭の頭巾が乱れて外れ、炎に赤い色の髪が踊った。


 ターリクは、その瞬間、思わず目を見開いていた。


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