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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.5 141016の夜から朝へ
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眠りに着くまで 2

「あいつマジで赤い薔薇買ってったかな」


 クックッと悪人そうに笑いながらザムザさんはお茶を淹れます。


『そういうタイプじゃないとおもう』


 わたしが言うことが「聞こえた」かは、いつもよく分からない。

 小鍋で茶葉からミルクティーを煮出しました。帆来くんは牛乳があまり好きではないので、ロイヤルミルクティーはわたしたちの時だけのドリンクメニューで、ザムザさんのレシピではかすかにシナモンが香ります。茶でもしばいてる間に夕飯決めようぜとのことでした。


「夕飯決まった?」

『まだ』

「なんでもいい」

『洋食のきぶん』

「買い物には行きたい?」

『……めんどう』

「じゃあオムライスだ。牛乳もあるし、玉ねぎ、ベーコン、いや、鶏肉あったっけ……ある……玉子大量にあるな……二人分……グラニュー糖……フライパンでいけるか……はい。セレスタさん紅茶は、飲み終わりましたか。あ、まだいいよ。飲み終わったら、ちょっとお仕事が、あります」


 カジュアルなオックスフォードシャツとジーンズの彼、わたしにとってはそうとしか見えない彼は独り言みたいに喋り続けながらもうキッチンに立って手を動かしていて、フライパンや泡立て器を動かす相変わらずの手際の良さに驚きながら、ふんわりと甘い匂いが漂ったので首を傾げます。これはあとで、とザムザさんは言います。フライパンに入れて蓋をして弱火。


「これは開けちゃダメだからね。開けると大変なことが起きるからね。『浦島太郎』って知ってる? ああ、おれも知ってる。あれはひどい事故だった。ちゃんと箱の蓋に黄色や赤や黒で取説を書くべきだったんだ」


 私は隣で言われた通りに洗い物を手伝い、彼が玉ねぎと鶏肉を小さく刻んでにんにくと一緒に炒める間、彼はきっと余所見をしないので、わたしは喋らずキッチンに並んでいて、野菜と肉の焼ける匂いが夕方の空腹をつついていきます。


 そういうタイプじゃないとおもうとわたしは思いました。“彼は”赤い薔薇を差し出すタイプじゃないし、“彼女も”そうではない。“彼女”について、彼が追ったという長い髪の女性の後ろ姿をわたしは捉えていません。わたしに知らされているのは“彼女”の姿と名前と、帆来くんと旧い仲ということだけでした。


『赤い薔薇はザムザさんのしゅみでしょ』


 と呟いたわたしの言葉は“聞こえなくて”、ケチャップライスが一旦引き揚げられて、あっという間にふわふわの半熟玉子に包まれるのを横で見つめています。


「一品でいいかい。サラダは? いらない。ケチャップ?」


 適当に相槌を打っていると、テーブルの上にはふわふわのオムライスがふたつ並んで、デミグラスソースがかかりました。


「素晴らしい」


 彼の自惚れが聞こえました。


『ザムザさん じぶんのことすきでしょ』


 臆面なく自惚れるところとか、今日はテーブルの上にギンガムチェックのナプキンを敷いてカトラリーをきちんと並べるところとか、ミルクティーを淹れるときには鍋から煮出してシナモンも添えるところとか。

 彼は軽やかに語ります。


「だって些細なことも自分で褒めないとおれのこと誰も褒めやしないだろ。おれはこだわったオムライスを食べるのが好きだし、おれがこだわりオムライスを作れることをおれは毎日誇りに思うよ。

 ファッションもそうだろ? 人は服だけじゃなく鏡に映った自分のことも愛してる。

 ……なんだよその顔〜、テングになるなって言ってんじゃないよ。誇りは持たなきゃ。その上で磨くんだ。君は相当頑張ってる」


 都合上わたしたちは会話のなかで黙り込みやすく、沈黙が訪れて、「ま、食べようよ」と彼が促すので、わたしたちは席について、彼のごはんを食べます。正直言ってレストランで食べるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいとても上手くて、おいしいので、彼はひとりでいてもどんなときも楽しくやれるのだろうと推察します。


「にしても帆来くんは残念だったね。今夜は曇りのち雨で、せっかくのデートも水びたしじゃないか」


 相槌を打つほどでもなかったので、わたしはアイコンタクトを取るふりをして彼を眺めました。

 スプーンで切り取られたオムライスの一口が彼の口内に運ばれて消えるまで。輪郭が見えるぐらい丁寧に見えるようになりたい。目の前にいるふつうの人を想像で補えるように。しかしぼーっと眺めていても顔立ちはいっこうに察せられませんでした。

