空の向こうに
ことり。自分の足音が、やけにこの空港内に響いた気がした。
一瞬にして戻ってきたざわざわという様々な人の音、姿が俺を眩ませる。
けれど俺は、彼女を見つけられる。
可愛く着飾った彼女を、別人のような彼女を、見つけてしまう。
「夏奈、」
「あれ、悠貴? 来てくれたんだ」
「……ああ」
ふふ、と柔らかに笑った夏奈にかける言葉は、すぐには見つからなかった。
お洒落に無頓着な彼女が珍しく可愛い服を着ていることに、軽く目眩がする。
よく分からない、表現できないような不安が、何かの前兆だと告げている。
――ああ、なんだ。前兆もなにもない。そういえば、俺は彼女の門出を見に来たのだったか。
もうとっくに、別れのタイムリミットは、迫っている。
「夏奈、可愛いよ」
「なあに、突然? 変なの」
「お前こそ、なんだよ。突然可愛い服なんか着やがって」
「だって、せっかくの“はじまり”のときなんだから。お洒落したっていいじゃない」
「……そうだな」
彼女の夢が“始まる”瞬間、俺たちの関係は“終わる”。
分かっていたことだった。いつかこんなときが来ること。
たとえどんな形でも、俺たちのような若者の恋には、終わりが来る。
それが冷めたのだとしても、どちらかの浮気だとしても、自然消滅だとしても。
分かってたことじゃないか。
彼女との関係は、所詮その程度にしかなり得ないこと。
……それでも、俺は。
確かに俺は、未来など関係なく、今、俺は。
「ねえ悠貴、別れよう」
「――夏奈」
言うと思っていた。
だって俺も、考えていたことだから。
「わたし、一年や二年じゃ戻ってこないの。悠貴は待つの嫌いだから、待ちくたびれちゃうでしょう? わたしもきっと悠貴のこと忘れちゃう。だから、ね。ここでキリつけておこうよ」
俺は夏奈を愛している。けれど、俺は泣かない。
夏奈に全部、先を越されてしまった。
人間は窮地に立たされると、案外冷静になるのだと改めて実感。
「あ、れ……。泣かない、つもり、だったんだけど……っ」
「……なんで、泣くんだよ」
「ご、め」
「やっぱずるいわ、お前」
泣きたいのは俺のほうだったのに、な。これじゃ泣けねえよ。
けれど、かっこつけられたから、いいか。
ぽすんと頭に手を置いてやると、ふぇ、と謎の声を出す夏奈。
ああ、やっぱり俺は未来なんて遠い世界のことは考えられないみたいだ。
何年後に、彼女とまた笑い合えていますようにと、願っているのに(そんな俺を、彼女は矛盾していると言うだろうか)。
「夏奈、……あーちくしょう、こういうときってなんて言うべきなんだろうな。まあ、よく聞け。いいか、俺は泣いてるお前をほっといたままでここから立ち去るほど優しくはないし、じゃあ別れようかなんて言えるほど物分かりもよくないんだよ。ていうか、そんなに冷めてねえから。ちなみに、お前の嘘くらい見抜けてるつもりなんだけど、違ってたらごめんな」
「……悠貴、」
「俺のこと忘れるっていうの、あれは嘘か」
俺は最後まで夏奈の気持ちを思いやれるほどできた男ではなかった。
「……ごめん、ね。あれ、嘘……っ!」
彼女が俺のためについた嘘を、ぐしゃぐしゃにして捨ててしまったから。
「ほら、な? 俺は夏奈が思ってるほど夏奈のこと見てないわけじゃないんだぜ?」
「う、んっ」
「だから、さ。別れるとか言うなよ。俺、ちゃんと待っててやるから。お前がずっと目指してた夢、叶えてこいよ」
「……うんっ……!」
涙で濡れた顔でも、それでも、夏奈は笑った。
いつものような可愛い笑顔で、笑った。
そんな夏奈の笑顔に贈る言葉なんて、ひとつだろう?
「夏奈」
「なに?」
彼女の耳元に唇を寄せて。
さあ、世界で一番祝福してやろうじゃないか。
“頑張れよ”
雲に手が届きそうな夏の日。
今頃彼女も、同じ空を見ているのかな、なんて。
誰かの夢を後押しするのって素敵ですよね。
それで相手が救われたら、尚更素敵だと思います。