 いま口に含んでいる分を咀嚼して飲み込んで、お茶で一息入れて、コップをテーブルに戻すトンという軽い音で、彼の気を引きます。


『ほらいくん だいじょうぶかなあ』


 ん? という彼の相槌。


『まだ、ちょうし、わるそう』


「あいつは四六時中調子悪いな」


『そうじゃなくて』


「そうじゃなくて?」


 そうじゃなくて……

 わたしはためらいました。恥ずかしかったんだと思います。ザムザさんはたぶん、そんな恥を抱くことが恥だと分かっているので、達観しています。


『水を吐くのをしらべました。ねこばっかり出てきます』


「じゃあネコなんじゃねえの」


 彼が真面目に取り合ってくれないのは、彼がジョーク好きというのもあるけど、たぶんわたしを心配させたくないから。でもそういう優しさって、悪い意味の子供扱いにとても近い。

 彼がわたしを子供扱いするのは、彼のせいではなくわたしのせいなので、わたしはもっと上手くいろんなことを考えて言えるようになって、子供扱いしないでもいいようになりたい。


 思いついたことを「言う」には恥ずかしく、わたしはいっそ、大きく口を開けてハキハキと、捨てゼリフみたいに叫ぶように伝えました。


『わたしって、どうなの』


 確かにスプーンが立ち止まって、たぶん見つめたのです。見つめたまま、彼は黙ります。沈黙を充満させ、わたしが自白するまでただ待つように。離島の教室みたいでした。親しみやすくて威圧的な良い教師になれそうですね。


 その沈黙はわたしがわたしの非を打ち明けるまで終わらず、話題を変えたり席を外したり、スプーンを再び動かすのはわたしの敗北なのです。よほど気の利いた返しをできない限り勝てる見込みはなく、勝つためには過ぎた沈黙が長過ぎました。別に戦いたくなかったのに喧嘩をふっかけたのはわたしの方だし、気付けば睨んでいました。

 視線の先に表情がないことはいまのわたしには救いだったのかもしれません。


 んん? とおだやかに唸る声で沈黙が解けました。


「冷めるよ。ああ……違う。さめるよ」


 冷めるよ、冷めるよ? 声だけの彼は何度か同じセリフをリテイクしました。


「ああ、こうだ。うん。“さめるよ”」


 やり直しの甲斐はよくわかりませんでした。彼はまた、多分大きく口を開けて自作のオムライスを頬張り、料理の悦に浸るようです。

 彼の存在を保証するのは彼しかいません。彼の営みを褒めて支えるのは彼だけです。よほど孤独なのです。そうわかっているけど空元気にしては彼はいつでも達観していて楽しそうにしています。わたしが知らないだけで夜毎枕を濡らしてるのかもしれないけど、まあ、想像はできません。


『じゃあ、じゃあザムザさんは、どうなんですか』


「いやぁ……?」もぐもぐしながら答えるのは三枚目っぽいです。口に含んだ分を飲み込んで、あいまいながら神妙に言います。


「その質問には懸賞金がかかっている」


 でもわたしが考え込んだそばから暗い響きを自分で打ち消して、


「いーや、嘘です。はい。元ネタは秘密ね。すると今夜は『徹底暴露! 謎多き二枚目お料理男子、隠された素顔に迫る!』ってところにしようか?」


 わたしはあいまいに笑い返します。


「でもその番組はスポンサーもディレクターも雲隠れしてしまったから、絵コンテの一枚も上がらないうちにお蔵入りなんだ。原作はまあ、どこのブックオフにも売ってるよ。でも本当は番組のノベライズがあった。映像の制作と同時進行の企画だったんだ。本の方はどうにか手に入るんだけど、手に入っても何やかんやで読めないんだ。そういう仕様になっている。例えば、黒い本に黒い文字で書かれている」


『ページが透明だったり?』


「あり得るね。いっそ、なんにもない場所に値札がついてんだ。本当になんにもないのにね。『これが本です』」


『サギですね』


「ま、印税はおれには入らないから」


 一言一言に深い満足を伴い、彼は自己肯定感のままに立っているようでした。誰も見ていなくても彼はきっと自信を失わないのでしょう。


「そうか」


 改めてひとりごちたあと、彼は目を閉じて感慨深く笑んだような気がします。

 わたしの思い描けるなかでもっとも楽観的な筋書きに沿って彼は表情を鮮やかに変えます。


「セレスタ。今夜はおれの話をしよう」

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